無職、デイトレ、退場、の最下層3本の矢

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家族や友人など、このブログの存在を知らせている方々から、更新のリクエストが届くことが多い。

その記事を待ってるのかと意外な感想を持つことが多いのが本音だ。

特に意外なのが、実際によく見られているページである

現在、他のページよりも10倍ぐらい見られて断トツ1位が

デイトレを退場した、無職の生きる道という記事である。

※現在、陥落しました(2017年5月半ば)

何度か見直してみたけど、どう考えてもなにがいいのか分からない。

  • ”無職”

  • ”デイトレ”

  • ”退場”

という比較的検索されやすい3本柱が上手く働いているのだろうか。たしかに、検索で最も重要なタイトルは悪くないようにも思える。

とくに読み返すような内容でもないから、繰り返して読む必要はないと思うのだが、これがまたよく分からない。

マーケティングというのかな

は難しいものだなと日々感じている、なにが当たるかは本当に分からない。

自分が検索サイトに表示されたワードを見ると

  • 期間工関連

  • デイトレ退場

の2つのワードが良く出てくるので、自分でも気づかなかった

デイトレ退場という失敗した経験

というものを、観たい人が一定数いるらしいことが分かる。

期間工関連が多いのは予想通りだが、期間工専門サイトは存在するので、自然とこのブログの進むべき道がみえてくる。

株式トレード退場ブログというのが強みになりそうだ。

デイトレ退場で人は変わるのか 変わらないのかの記事の内容にも重なるが、私の300万円は、重要コンテンツの安定的な供給という面でも、貢献を見せようとしているわけだ。

また、なおかつ無職である

ということがエッセンスを加えて悲惨さを強調し、底辺に生きる負け組ブログのようなことに関連してくるかもしれない。

悲惨なブログになろうとしている

どう考えてもインドのカーストでいえば、最下層の部類だろう。日本でもそうなのだろうけど、しかし、毎日検索流入を分析していると、これが求められていることのようだ。

書く苦しみを天秤にかける

自称、文章の秀才である私であるが、それなりに追い詰められている。

前にも書いたが、詩でも小説でも書きなさいといわれればいつまででも書ける、なんの準備もいらない。報告書、顛末書などでもそうだから、いつどんな時でも皆に頼られてきた。

みんなが困っているときに、私はどんな文章でももう書けていたのだから。

どんな分野でも

  • 資料を参照することなくオリジナルに書くこと

  • 適切な言い回しを選択してそれっぽく仕上げること

が可能であるために、なんの資料もいらなければ、再提出にもならないのだ。

秀才だ・・・・フルフルフル(*´Д`)

秀才がおられる・・・・

考えてみれば、アイキューも低くて、記憶力も悪い、容量も悪いのに、なんで読解力だけが誰にも負けなかったのか、といことが全てを物語っていると思う。

私の能力の鍵は、読書をしてないのに生まれつきあった高次元の読解力である。

ということになるのだろうと思う。

そんな私だが、やはり毎日記事を書くことは大変だと感じている。

そもそも、ブログは、文章だけじゃない。

写真も用意しないといけないし、見出しのつけ方も考えたりデザイン的要素もあるため、原稿用紙に書くのとはやはり違う能力も必要だ。

これは就職した方が楽なんじゃないかと感じることも多くなってきたが、

もはや食べていけるとかいけないの問題ではなくて、ブログを書くことが

生きがいになりつつあるのかもしれない

収益の方は、他のブログをメインでやっていくつもりだ。

毎日、自分についた垢を落とすように文章を書いている

自分の文章が、言いたいことなのか、自分の意見なのかも自信がない。

ただ、降りてくる言葉を、分かりやすい形にして伝えていくという作業をしているうちに、そんなことを思ってしまう。

毎日書くということが、自分の精神の安定につながっているかは分からないけど、死にたいと思うことはなくなった。

ただ、仕事に近いプレッシャーのようなもの

を感じるようになってしまった。今書かないと明日アップする記事がない、というのはけっこうなプレッシャーだ。

それでも毎日記事を上げることで、今は自己満足ができているということだろう、なんとか1年、毎日更新を続けていきたい。

私のブログライフは、まだまだこれからである。

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