インド旅行記10

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-空港-

夕方4時まで、時間をつぶしてタクシーと交渉開始、350ルピーで空港へ、6時間前には着いてしまった。

7時まで時間をつぶして搭乗手続きへ、しかしそれからが悪夢の始まりだった、予定の11時になっても飛行機の到着がないようで、そのまま空港で一夜を明かすことになる。香港経由の便であったため、情報は混乱しており、主に香港に行きたい客が職員にくってかかる。手配されたホテルに大方の人は移動したようだったが、私と日本人男性2人と、日本人女性1人の計4人は、どういうわけか特別バスに誘導してもらうことができずに、そのまま空港に残ることになる。

空港で朝をむかえ、次のフライトは9時5分予定である、4人とも、固い椅子で1,2時間眠るのが精一杯であった。6時過ぎの手続き開始で、いよいよ移動できると期待しながら9時前の搭乗を待つが、いつまでたっても係員がゲートに出てこないし、フライト予定も少しずつ遅くなっていく。もう空港に到着してから24時間が経とうとしており、私達の疲労は濃くなっていたが、咳が治まっていたのが救いだった。
同じく空港で一緒に行動していたメンバーの内、ウルドゥー語を学んでいる学生と建築を勉強中の女性を、混乱の中見失ってしまう。2人とも学生で、とても急いでいたので救済用の香港便に乗ったのかと思われた。残された私と中年男性はどうしてもタダで帰りたいと執念を燃やしていたので、ここを動くわけにはいかない。

長い時間がかかり、ツアー添乗員の圧力などから、ようやくエアーインディアが保障に動き出す。売店で食事をとらせてくれて、ほどなくバス送迎でホテルまで移動したが、予想を上回る高級ホテルであった。

セントールというホテルで、私の一週間分の予算に相当する、一泊6000ルピーという四つ星ホテルである。

一人ずつ、シングルルームが与えられる、私は風呂を入れて一週間分の垢を流し、足を伸ばして仮眠した。とても眠かったし、いつ日本に戻れるのかという不安はすでにグルリと一回転して、もう流れに任せようという気持ちである。

目が覚めてから、ランチやディナーを楽しんだ、まるでタイタニックの映画のようなレストランとエントランス、私はある意味ラッキーだなと感じてもいた。体調はすっかり良くなっていたが、依然として情報が入らず、皆不安をかかえている。特に一人でツアー客の責任を一身に背負った添乗員の男性は、疲労の色を濃くしていった。

そんな中、夜9時頃にバスが到着し、突然の進展である。空港の中に入れてもらえないというトラブルはあったものの、最後はガラガラの飛行機に無事搭乗、今度こそ間違いない、日本に帰れるのだ。思いもかけず空港で足止めをくらってしまったが、貴重な経験もできたし、いろんな出会いがあったのでプラスに受けとめたい。

 

-3.JUN.2010 帰国-

目が覚めると、一瞬どこにいるのか分からなかった。

そうだ、飛行機の中だと気づいた時には、香港に着くというアナウンスが流れる、機内食を食べてからすぐに眠ってしまい、あっという間の5時間で、全く記憶がなく気持ち悪くさえ感じた。香港についてからは、空港の職員が迅速な対応をみせて、すぐに大阪行きの飛行機に乗り換えることができた、あまりの対応の差に、皆インドはこりごりという雰囲気だ。大阪に着くまでの間、もう眠ることはできず、機内にある音楽を聴いて過ごす、目前にせまっているワールドカップに思いをはせていた。

ゆっくり、ゆっくりと飛行機が止まる、大阪に戻ってきた、日本である。

安堵感と、ちょっぴり切ない気持ちをひきずりながら、両替を済ませた私は、京都行のバスに乗り込んだ。自分とインドに感謝したい、この旅に出られたことで色んな選択が変わっていくことだろう。

 

あとがき

インド旅行記 1


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