納得いくまで無職で考えようと思う。

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無職期間が最も長くなったようだ

以前作った人生年表を見てもハッキリ分かる。

人生年表を考えても、ここまで無職を続けているのは初めてになりそうだ。

10年前、まだ24歳だったころにずいぶん長い無職期間があるが、4カ月(7~11月)は職業訓校に通っていたし、その日当も出ていた。そのことを考えると、今まで散々長いこと無職をやっていた気がするけど、意外と3カ月ぐらいしか無職期間が続かなかったことが分かる。

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焦りがあった

その根底には、貯金があるなしに関わらずに焦りがあったのが一番だろう。今よりは挫折が少なくて、試したいこともあったので、比較的早い段階に動けたのだと思う。でも今考えたらもう少し時間をかけて動いても良かったし、場合にはよっては学校で勉強し直したり、世界一周を試みたり、そんなことをしても良かったかもしれない。

今だから分かること

結局どうなろうと働くのは自分だし、生きるのも死ぬのも自分だ。だから、人の考えに影響を受けても良いことはないと思う。特に仕事というのは自分の生き方に関わってくることだから、時間をかけて選ぶ必要があったと思うし、時には周囲の意見を無視するぐらいで良かったんじゃないのかなぁ。

自分の苦しみは自分だけのものだ

自分が分からない

自分の事がよく分かっている人ならいいんだろうけど、自分は

  • 何がしたいのか
  • 何ならできるのか
  • なにが向いているのか

まだよく分かっていない、それは逆に言うと続かなくても

  • どんな仕事でも
  • どんな職種でも

ある程度対応できて、求められる水準に達してしまうんだとも思う。

そこには長所を伸ばそうとするんじゃなくて、短所をカバーしてバランスの良い人間になろうとしてきた、自分の性質が透けて見えていると思うし、そのことが自分という人間を知ることをますます困難にしている。

自分の経験

自分の経験を自分が一番分かっている以上、自分の判断は自分がするしかないのだろうと思うが、逆に年齢が上がるにつれて、経験が増えるにつれて、自分をふりかえることが難しくなるような気がしている。過去の挑戦は良い思い出になりがちだし、それが自分の人生のすべてにも思えてくるからだ、そのベクトルを生活の楽しみや生きやすさに変えていくというのは自分で思っているほど簡単なことではないように思う。

なにものにもなれずに、このまま朽ち果てるのか

色々考えて、行動して、これからもボチボチ働いていくんだろうけども、自分の事が理解できない以上は幸せにはなれそうにない、だがそれはそれで自分の人生だと思うし、そんな人生もあるだろう。だから、せめて自分のことは自分で決断していく、そんなことを心がけたいと考えた。

発見の連続

当然だけど家に引きこもって苦しい苦しいいってるだけだから、ブログのネタなんかないわけであって、色々考えて無理やり文章を書くんだけど、そこでまた自分が知らないことの発見の連続なわけです。書いて初めて気づくことしかないというか、40歳過ぎたら、もうそんなこともすべて無意味になって受け入れるのかもしれないから、まずなんとか40歳まで生き抜ければ、それで成功だと言えるし、感謝すべきことかもしれない。