諸行無常とあの世(死後の世界)

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死んだらどうなるのか

諸行無常

あの世(死後の世界)があるかどうかは分からない、しかし一つだけ確かなことがある

それは、全ての物事、事象、生命はいつか消滅し、永遠ということがないということである。この法則からは、太陽も霊魂も魂も、銀河系も太陽系も太陽も宇宙全体も、全てが逃れることはできない法則であり、それを真理という。

従って人間が死を迎えてどうなるかは分からないが、魂があったとしても、たとえ生まれ変わりを繰り返したとしても、そのうちどこかでその魂は消滅する。

天国に行くことがあっても、地獄に行くことがあっても、それは永遠ではなく、すべての人間も、その魂もいつか消滅してなくなり、全ての縁起から離れるだろう。

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仏陀

お釈迦様はあの世について、死についてどう語っているだろうか。

ブッダは自殺について否定しなかったし、死後の世界のことについては何一つ語らなかった。死について問われたとき、仏教は今を生きる人間がどうやったら苦しみから逃れられるかを扱っているとし、死後の世界については答えなかった。

ブッダは死について語ることがなかったが、その教えや真理を観察することで、だいたいの解釈はできるように思う。

物事は全て移り変わり、永久不変のものはないという真理、それは魂(精神世界)も例外ではなく、人間の肉体がゼロになって精神が残ったとしても、いつかそれもゼロになり、完全に消滅するだろう。

なにも恐れることはない

なにも恐れることはない、この世に善悪などはなにもない。

自殺をしても、殺人を犯しても、ポルポトやヒトラーの様に何百万人殺しても、マザーテレサのように何百万人救おうとも、消滅は平等に訪れ、いつか人間は精神も肉体もゼロになる。なにをしても善悪はその時代が決めることであって、ある時は英雄になり罪人になるだろう。

たとえあの世が何千年続こうとも人はゼロになる、それが人間の死についての明確な回答となるだろう。

まとめと希望

かつて私は、あの世について真理をしらず様々な思索巡らせてきたが、私を導いてくれたのはやはり仏陀の確立した、諸行無常諸法無我という仏教の根本思想だった。

全て苦しみも快楽もいつか終わりがくる、私はいつか消滅する存在であるという真理を持って生きることで、今という自分に集中することができる。

なにも残せないということからなにができるのか?なにも残せない世界で自分はどう人と接していくのか?そういうことが新たな自分の課題として今問われていると思うし、一つの生き方の指標と、新しい思考をまた構築していくつもりである。

私は死が怖いし嫌で分からなくて、なすすべもなく死んでいくだろう、しかし最後にどうなるかということだけは知っている。

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コメント

  1. 山田 より:

    ブログ主さんはインドに旅行に行っても結局何にもならなかったんですね。それで当然なんですよ。インドに旅行に行った位で有意義な体験が得られるなんて事考える方がバカです。
    でもブログ主さんはインド旅行が無駄だったとは認めたく無いんですね。それで無理矢理こじつけて有意義な体験だったと変換しちゃってますね。
    それこそ煩悩ですよ。そんなくだらない嘘のために現実が見れなくなっちゃってます。有意義どころかその後の人生台無しにしちゃってますよ。
    有意義だったとする嘘は現実と辻褄が合いません。辻褄が合わない現実から目を反らさないと生きて行けませんね。
    ここで試しにインド旅行が無駄だったと認めてみたらどうですか?
    かなりスッキリすると思います。現実が素直に見れるようになりますよ。

    • 国矢眼 より:

      コメントありがとうございます、私の人生は無明に覆われています。無駄な人生と体験に満ち満ちています、大いなる慈悲と許しをこいながらも今後とも生きていこうとする者であります。
      インド旅行は無駄といえばそうかもしれませんが、この世に有益なことなどないのかもしれません、いずれすべてが消滅するのですから。