宮崎進~すべてが沁みる大地~を観てきた(感想)。

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宮崎進を観てきました(多摩美術大学美術館)。

美術展にハマっています。

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無職にも慣れてきた

無職も11ヵ月となり、少し心に余裕ができているかもしれません、貯金は減っていますが・・・。

単身東京に来て5年、縁もゆかりもない場所でなんとか生きていますが、タクドラ時代は観光する余裕はほとんどなくて、

  • デ・クーニング展(ブリジストン美術館)
  • モネ展(たぶん上野のどこか)
  • 国立近代美術館の常設
  • 国立現代美術館の常設
  • 立体の作家(ホテルオークラの横の美術館)

3年半でこれぐらいしか行った記憶がない、たぶん年に1回ぐらいのペースだったと思うので本当にもったいないことをしたなと思っている。趣味にしてブログでも書いていればと思うと、どれだけの名品に出会えたことだろう。まぁ、有職中はそんな余裕もないのかもしれない、たぶんそうなのだろう。

多摩美術大学美術館

初めて行く美術館だ、東京多摩市の多摩モノレールと小田急の多摩センター駅前にある。風の谷からは一時間弱(5,6駅)であろうか?八王子市夢美術館についで近い。

今回は、アルチンボルド展や、藤島武二展ブリューゲル展などが観れずに終わってしまい、それでもまだ9月なのでなにかあるはずだとネットで探して見つけた。もっとも私は有名な展覧会よりはこういう地味な人気がなさそうな作家の方がゆっくり観れるし好きだ、料金も300円と無職には優しい。

東京陰陽うぃ~

東京は本当にすごい、有名企業、美大、自治体の規模が大きいので、地方市立美術館なみのところが100以上集中している、つまり一年中調べれば行きたい展覧会があるということかもしれない。

しかし、世界一の経済都市として、大事なものをたくさん見失っての美術の宝庫だということは忘れてはなるまい。自然に美術は勝てない、どれだけ金を優先し自然が失われていうかということの象徴だろう。

宮崎進

なんとなく名前ぐらいは知っている程度、知名度としては難波田龍起宇佐美圭司ぐらいですかね、最近まで生きていた方です。水木しげる先生のように過酷な戦争体験を持っており、シベリア抑留されていたことでは有名で、これはなんとなく知っていましたが、それなら香月泰男の方が有名ですよね。

過去最高の美術展でした。

結論として、過去最高の美術展だと思った。

私は両親ともに絵を描く家庭だったので、おそらく小学校に入るぐらいには北九州市立美術館などでピカソなどを観ていたので、数としては相当な美術展を観ているはずです。しかしこの東京の辺境で行われているこの展覧会は桁違いに良かった。

最初の印象

会場に着いたときは、並の展覧会だと思った。会場に入ったとたん、子供の声がうるさいのでなんだと思うと、すぐ職員が寄ってきて

「小学生が見学授業をしているので、すいませんがご自由に観れますので」

と断りをいれてきた。なんとまぁ幸せな小学生だ、そんな授業は田舎ではなかったしできない。

会場全体で10人いないぐらいの来場者だったが、小学生やら引率の先生、学芸員で会場は賑やかだった。

作品は汚くて、暗いという印象を受けた

全部で4部屋

二階もいれて会場は4部屋あった、けっして広くはない。会場にしばらくいると、だんだん心地いい感覚に体が支配されていった。全ての作品を観終わるころには何とも言えない初めての感情を味わっていた。

実際は大きな大作が多いですが、写真だと良さが伝わりにくい・・・これはアトリエに残っていたものだそうだ

なにを感じていたのか

味わったこともない初めての感情、感覚に襲われて私は頭をかかえた、そしてあることを思いだす。

そうだ、これは瞑想中にも何度か味わったり、昆虫や生物を観たときに稀に感じる命の輝きではなかろうか。事実、このヒロシマやシベリア、戦争を題材にとった作品、苦しみの表情を浮かべる面々があるだけの会場全体から感じるのは、マイナスの感覚ではなく、圧倒的なプラスであり、希望であり、喜びであった。

そして、私は思った。これは生命の、地球の美しさが奇跡的に表現されている。だからこんなに心地よくて生きる希望がわいてくるのではないか・・・

不思議な体験をした

不思議な体験をさせてもらった、なんかしらんけども出家の決意が揺らぐような経験だった、またこのどうしょうもない世界で生きてみようかと思わせるほどのインパクトがあった。私よりはるかな痛みを味わったであろう人が放つ、それに相応じた渾身の光であった。

これはボデーシリーズというらしい、なんかしらんけどもう完全にうぃ~だ、私より上だ。

とりわけ私が眼の前にしたのは、生きる意志と力を失わない人間の持つパワーである。あの凍てついて何ひとつない荒野から立ち上がって人間らしい営みを取りもどし、生きるための様様なるものを創り出した人間そのものの姿である。

1995年、宮崎進

まとめ

私は人間、宮崎進の前に完全にひれふしてしまった。私のうぃ~は、この人の前ではゴミのようなうぃ~レベルでしかなかった。

なんか分からんけど、たしかに頂いたのは希望だ、それも大いなる希望。私は珍しく学生の時以来の図録を買って会場をあとにした、もう小学生の姿もなかったけれど、私の心は珍しく賑やかだった。

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