職業訓練(日本語講師)の選考に落ちました。

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日本語講師養成科の面接に落ちました

誕生日前日の悲報

9月28日は誕生日なのですが、よりによって誕生日を迎える前の27日16時ごろ、ついにポストにペラペラの封筒を見つけました。

正直紙一枚しかはいっていないであろうその封筒を見て、ダメだったのかもしれまないとは思いました、そして選考結果 不合格とだけありました。

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無職、生きる希望を失くす

無職は再び深い谷底へ突き落されたような気分であります。空はいよいよ黄昏の表情をまして、マイルスの音楽の様に私の心にふかい影を落としているようです。

どうしてダメだったのか、なんて反省してももう意味はありません、しかしありがたいことに☟の様なツイートを頂きましたので、またチャンスがあれば挑戦してみようとは思います。また、誕生日おめでとうのメッセージを多数のフォロワーの方から頂きました!この場を借りて御礼申し上げます<(_ _)>

もうお終いだ

無職期間が6カ月延ばせるのではないかという淡い期待もありました、7割方は受かっているんじゃないのかとも思っていました。しかし、そもそもが海外に出家をするその準備として考えていたようなところもあり、そんなことが面接などでも滲んでしまったのかもしれません。

しかも誕生日の直前に結果がくるというなんともマヌケな結果となってしまい、心の切り替えも非常に難しいものとなってしまいました。

不吉な予兆

思えば26日の23時過ぎにも、

「女性の叫び声がしたといって通報があった」

とかいって4人も刑事や警官が私の家に来るという騒ぎがあり、少し自分が疑われているところもあって非常に怖かったです。今年はいい流れがくるような気がしていたんですが、ここ数日を観るとそんなことはないのかもしれません。

無職が終わる

無職を辞めたくはないです、しかしもうブログがどーだとかいってられない。働きたくてもまともに働けない自分がとる選択肢は、生きることを選ぶとしてそう多くはない気がします。

  1. 残った資金で逃げる
  2. 期間工か派遣で工場
  3. 実家に戻る
  4. 出家する

ぐらいでしょうか?

現実的に考えて2の働くしかないのは目に見えている。無職という最近では少し頼りにもしていた感のある看板を降ろして、また底辺労働者としての看板をしょってあの途方もない坂を自分は登っていくのでしょうか?

期間工は難しいだろうが・・・

今までのバックレ経験から期間工は辞めた方が良いことは分かっていますが、生活最低減の15万ほどを稼ぐ難しさもまた、身に染みています。日雇いだと保険もなかったりするし、工場派遣だとギリギリで金は貯まりません、それなら割のいい期間工を考えざるを得ないのです。

日本語教師のことを捨てきれないのなら、ある程度資金の貯まる期間工で定着できるのが理想だとは思いますが、うまくはいかないでしょう。

八方塞がり

これといった道が見えない、うぃ~という自分の道が見えません、具体的なコレといった指針がないと先が思いやられる、どうしたものか、どうしたものか・・・一度タイに行ってみることは検討してみてもいいのかもしれない。

その昔 仏あるいた 路追うも ふりきるに惜し 苦楽の身体

国矢眼介

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