インド旅行記6

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-サダルストリート-

一通り会話を楽しんだ後、彼はもっと話したいという、私は一緒に散歩しながら清潔な身なりや、ハイテクノロジーで武装されたお金のありそうな彼を、次第に信用していく。一旦、ホテルに戻りたいといったものの二度目のランチの約束をしてしまい、他の日本人旅行者に色々アドバイスを求めると、やはりあまり信用しない方がいいという意見だった。しかし、彼の状況があまりに細かく、日本語が話せる友人もいて、電話で会話したりするうちに、なかなか100パーセント疑う気にはなれなかった、今考えるとまだまだ経験不足だったなと思う。ランチの時、彼の態度が冷たくなってきたように感じたので、ディナーの約束をすっぽかして、ホテルマリアで、モトシさんと最後の夜に酒をかわした。前日のクニオさんが飲んでいた酒があまりに美味しそうだったので、一人で飲み直したかったのだが、ちょうどモトシさんと会って飲むことになったのだ。

ストリップ劇場弟子入りの件など、昔の染公房時代の話がとても盛り上がって楽しく話せた、人間はやっぱり経験値だなと感じる。モトシさんとは日本で会っても深くかかわらないであろうタイプの人だから、ストリップの話がとてもネタになって助かったのである。もとしさんからブッダガヤーの情報をたくさん得ることができて、とても有意義で、瞑想の教室にも挑戦してみようと決める。パラゴンはパラゴンで、三階に人の輪を創って酒を交わしている、今日も濃く長い一日がふけていく。

5月23日

朝食を食べようと9時頃からウロウロして、いつものトーストは嫌だと、たまたま入った店で昨日のインド人にバッタリ出会ってしまう。モトシさんからの情報で他の日本人も声をかけられており、同一犯の詐欺師と分かっていたので、厳しい態度で店を出ることができた、バナナを買ってそそくさとマリアに戻った。10時過ぎから、ようやく念願のマリア3階からの風景画にとりかかり、理想通りとはいかなかったが、筆の走りはよく、青系でまとめられた絵には、昨日と今日のほろ苦い思い出がにじんでいた。少し気分を変えたいのもあって、昼寝をしてからパラゴンへ、マザーテレサの家でシスターのお話が聞けるというので、どんなものかと連れて行ってもらった。カトリックをベースとしているものの、仏教的な話もあって、興味深く、楽しく最後まで聴くことができた。あそこまで若者に、なにかを伝えようと真剣に語る人は記憶になく、内容以上にとても感動的ですらあった。

5月24日

とてもいいことがあった、散歩がてらATMで一万ルピーを引き出した。すると見事に全てが1000ルピー札、初めて見るお札に戸惑いを覚えるも、なんとかして使っていこうと警備員付のマクドナルドや本屋に行くことがどこも受け取ってくれない。もうこれは使えるところはないなと悟り、銀行で両替をお願いしてみようと、適当に見つけた大きな銀行に入った。

しっかりした風の銀行マンに両替を頼むと、嫌な顔一つせずに100ルピー札を20枚と、500ルピー札を16枚にしてくれた。サダルストリートの両替所では、10パーセントもの手数料を要求されたことがあったのでえらい違いだ。私は嬉しくなって、早速この嬉しさをインドに還元しようと、1ルピーを握りしめ、片腕がなくても必死に芸をしているおじさんに投げた。本当は50ルピーでも良かったのかもしれない、まあでもインドへの気持ちであるから、良いのである。

マリアに戻っても、あまり居場所がなく、なんとなくすぐにパラゴンに足が向く。パラゴンには新しく入った顔や、ぞくぞくと新顔の人も入ってきて、自分のコルカタの旅も終わったなと感じた。ハイブチさん達と2,3日前にでていたらどうなっていただろう、でも今日がベストなタイミングだと思う。モトシさんとも話せて、マザーハウスの家にもいけたし、なによりコルカタなら、初めての旅行者なら案内できる自信もついた。たったひとつ後味の悪さが残っているけど、自分の中にしまっておこうと思う。もう旅立ちの時、はるかな思いを何度抱いたかわからない、最もあこがれた人、仏陀の足跡を垣間見る場所への旅立ちである。

旅立ちの前に抱いていた気持ちに、なにをしても自分はだめだよなという気持ちがあった、今では全否定じゃなくて、少しだけ認められるようになった。自分は豊かな感受性で世界を楽しめる人、いろんな知識も、絵も描ける、インドはそれを祝福してくれたように思う。嫌いな面、変わりたい面、色々あると思う、でも、今は自分の感性を守りたいと思った。

つづき

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