祖父の満州記3と、祖父と時代について

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☟の記事の続きです、読んでいない方はこちらからどうぞ。

大日本帝国の一兵士の記録であるが、ブログでアップすることで、誰かのためにはなるのではと思い、祖父の人生を振り返るついでに引用しておく。

戦争記の続きを引用しようと思ってたんですが、面倒で楽しくないので辞めます💦まぁ前回までで外地は終わりで、祖父はそれから内地である鹿児島で教育係として働いたり、伍長に出世したり、太平洋戦争開始とその後の苦労が描かれるだけで、自分でも読んでて楽しくないです。っていうか全部読んでません・・・💦

日記ブロガーって結局、自分の考えを書かないとどうしょーもないところがあるんですよね。そんなものは無駄でしかないのかもしれないけど、それを毎日のように、しかも無駄に長く書ける人が残ってくのじゃないかなと、よく思います。しかも無職ダメブログだとしたら、生活に変化がないわけであって、それでも毎日1000字ほどの思いや駄文を書き続ける、というのは正気の沙汰ではないのだろうとは思います。

私がファンになるブログっていうのは、管理人の考え方とか感想が知りたいのであって、それは検索にはかからないようなブログだし、役立ち系のブログをわざわざお気に入りに入れて追うっていうことはしませんね。でも結局、検索にかからないから人に見られないし、自己満足ブログにはなるんだと思います・・・うぃ~。

祖父のこと

話を戻して、祖父のことですが・・・・、私の年代の祖父としては、けっこう年だったので、太平洋戦争時にはわりと出世していたお陰で、激戦地には送られなかったのだと思います。満州にいたのも太平洋戦争の前なので、ロシアとの国境守備と言っても、本格的な戦闘があったわけではないのでしょう。私は子供心にロシアと戦ったという印象を持っていたのですが、祖父は本格的な戦闘はほとんど経験しないままに、戦争が終わった運のいい人だったのだと思います。

祖父は私を見て、なにを思うのだろうか

当時は日本の領土だった満州に、教師として孫が赴任するというのは、どういう心境なのだろうか。全く想像できないけど、祖父が乗った満州からハルビンまでの鉄道に身内がのるとしたら、それは満州国であると思っていたでしょうね。まさか日本が戦争に負けて、敵国の中国の領土に戻って、その敵国に日本語を教えに行くなんて、若き祖父にタイムマシーンに乗って説明しに行っても、信じてもらえないでしょう。

自分に孫なんてできないだろうけど、例えると自分の孫が将来、北朝鮮で日本語教師になっているような感じかな~・・・・・とうていそんなことは信じられません。

時代は変わるものですね・・・・・うぃ~。

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