虎頭要塞~東寧要塞、牡丹江、鶏西、虎林、満州を巡る旅。(2019年8月)

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中国東北地方僻地(旧東満州)旅行記

なにから書けばいいモノやら、、怒涛の日々だった。

塵一つなく、でも台風が過ぎ去ったにしてはどこか現実感がないような、なにかが思考を妨げる様な、様々な人生を一気に駆け抜けたような、なにかが混じり合って、幾人か、いや無数の魂と交錯したような、そんな深い旅であった。

メモはほとどとっていないが、簡単なスケジュールと写真、切符などを見ながら毎日コツコツと書いていきたい。書きたい、そう思わせるような歴史的な旅となった。

彼女に出会った。それだけではない、彼女が現実になろうとなるまいと私は四平に帰る日が近づくにつれて、詳細な旅行記を残そうという思いを強くしていった。インドの一人旅以来ではなかろうか?あるいは一人旅がそうさせるのか、そういうなにかが起こるタイミングだから一人旅にでるのか?それは分からない。しかし、一人旅には、やはり壮大なドラマと出会いが自分にはつきもののようで、それはずっとなにかしらつながっていくようなことが、幸いにも多いのだ。。。

ちょうど中国の虎林に呼ばれたのと同じように、10年前にはインドに呼ばれ、その時は、偶然に仏陀の誕生日をブッダガヤーで迎え、東西南北インド中から僧侶が街を目指して行進する大集団を目にした!

タクドラを辞めた時に、訪れたハノイでは早くも行きの搭乗機の中で日本から帰国する技能実習生と出会い、同じホテルに泊まることになった。彼女達との関係は今でもlineで続いている。

予期しないところからなにかが起こる。それが旅先と深くつながることができる一人旅の魅力であろう。もっとも、移動待ちでも荷物を全部もって行かなければいけない、部屋や貸し切りタクシーが割高になるなど、短所をあげればきりがないのだが・・・・。

8月5日(月)晴れ  大連から四平、四平~牡丹江

東北の晩夏、大連ではまだちょっと暑さが残る、しかし、昨日までいた日本の九州の真夏の暑さは全くない。

二度目の宿泊となった百時快棲酒店(大連港湾広場店)からの出発であった。朝起床して、パンを食べて、チェックアウトをする。

前回のチェックアウトの時に、なぜかデポジットを返してくれなかったのが気にかかっていた、たかが数元なので忘れていたのだと思うのだが、そんなことも言い出せない性分である。今回は、数元のデポジットがちゃんと戻ってきたが、私はトボトボと地下鉄へ向かいながらも、この先の旅への足取りは非常に重かった。なんで、こんな面白くもワクワクもしない、中国東北部の、しかも花形であるハルビンや瀋陽、大連観光ならまだ分かるし、行きたいとも思う。特に瀋陽などは観光資源が豊富だ。ハルビンの街並みも美しい。

それが、なんでよりによって虎林とかいうわけのわからない極東の場所なのだろうか?なんでハルビンじゃないのだろうか?

旅の途上、なんど思ったことか。ああ、しかし悲しいかな旅の運命は、吉林省から近く去るであろうタイミングや、諸々の条件も整って、いよいよ行くしかみちはないのかなという感じになっていった。特に色々な人に話してしまって、もう四平から牡丹江行きの寝台を買ってしまっている。

まぁいいや、なんとかなるさ。最後はそう思い直して、足取り重く「湾岸広場」の駅へと階段を下りた。

今回の出発場所は大連駅、中国の新幹線の駅としては、大連北や北京南、例えば四平なら四平東など、新駅から乗ることがほとんどなのだが、この日は珍しく大連駅からのスタートだった。地下鉄を降りてから二人ほどに道をきき、なんとなく歩いていくと、スーツケースを転がす人々が現れ、私もその波にのまれた。

大連~四平東、この工程は少し慣れてきたとも言えなくもない路線で、なんとなく気持ちの余裕もあったのか、あまり記憶が定かではない。ただ、気乗りがしない旅を本当に行くのだろうか?果たしてなんの意味があるのか?そんなことばかりをうじうじと考えていた気もする。

悪いことに、親戚一同とこの話になった時に、

「ぜひ線香をもって行って、参ってき」

そんな興奮した声が聞かれ、それに方々から喝さいが起きたので、これを第一の目的かと、そんな風に考えていたのだが、その線香すらも忘れている始末だった。それでも、代わりになるものはなにかないかと探したところ、自分には水彩画しかないのではないかと思って、それでまぁ絵の道具を四平のアパートに戻った時に、しっかりと道具に入れた。

四平はずいぶん涼しく感じた。やはり福岡とは違う。生徒の姿はほとんどないが、たまに大学生のカップルが寄り添って歩いていた。なるほど、実家に帰らずに残るとしたら、よほど課外授業でもあるか、同じ大学でカップル同士かのどちらかぐらいであろうか。アパートに戻った私は、スーツケースからバックパックにそっくり荷物を移し替え、帽子をかぶり、すっかりバックパッカーの装備を整えると、普段はあまり使わない四平駅へ、鈍行寝台列車に乗るために向かった。

「やっぱり新幹線じゃなくて、普通の駅かも知れない」

私がそうつぶやくと、運転手の表情はあきらかに曇った。それは、僻地の四平東駅から、中心の四平駅への変更を意味したからだ。しかし、切符を運転手に見せると、やはりあきらかにこれは四平発のようだ。

それもそうだ、東駅は新幹線駅の専用車線のはずだからである。念のために、午後四平東に着いたときにネット決算していた切符を、切符売り場で現物化していた用心深さが、この度のスタートを救ったかもしれない。もし、四平東駅にいっていれば、途中で気づいてまたタクシーに乗っても、この度のスタートは相当躓いた結果となる。

なんでも初めが肝心、あれはそう、まだ私が24歳の時。

職業訓練でsさん(シラコさんという変わった名だった)が、語った内容とだぶる。なんで職業訓練でそんな内容を授業中に立って話していたのかは忘れたが、確かに彼は、

「理由がどうあれ、偶然でも、スタートが成功すれば、そのまま上手くいくことが多い、だから、そこに集中しています」

このような内容のことを語った。彼は確か30歳に近い年齢で、営業職あがりでずいぶん苦労したそうだ。頭はすでに剥げ散らかしそうな様相を呈していたが、今はどうしているだろうか。まだ京都にいるのだろうか。

この旅のスタートで、寸前のところで失敗を回避し、なんとか問題なくスタートできたことを想う時、このような物語を思い出さないわけにはいかない。

かくして私は四平駅に着いた。