禁ギャンブル継続3日目
全て失った。
資産だけではない。
500万、800万だけではない。
人からの信用、信頼、尊敬も少しはあっただろう。
しかし、ギャンブル依存症という言葉は余りにも思い。
そして、最も失ったものが自分への信頼だ。
瞑想者として失格、なにも身になっていないし、逆効果ということまである。
なにが、心の安定だ。
なにが真理だ。
反吐が出る。
最も病んでいるのは自分の心ではないか。
人もどんどん離れていく。
もう隠しきれない。
散々たる現実。
しかし、それでいい。
依存症。欲に目がくらみ、人生を台無しにする一人の中年。
これが私なのだ。
こんな尊敬されるところなど微塵もないのが私うぃ~なのだ。
これが現実だ。
外国に出家しても失敗するだろう。
在家のままでも、また小銭を貯めて溶かすだろう。
そして、また絶望するのだ。
こんな不毛な人生は、もう終わらせなければならない。
求めるモノは得られず、心身の働き全てが苦となる生き方。
非常に情けないことではあるが、誰よりも欲深い負け犬として自分には仏法を求める資格があるような気もする。
耳が悪い人が偉大な作曲家になるように。
眼が悪い人が偉大な画家になるように。
自己を整えられない人間には、宗教者になる資格があると思う。
ただ真っすぐに見つめる。
私はただ社会に適応できず、人生に挫折したことによって出家するのだ。
決して運命でもなければ、使命でもない。
ただ、己が欲のために出家するのだ。
それで到底うまくいくとは思えない。
新たな外国で、また絶望するだけだろう。
しかし、我が人生で唯一続けていけるのは瞑想のみ。
瞑想といえば僧侶だ。
それもまた間違いではない事実である。
他のもろもろのことは、私がいつ辞めるかもしれない。
しかし、瞑想だけは辞めることができない。
それは、己がうぃ~であることへのこだわりであり、復讐でもあるのだ。
うぃ~として産まれ、うい~として死んでいく自分自身への慰めでもあるのだ。
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