中国東北地方、黒竜江省チチハルで、名物の焼肉を食べる。

どうやら先週の授業状況などをみて、正式に社員採用となったようです。

いろいろ日本や中国の学校からの連絡が騒がしい。

 

もしとんでもないやつだったらここでクビになるのだろう。

これで良かったのかどうか、生活は楽観できない状況です。

コロナ禍中国東北地方辺境で、食べるものがない日本人。

 

チチハル名物の焼肉

昨日は歓迎会でした。

といっても高校生の学生は参加せず、関係の教職員だけ、私を入れてわずか5人です。

 

まず、炭火だけが来ます。

この地方では一般的なんだそうです。

吉林省では、あまりなかったと思います。

やっと中国、吉林省行きがほぼ確定しました。

 

この肉がどうも高すぎたようで、会計でもめてました。

これだけで100元以上。

5人でノンアルコールで400元ですから、中国にしては高いですね。

やはり、この肉は味が良かったです。

 

中国では普通、焼肉はタレがないですよね?

 

変な香辛料だけで食べるんですが、昨日は日本のような塩だれを見ました。

西安の餃子のように、本場にはいろいろなスタイルやバリエーションがあるんでしょうね。

さすが焼肉が名物だけのことはあります。

 

初めて心から中国の焼肉が美味しいと思いました。

やはり、香辛料をまぶすだけのスタイルは日本人には合いませんよね。

 

羊肉の串は、やはり新疆とは比べ物になりません。

中国で一番旨いものは、トルファンより西の羊串だと思います。

 

それでも、チチハルの羊串も十分美味しかったです。

東北で食べた中では一番でした。

 

中国の焼肉屋では、なぜか必ず登場する砂糖まみれの食パン。

 

特に女性用というわけではありません。

みんな必ず食べます。

 

スーパーで買いもの

焼肉屋の会計で手こずり、なんとなく雰囲気は悪くなったものの、私は散歩がてらスーパーに行くことにしました。

一人で行くつもりだったのですが、例によって日本語の先生がついてきてくれました。

彼女にとっても、やはり日本人と話すことが相当嬉しいようです。

 

ちょうど、私が初めて中国で教えた教え子たちと同じ年ぐらいです。

大学を卒業したばかりで、私より15歳下になります。

 

驚いたのが、彼女が虎頭の小学校に通っていたらしいこと。

それから、牡丹江の大学に行ったそうです。

まさか知らないと思ったから、言わなかったそうですが、、、

 

虎頭といえば、私の祖父が満州兵役で二年住んでいた場所です。

幼い頃から毎日、毎日、夕食の時はその土地の同じ話をしていました。

だんだんなんとなく辻褄が合ってきました。

 

まさかこんなところで、黒竜江省東部の人に会うとは思いませんでした。

満州記。一歩兵の太平洋戦争、支那事変の記録。奉天(瀋陽)、大連、新京(長春)、虎林。

 

仕事も生活も不安が多いです。

ですが、やはり来るべくしてここに来たと、言わざるを得ない気がします。

昨日は本当に驚きました。

 

スーパーで、化粧品や帽子、まな板など、10点以上の雑貨を買いました。

それでも約5000円ぐらい、やはり物価は安いです。

 

生活に必要なものはだいたい揃ってきました。

この大型店には一人で歩いていける距離で、一人で問題なく入れそうです。

一つ安心材料になりました。

 

WeChat支払い

またWeChat支払いが、またできるようになっていました。

健康コードは、とりあえず最初赤になるのですが、自力で青にする方法を教えてもらいました。

 

  • 昔吉林省で使っていた携帯番号や日本で使っていた携帯番号でwechatを登録
  • 銀行カードを作るときに吉林省の電話番号を書いている
  • 新入境外国人締め出し強化

などが不調の原因のようです。

 

しかし、これもあるあるなのですが、入境してからしばらくは役所にパスポートを預けます。ですから携帯店や銀行に行けなくなるのです。

なかなかうまくいきません。

 

今日はそんなとこです。

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中国東北黒竜江省辺境で、観葉植物と鳩に囲まれる日本人。

私が住んでいる寮(マンション)は、大家さんが変にこだわっている部屋らしく、相当変わっています。

 

こんな立派な部屋が良く借りられたなと思いますが、衛星に気を使ってくれてと言われたり、大家さんが見に来たり、なかなか面倒くさそうです。

たぶん、黒竜江省の辺境ですから、これでもそんなに高くないんだとは思います。

 

風呂もあるし、隙がないので、快適ではあるのですが、多少やりすぎだろうという内装もあります。

また、内装にこだわっているわりに、wifiがまだ未整備でなかなかネットが開通しません。

チチハルの街を散歩。黒竜江省辺境での生活が始まる。

 

部屋に観葉植物が多い

観葉植物が多いです。

ワサワサしています。

 

一日に一回水をやってくださいと言われました。

めんどくせ~うぃ~

自分が全然食えてないのに。

しかし、3日ほど水をやらないとやはり弱ります。

枯らしてしまうわけにもいきませんから、時々与えています。

 

これらの植物の枝を伸ばして、テレビに巻き付けています。

 

それはもう見たことがない光景です。

テレビは見にくいだろうなとおもいますが、これもまだ見れません。。

 

サボテンがいます。

 

中国人が

「あ~ 彼は死んだ」

と言っていました。

つい最近までは生きていたようですが、死んでしまったようです。

 

いちおう昨日死んでいるのかチェックしました。

(気づくと指がトゲだらけに、慌てました)

 

確かに、二本ある本体の一本はもう助かりそうにありません。

ですが、一本はまだ生きているかもしれない、そんな状態でした。

 

土が大きくほげていたので、たぶん水のやりすぎでしょう。

私は一度も上げていませんが、入る前に誰かが与えすぎたかもしれません。

 

この他にもベッドルームなどにもレギュラーから漏れた植物でしょうか?

適当に置かれて茂っています。

めんどくさいですが、これにも水を与えています。

 

窓の外に鳩が来る

ここは5階ですから、ちょうどいいのかもしれません。

フンの量がすごいです。

 

最初、なんか気配を感じて台所をみると、鳩が2羽いました。

いつもは人がいなかったのに、私がいるので驚いています。

 

この姿勢を崩さずにずっと見ています。

ですが、人に慣れているのでしょう。

逃げる気配はありません。

 

夕方になると、すっかり落ち着いて寝ていました。

どうやらこのつがいが住んでいるようです。

 

光熱費ネット以外は無料ですし、文句は言えません。

ここで慣れていくしかないですね。

今日はそんなとこです。

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コロナ禍中国東北地方辺境で、食べるものがない日本人。

昨日はバックレ記事を書かないといけないかもしれないな、

というところまで追い込まれていました。

中国四平市入りして3日目には、ばっくれが頭をかすめました。

 

人間、仕事は

  • 寝れる
  • 食べれる
  • 人間関係いい(うるさい客いない)

の三つが揃えば、なんとかやっていけるものです。

しかし、現在の私はこの中の食の環境が超絶脅かされています。

とにかく、一食にありつくのが大変なのです。

 

学生は超忙しく、夜の9時ぐらいでも平気で授業をしていますので、助けてもらうことは無理です。

また、皆がチチハルに家があり、通っているので気軽に助けてもらうこともできません。

 

これが中国の大学ならば、学生食堂があって問題なかったのでしょう。

しかし、高校は、学生食堂といってもワンメニューしかない小さいなものです。

昼間以外の学生がいない時に行っても、なにも食べることはできません。

 

早朝から夕方までいつでも行ける自由な大学の食堂とは全く感覚が違いました。

土日なども、おそらく空いていません。

 

ということで、昨日も夕方5時ごろに食堂に行っても食べることができませんでした。

なので、食堂が使えない場合に行くといいと言われた校舎裏の路地に行きました。

こんな感じ。

いちおう食堂らしきものはたくさんあります。

 

しかし、入り辛いです。

超入りづらいです。

意を決して飛び込みますが、中国人に一斉に睨まれて、なにを言われているのかもわからず撃沈。

私は

「なんでもいいので食べれますか?」

のようなことを言いますが、上手く伝わりません。

 

結局なにも食べれずに、唯一店に入ることはできる近所の小さなスーパーでカップラーメンを買って帰る。(ここだけは関係者と行って、毎日朝食も買うし、完全に認知されている。しかし野菜や果物はない)

そんな日が続いています。

 

コロナ禍の外国人の苦悩

現在、中国ではどこに行くにも、店に入るにもこのようなバーコードをスキャンしなければいけません。

 

まず、このバーコードが曲者で、まだクリアできていません。

これだけの隔離をしたにも関わらず、なんらかの不具合ですぐ警告者扱いになります。

 

毎日↓のような赤色画面に変わります。

理由は中国人もはっきりしないようです(ある先生は時間が解決すると)。

そのたびに、青色に変えてもらっています。

 

そして、これが赤色になるとなぜかwechat支払いもできなくなります。

ということで、出前ができません。

そもそも出前も難しいのに、意を決して注文してみても昨日はできませんでした。

 

店が外国人と分かると入れない

一番の問題はこれです。

外国人が多い都市での状況は分かりませんが、チチハルの場合は、おそらく外国人が店に入るだけで嫌な顔をします。

そして、もしコードが正常でも入れてくれません。

「すぐに出ていけ!」

そう言われてしまいます。

 

もし、中国人が同行してくれていれば、コードが赤くても問題なく入れます。

サービスを受けることができます。

おそらく、今までのコロナ禍の経験から、外国人を入れて2,3週間店が封鎖されるぐらいなら、最初から問答無用で店にいれないようにしよう。

 

というのがここでの共通認識なのだと思います。

これは完全に私の予想なのですが、今までの反応を見ていてそうなのではないか?と予想しています。

しかし、この辺りの状況が全く同僚達には伝わりません。

寒さや服の心配はされますが、私が本当に困っているのは別です。

食事なんですね。

 

結局、日本語ができる唯一の先生に泣きついて、出前を頼んでもらいました。

情けないし、申し訳ないし、もう生活できないかもしれないと思いました。

 

中国はコロナで戦争状態

ハルビンのタクシーで、

「なんで日本人などが中国に来るんだ、迷惑だ!」

と言われました。

 

中国で感染者が1人出るということは、日本でいえば死者が100人でたのと同じぐらいの影響や損失があります。

中国で死者が1人出るということは、日本でいえば死者1000人出たのと同じです。

中国は戦争状態です。

 

やはり、今は中国へ来るべき時ではない。

ことごとく、そう感じさせられます。

他の国や日本なら、全く問題ないのでしょう。

 

しかし、中国のリアルな今こんな状態です。

そして、高校、辺境、職場環境などの条件が重なり、私は今どうやって日々の食事をやり過ごすのかに必死です。

 

前途多難です。

生活面での問題が多すぎます。

しかし、ここで生活していく以上なんとか慣れていくしかないと思います。

最悪、小さな店にはいけるので、飢え死にすることはありません。

 

今日からいよいよ本格的に授業が始まりましたが、ちょっとそれどころではない感じもあります。

それはそれで、変に緊張しなくていいですが。

 

昨日までの状況はそんなとこです。

その給料なら中国で婚活できると言われた。byハルビンのタクシー運転手

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中国の高校は、やはりニーハオトイレでした。黒竜江省学校生活。

昨日は記念すべき登校初日でした。

同僚から写真を撮ってもらいました。

高校ですがおそらく半世紀以上の歴史があります。

門はかなり厳重に管理されていて、関係者ではないと入れないようになっていました。

また、中国の高校はほとんどが全寮制だと思っていましたが、この高校は全然違いました。

夜になると迎えに来る保護者でごった返していました。

また、私と同じマンションに家がある学生もいました。

昼ご飯は、家まで戻ってとるようです。

なんか、ずいぶん高校のイメージが変わってしまいました。

 

このグレーの時計のある建物が、私が教える校舎です。

やはり歴史があるぶん全体的には新しくないです。

 

中国高校のニーハオトイレ

今日初めてトイレに行って驚きました。。

なんと、立派なニーハオトイレでした。

ここまで完全なニーハオトイレは、学校では見たことありません。

 

以前の大学でもそうでしたが、まだ扉があった形跡だけはありました。

34歳だったときはすぐに適応しましたが、もうすぐ40になろうという年です。

今回は少し自信がありません。

中国人と停電とニーハオトイレ

 

これは学生からもらった、お菓子です。

生の果物を飴でかためています。

屋台で売られていて、よく路上で見ます。

このタイプは初めて食べました。

あまり食べる気はしませんでしたが、これは美味しかったです。

 

今日はそんなとこです。

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チチハル駅を散歩がてら観光しました。黒竜江省生活。

カップラーメンをすすりながらこの時間の更新。

放心状態です。

なんかまた携帯アプリの問題で店に入れなかったり、

まだ生活が50%ぐらいしか整ってきていないんですよね、、、うぃ。

 

皆さんきっとなにをやっているんだと思うと思うんですが、中国だとほぼ不自由しない中国語能力がないと、店で食事するのも一苦労なんです。

半泣きになりながら、何件も食事にありつけないことも普通にあります。

観光地でなければ・・・。

 

そこにコロナ問題があって、更に難題が増えている感じです。

今となっては隔離中が一番、食の面では満たされていましたね。

 

さて、そんなことはどうでもいいのですが、昨日の探検記事です。

コロナ禍の中国隔離食事。果物ナイフが必要です。8日目。2021年10月。

 

チチハル駅まで歩いてきました

スマホで地図をみると、どうやらチチハル駅まで歩いていけそうです。

昨日は、駅まで歩いてみることにしました。

寮を出て直進して、右に曲がればもう駅の大通りです。

チチハル駅まで1,5キロとかそんなもんだと思います。

 

さすがに駅前大通りは広いです。

しかし、期待していた賑わいはありません。

でも、どこでも散歩をしている老人がいます。

ここは散歩うぃ~としては心強いですね。

 

今日駅まで歩いたと言うと、同僚には狂ってると思われたみたいですが。

確かに寒いです。

木も凍結防止のためか靴下の様になにかを塗られています。

 

この日は手袋とマフラー完全防備でいきましたが、ブーツの中の足と腹が冷えます。

基本的な防寒能力が不足していますね。

 

しばらく歩くと、どうやら駅らしいものが見えてきました。

建物も少し大きくなってきました。

 

駅前の一等地に中国交通銀行。

多いですね。

 

中国あるある。

駅前の交差点で横断歩道を渡り切れずに途中で待つ。

 

駅前で一番大きなホテル。

ショボい。

 

日本人泊まれるのかな・・・

無理そうな気もします。

 

まさかの駅前、私の実家付近の行橋駅以下の感じ。

なんかの英雄の彫像が虚しいです。

高い建物がない。

ですね。

 

写真が撮りにくい駅です。

これ以上下がれないし、他の場所だとチチハルの文字が撮れません。

 

やはりチチハル駅自体は大きかったです。

さすがに、黒竜江省第二の街。

しかし、吉林市(吉林省第二)と大連市(遼寧省第二)には大きく溝を開けられていそうですね、これは。

 

帰ったら、ジャケットの中のペットボトルのお茶が、シャーベット状になってて焦りました。

寒すぎる点を除けば、散歩ができる良い街です。

うぃ~的にも、いろいろ見どころがありそうでした。

 

今日はこんなところです。

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チチハルの街を散歩。黒竜江省辺境での生活が始まる。

なんとなく現地に入ると、ブログが沸き立つ気がしていますうぃ

 

四平うぃ~日記の時も大きく飛躍し、一日1000ページを超えるような日もありました。

もっとも一カ月で諦めてしまったので、もうその熱気が戻る日はありませんし、今後も難しいとは思います。

 

あの時は、一年以上無職日記を続けた下積みがありましたからね。

四平市の二竜湖(二龍湖)というところへピクニック。

 

昨日は少し熱くなりました。

別に私が授業に燃えても、失敗できないことは別にあるんですよね。

それに、私はクソ真面目なタイプだけに、ほっといても真面目に仕事はします。

それが、良い授業かどうかは分かりませんが。

 

しかし、もう経験も資格も得た私が、昔より悪い授業をすることは想像できません。

自信を持たないと、なにを怯えているんだと、昨日の夜に反省しました。

資格も経験もなにもない状態から授業をしたのです。

2つ共得た私に怖いものはないはず。

 

やはり同僚や、学生との関係、その他の日本人との関係が重要ではないか?

と個人的には思っています。

とくに、学生と絶縁してしまうような関係にならないこと(正確には絶縁しても、卒業後には相手が思いなおして、関係は戻りますが…卒業までは難しいと思います)

ささいな勘違いや、言葉の行き違いで嫌われたりしますので注意が必要です。(特にこれは最初に異常に接近してくる学生との間に怒ります。でも完全に対応するのはたぶん無理です。先生が私だけを贔屓してくれないから無視だ、みたいなこともあります)

日本人との接点はネット以外全くなさそうなので、その点は安心できます。

中国日本語教師で赴任したら。瀋陽隔離6日目。2021年9月。

 

チチハルの街を初めて散歩

さて、昨日は初めて外に出て散歩してみました。

いよいよ生活が始動したなという感じです。

 

いろいろ事情があって、ネットも授業見学もできないので、運動不足解消がてら、中国語のリスニングもかねて今週は歩くと思います。

 

私が住んでいるアパートです。

初めてまじまじと見ます。

なかなかの高さです。

30階以上ありますが、私は5階にすんでいるので、階段でもギリギリなんとかなります。

 

とりあえず寮を出て、右に曲がり歩いてみることにしました。

完全防寒のおばあちゃんが歩いています。

 

一瞬で体温が奪われます。

イヤホンの中国語が雑音でしかなくなりました。

寒すぎてリスニングや散歩どころではないです。

 

特に手と首、失敗しました。

明日からは手袋とマフラーをします。

 

餃子店が多いです。

 

何件も並んでいました。

餃子は東北地方の名物でもあります。

 

 

実は私は、少し歩いた時点で

これはシメタぞ、と思っていました。

 

昨日まではハルビンの影響で耐性が無かったですが、少し本来の自分に戻っていました。

十分にやっていけそうな手ごたえを得ていました。

 

当然、この混沌度では婚活どころではない、というのは理解していました。

しかし、実家うぃ~や四平うぃ~より遥かにマシです。

 

散歩をしても、街を歩いてもうぃ~扱いされない。

老人も普通に散歩している。

 

私はウィ~なりの手ごたえを得ました。

 

情報を取集していきます。

 

特に助かるのが店に貼ってある詳細な求人です。

これで、街の物価などが把握できます。

 

んっ!ピピピピ

戦闘力3400‥‥

なかなかやるな

 

これを見ただけでも、2000元あれば最低限度の生活ができることが分かります。

その場合、持ち家は必要でしょうが、物価は高くありません。

 

中国交通銀行と中国工商銀行

今日はひたすら直進します。

 

だんだん建物が大きくなってきました。

一帯は市街地のようです。

寂れていく気配はありません。

 

さっそく中国工商銀行を発見。

私がカードを持っている銀行です。

 

残高を確認してみます。

7000元以上入っていました。

こちらの口座からウィ~チャットに紐づけて引き落としています。

昨日から、wechatの電子払いもできるようになりました。

 

まだ越境の関係(チチハルコードがない)で、店の中で食事をするのが難しいです。

基本いつもカップラーメンを食べているので、なんとかしないといけません。

しかし、なんとなくもう隔離飯を作る気力がでません。

 

日本語教育の準備を始めたからかもしれませんね。。

中国コロナ隔離生活の食事。隔離飯ブログ。東北黒竜江省ハルビン。

 

大きな交差点です。

少し四方の様子を探ります。

 

ここを通り過ぎたところに工商銀行がありました。

 

他の銀行もあります。

どうやら、大きな交差点の一つのようです。

 

中国交通銀行を発見しました。

 

思わぬ収穫です。

これで所有している2枚のカードの銀行に、徒歩で行けることが分かりました。

4大銀行とはいえ、他の2つは見なかったのでラッキーでした。

 

交差点の四方を散策しました。

 

とにかく爆竹店と酒店が多いです。

ペットショップなどもありました。

 

雑貨系の店も多いです。

 

たぶん普通の日本人でも、見ていて面白い場所です。

 

このような箒を日本で売ったら、珍しくて売れるだろうなと思いました。

水瓶類もたぶん安いんでしょうね。

 

アパート付近に戻ってきました。

 

まだ16時前ですが、もう暗くなってきています。

黒竜江省は本当に夜が早いですね。

 

印象としては悪くありません。

良い街です。

 

少なくとも、四平の大学があった場所とは全然違うと分かりました。

なんとか、生活するだけなら不便はありません。

やはり、ハルビンとは違いますが、不満はありません。

 

まだまだ、生活の準備が残っているので、それらを進めつつ、慣れていきたいと思います。

次はチチハル駅まで歩いてみるつもりです。

今日はそんなとこです。

 

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黒竜江で、火鍋を食べるチャンスがありました。英語学習を辞める。

ずっと会食はおろか、外の店で食事をするというチャンスが、一度隙間でハルビン観光をした日しかありませんでした。

それも14元の定食という粗末なものでしたが。

ハルビン(哈爾浜)観光。聖ソフィア大聖堂と中央大街へ。

 

黒竜江省で初めて火鍋を食べました

昨日チチハルに送られた後、初めてまとまな食事をしました。

火鍋という中国では定番の料理です。

独特な形のこの鍋に、スープをはり、火を通しながら具材を食べます。

日本でいえば、鍋というよりシャブシャブに近い感覚ですかね。

 

写真を撮り忘れたので、過去の写真をのせておきます。

これが4年前の四平歓迎ラッシュの時、

 

それから2年前の中国人彼女がいた時期です。

どちらも豪華です。彼女は金遣いが超荒かったですし・・・。

北京名物の鍋料理~昼から2年生と会食~。

 

昨日の火鍋はまぁ普通の食事の延長という感じで、送別会でもなんでもなかったですが、懐かしさはありましたね。

やはり火鍋は東北地方で食べる機会が多かったので、一番懐かしい料理かもしれません。

全ての出会いの場面で、火鍋がありました。

 

中国人の日本語教師は一人だけ

日本語ができる中国人の先生は一人だけ。

つまり、今まで日本語教師を一人で回していたようです。

現在は系列校から日本人教師の応援を入れており、それを私が引き継ぎます。

 

さっそく調子にのりかける

まだ学生と顔を合わせてはいません。

よく分かりませんが、まだ見学などはできないようです。

専門家証がない?とか言ってました。

 

ですが、さっそく調子にのりかけています。

うぃ~はこれだからいけません。

前回四平うぃ~の時は、身の回りの世話役として4年生の女子生徒2人がついてくれました。

ですが、今回は高校です。

そのようなビップ待遇は、おそらくありません。

 

おそらく、学生の歓迎会など、毎日のように火鍋とか焼肉とか、そんなことはないと思います。

学生は忙しいですし、お金もありません。

おそらく、なにもないでしょう。

 

ですが、普通に社会参加できているというだけで、嬉しいです。

ここで頑張れば人の役に立てるかもしれない、いや間違いなく役に立つでしょう。

長い間引きこもりました。

でも、ずっと勉強していました。

それを発揮する時がきたのです。

それだけで嬉しい、そんな感覚ですかね。

 

四平との違い

四平(合肥)との違いをあげるとすれば、

  • 非常に安定した寮が準備されていたこと。(四平は記憶にあるだけで、引っ越し4回以上させられました。地獄です。)
  • 相談できる人がたくさんいる。(同じ立場の同僚や日本人のいるのが大きい)

ということですかね。

この二つが相当大きいと思います。

 

外教は一人というところしか経験してなかったので、相談できる人がいませんでした。

そして、変に2人とかだと利害関係が絡んで一人の方が気楽とも聞いたことがあります。

ですが、今回は日本人が同じ高校にいるわけではなくて、三方の系列校に散らばっています。

直接会うことはできませんが、その方が気楽ですね。

 

それから、日本やハルビンの送り出し機関など、いろいろなサポートも日本語で受けられます。

これは、間違いなく快適な環境です。

 

授業の準備のために趣味を犠牲にする

この恵まれた環境で、なんとか結果を出したいと思っています。

四平うぃ~の時は、ブログを書くことを辞めました。

結果的にそれが大きな時間節約にもなったと思います。

しかし、それによって自分を振り返る時間を持てなくなったという要素はあると思います。

今回は、ブログは続けるつもりです。(実際には続くかどうかは分かりません)

ですが、このまま続けることを増やしていけば授業の準備が間違いなくできません。

 

なにも準備ができていない、かなり悲惨な状況です。

というかまだ教科書すらもらっていません。

これから授業が始まれば、全く余裕がない毎日が待っていると思います。

 

英語学習を諦める

まず私は毎日音読を欠かさなかった肝いりの英語学習を諦めます。

それから、中国語の音読も諦めます。

中国語音読は、もう数年は30~60分の音読を毎日欠かさなかったのですが、それもやりません。

それらを諦めるだけで、おそらく2時間ほど時間が作れます。

ただ中国語は生活に必要なので、精読やリスニング学習(ドラマ学習も)を隙間に続けようと思います。

中国時代劇ドラマ『月に咲く花の如く』にハマる。

空いた時間に

  • 日本語教育の自習
  • 授業の準備

を3時間以上いれようと思います。

起きている時間、トレーニングや瞑想以外はずっと日本語教育に使おうかなと思っています。

全てパワーポイントで授業をするようで、なにも準備していませんが、まぁなんとかなると信じています。

 

今日はそんなとこです。

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ハルビンから320キロ。高速道路で目的地へ到着しました。

朝五時半ごろに起き、7時に集合して3人で赴任地のチチハルへ出発しました。

ハルビンから約320キロ、途中ノンストップでした。

時間にして3時間半、大慶前で尿意を感じていましたが、そんなこと言い出せるはずもなく。

到着して自分の寮で済ませました。

こうやって地図でみると、やはり2年前と同じようなところに戻ってきているんですよね。

長春のすぐ下は、切れて見えませんがここに四平うぃ~があります。

ですから、松原市や白城市には、知り合いの卒業生が多いです。

 

ハルビンから高速道路で320キロ

中国の高速道路の旅を写真で記録しました。

ハルビンを出てから、高速道路に入るとすぐに木立だけの景色に変わりました。

中国あるあるですね。

おそらく背景は、ほとんどがシーズンでは水田ではないでしょうか。

 

大慶到着

 

またすぐに自然だけの景色。

木立もなんだか樹氷のように氷を纏った印象があります。

 

チチハル到着

ついに、チチハルに到着しました!!!

2か月かけてたどり着きました。

 

しかし、

着いてみてすぐ、あれっ こんなはずではないなという思いがよぎります。

日本語の先生に

 

「ここは中心部ですよね」

と中心部だと分かっているのに確認してみます。

 

「うん、そうだね」

とだけ返ってきました。

やはり、中心部のようです。

やはり1か月以上に及んだハルビン生活で、すっかり都会の景色がしみついてしまったようです。

ほとんど外には出られなかったのですが、窓からの景色がすでに都会でしたから。

なんとなく、色味も少しハルビンと違います。

瀋陽やハルビンは普通の感じですが、変に明るいパステルカラーの色調が目立ちます。

 

僻地への赴任

この感覚は非常に懐かしかったです。

四平の時と同じです。

あの時も、空港から200キロほど車で行き、その時は夢の世界にいるような気分でした。

それが、四平についた瞬間にすぐに現実に戻された感じだったのです。

 

今回は、あの時よりはいいかな。

まぁ、こんなもんだろうな。

とすぐに思いなおしました。

実際に、東北の省第二の都市など、こんなものでしょう。

 

まぁ中でも黒竜江省は特に厳しいかもしれませんね。

どちらにしろ、二年はここでやっていくしかありません。

今日はそんなとこです。

中国で在留許可証の申請のため、四平市の中心(開発地区)へ。

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コロナ禍の中国赴任。実家を出て2か月以上が経過しました。

コロナ禍での中国赴任中です。

 

9月20日、私は九州の実家を出発し、中国に向けて出発しました。

実家を出て、じつに二か月以上がたちます。

まだ目的地についていないという可能性など、考えてもみませんでした。

 

成田から瀋陽に向かう時、隔離期間は約3~4週間と聞いていました。

その予定が実に倍以上に伸びたことになります。

 

中国に入国してから、感染者数があがり始めたのも影響しました。

まずデフォルト隔離が5週間とり、それから濃厚接触者発生による隔離が追加で2週間。

それらで事務手続きも遅れ、結局二か月たってもまだ一日も働いていない。

目的地に着いてもいない。

そんな状況です。

 

二か月以上におよんだ中国赴任

今日最後のPCR検査を終えました。

 

いよいよ明日目的地に到着です。

ここハルビンよりさらに寒い内モンゴルとの国境付近まで車で移動することになります。

今はとりあえず不安はありません、期待はあります。

 

赴任時のミスは許されない

赴任も思うように行きませんでした。

 

私は中国愛が強く、中国にいるというだけで全てを受け入れてきましたが、なかなか長く苦しかったです。

相対的に言えば、最近はツイているとは言えないでしょう。

 

なんでも最初が肝心ですから。

  • 生活環境
  • 人間関係
  • 授業面

でミスなく始められるかどうか、が大きなカギを握ってきます。

もし歓迎ムードでも、決して天狗にならず、やるべきことをしっかりこなしていく必要があります。

そして、更に良くするように畳みかけます。

この辺りは、経験ですかね。

中国日本語教師で赴任したら。瀋陽隔離6日目。2021年9月。

 

そして中長期スパンでの成功も重要です。

中期スパンだと最初の4か月ぐらいで、ほぼ成功か失敗かが決まってくるかなと思います。

もし、この時点で生活が楽しくなければ、1年でその地を去る可能性が高いです。

 

今までの経験を生かして落ち着いて、しかしできる努力はしっかりとやって、なんとかまず生活をしていくつもりです。

このブログも、新しい生活もどうなるか全くわかりませんが、今は期待の方が大きいです。

 

4年近く前、初めて吉林省の大学に赴任したことを思い出して、ワクワクしますね。

コロナ禍で私の教え子も、次々と日本留学を諦めています。

そんな中、私は中国に来ることができた。

この運を活かせるかどうかの挑戦が始まります。

中国のカラオケに行く、怒涛のスケジュールの土曜日。

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日本語教師と大学の学位(専門)の関係。京都芸術大学の通信制大学院。

昨日、今日と2日間、初めて授業の見学をした。

授業を見学したり、先生とのやりとりを通して、この学校のことをなんとなく理解できた。

 

とりあえず、明日はチチハルに向けて出発だ。

新幹線で行くかと思ったが、車を手配しているらしい。

学校から迎えに来るのだろうか?

中国の中では近場とはいえ、300キロはあるだろう。

まぁ、でも新幹線に乗るよりは楽で助かる。

 

おそらく来週から授業だと思うが、教科書はもらっていない。

2年生の授業を見学したが、まだ一年しか勉強していないのに、もう「みんなの日本語」の上

下は終わり、中級レベルの教科書に入っている。

そうとう学習能力は高いのだろう、日常会話は全員ができるようだった。

 

見学したクラスは全員が日本に留学したい学生、高校を卒業したらすぐに日本の大学に行くので、最低でもN1は必須なのだそうだ。

3年間でN1がとれないような学生は、おそらくいないということだろう。

家庭的にも相当恵まれた、一般人ではないエリート達なのだ。

 

日本語教師と学位(専門)の関係

彼らは、卒業して主に日本の大学へ行くのだが、全員が美術系の大学を志望しているらしい、それも今日分かったことだが。

私は京都芸術大学卒で美術の学位なので、採用するには都合がよかったわけだ。

 

最近まで取得したことを後悔していた(忙しくて、大学生活を満喫できなかったから)教員免許も活きることになった。

 

日本語教師として、おそらく美術は最も難儀な学位だろうと最近までは思っていたが、どうも事情が違うようだ。

美術学位は、日本語教育学位に匹敵、或いはそれをも上回るポテンシャルを秘めているかもしれない。
(もっとも、美術教員免許と日本語教師資格を取得している必要はあるが)

共産圏は、北朝鮮の軍事パレードのポスターなどをみれば分かるが、軍事や科学技術に比べて、デザイン力が極端に遅れる。

美術・デザイン以外の分野では、音楽などでも既に中国は日本に留学する必要性がないほど発展した。

唯一日本に優勢があるのが、おそらくデザイン、美術、アニメなどの分野なのだろう。

この流れはこれからも拡大し、あと10年ほどは続きそうな気がする。

 

2016年ごろにはすでに、この流れは確立されていた。

私がハローワークの公共職業訓練で420時間講習の試験を池袋の日本語学校で受けた時、壁一面に張り出された大学名が美大ばかりだったからだ。

あの時は、たいして気にもとめなかったが、今考えれば私の母校も含まれていた。

すでにあのころ、私への追い風が吹いていたことになる。

日本語講師養成講座(ハロワの職業訓練)の選考を受け⇨落ちた。

 

京都芸術大学の通信制大学院

最近、ある日本語教師の方から、私の母校である京都芸術大学通信制大学院が一番安いという話を聞いた。

しかもスクリーニングが必要ないという。

その方は、迷った結果佛教大学の通信制大学院を選択したらしい。

 

修士号はデザイン領域で、芸術であるが、私は母校に戻るだけなので大儀名分がたつ。

母校なので入学金なしでたった年間36万円だ。

入学金は10万円だから、母校じゃなくても相当安い。

 

ただ、私は一度大学院入試を不合格になった身である。

しかも、専門の絵画領域で。

また倍率も4倍以上と相当高い。

そのあたりは気になるが、中国の大学院で日本語を学ぶというのを漠然と予定していたが、美術の修士も日本語教師として評価されそうなところ、少し考えが変わってきた。

スクリーニングゼロで、海外からの入学もOKというお墨付きで、安心して入学できるのだ。

 

今日はそんなところです。

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