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-空港-
飛行機を降りた瞬間、私はインド一人旅の厳しさを思い知ることになる、なにも頼るものがないのだ。自分でやるしかないんだな、どんなに苦しくてもすべて一人で責任を負わないといけない。この現実は、はっきりいってインドの地を踏むまで見えていなかった。日本に帰りたい、今すぐに帰りたい、私は素直に、実に反射的にそう思ってしまう。上空からデリーやムンバイの夜景を眺めた時とはえらい違いだ。手始めに出国カードの提出で、私はインドの洗礼をうける、
「なんだこれは」
と検査官、私が緊張から出国カードを握りしめていたので、しわくちゃになってしまっていたからだ。日本では問題ないレベルでつっぱねられて面食らった。新しい紙に書いてこいと怒鳴られ、ひきかえしている私を見て、3人ぐらいでゲラゲラ笑っている。私は負けまいと違うゲートの検査官にアタックしてゲートを通った。
空港の中が右も左も分からない、職員は誰か、みんなインド人なのか。混乱していたが、次の乗り換えは6時、あせらなくても良いはずだが、足が自然と小走りになる。いつの間にか、北京の青年とも離れてしまっていた。とりあえず人に聞きまくり、途中「ラゲッジ」の意味が分からずに、大丈夫かと心配されたり、教えたから金よこせといわれたり、カルチャーショックも受けながら、とりあえず、コルカタ行の便に乗るメドがたったので待つことにした。
-コルカタ-
長い空の旅を終え、コルカタに入り、私はメトロのダムダム駅で地下鉄を待っている。
なんと日曜日は14時からしか動かないそうで、ふざけてるとしかいいようがない、公共交通じゃないのか。
私はバスでこの街を走った瞬間、すぐにこの国が大っ嫌いになった、とにかく混沌としすぎている。カルチャーショックが大き過ぎて、頭の中をグルグルしている。なんて無謀な旅に出ようというのだろう、この国の人々の人間力は、日本人とは比較できないほどに強い。そして、今まで見てきた人間とは全く違う、異質な人達が街を創っている。平気で道の中央で眠る人、けたたましい声、堂々と歩いているイノシシ。私は、一、二週間でリタイヤしてしまわないよう、なんとか体を休めながらでも歩を進めようと思う、とにかくダージリンとバラーナスへは行かなければならない。
ダムダム駅で2時間つぶせるほどの自信がない私は、なんとか歩いてホテルパラゴンがあるサダルストリートまで歩けないものかと考え、分かりやすそうな川沿いに出ようと移動を開始した。しかし、暑さと疲れから気持ちがぶれるし、うまく方向もつかめないまま南へ行ったり西へ行ったり、歩き回っただけでいっこうに着きそうにない。確保されていた地下鉄ダムダム駅までの道のりも、完全に見失ってしっまった。私は自分の無鉄砲さにあきれ、現在地すら分からない自分の現状を憂いだ。
暑さに完全にやられ、大通りでタクシーを拾う覚悟を決め、警官風の男性に道を聞く、
「座っていろ、私にまかせておけ」
そう言うと住民と相談しながらバスを止めて。バスカーストの男に、降ろす場所と指定してくれた。私は合計17ルピーで空港からサダルストリート、そしてパラゴンに到着したのである。
一日でパラゴンの中でたくさんの出会いがあり、10人ぐらいの旅行者と会話を楽しんだ。スイス人、ドイツ人、もちろん日本人にも会うことができて、日本人4人で食事にも出かけた。寝る前、歯を磨くとき、自分の顔があまりにも違うのに驚いた。3割ぐらいインド人化している、こけているのだ。私はここ50時間、特にインドのムンバイ空港からパラゴンを目指した苦労から、人生で最も苦労した一日であったかもしれないなと改めて思うのであった。経験したことのないような暑さで、生命の危機を感じた。
最初は辛いであろうと想像した、パラゴンドミトリー生活であったが、一晩明けるとすっかり適応し、まだまだコルカタにいたいかもしれない、そんなことまで考えている自分がいる。自分が精神的に健常でないということが大きいのであるが、私にとってドミトリーに泊まることが一つの挑戦である。しかし、コルカタの暑さと喧騒は、私の思考を奪い、なにも考えられなくしてくれるような気がしている。おそらく前回の中国旅行のように、異国に来てしまえば、私の精神疾患も軽度になることが分かってきた。
友人の言う通り、パラゴンは最高のホテルである、ドミトリーに自分が最高の気分で泊まれるというのは、日本では考えられないことだ。また、魚好きの私としては、よく手入れされた大きな水槽があるのも、とてえも魅力的だ。皆、出会いや、従業員の態度が悪いことにしか触れないが、私にはホテルパラゴンが確かに伝説の宿として記憶された。
パラゴンに二泊して次の日の晩、チェックアウトをして映画を楽しんでから、ダージリンにむけて出発する。一人の日本人男性と出会い、彼と一緒にダージリンを目指すことにしたためだ、名前はケンさんといった。私はパラゴンでの名残惜しさを隠せず、再び南下しようという思いを強く持った。喧騒と、貧しさと、汚さと、マイナス評価の多いコルカタだが、自分はもっとこの街を知りたいし、求めている。ここ何年かで、唯一自分に戻れた気がした。