日曜美術館・写実画家特集を見て考えたこと
先日、日曜美術館を観ていると、武蔵美の油絵の教室が出て生徒が描いていて、インタビューしているシーンがあったけど、どの絵もクソに感じた。
本物
今から美大に行けたら楽しいかも
本物には、どこかで苦しみがなければいけないと思っている。本物の闇が、作品にリアリズムと力を与えると思うのだ、生徒達の作品にはなんの力もなかった。
画家達の作品もいろいろ紹介されたけど、良いと思うものは少なかった。デッサン力がある人や、技術的に優れている人はたくさんいたが、なにか決定的なものが欠落しているように思えた。
水野暁という画家
途中から見始めたけど、どうやら写実画家の特集らしい。
なかなかいい絵が出てこない中、この水野暁さんという画家(油絵)の、絵への向き合い方と真摯な姿勢には好感を持った。どんなに大きなキャンバスでも現場で実物を見ながら数年かけて描きあげるスタイルで、写真は使わないようだ。
現在、母親をテーマに制作中らしい。グーグル画像検索へ
怒りと叫び、苦しみ
今の自分なら、次々といい絵が描けそうな気がする。闇の力を貯めこんだ私の表現は、どんな表現にも対応するだろう。
彫刻だろうが、粘土だろうが、オブジェだろうが、この怒りと叫びをぶつけるだけで、何かの力のようなものを宿すように思うのだ。
自分を癒す
今私がパソコンのマウスで適当に描いている絵が、他でもない私自身を癒していることに気付いた。
私は自分自身の作品に
- 驚き
- 戸惑い
- まごつき
- 悲しみ
- 癒され
ているのだ。
マイナスにマイナスを
絶望の淵に立った人間が、絶望を描いている。なんの意味もなくただ悲しみや叫びを描いている。
死にたいといいながら描いている、そしてよりマイナスになろうなろうとして吐き出している。その、正直にさらけ出された気持ちが、自分をも癒す力を生むのかもしれない。
真実の闇
今は誰の絵よりも自分の絵が見たい、自分の絵を観ていたい、これは表現者としては稀なケースであると思う。
今の私の絵に、真理や真実に近いものを感じているのかもしれない。
力の発生
死にたいといいながら目覚め、急激な怒りと悲しみに襲われる。そして、めんどくさい記事をブログにまとめる。
私の真実を阻害できるものは何もない、闇が極限まで深まった時、もはや処理ができなくなった時画像処理ソフトを開くと、ものの10分ほどで力が発生しているのだ。
描き終えて
描き終えた直後も怒りは収まらない、そして絵から離れて苦しむ。しかし、どうだろうか、半日、1日とたつごとに妙な心の軽さを味わう。怒りや悲しみが絵となって、そのデジタルの記憶として定着されるのだろうか。
マイナスの感情とマイナスの表現が合わさってプラスになる、そんな不思議な感覚を味わっている。
光と影
この世の半分は闇だ、世界の美しさの代償として半分の闇が横たわっている。それをそっくりそのまま引き受ければ、素晴らしい景色が見られる代償として、信じられない闇もまた体に張りつく。
純粋さを、感じる心を保とうと必死になった若い日々が、今の私を作ったのだろうか、自分の理想は達成されたのかもしれない。
なにかを感じ取る心を守る代償は、あまりにも大きかった。心を開くのか、心を閉じるのか、私は心を開いて、命の闇と光を取り込んだ。
ひ、光が、広がってゆく・・・
©『機動戦士Zガンダム』