ギックリ腰を寸前で回避!無職の憂鬱、モノも人も衰えていく

自分の衰えを感じる33歳

激しい肉体の衰えを感じる。

筋トレと柔軟を中学生の頃より習慣にし、かなりの柔軟性を持つ私だが、やはり運動不足は著しく、いつ大病に結びついてもおかしくないと感じる。

昨日は、狭い風呂で体を洗っていた時に、腰の上がグキッとなる。

直感的にヤバいと思いながら、テレビで紹介されていた、「ギックリ腰対処法」で

ヤバいと思ったときに前かがみにならずに、勇気を振り絞って

あ”アァーッ(; ・`д・´)

と背中を後ろにそらしキープする

ということをしてみる。ほとんどの人が、気持ちで負けて前かがみになるからギックリが固定するらしい。

バカバカしさに半笑いしながらダメ元でやってみると、そんなにひどくならず、痛みの芯はあるがなんとか動ける状態だ。

もっと真剣にやるべきだった

首を中心に、肩、腰が急に痛みはじめ、全く起き上がれなくなるという経験をしているので、昨日もそうなりそうな気配を感じただけに、これは効くのかもしれない。

しかし、かなりの勇気が必要である。

運動不足を真剣に考える時がきている気がする、旅をすれば自然と解消できるんですがね。

精神の衰えを意識したのは29歳ぐらいだった

今思えば、最初の変化は29歳ごろだった

三鷹のアパートに九州から上京した私は、タクドラとして都心に精通するべく四谷駅近くでシェアハウスも借りていた時期があった。

しかし、集団生活には馴染めずにひどい精神状態に陥ってすぐに解約してしまう。

今思い返すと、あのころすでにドミトリータイプの部屋が受け入れられなくなっていたのだなと思う。それは、昨年のベトナム一人旅でハッキリと分かった。

ベトナムのドミトリーでやっと気づく

ハノイで、シングルを見つけられずに、ドミトリーに泊まると、若者の遺伝子についていけずに苦しい思いを感じたのだ。そして同世代の旅人に、ドミトリーがきつくなってきたという同じ思いを聞いて、私は人生最初の老化を明確に感じた。

20代半ばで初めて旅した時は楽しかった。

初めて、中国でドミトリーに泊まった時は楽しかった。最初はこんな不衛生なところに泊まるのかと青ざめたが、それでも適応できた。自然と人とつながって、楽しい時間を過ごせた、ほぼ100パーセントそうであった。

新しいことが億劫に感じ、対応できない

スマホの機種変更だけでイライラする

3年以上使ってきたアイフォン5Sを、ゼンフォン3に変えたが、全く使い方が分からず、それだけで一週間が憂鬱だった。

家電量販店で、ワイマックス契約をして、ホイホイ乗せられて契約してしまう自分にも唖然とした、情弱に流されるという点でも衰えが見られる。

仕事も最初に覚えるのがしんどい

仕事も一から覚えるというのがもう厳しくなってきている。特に去年末の日野自動車期間工ではそのことを感じざるをえなかった。新しい分野に就職するというのは、気力、若さからかなりの覚悟が必要だろう、もう無理かもしれない。

ブログを続けられているのは、『ウェブ総合実践科』という、24歳の頃に受けた職業訓練が助けになったのだと思う。

そしてモノも壊れていった

昨日私が風呂に入ってギックリをやる前、マイルスを観ようとDVDを入れたときにミニコンポが壊れた。

ディスクの方が壊れたのだろうと色々試してみるが、どのディスクでも再生できず、CDの方はなんとか生きているようなので、逆じゃなくて良かった。逆なら処分か修理を検討するところだったが、とりあえず様子を見ようと思う。

ちょうど日野期間工の時に、パソコンでDVDが観れるように外付けプレイヤーを買っていたので、なんとか対応できる。

購入して4年目になるだろうか

思えば、株やタクシーで数字を求める生活の中で、唯一といってもいい癒しの存在だっただけに、なんとか踏ん張ってほしいものだ。

完全に壊れてしまったら、スピーカーだけ利用できないか検討しようと思う。

なにごとにも時間がかかる

専業の底辺ブロガーとしては、なんとか頑張っているといえるかもしれないが

とにかく、

  • ソーシャル

  • マネタイズ

などの未開拓分野については対応が遅く先延ばしになりがちだ。

ある程度は老化を受け入れなければ

20代の時とは違う

なにごとも時間がかかるんだということを前提に考えていくことが必要かもしれない。

あと、40過ぎたら心身ともに元気になるというような話を、期間工先輩方からよく聞いたので、そのあたりにも期待して頑張っていきたい。

新しいことをやるには2,3年が勝負

加えて、新しいことをやるには2,3年以内にやれたことは、今後の人生で選択肢に入れることができるかもしれない。今、自分がやっていることはブログなので、関連したことを頑張っていきたい。

幸運なことに、20代半ばに旅を経験したので、体が動くうちは精神が対応できると思う。

当面は

  • ネットでの情報配信

  • 海外への興味と活用

に軸足をおいてやっていきたいが、すべては今後1年間にかかっている。

 

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無職、デイトレ、退場、の最下層3本の矢

家族や友人など、このブログの存在を知らせている方々から、更新のリクエストが届くことが多い。

その記事を待ってるのかと意外な感想を持つことが多いのが本音だ。

特に意外なのが、実際によく見られているページである

現在、他のページよりも10倍ぐらい見られて断トツ1位が

デイトレを退場した、無職の生きる道という記事である。

※現在、陥落しました(2017年5月半ば)

何度か見直してみたけど、どう考えてもなにがいいのか分からない。

  • ”無職”

  • ”デイトレ”

  • ”退場”

という比較的検索されやすい3本柱が上手く働いているのだろうか。たしかに、検索で最も重要なタイトルは悪くないようにも思える。

とくに読み返すような内容でもないから、繰り返して読む必要はないと思うのだが、これがまたよく分からない。

マーケティングというのかな

は難しいものだなと日々感じている、なにが当たるかは本当に分からない。

自分が検索サイトに表示されたワードを見ると

  • 期間工関連

  • デイトレ退場

の2つのワードが良く出てくるので、自分でも気づかなかった

デイトレ退場という失敗した経験

というものを、観たい人が一定数いるらしいことが分かる。

期間工関連が多いのは予想通りだが、期間工専門サイトは存在するので、自然とこのブログの進むべき道がみえてくる。

株式トレード退場ブログというのが強みになりそうだ。

デイトレ退場で人は変わるのか 変わらないのかの記事の内容にも重なるが、私の300万円は、重要コンテンツの安定的な供給という面でも、貢献を見せようとしているわけだ。

また、なおかつ無職である

ということがエッセンスを加えて悲惨さを強調し、底辺に生きる負け組ブログのようなことに関連してくるかもしれない。

悲惨なブログになろうとしている

どう考えてもインドのカーストでいえば、最下層の部類だろう。日本でもそうなのだろうけど、しかし、毎日検索流入を分析していると、これが求められていることのようだ。

書く苦しみを天秤にかける

自称、文章の秀才である私であるが、それなりに追い詰められている。

前にも書いたが、詩でも小説でも書きなさいといわれればいつまででも書ける、なんの準備もいらない。報告書、顛末書などでもそうだから、いつどんな時でも皆に頼られてきた。

みんなが困っているときに、私はどんな文章でももう書けていたのだから。

どんな分野でも

  • 資料を参照することなくオリジナルに書くこと

  • 適切な言い回しを選択してそれっぽく仕上げること

が可能であるために、なんの資料もいらなければ、再提出にもならないのだ。

秀才だ・・・・フルフルフル(*´Д`)

秀才がおられる・・・・

考えてみれば、アイキューも低くて、記憶力も悪い、容量も悪いのに、なんで読解力だけが誰にも負けなかったのか、といことが全てを物語っていると思う。

私の能力の鍵は、読書をしてないのに生まれつきあった高次元の読解力である。

ということになるのだろうと思う。

そんな私だが、やはり毎日記事を書くことは大変だと感じている。

そもそも、ブログは、文章だけじゃない。

写真も用意しないといけないし、見出しのつけ方も考えたりデザイン的要素もあるため、原稿用紙に書くのとはやはり違う能力も必要だ。

これは就職した方が楽なんじゃないかと感じることも多くなってきたが、

もはや食べていけるとかいけないの問題ではなくて、ブログを書くことが

生きがいになりつつあるのかもしれない

収益の方は、他のブログをメインでやっていくつもりだ。

毎日、自分についた垢を落とすように文章を書いている

自分の文章が、言いたいことなのか、自分の意見なのかも自信がない。

ただ、降りてくる言葉を、分かりやすい形にして伝えていくという作業をしているうちに、そんなことを思ってしまう。

毎日書くということが、自分の精神の安定につながっているかは分からないけど、死にたいと思うことはなくなった。

ただ、仕事に近いプレッシャーのようなもの

を感じるようになってしまった。今書かないと明日アップする記事がない、というのはけっこうなプレッシャーだ。

それでも毎日記事を上げることで、今は自己満足ができているということだろう、なんとか1年、毎日更新を続けていきたい。

私のブログライフは、まだまだこれからである。

 

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子供には努力しろなんて教えるな、努力しても無駄にゃ~、自分が壊れるにゃ~

人は才能のある分野でしか成功することはできない。

私がデイトレや株にことごとく失敗したのも、才能がなかったからだ。

私がなぜこのような考えになったのかといえば、本当に努力している(行動している)人を見てきたからだ。

 

本当の努力とは、人の2倍3倍の行動ではない。

例えば営業ならば人の100倍以上、例によっては1000倍以上をやるということだと思う。

しかし、能力が普通の人よりも劣る人が、努力をしたから優秀になるとは限らない。

また、恐ろしいのが、それでも努力を続ける人の例だ。

 

努力をすることの危険性

圧倒的な努力をすれば、簡単に自分の運命すら変えられる場合も多いのも事実だ。

しかし、問題なのは

  • そのころには自分の心はもたなくなっている
  • 本来の自分を見失っていく

可能性が高いということである。

トータル的には、人生にマイナスになる例を少なからず見てきた。

本当の努力というのは、極めて危険な行動の一つだと思っている。

 

私が考える、成功に必要な条件

人の成功には

  1. そのことが楽しくて仕方ない
  2. 正しい努力ができる
  3. その分野での頭の良さがある

という3つの条件が関わっていると、自分の経験上考えている。

1があれば、簡単にその分野で成功し、天才と呼ばれるだろうが、1を持つ人はまれだ。

 

必須なのは2と3ということになる。

大相撲の相撲中継を見ていると、舞の海さんが、

「ただ稽古するだけじゃなくて考えて稽古しないとダメだ」

とよくおっしゃられている。

それに賛同する解説者の方も多い。

いくら努力をしても、自己満足では意味がない。

こちらも、大相撲解説のゲストだった時のコメントだと思うが、

引退されたボクシング元世界王者、長谷川穂積さんも、

「自分は勉強はできなかったけど、ボクシングの頭は良かった、それが役に立った」

という話をされていた。

 

自分は努力で全てが変えられると思っていた

私は昔から万能な人にあこがれを持っていた。

そしてくそ真面目な私は、学校や周りの人から言われた、

努力すれば、行動すれば成功できる

という言葉だけを信じて、自分を変えようとしたこともあった。

何事も要領が悪くて、何事も上手くはできない、評価がなかなかあがらない、そんな普通以下の自分というのが嫌だった。だから、小・中学生ぐらいに感じたその感情を努力で変えていく、違う人間になりたいというような思いを、ずっと持っていたと思う。

今でこそ買わなくなったが、昔は自己啓発本ばかりを読み漁って、圧倒的なインプットを圧倒的なアウトプットに転化していくことで、爆発的な行動に変えようとしてきた。

 

今ではハッキリと分かる、私の生き方は失敗だった。

人は生まれながらのキャラクターに従順でいいと思う。

無責任に努力すれば変われるとか、優秀な人間になれなんて言わないでほしい、教えないでほしい。

 

初めから自分らしさを大切にできていれば

私も自分らしさを大切にして生きることができていれば、心を病むことはなかったのではないだろうか。

身の丈に合った居場所を見つけられたかもしれない。

 

33歳で、9割方の選択肢が消えようとしている今、それでも動けないようなことにはならなかったのではないか。

生まれながらの自分のままで、出会うべき人に出会って、そんな環境を大事に守っていくという生き方ができなかった。

 

「大器晩成」の本当の意味

大器晩成の本当の意味をご存じだろうか。

この言葉は、中国古代思想の巨人、老子が語ったとされる言葉である、「大器免成」という言葉がもとになっている。

老子の本を一冊でも読めば、その思想が物事を積み上げていくようなものではないことが分かる。

無為自然、どちらかというと、運命論に近いものを感じる。

「大器免成」、この言葉の本当の意味は、

自分が本当に大きな(数百キロ以上など)器の中の、真ん中に立っていれば、その器の形は分からない

という背景から、

真の大器は、これは~だと断定できるようなものではない。したがって大器は成すことがない

というような意味になる。

私たちが、普段つかう言葉の意味とは全く違うことが分かる。

 

私が尊敬する孔子も、

あまりにも早熟すぎるのも問題だが、40歳になっても天下に名が知れないような者、これもまた大した人物にはなりえない

というようなことをいっている。

 

エジソンが語った

1パーセントのひらめきと、99パーセントの努力

という言葉も

99パーセントといえるぐらいの、膨大なスタッフや助手のお蔭で、私は1パーセントの発想に全力で取り組める

という意味だが、間違って解釈されている。

 

つまりエジソンという世紀の才能がないと、なにも生まれないのだ。

それぐらい、エジソンの実験室は大規模なものだったのである。

陸上ハードルの為末大選手も、北野武監督も、同じようなことをいっている。

自分は天才だったからできたけど、普通は無理だと。

 

大器は最初から大器

これが真実の言葉であり、解釈である

私が嘘をいっていないことは少し調べればお分かりだろう、大衆は常に理想を掲げ、間違った解釈を続けるのだ。

もうお気づきだろうか、大器は晩成しない。

大器は最初から大器なのである。

 

ほとんどの人は凡人なのに、どうして多くを求めるのか

凡人のための教育をして欲しい

なにも分からない子供が夢を語るのは自由だ、しかし

  • コツコツ続ければ成功する
  • 努力をしろ

と周囲の大人たちがまくしたてることで、その子供らしさは破壊されていくのではないだろうか。

 

  • 君はそのままで素晴らしい
  • あなたが出会った人を、大切にして生きなさい

どうして、このような言葉をかけてくれないのだろうか。

 

どうして、

天才たちが語った有益な言葉を、頑張らせるためにすり替えたように使うのだろうか。

まだ飽き足らずに、無能なうえに打ちひしがれた人間を量産したいのだろうか。

私は警鐘を鳴らしたい、頑張ればできると思ってしまった一人として・・・・。

 

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自分の肩書を考えてみた”無職兼、底辺ブロガーおよび自称投資アナリスト”

ブログ漬けの毎日を送っている。

こんな生活がいつまで続くのか、やめない限りはずっと続くのだろう。

それでも、私の頭の中から書くことに窮するということはないようだ、まだわからないけど、恐らくそうだろうと思う。

私の生い立ちから、100人に一人ぐらいの適性はあるはずなのだ(現代文はいつも一番だった)。

ブログを開始して一カ月半程、まだまだ

  • できないこと

  • 分からないこと

  • 書く苦しみ

がたくさんあるけれど、自分はブロガーとしてずっとやっていきたい、そう思うようになってきた。

ああ、これはもしかしたら、もしかするぞというか。

これは自分の居場所なんじゃないかというか、そんな気がし始めてる。

ずっとできるかどうかは分からないけど、燃え尽きるなら燃え尽きるで、1年間でもできれば人生が変わりそうな可能性を感じるのだ。

資金が続く限りは諦めずにやってみようかな、という気持ちになっている。

ハッキリ言ってしんどい、お金をだして、経費を使って

  • ドメイン

  • サーバー

を借りているわけで、それが回収できるという保証もないし、まだ大きな反響があるわけでもない。

あるいは一生ないのかもしれない。

自営業の人や、自分の店舗を持っている方の気持ちが少し分かった気がする、私には現実の店舗はとても勤まらない。

それでも先日、目標を整理できたことが大きかった。

これぐらいの目標なら、向かっていけるのかもしれない、そう思えた。

反響はまだないけど、毎日

  • 書いて
  • 悩んで

してるうちにブログ運営の能力が上がっていることは、自分で感じることができるから。

これは資質をはかる上では、大きなことだと思う。

自分が正しいところに向かっているのか、そうでないのか、誰も教わる人がいないので自分で判断しなければいけない。

自分の肩書を考えてみる

自分の肩書が欲しいなと思った、

  • 無職であること(無職が書いているブログがメイン、タイトル名にも)
  • 株ブログもやっている(今後さらに増資も)

ということで、

”無職兼、底辺ブロガーおよび自称投資アナリスト”

ということにとりあえずしておこう。

成功していけば、ゆくゆくは

ブロガーおよび投資アナリスト

ということになるかもしれない。それが、今の自分の目指すところだ。

勝手に自称で情報を発信できるのだ、良い時代になったものである。

このブログの今後について

波がありながらもなんとか立ち上げられた、記事数は70となった。

いろんなブログやサイトを参考にして、

  • 無駄な部分を排したり

  • デザインをデフォルトに戻す

という作業をやってみたこともあり、なんとなくブログらしくなってきた気がする。

写真メインや、イラストメイン、デザインメインなど色々なブログがあるけれど

自分の一番の強みは文章だろうから、それをどうやって見せていくか

というところに落ち着いてきたかな、という感じだ。

内容の方向性としては

  • 日記および出来事

  • ブログ運営のこと

  • 自己啓発や情報

  • 創作など

あたりが主力コンテンツにはなってくるだろうけど、

できれば、今後は自己啓発や情報を積極的に取り扱っていきたい。

今はこれしかできないから仕方ないことではあるが、若干、自己満足的な記事を続けている気もしているためだ。

将来的に、あるていどお金がまわりだせば、気になったことを取材して情報を発信できれば最高である。

少しづつ、文章量を増やしていきたい

質もそうだが、なによりも1記事にたいする文章量を増やしていきたいと考えている。

そのことが、後々の質を生むことになるのではないかと思うし、時間をかけられるのが無職の特権なのだから。

今はまだ1500文字ぐらいしか書けないのが普通ではあるけれど、確実に一月前よりも増えてきており、これは検索順位にも良い影響をあたえるようだ。

今後は、2000文字、2500文字と容量を増やしていきたい

今後とも、『風の谷の無職』をよろしくお願いします。

 

 

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デイトレを退場した、無職の生きる道を探す

おそらく、このまま燃え尽きそうな気がする

ブログを頑張って続けてはいる。

金にならなくても、1週間たてば、トップ画面に新しいタイトルが並ぶだけで、これはやってるなとは思う。

今までの人生でなにをやっていたんだというか、書けば一生ものだし、最低でも100人の頭に入っていくだろう。

しかし、やはりそれがお金になるかといったら難しい。

いろんなサイトを見て勉強してるけど、

ほぼ全てといっていい有名ブロガーが

  • ノウハウ的なこと

  • 自己啓発的なこと

のどちらかを、とにかく丁寧すぎるぐらい説明して、そして画像やデザインにもスキがない。あんなことが好きでできるなんていう人は、宝くじが当たるような確率だろうから、

  • 影響力を持ちたい

  • 成功したい

と強く望む自分とは全く違う人間なんだろうなと感じた。普通になんの世界でも成功するんじゃないだろうか、やはり何の世界でも人が嫌がることをやらないとダメなんだろうか。

見出しの改善を行った

これで勉強やサイトの修正は修了!

と思っても次々に新しい課題が出てくる、効率を重視しようとして一つを変えると、すべての記事をリライトしなければいけなくなったり、もう何度やったことか、そのたびにぐったり疲れる。

記事に集中できる日がいつ来るのだろうか。

SEO対策

職業訓練で、あれだけ勉強したのに、もうすっかり忘れていた、なにをやってんだか。

見出しもSEOに繋がるらしいから、また頑張って一から記事をリライトして、見出しを付ける作業をしなくてはならない。ブロガーと自分の記事、なにか違うと思っていたんだけど、見出しだったんだね。

写真については、丁寧に取れてるやつはそんなに悪くないと思うが、画像処理はまだまだよくわからない。

普通に働いた方がラクかもしれない

これはもう、普通に働いた方がラクなんじゃないかと思う、このままでは近い将来、私は燃え尽きるだろう。それでも、このブログは資産として残ってはいくだろうけど、記録用としても良い。

あれだけ、嫌がっていたタクシーの仕事も、なかなかあれで効率は良かったなどと思い始める始末、でもブログについてのいろんな成長が感じられて、まだまだ頑張れるとは思う。

 

ブログランキングの状況

ランキングは、少し上がったけど頭打ち感があるな~でも無職カテゴリではトップを守れている。

これ以上は各カテゴリーの上位ばかりだから、とかなんとか以前と考えが変わってない時点でダメだと思う。

今の実力はこんなものだろう、まあランキングの才能があれば嫌でもかけあがっていくだろうし、それがすべてでもないから、徐々に熱が下がっていくぐらいでちょうどいい。

いずれランキングから離れる日が来るかもしれない、有名ブロガーはランキングやってる人いないしね、

  • デザインが崩れる

  • ランキングにいくと収益にならない

などが原因だと思うけど、このサイトで外すと10人/一日ぐらいの訪問者を失うことになるから、まだまだ先になるだろう。

 

株サイトで初クリックを貰えていた

株サイトでとうとう、1クリック貰えていた

どなたかは知らないけど、ありがたかった。

一つのジャンルを書いていく専門サイトじゃないと、お金にするのは難しいということが分かってしまった今、比重を見直していく必要もありそうだ。

自分には一年しか時間がない、お金にならないことをやる余裕はまだない。

 

水のように、無職の生きる道を探る

もはや世間体も、常識も自分には関係ない、水のように行けるところにいって、生きるすべを見つけていかないといけない。

何事も一歩が大事、たかが10円でも、株サイトの初クリックは大きな一歩だ。

もちろん、必要ならば、バイトなり労働もしなければいけないだろうが、失業給付が終わってから考えても遅くはないだろう。

水のように、とどまらずに、自分らしさを探していきます。

 

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ブログを始めてから、”死にたい”という気持ちはなくなったが・・・

タイトル通りである、ありのままである。

しかし、どこかしら死のにおいが、私にまとわりついているというのは確かではある。今日も私は生き急いでいた、無職である、貧乏であるが故の当然の生き急ぎ、それを死神は見逃さなかった。

私が、トイレのルックに新しいものを詰め替えていた時、変な異臭が漂い始めた。なんだこれはと思っているうちに気分が悪くなる。

それも、そのはずである。私がトイレ洗剤だと思っていたのものは、液体トップだったのだ。液体トップダブル除菌であったのだ。

しかし、私は無職である、ブロガーになりたいなどという可笑しな夢にとりつかれ、喰うも食わずパソコンに向かっているのである。私は早く詰め替え終えないと、作業に支障が出るという思いから、換気もそこそこに作業を続けた。ユニットバスで発生した事件は、私が台所でトイレ容器を洗ったことで、部屋中が化学反応をはじめる。

こたつに入って、パソコンに向かって文字を打ちながら私は思った、これで死ねるかもしれない。封印していた思いがよみがえって来た、これでやっと死ねる、楽になれるのだと。

同情を誘うつもりはない、これが失敗を重ね、失敗を重ねていくだろう人間の末路である。普通に生きたかった、誰よりも普通でいたかった、しかし、それができなかったのだ。生きづらさの中に、平気で死神はとりついて、私の心はズタズタになってしまっているのだ。おそらく、なにをやっても自分はできないだろう。

なにをやっても、人に合わせることはできないのだろう。おそらく一生そうなのだろうか、たぶんそうなのだろう。そして、一人きりで死んでいくのだろう、なんだか暗い人間だねと思われながら死んでいくのだろう。

私は別にナーバスモードに入っているわけではない、ごく普通の国矢眼介の思考であり、これが自分である。これが33年間、何事もなしとげられなかったものの思考なのかは分からない、しかし、これが国矢眼の思考だ。嘘偽りのない思考である。

今までの社会生活でも、接客をしていても、なにをしていても私は生きる意味を探していた、夢中になることは少なかった。生きているということが分からなった、それをひとたび口にしたら、たちまちに変人扱いされそうになった。いつしか私は口を閉ざした、遠く、遠い闇の中、それに蓋をし続けた。しかし、そんなもので、それを忘れられるはずもない。病となって、発作となってより強い形で自分に返ってくるだろう。私のことを病気だと呼ぶだろうか。私が病気だというのなら、私は物心ついたときから病気だった。

たかが虫の生き死にが、私には大きなテーマだった。みなそんなことには無関心に思えた。私は殺した、誰よりも虫を、ヘビを、カエルを殺した。それには自信がある、しかしそのことに何の意味があるだろうか。全ては過ぎ去っていく、もう生き物を殺した私はいない、ただ、生きるために生き物を殺し続ける私がいるという、事実があるだけだ。

そんな私がブログを書きはじめてから、一時死をわすれているような日々を過ごしている。ブロガーになるなぞと、そんなものになれるわけもなく、いったい何を、どうしたら、まともな方向にいけるものかと思う。やけになっているのだ、そう半分は、やけになっている。バカならバカで突き進めばいいものを、それもできないでいるのだ。突き進めば、なにがしかの結果があったやもしれん。

死を忘れていた、今日の詰め替え事件までは、本当に忘れたような気になっていた。なにがそうさせたのだろうか、こうして死について書いても何か絵空事のように響く。

誰も本当のことをいってくれなかった、私は寂しかった。だから、誰にも本当のことが、考えていることが言えなかった。本当の私の一割も出すことができなかった。一割でも出せば変人のような顔をされた。

それが、少しづつ、ブログをすることで、本当の自分と向き合うことができたのかもしれない、誰かが見ているかもしれない。誰かに、本当の自分を見られても、自分は非難されなくて済むんじゃないか、そんな希望があるのかもしれない。

変人と思われてもいい、殴られることもなければ、直接ののしられることもない、精神をやんでいてもいい。私は書いていこうと思う、なんにもならなくても、ただ書いていこう。今はそう思っている。

 

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居心地がいい場所に”とどまる力”を意識する

先日から、インド旅行記をノートから写して掲載している。

まさか、この文章を公開する日が来るとは、思ってもみなかった。しかし、自分自身の記録として丁寧に記してノートにまでまとめたものだから、ただ写真を掲載するだけでパワーコンテンツとして機能しそうだ。

ノートは捨てていないとしても、使い捨てカメラで撮った写真までが残っていたのがありがたかった。写真を現像するとき、カメラ屋さんが、そういうサービスだったのだろう、CD-Rにデータを写して渡してくれていたのだ。写真があるので今まで一度も見ることはなかったけど、いまになると感謝感激である。データサイズは小さいけど、写真には使い捨てカメラで撮った味が感じられる。
 

 さて今回、旅行記を写していく中で、今後のヒントになりそうな気付きがあったので記しておきたい。

私は、なにか物事を進めていくときに、例えばそれが旅であるならば、事前にリサーチして頭の中で計画していることがほとんどである。それは自然なことで、多くの人が行き当たりばったりにたびなどしないだろう、しかし、私の場合は必要以上にそのことにこだわりがあるように感じた。

例えば、2010年のインド旅行でも、別に時間は無限にあったわけなので、あとはお金だけの問題を考えれば良いはずなのに、どこか自分の計画を第一に優先していいる気がした。

”自分のやりたいこと”を優先せずに、第一に計画通りにいっているのかという、事前の計画を優先している。だから、今後はそれを意識していくだけで、人生がより良い方向、自分が望む方向にいきやすくなるんじゃないかなと思う。

 1事前の計画

 1やりたいこと
 2お金や時間  2お金や時間
 3やりたいこと 3 事前の計画

優先順位を、こんな感じで変えていくことを意識するだけで、ずいぶんちがってくるのではないか。自分が真面目過ぎたといえばそれまでで、それが自分らしさであるともいえるんだけど、こういう意識を持つだけでも大きなことだ。

ネットで拾った言葉に、

 

悩まない

やりたいと思ったら

出来るかできないか

考えずにやる

そんでやると大抵できる

 

っていう興味深い言葉があったけど、

自分もまずは、やりたいと思ったら、どんどん予定や計画を変更していくということを、まずは意識してみようと思う。

 

 

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“死にたい”と思っている人はブログを書こう!~マッキャンドレスの言葉~

無職だからというわけじゃなくて、ずっと昔から死にたいと思うことが多かったが、最近はブログが忙しくて気づいたら考えなくなっていた。これは、ただ忙しいからじゃなくてブログの特性からきているのかもしれないと思って記事にしてみる。

 

アウトプットの重要性

ブログを書くことで、アウトプットは圧倒的に増える。

この情報社会の中では、日々の生活で自分の意見を発信するよりも、情報を受け取ることが圧倒的に多くなってしまうものだ。テレビにネット、スマホがあるので、いろんな情報を雨あられのように浴び続けていることになる。

 

インプットとアウトプットのバランスが保つ

ブログを柱に

ブログなどで情報を発信ことによって、自分の影響を、身一つよりも何十倍、何千倍、あるいは無限に広げていくことができる。普通の(無職)生活では、コンビニに行って店員さんに影響を与えたり、受け身の受信機として、テレビなどから情報を受け取るだけなので、自ら発信することが非常に少ないので、どうしてもアウトプットが不足しがちだ。

ブログを書いて、情報を発信することで、インプットアウトプットのバランスが改善していき、心のバランスがとれていくように感じている。

 

ツイッターもやってみる

ブログを集中的にやってちょうどバランスがいいぐらいの感じで、できればいろんな媒体(動画共有サイト、ツイッターなど)を使って、情報を発信するのがいいだろう。有名人とかになれば、勝手に影響力を持ってしまうが、普通の人になると、ネットで情報を発信しているかどうかというのが、幸せを左右する大きなバロメーターであるのではないだろうか。

 

オンラインゲーム人気

最近人気である、オンラインゲームの世界でも、人とつながっている感じが楽しいのかもしれないなと、ゲームをやらない自分でも興味が沸いてきた。オンラインゲームは、参加するだけでかなり多くの影響力を持つことになるからだ。それは例えば、普通に道を散歩するよりも大きなものかもしれない。

このように誰かとつながっていることが楽しいんだという感覚は、ブログをやったことで初めて感じることができた。

 

マッカンドレスの言葉

映画「荒野へ」のモデルとなった冒険家、クリス・マッキャンドレスが最後に残した言葉が

幸福が現実となるのは、誰かと何かを分かち合う時

というものだが、これが正しいことだというのを、今こころから実感している。

 

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失業給付は”精神と時の部屋”になりえるのか

失業期間開始

失業給付期間が3月16日から始まっており、仕事のつもりで記事を書く生活が始まった。

30日にハローワークにいけば、14日分の支給がまずは受けられる。

今はまだ次から次に記事のアイデアが頭に浮かんでくるので、とりたてて取材にでむかなくても、家の中で写真をとるぐらいで強度のある記事がかけている気がする。

もちろん、ブログやデザインの面では初心者なので、どんなものがいいのか手探りだけど、無料ブログの時に比べれば少しづつ基礎的な能力はみにつきつつあるのかなとは思う。
東京にきてからは友達も身近におらず、ひたすら情報をインプットするという方法で、アウトプットするといったら独り言を空間に出すぐらいのものだった。

長年アウトプットできなかった情報が、ここにきて出口をみつけ、一気に噴出しているというのが正しい表現かもしれない。

とにかく力技で毎日できるだけ多く、長く書き続けなければならない。

それが三か月後の失業給付が終了するまで続けられれば、かなりの蓄積と実力になっているはずで、このブログの力もどんどんあがっていくはずである。

アフェリエイトやアクセス解析は、そのころになってブログに人が少しづつ訪れるようになって考えればよいだろう。

それまでは愚直に記事を更新していくしかない、とにかく少しでも読者の役にたちそうなことを、自分の残しておきたいことに関連付けていければよい。
 

精神と時の部屋”は漫画ドラゴンボールで、孫悟空などが入っていた、一日で365日分修行できる場所だけど、この3か月間で記事を書き続ければ、同じように短時間で成果をだすことができるのではないか。

このブログのみに集中するべきか、幅広いウェブのメディアにアプローチしていくのかは迷うところだが、可能なら後者を志して、少しづつ知識を吸収していきたいと思っている。

一人暮らしの買い物と雑用以外は、すべてウェブ関係に時間を使っていく、もともとデイトレを追及する予定だったのだから。

それにしてもデイトレ用のマルチモニターパソコンを購入する前に退場して良かった、まあ、どちらが良かったのかは自分がきめることだ。

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