サイトアイコン 風の谷のクニヤメ☆中国編☆

子供には努力しろなんて教えるな、努力しても無駄にゃ~、自分が壊れるにゃ~

人は才能のある分野でしか成功することはできない。

私がデイトレや株にことごとく失敗したのも、才能がなかったからだ。

私がなぜこのような考えになったのかといえば、本当に努力している(行動している)人を見てきたからだ。

本当の努力とは、人の2倍3倍の行動ではない。

例えば営業ならば人の100倍以上、例によっては1000倍以上をやるということだと思う。

しかし、能力が普通の人よりも劣る人が、努力をしたから優秀になるとは限らない。

また、恐ろしいのが、それでも努力を続ける人の例だ。

努力をすることの危険性

圧倒的な努力をすれば、簡単に自分の運命すら変えられる場合も多いのも事実だ。

しかし、問題なのは

可能性が高いということである。

トータル的には、人生にマイナスになる例を少なからず見てきた。

本当の努力というのは、極めて危険な行動の一つだと思っている。

私が考える、成功に必要な条件

人の成功には

  1. そのことが楽しくて仕方ない
  2. 正しい努力ができる
  3. その分野での頭の良さがある

という3つの条件が関わっていると、自分の経験上考えている。

1があれば、簡単にその分野で成功し、天才と呼ばれるだろうが、1を持つ人はまれだ。

必須なのは2と3ということになる。

大相撲の相撲中継を見ていると、舞の海さんが、

「ただ稽古するだけじゃなくて考えて稽古しないとダメだ」

とよくおっしゃられている。

それに賛同する解説者の方も多い。

いくら努力をしても、自己満足では意味がない。

こちらも、大相撲解説のゲストだった時のコメントだと思うが、

引退されたボクシング元世界王者、長谷川穂積さんも、

「自分は勉強はできなかったけど、ボクシングの頭は良かった、それが役に立った」

という話をされていた。

自分は努力で全てが変えられると思っていた

私は昔から万能な人にあこがれを持っていた。

そしてくそ真面目な私は、学校や周りの人から言われた、

努力すれば、行動すれば成功できる

という言葉だけを信じて、自分を変えようとしたこともあった。

何事も要領が悪くて、何事も上手くはできない、評価がなかなかあがらない、そんな普通以下の自分というのが嫌だった。だから、小・中学生ぐらいに感じたその感情を努力で変えていく、違う人間になりたいというような思いを、ずっと持っていたと思う。

今でこそ買わなくなったが、昔は自己啓発本ばかりを読み漁って、圧倒的なインプットを圧倒的なアウトプットに転化していくことで、爆発的な行動に変えようとしてきた。

今ではハッキリと分かる、私の生き方は失敗だった。

人は生まれながらのキャラクターに従順でいいと思う。

無責任に努力すれば変われるとか、優秀な人間になれなんて言わないでほしい、教えないでほしい。

初めから自分らしさを大切にできていれば

私も自分らしさを大切にして生きることができていれば、心を病むことはなかったのではないだろうか。

身の丈に合った居場所を見つけられたかもしれない。

33歳で、9割方の選択肢が消えようとしている今、それでも動けないようなことにはならなかったのではないか。

生まれながらの自分のままで、出会うべき人に出会って、そんな環境を大事に守っていくという生き方ができなかった。

「大器晩成」の本当の意味

大器晩成の本当の意味をご存じだろうか。

この言葉は、中国古代思想の巨人、老子が語ったとされる言葉である、「大器免成」という言葉がもとになっている。

老子の本を一冊でも読めば、その思想が物事を積み上げていくようなものではないことが分かる。

無為自然、どちらかというと、運命論に近いものを感じる。

「大器免成」、この言葉の本当の意味は、

自分が本当に大きな(数百キロ以上など)器の中の、真ん中に立っていれば、その器の形は分からない

という背景から、

真の大器は、これは~だと断定できるようなものではない。したがって大器は成すことがない

というような意味になる。

私たちが、普段つかう言葉の意味とは全く違うことが分かる。

私が尊敬する孔子も、

あまりにも早熟すぎるのも問題だが、40歳になっても天下に名が知れないような者、これもまた大した人物にはなりえない

というようなことをいっている。

エジソンが語った

1パーセントのひらめきと、99パーセントの努力

という言葉も

99パーセントといえるぐらいの、膨大なスタッフや助手のお蔭で、私は1パーセントの発想に全力で取り組める

という意味だが、間違って解釈されている。

つまりエジソンという世紀の才能がないと、なにも生まれないのだ。

それぐらい、エジソンの実験室は大規模なものだったのである。

陸上ハードルの為末大選手も、北野武監督も、同じようなことをいっている。

自分は天才だったからできたけど、普通は無理だと。

大器は最初から大器

これが真実の言葉であり、解釈である

私が嘘をいっていないことは少し調べればお分かりだろう、大衆は常に理想を掲げ、間違った解釈を続けるのだ。

もうお気づきだろうか、大器は晩成しない。

大器は最初から大器なのである。

ほとんどの人は凡人なのに、どうして多くを求めるのか

凡人のための教育をして欲しい

なにも分からない子供が夢を語るのは自由だ、しかし

と周囲の大人たちがまくしたてることで、その子供らしさは破壊されていくのではないだろうか。

どうして、このような言葉をかけてくれないのだろうか。

どうして、

天才たちが語った有益な言葉を、頑張らせるためにすり替えたように使うのだろうか。

まだ飽き足らずに、無能なうえに打ちひしがれた人間を量産したいのだろうか。

私は警鐘を鳴らしたい、頑張ればできると思ってしまった一人として・・・・。

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