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ホームレスからの教訓byある路上生活者

この記事は旧会社の先輩、Mさんがホームレスの方との会話をまとめたものです

貸していただいた当時、自分の境遇と重なる部分も多く衝撃を受けました。

会社の先輩は、数年前に片道10キロを歩いて通勤していた時、毎日のように、橋げたでこのホームレスと会話をし、教えを乞うたそうです。

今はどうしてるかわからないけど、どうやらもういないようだということです。

素晴らしい教訓&紛失防止になるので、ここで紹介しておきます。

ホームレスの言葉


母の写真見つかってよかった

写真、一枚しかないから見つかってよかった。

忘れちまうばばぁ(母)の顔。

最近どんどんわすれていく、昔の事、いろいろ、いろいろ、でもいいのか忘れても、よく考えりゃあ。

いい思い出なんてねえ

子供のころから貧乏で、中学を出たらすぐ働いた。

小っちゃな工場の旋盤工で、安月給で、だだっ広い作業場で、夏は死ぬほど暑く、冬は隙間風。

足先、指先が凍りついた。

寮生活、二段ベットで休みは月2回、その休みもでダラダラテレビを観るかパチンコ。休み2回でキレイに給料は消えたっけ。

いつもポケットには小銭しかなくて、それでも時々街に出て映画・・・・・・。

いや・・・・・。映画は嫌いだった。

オレと同い齢の高校生が仲間、あるいはカップルで連れだっているから眩しかった。

映画よりズッ、、、、、と。そんな時はみじめでな、いつか見返す。

胸の中でいつもつぶやいていた。

21の時、勤めていた小ちゃな工場が潰れて、その後はフラフラフラフラ。

運送屋の助手皿洗い掃除夫工場のライン新聞配達。どこも長続きしなかった。

オレは人と馴染めず、人生の階段を昇れなかった。

昇れず退職の繰り返し。だからズーっと下っ端。

オレは不公平!不公平だって思ってた。世の中、不公平だって。

でも本当はちっとも不公平なんかじゃなかったのかもな。

だってオレは何も積み重ねず、一人ですね、ふてくされ、社会から手を放し続けてきたんだから、でも、

こんなオレでも一度だけ、頑張ろうと思ったっけ、板前になろうって。

オレの入った店は追い回し3年、焼き方5年、煮方は10年。

一丁前の板前になるのには15年、20年。その途方もない時間、、、、に。

オレは結局、音を上げ、、、、へこたれた。凹んで垂れた。放棄したんだ、頑張りを。

ポタポタハァーハァー足りなかったんだ辛抱が、、、、。

誰だって、何も考えずにこんな重労働出来やしねえ、どうしても辿っちまう過去。

もう救えねえ過去の自分、戻らない日々。

あの頃

働いていた割烹に、ちょっとだけ手伝いに来た学生がいて、オレみたいな者にも、優しくてキラキラしてて、一発で好きになった。

でも、いえなかった。そんな事とても・・・。

まぁ声を掛けたところで同じ事、無理な話。

釣り合わねぇ、俺なんかとても。

でも、たとえ無理でも、それでもあたってみるべきだったな。ちゃんと断られるべきだった。

失恋しておくべきだった。失恋しそびれた。いや、色恋だけじゃねぇ。全て。自分が悪い時に謝りそびれ、仲間に優しい言葉を掛けそびれ、そして挑みそびれ、とどのつまりいきそびれた。

気がつけば融通の利かぬホームレス、変人、鼻つまみ者

あんなんじゃ損するだけ。社会夫適合者といわれ、でもオレはそれでちょっと安心した、そう安堵した。

オレはオレの人生の失敗を性格のせいにして安心していた。

多分、無能と思われるより良かったんだろう。

まだひねくれ者の方が、オレのこじれ。人生のこじれは逃げ、、、。

逃げだったのかもしれねぇ。

人生に正面から向き合わない「逃げ」、怖かったんだ。

幸せを求めて幸せを得られない事が。成功を求めて成功を得られないことが、優しさを求めて優しさを得られないことが。

結局オレは傷つく事が怖かったんだ。

怖いから他人と繋がらず、他人を許さず自分を守って、結果手にしたのは空洞の人生。

ふがいない自分だ。いききれなかった人生だ。

Byある路上生活者

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