サイトアイコン 風の谷のクニヤメ☆中国編☆

34歳になりました。

また一つ齢をとりました。

年齢はあまり気にしていない

私は年齢はあまり気にしてはいません、それは世間的なプラスの意味とは違っているかもしれません。

私は34歳にも関わらず64歳であるかのように生きたいと思っています、そして40歳は70歳というような認識でいます。

まだ若いと言われることは多い

30代だと、他人からまだ若いと言われることも多いですが、そんなことは全く関係がないと思っています。10代の人から見れば、私は老いた人であって、彼らには私は「まだ若い」という言葉をつかわなくてはならないでしょう、しかし私は本音では今日命が終わるかもしれないよ、気をつけないさいよと思っています。

年齢感覚は個人が決める

自分の年齢感覚は自分だけが決められるものだと思っています。私の友人は2人も若くして白血病で亡くなりました、彼らが不幸だったのでしょうか。長く生きることが幸せなのでしょうか、それはそれぞれが決めていいんだと思いますし、個人差が大きいです。

肉体について

肉体は人それぞれです、若くして死ぬ人、60代でだめになる人、90歳でも普通に生活できる人もいます。また、その偏差値は年齢によっても変化していきます。それは人が決めることではなく、身体が決めることです。

70歳でも、身体に不自由することがなければ、そしてそこに精神が伴えば年齢など気にすることはありません。彼はなんだって挑戦できるし、新たな冒険を始められることでしょう。しかしそれは選ばれた人であって、努力だけではどうにもならないことだと思います。

精神について

精神については肉体よりももっと重要だと思っています。精神は生活を創り、食生活や生活習慣にも影響し、結局は体にも影響してきます。また体が元気なのにボケてしまっては元も子もありません、精神と肉体どちらかをとるならば、間違いなく精神をとるべきで、そういう健康管理をしていくべきでしょう。現代社会は身体の健康を優先し過ぎているところがあると思います。

私の年齢

いまのところ身体に大きなダメージはないと思いますが、心にダメージを負っています。しかしこれはとりたてて問題のないことだと思います、出家をしたり、世捨て人のように生きる方法を見つけられればいいことです。また、この判断も常に移り変わっていくでしょうから、先のことは分かりません。すぐに自殺を選ぶかもしれないし、力強く立ち直ることがあるかもしれません。

感謝する心

実年齢は34歳でも、私は幼いころから死に向き合ってきました。

人生の大まかな計画は人それぞれあることだと思いますが、それよりも今生きていることに感謝することが何より大事ではないかと考えています。

まとめ

仏陀の言葉

色はこれ我にあらず。もし色これ我ならば、色において病苦の生ずるあらず。また、色において、かくのごとくせざらしめんと欲することあらず。色は無我なるがゆえに、色において病あり、苦しみの生ずるあり。

(阿含経 二)

関連記事

死にも準備が必要だと思います。 いきなり癌って宣告されて、余命一年ですっていわれてもなにも準備してないと間に合わない。それは、定年になって...
死んだらどうなるのか 諸行無常 あの世(死後の世界)があるかどうかは分からない、しかし一つだけ確かなことがある それは、全ての物事...

モバイルバージョンを終了