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銀川市、北方民族大学へ

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難航した転職活動

転職活動は難航しました。

中国人の彼女と完全にお別れしたのが10月半ばごろ、それまではなんだかんだいって、北京で仕事を探して一緒に住むというノリでしたので、斡旋業者へは北京転職を全面に主張しており、最悪の場合はどこでもいいので河北省の大学とタカをくくっていたのですが、急転直下、突然フラれてしばらくぼ~っと回復の時間を過ごして、さぁ動き出すかと思ったときには既に時遅し、あれだけ早くから始めろと知人からアドバイスされていたにも関わらず、見事にタイミングを逸していました。

今回の転職活動で応募した大学一覧

大連海洋大学

国立。偏差値高。

一番最初に応募、面接してもらえず。相手にされなかった。最初から厳しさを知る。もしかしたら自分の思う通りにはいかないのかもしれないと、うっすらと感じ取る。

大連交通大学

国立。偏差値高い。

面接にすすむ。すんなりと合格。しかし、大学レベルが現在の私立と変わらないために直接の見学を断った。少し希望が見えるも、なにか腑に落ちない。国立なのにこのレベルの低さはなんなのだろうか。(レベルは日本語能力試験に通過した学生の人数を教えてもらい、3年生のだいたいのレベルを判断。)

常州大学

国立。偏差値高い。

大学ランキングでも100番代に名を連ねる大学。日本語レベルは相当高く、ここに行ければベストだったかもしれない。しかし、街の規模としては銀川市の方が上か。トータルで見れば待遇など見る影もなくこちらが↑。

大連民族大学

国立。偏差値高い。

民族大学の中では、中央民族大学に次ぐレベル。他の民族大学とは偏差値が全然違う。履歴書を送るが相手にされない。しかし、一応丁寧な返事がきて、ここで民族大学や国立大学のイメージは上がる。

蘇州科技大学

国立。偏差値高い。

ここもなかなかのレベル。江蘇省の大学はどこもレベルが高いが、ここは常州大学にはない国家重点研究室も備えていたため、国の費用は多そうだった。

中南財経政法大学

国立。211国家重点大学。

大学ランキングはたぶん60番ぐらいで、日本でいえばおそらく北海道大学とか、九州大学とか名古屋大学とかその辺り。今回受けた大学の中では唯一の国家重点大学。三峡ダムの関係でビビッていたが、もし上がればと思って応募するも、なんの返事もなかった。書類選考通過者以外は返事をしないとあったので、特に不満はない。応募したというだけで話のネタにはなる。

嘉興学院

公立?偏差値高い。

偏差値は200番代でかなり高い。学院と名の付く大学ではトップクラスではないだろうか。日本の大学でいえば20番代のレベルに相当するということになるだろうか、正直ランキングに出てきた時は驚いた。

最後まで1枠を争って面接、その後の保留と長期間待ってようやく不合格の通知が来た。大連が第一希望だったが、日本人外教が4人という環境もあって、今回の求人の中では、総合的に一番良い大学だっと思う。

合○学院

公立?偏差値不明。(悪くはなさそうだった)

北方民族大学に行く決意をしたその日にメール返信があったので、驚いたが丁寧にお断りした。早速面接という文言などがあれば応じたが、しばらく待ってくれというような内容であった。月給9000元×12カ月は魅力的だった。

北方民族大学

国立。偏差値まあまあ。

結局この大学に行くことになった。大学ランキングは400番代。

母と電話しているときに、なんとなく求人を探しながらスカイプをしていた。かなり行きづまっている時だったので、なぜか私は通話を終了してからすぐに履歴書を送っていた。

やはり銀川市に2009年に旅行で訪れていたことが大きかったのだろう。しかし月給5000元の10カ月分である、これ以上ないほどの底辺である。まさか今の5,500元の給料を下がって来るとは。。

しかし、民族大学へのいいイメージもあり応募だけでもと思っての応募だったのだろうか、思い出せば合格するとは思っていなかった。

しかし翌日の午前中に結果がきて、私は面接もないまま合格し、資料が送られてきた。私はとりあえずまだ第一希望の結果が来てないからと三日ほど待ってもらって、嘉興学院の結果を聞いてから、北方民族大学に行くことを決意した。

まとめ

今回の転職活動はやはり上手くいったとはいいがたい、中国の日本語教師の方には、くれぐれも半年前から、しっかりと転職活動に臨んで欲しいし、次回のチャンスでは自分もそうするつもりだ。

しかし、元々は大連希望が、上海周辺に妥協して考えるようになって、武漢、合肥と広げていって、まぁ西安でもいいかなとかおもっていたけど、まさか銀川とは、また銀川の地を踏むとは思っても見なかった。

約11年ぶりになるだろうか。当時は不安障害を引きずって、抗鬱剤を飲みながらの旅だったと記憶しているが、いつからだろうか?完全に不安障害を脱したのは?中国で教師をする前はまだ症状があったと思ったが、もう病気だったことすら忘れている日々だ。

とりあえずまた銀川で、良い風が吹くことを願っている。いよいよナウシカの世界になってきたなと思う今日である。

転職地では授業が5コマしかないので、毎日更新をする予定(齢をとった、二年前にはできなかったが上手くやれそうである、でも結局書かないかもしれないが)だが、このブログを引き継ぐか、新しいブログを作るのかなどについて、まだハッキリしない。

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