ハローワークの応募をキャンセルしてみた

昨日はハローワークの認定日だったの嫌でも行かないといけなかった。

やっと最初の失業手当8万円ほどが振り込まれるらしい、

ついつい就職活動にも手を出してしまい、

相模原事件の施設のような、障がい者福祉施設に面接のお願いをしてしまった。電話をしてもらい、紹介状をもらう。

一晩考えて、友人の助言もあり、今日朝一でハローワークに電話すると、

昨日、電話でお名前を伝えたので、本人から直接連絡してほしいということだったので、施設にも電話。

ハロワにも、会社にも丁寧に対応してもらえた。

会社に直接電話しなければいけないかどうかは、名前を伝えているかどうかが差となりそうなので、取り消しを検討している方は注意していただきたい。

しかし、まだまだむ焦るときじゃないはず、無職の力がまだまだ足りないと感じたが、ひきかえせたのは良い判断だった。

 

トップ画像は、無職の「無」を図案化してペイントで作成してみた。少し『ハウルの動く城』を参考にした感じかな

粗すぎたため、お気に入りアイコンにだけ使用していたが、トップアイコンにも使用してみるとなかなか良い出来だ。デザインも写真を排し、すっきりさせてみる。

これは傑作だ!『風の谷の無職』のロゴが誕生した。

 

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居心地がいい場所に”とどまる力”を意識する

先日から、インド旅行記をノートから写して掲載している。

まさか、この文章を公開する日が来るとは、思ってもみなかった。しかし、自分自身の記録として丁寧に記してノートにまでまとめたものだから、ただ写真を掲載するだけでパワーコンテンツとして機能しそうだ。

ノートは捨てていないとしても、使い捨てカメラで撮った写真までが残っていたのがありがたかった。写真を現像するとき、カメラ屋さんが、そういうサービスだったのだろう、CD-Rにデータを写して渡してくれていたのだ。写真があるので今まで一度も見ることはなかったけど、いまになると感謝感激である。データサイズは小さいけど、写真には使い捨てカメラで撮った味が感じられる。
 

 さて今回、旅行記を写していく中で、今後のヒントになりそうな気付きがあったので記しておきたい。

私は、なにか物事を進めていくときに、例えばそれが旅であるならば、事前にリサーチして頭の中で計画していることがほとんどである。それは自然なことで、多くの人が行き当たりばったりにたびなどしないだろう、しかし、私の場合は必要以上にそのことにこだわりがあるように感じた。

例えば、2010年のインド旅行でも、別に時間は無限にあったわけなので、あとはお金だけの問題を考えれば良いはずなのに、どこか自分の計画を第一に優先していいる気がした。

”自分のやりたいこと”を優先せずに、第一に計画通りにいっているのかという、事前の計画を優先している。だから、今後はそれを意識していくだけで、人生がより良い方向、自分が望む方向にいきやすくなるんじゃないかなと思う。

 1事前の計画

 1やりたいこと
 2お金や時間  2お金や時間
 3やりたいこと 3 事前の計画

優先順位を、こんな感じで変えていくことを意識するだけで、ずいぶんちがってくるのではないか。自分が真面目過ぎたといえばそれまでで、それが自分らしさであるともいえるんだけど、こういう意識を持つだけでも大きなことだ。

ネットで拾った言葉に、

 

悩まない

やりたいと思ったら

出来るかできないか

考えずにやる

そんでやると大抵できる

 

っていう興味深い言葉があったけど、

自分もまずは、やりたいと思ったら、どんどん予定や計画を変更していくということを、まずは意識してみようと思う。

 

 

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インド旅行記3

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-ダージリン-

同じくダージリンを目指すスイス人の女性と3人で、コルカタ、シアルダー駅へタクシーで向かう。そこから三段寝台列車でニュージャルパイグリ駅へ、すぐに客引きが現れて、ぎゅうぎゅうのジープに詰めこまれた。くねくねの山道を3時間、座った席も悪く、酔ってはきそうになる。降ろしてくださいと何度も言いかけたが、なんとかダージリンに到着した。

この街には、ヨーロッパ、イギリスの香りが漂っていた。私が住んでいるアパートの村田さんのおすすめホテル・プレステージへ、すぐに見つけることができた。話通り、岡山出身の日本人の奥さんと日本人による旅ノートが迎えてくれた、村田さんの知り合いということでたいへん驚かれ、喜んでもらえた。

シィッキム州の情報なども、快く教えてくれて助かった、部屋はケンさんとシェアすることにして、一泊350ルピーを2人で払う、停電とホットシャワーがでないが仕方ないところだ。この日のうちに、シィッキム州へいくためのビザを取得して、翌朝には早起きしてタイガーヒルに向かった。

あれほど見たかったカンチェンジュンガ(8586m)であったが、残念ながら季節のせいもあって、中央線からみた北岳にはとてもかなわないと感じてしまい、期待が大きかっただけに残念であった。

 

ダージリンの街並みは、良い感じの時計台を中心に、街全体が南北に広がっている。中央に近い広場には休日でもないのに、避暑に訪れた人々がベンチに座り語らっている。犬や馬も、暑さ極まるコルカタとは違い、のんびりとして見える、チャイは気温も手伝ってさすがに美味しかった。ただ、若干ミルクコーヒーばかり朝から3杯も飲んでしまった日があって、自分が相当なコーヒー好きということが判明した。

標高が高い(2134m)だけあって、昼でもそこまで暑さは感じない、でも基本的には電力不足のようで、夜はローソク暮らしとなる。私の100均電灯は、早くも故障して使いものにならなかった。暗闇はローソクで対処できたが、ホットシャワーが出ないのは致命的で、初日から風邪気味になってしまった。そして、とうとう下痢になってしまい、やはり少し滞在してから下痢になるというのは本当のことであったようである、腹痛はないものの、1時間おきにおしりからシャワーが噴出した。

一緒にコルカタから行動を共にしていたケンさんは、ダージリンでなにやら思い直して自分もシィッキムに行くと言い出したので、2人でガントクを目指すことになったが、その日のビザ申請が上手くいかず、迷いもあるようだった。そんな中、ネパールインする日本人女性と出会ったらしく、私は改めて一人でガントクを目指すことになった。

下痢の中、このたび1枚目の絵をホテルの窓から描く。ようやく一仕事終えた気もしてほっとしたが、明日は一人でシィッキムを目指さなくてはならず、頭痛や熱も出てきて大いに不安である。

 

あくる日、ダージリンにとどまり休もうとするが、ケンさんと記念写真を撮っていたりしたら下痢が4時間くらいは持ちそうに感じて、出発を決意した。ケンさん、ホテルのオーナーにあいさつを終えて、9時ごろに乗り合いジープ乗り場へ着くと、右も左も分からずにたちつくした。私の英語も聞いてもらえず、とにかくジープにはもう乗れないらしかった。タクシーのおじさんが

「2200ルピー」

と声をかけてくる。私は1日でもはやく出て先へ進みたかったので、体調不良の中ジープに耐える体力もなさそうだし、約15倍もするタクシーに乗ることに決めた。only youといった運転手だったが、少し待てといってすぐにインド人女性が乗ってきた、私はすでにお金を払っており、このまま置き去りにされるかと思っていたので、安堵感からなにも言えなかった。その女性はインド入りしてみた中で最も美しく、私は改めてインド人女性の美しさに魅せられた。ダージリン行きの時よりは広々しているが、ほとんど絶食状態が続いていた私の体には、5時間の悪路はハード過ぎた。

今回の旅は山々を廻ることになったが、もう私は電車以外の長距離移動は無理そうなので、今回の旅で最後にしようと何度も思っていた。私は、コルカタへの思いが益々大きくなっていくのを感じていた。

つづく

 

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いつか株デイトレの退場を、許せる時がくるかもしれない

株での生涯収支、-300万円以上という損失の現実。そのことに向き合えず、今まで現実逃避してきたけど、ブログに出会って、分かってきたことで、夢中になれるかもしれない可能性を感じている。このワクワクにしたがって行動すれば、なにかとてつもなく素晴らしいことが待っているかもしれない、そんなことを考える。

あのホリエモンだって、最初にネットに出会ったときに感動して、ITの可能性を信じて突き進んだ。知人のサラブレッドの、紹介ホームページを作ることから全てが始まったらしい。

今の自分は、まさにそんな感じで、自分はネットをやるために生きたい、そう思えるようになってきた、いや、まだそこまでいい状態ではないかもしれないけど、少なくともその可能性を感じることができる。そんなものに最近、いや人生でも、出会ったことがあるだろうか。人生で、初めてのことかもしれない、それぐらい特殊な楽しさであるといっていい。

デイトレとやっていることはほとんど同じなのに、パソコンの前に座ってカチカチやっているだけ、しかも画面の向こうには、同じように無数の人がいる。むしろ、デイトレの方がたくさんの人がいるというのに、私は、勝てないことで退場に追い込まれた。でも、デイトレの楽しさは儲けた時だけで、デイトレそのものが楽しかったわけではない。一儲けしたかった、楽して儲けたかっただけだだから、お金が全くもうからなくてもやりたいネットとは違う。今の自分はアフェリエイトという手段がなくなったとしても、ウェブで情報を発信していくだろうと思う。
 
今まで私は、自分のために、自分の中だけに情報を貯めこんできたけど、これからはその情報を、ネットを通じて発信していきた。そして、その中で見えてくるものをみつけていきたい。情報を発信することで、少しづつでもなにかが変わっていくのか、アウトプットし続けた先になにがあるのか、私は何も知らないから、サービス精神と共感を少しづつ育てながら、私は進んでいきたいと思う。

 

人は、何度でも立ち上がれるのかもしれない、死を迎えるその日までは、立ち上がる権利が与えられているのかもしれない。

ゆっくりと時間をかけて変えていくべきこともあるかもしれないけど、今の自分のように、自暴自棄になっていた状態から立ち直ることで、一気に飛躍できる可能性だってあるんじゃないのか、それはもう一年、半年、三カ月といわず、3日でもできることなのかもしれない。

このブログだってそうだ、前身のブログを立ち上げたのが二か月前、移動してデイトレを辞めて真剣にブロガーを目指しはじめて、長く見ても半月しかなっていない。それでも、記事数は30をこえてきたし、あとは失業中に一日2記事でもかければ、コンテンツが楽に100記事を超えてくるはずだ。まだまだ、訪れてくれる人は一日、15人程度だけど、それでも全く違うと思う。今後に対する基礎をつくったということで、未来を変えれたかもしれないし、毎日更新していくことで、自分を大きくしていくことが可能なんじゃないかと思う。私は、ここ半月、ごく短期間で一気に自分を変えることができたんだ。

幸い、株で大きな資産を失ったが、まだ100万以上のお金がある。無職に耐えられれば、一年以上の時間があるかもしれない。それを使って、今回の様な急激な成長を何度かやりとげていきたい。そうすれば、未来を変えていける、そう思っている。

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都心タクシードライバーへの転職は、どの会社を選ぶべきか

どーも国矢眼介です。

今回は、

都心のタクシードライバーへ転職する際、どこを選べばいいのか

都心でタクドラを3年半やった私が考えていきます。

 

まず、結論から言って、

 

 

のどれかということになります。

この4社の頭文字をとって、

『大、日本、帝、国』

と言われたりします。

この話は東京のお客様ならご存知の方も多いです。

地方から出てくる方、東京タクシー事情にうとい方、迷っている方、特にこだわりがない方などは、絶対にこの4社から選択してください。

 

  • 紹介業者に紹介された

  • 寮がない

  • 保証が薄い

などで、別の会社にいってっしまうと、タクシー人生は暗いです。

私自身は、福岡県から上京する際に、熟慮した結果、国際自動車を選んで成功しました。

収入でみると、月2万は違ってくると思いますよ。

では、なぜこの4社なのか、みていきましょう。

まず、決定的なのが、

四社タクシーチケットの存在です。

法人契約などで圧倒的に有利な、この4社です。それぞれのタクシーチケットも多いのですが、圧倒的によく出るのが、4社のみに使える四社チケットの存在です。

このチケットは、銀座に限らずよく出るのですが、上の4社しか使えないために、店員やお客様が選んで止めてくれますし、乗り場に並んでいてもわざわ前の車をスルーしてくれます。

当然、自腹で乗るお客さまより、ロングが出やすくなりますよね。黄色に赤のラインの車体も統一されており、ブランド化しています。

充実した福利厚生

大手であるため、福利厚生が充実しており、給与から引かれる手数料などが少ないです。

入社してみないと分からない業界常識のひとつに、クレジットカードなどの手数料負担というものがあり、中小企業だと、これが自分持ちだったりします。

寮につられるな

寮がない場合は自分で借りたほうが、他社に行くよりは後々になって得になるでしょう。タックシードライバーは厳しい職場なので、続かない人も多いですからね、寮だとやめにくいですよね。

変な人が少ない、良い人が多い

タクシーは一人で働くので、同僚の人間性などはあまり関係ないようにも思いますが、洗車や相番の方がいたりと、気を使うことも多いので、良いにこしたことはない。その点でも、あまりに常識がなければ不採用なので、大手の方が安心です。

迷ったら、大手4社に決まりですね

この大手4社の中身を、もう少し詳しく見てみましょう。

もちろん私が勤務したのは国際自動車だけなのだが、業界にいれば、他の会社のことも多少は知識がはいってくるため、参考になるのではないかと思う。

結論から言って、

国際自動車の面接にまずいってみる

で間違いないと思う。

現在もっとも勢いがあるのが、国際自動車と日本交通の2強状態である

といえるのだが、その2社でなぜ前者を推すかというと、

日本交通が同族企業だからであるということに尽きる。

同族企業だと、経営陣が永続的な成長と存続に、全力であたってくれるという要素は確かにある。しかし、そのために労働者の気持ちは二の次となりがちだ。

私がかつて在籍していた期間工のせかいでも、早くから同族経営を捨てた本田技研の、期間工に対する要求の低さは有名な話である。

対する、トヨタをはじめとするほとんどの同族企業は、要求する水準が比較的高いことが知られている。

また、一族などは存在しない国際自動車では、人事に対する風通しも穏やかで、実力次第では親会社の幹部(あるいは社長もいける?)にまでのぼりつめることが可能である。

現在、新卒大量採用中であるようだが、実力があれば、経営側に入ることは難しくはないだろう。

専用乗り場では、日本交通が有利

専用乗り場の観点から言うと、ミッドタウンや六本木ヒルズを抑えられているという点では、日本交通に軍配があがる。

売り上げでは国際自動車がどうも一番

らしく、これは売り上げに非常にストイックな人が多いというのが原因ではなかろうか、会社のカラーとでもいうべきか。だから、タクシーに乗ってしまえば、私は国際が苦手だった。同じ会社なのに 汗

なぜかは分からないがkmタクシーが一番頑張っている、なんで?

日本交通だと、接客や言葉遣いに一定水準が要求されるので、売り上げばかりに気を向けられないところもあるだろう。

大手4社の中では、

稼ぎたい人は国際、

接客技術のプロを目指すなら日本交通、

まったりやりたいなら、大和か帝都

みたいな感じかな、この4社なら本人次第でどこでも稼げますけどね。

でも、決め手はやはり、同族企業じゃないってことかな~と思います。

大和だけは、唯一の東証2部上場企業なので、その点は評価が高いですが、

他社も、持ち株会などで、なんらかの旨みがあるでしょうね。

結局は縁があるところにいくんでしょうけど、4社なら間違いないですよ。

以上

 

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インド旅行記2

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-空港-

飛行機を降りた瞬間、私はインド一人旅の厳しさを思い知ることになる、なにも頼るものがないのだ。自分でやるしかないんだな、どんなに苦しくてもすべて一人で責任を負わないといけない。この現実は、はっきりいってインドの地を踏むまで見えていなかった。日本に帰りたい、今すぐに帰りたい、私は素直に、実に反射的にそう思ってしまう。上空からデリーやムンバイの夜景を眺めた時とはえらい違いだ。手始めに出国カードの提出で、私はインドの洗礼をうける、

「なんだこれは」

と検査官、私が緊張から出国カードを握りしめていたので、しわくちゃになってしまっていたからだ。日本では問題ないレベルでつっぱねられて面食らった。新しい紙に書いてこいと怒鳴られ、ひきかえしている私を見て、3人ぐらいでゲラゲラ笑っている。私は負けまいと違うゲートの検査官にアタックしてゲートを通った。

空港の中が右も左も分からない、職員は誰か、みんなインド人なのか。混乱していたが、次の乗り換えは6時、あせらなくても良いはずだが、足が自然と小走りになる。いつの間にか、北京の青年とも離れてしまっていた。とりあえず人に聞きまくり、途中「ラゲッジ」の意味が分からずに、大丈夫かと心配されたり、教えたから金よこせといわれたり、カルチャーショックも受けながら、とりあえず、コルカタ行の便に乗るメドがたったので待つことにした。

 

-コルカタ-

長い空の旅を終え、コルカタに入り、私はメトロのダムダム駅で地下鉄を待っている。

なんと日曜日は14時からしか動かないそうで、ふざけてるとしかいいようがない、公共交通じゃないのか。
私はバスでこの街を走った瞬間、すぐにこの国が大っ嫌いになった、とにかく混沌としすぎている。カルチャーショックが大き過ぎて、頭の中をグルグルしている。なんて無謀な旅に出ようというのだろう、この国の人々の人間力は、日本人とは比較できないほどに強い。そして、今まで見てきた人間とは全く違う、異質な人達が街を創っている。平気で道の中央で眠る人、けたたましい声、堂々と歩いているイノシシ。私は、一、二週間でリタイヤしてしまわないよう、なんとか体を休めながらでも歩を進めようと思う、とにかくダージリンとバラーナスへは行かなければならない。
ダムダム駅で2時間つぶせるほどの自信がない私は、なんとか歩いてホテルパラゴンがあるサダルストリートまで歩けないものかと考え、分かりやすそうな川沿いに出ようと移動を開始した。しかし、暑さと疲れから気持ちがぶれるし、うまく方向もつかめないまま南へ行ったり西へ行ったり、歩き回っただけでいっこうに着きそうにない。確保されていた地下鉄ダムダム駅までの道のりも、完全に見失ってしっまった。私は自分の無鉄砲さにあきれ、現在地すら分からない自分の現状を憂いだ。

暑さに完全にやられ、大通りでタクシーを拾う覚悟を決め、警官風の男性に道を聞く、

「座っていろ、私にまかせておけ」

そう言うと住民と相談しながらバスを止めて。バスカーストの男に、降ろす場所と指定してくれた。私は合計17ルピーで空港からサダルストリート、そしてパラゴンに到着したのである。

 

一日でパラゴンの中でたくさんの出会いがあり、10人ぐらいの旅行者と会話を楽しんだ。スイス人、ドイツ人、もちろん日本人にも会うことができて、日本人4人で食事にも出かけた。寝る前、歯を磨くとき、自分の顔があまりにも違うのに驚いた。3割ぐらいインド人化している、こけているのだ。私はここ50時間、特にインドのムンバイ空港からパラゴンを目指した苦労から、人生で最も苦労した一日であったかもしれないなと改めて思うのであった。経験したことのないような暑さで、生命の危機を感じた。

 

最初は辛いであろうと想像した、パラゴンドミトリー生活であったが、一晩明けるとすっかり適応し、まだまだコルカタにいたいかもしれない、そんなことまで考えている自分がいる。自分が精神的に健常でないということが大きいのであるが、私にとってドミトリーに泊まることが一つの挑戦である。しかし、コルカタの暑さと喧騒は、私の思考を奪い、なにも考えられなくしてくれるような気がしている。おそらく前回の中国旅行のように、異国に来てしまえば、私の精神疾患も軽度になることが分かってきた。

友人の言う通り、パラゴンは最高のホテルである、ドミトリーに自分が最高の気分で泊まれるというのは、日本では考えられないことだ。また、魚好きの私としては、よく手入れされた大きな水槽があるのも、とてえも魅力的だ。皆、出会いや、従業員の態度が悪いことにしか触れないが、私にはホテルパラゴンが確かに伝説の宿として記憶された。

パラゴンに二泊して次の日の晩、チェックアウトをして映画を楽しんでから、ダージリンにむけて出発する。一人の日本人男性と出会い、彼と一緒にダージリンを目指すことにしたためだ、名前はケンさんといった。私はパラゴンでの名残惜しさを隠せず、再び南下しようという思いを強く持った。喧騒と、貧しさと、汚さと、マイナス評価の多いコルカタだが、自分はもっとこの街を知りたいし、求めている。ここ何年かで、唯一自分に戻れた気がした。

つづく

 

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“死にたい”と思っている人はブログを書こう!~マッキャンドレスの言葉~

無職だからというわけじゃなくて、ずっと昔から死にたいと思うことが多かったが、最近はブログが忙しくて気づいたら考えなくなっていた。これは、ただ忙しいからじゃなくてブログの特性からきているのかもしれないと思って記事にしてみる。

 

アウトプットの重要性

ブログを書くことで、アウトプットは圧倒的に増える。

この情報社会の中では、日々の生活で自分の意見を発信するよりも、情報を受け取ることが圧倒的に多くなってしまうものだ。テレビにネット、スマホがあるので、いろんな情報を雨あられのように浴び続けていることになる。

 

インプットとアウトプットのバランスが保つ

ブログを柱に

ブログなどで情報を発信ことによって、自分の影響を、身一つよりも何十倍、何千倍、あるいは無限に広げていくことができる。普通の(無職)生活では、コンビニに行って店員さんに影響を与えたり、受け身の受信機として、テレビなどから情報を受け取るだけなので、自ら発信することが非常に少ないので、どうしてもアウトプットが不足しがちだ。

ブログを書いて、情報を発信することで、インプットアウトプットのバランスが改善していき、心のバランスがとれていくように感じている。

 

ツイッターもやってみる

ブログを集中的にやってちょうどバランスがいいぐらいの感じで、できればいろんな媒体(動画共有サイト、ツイッターなど)を使って、情報を発信するのがいいだろう。有名人とかになれば、勝手に影響力を持ってしまうが、普通の人になると、ネットで情報を発信しているかどうかというのが、幸せを左右する大きなバロメーターであるのではないだろうか。

 

オンラインゲーム人気

最近人気である、オンラインゲームの世界でも、人とつながっている感じが楽しいのかもしれないなと、ゲームをやらない自分でも興味が沸いてきた。オンラインゲームは、参加するだけでかなり多くの影響力を持つことになるからだ。それは例えば、普通に道を散歩するよりも大きなものかもしれない。

このように誰かとつながっていることが楽しいんだという感覚は、ブログをやったことで初めて感じることができた。

 

マッカンドレスの言葉

映画「荒野へ」のモデルとなった冒険家、クリス・マッキャンドレスが最後に残した言葉が

幸福が現実となるのは、誰かと何かを分かち合う時

というものだが、これが正しいことだというのを、今こころから実感している。

 

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インド 旅行記1

なぜ呼ばれたのか その答えを求めて・・・

8.MAY.2010 出国

慣れない搭乗手続きを終え、いよいよその時がくる。

前回苦戦し、カッターなどのいくつかの物品を奪われたセキュリティーチェックも、今日はスムーズに運んだ。人並みの物と、水彩画の道具、余っている全ての精神安定剤を持って、まずはインド最大の都市であるムンバイへと飛ぶ、目指す場所はコルカタである。

大阪の街が見える、再び日本に帰る時が一カ月以上先で、帰ってすぐになにかにとりかかれれば、この旅は成功したといっていいかな、そんなことを基準として考えていた。しばらく日本から逃げられる安堵感と、少しの不安をかかえている。実際に飛び立つ前まではとても不安だった、それが今は開放感の方が強く感じられて、自分のDNAに確かに放浪遺伝子があることを感じた。

高松の街、そして先日登った讃岐富士が見える。丸亀の街も、瀬戸内の線路も、思えばあの上で、空の旅を思ったのだ。日本の地図をぼんやりと描きながら、自分は確かに26年間生きてきたのだ、そんなことを思った。

途中、香港を経由することになっていたらしい、ここまで約3時間、時差も考えてみると10時間もかかるのかと嫌になる。もうあまり日本人はいないようだ。おそらくインド人が3割、中国人が6割といったところか、基本的に席はすいていて、私の隣は空席であるので、私はそれに甘えて荷物を置きっぱなしである。スムーズにパラゴンに着けるか、まずはそこがこの旅の陰陽を占う第一歩であろう。何が起こるかわからない、その時々の環境に適応することである。

 

香港から若者が私の横の席に乗ってきた。

「ハーイ」

と彼、中国人特有の親しみやすさである、とりあえずまともな人で安心した。彼は英語が堪能で、私の幼稚な英語に合わせて会話をしてくれる。話を聞くと、彼は北京の出身でムンバイには仕事へいくのだという。北京からは間に合わず、香港まで出てきたらしい、ムンバイからの目的地はジャイプルだそうだ。

残りのフライトも4時間を残して、機内が暑くなってきた、それにしても関空を出て10時間以上も機内に閉じ込められたままである。これからもう一度降りてムンバイ、そして朝からコルカタ行きの国内線に乗り換えると思うとぞっとする思いだ。暑さと、不安で眠気は全くないので、私は空港で眠ることになるのだろうか。色々読んだりして時間をつぶそうと思う。次回もし、中国以外の国に行くときは、和英辞書が必須だなと感じていた、コンパクトな英和・和英でもいいが、和英は絶対にいる。この思いは毎日のようにぶりかえすことになる。

とうとう一睡もできないまま、14時間以上いもおよぶフライトを終えようとしている、機内食も3回(日本式、チキンカレー、ベジカレー)を数えた。最初にインド式を選ばなくて良かった、香港とデリーではチキンカレーかベジカレーしか選べなかったからだ。

本当に個人旅行はなにがあるか分からない、旅行会社の人に聞いたのだろうが、香港とデリーを経由するなんて気にしていなかったし、実感がなかった。私は、これから降りるムンバイのページを破って日本においてきてしまっていた。少しでも身軽に、軽量化を図るため、南インドと西インドのページをさいて長旅にたえられるように、側面をビニールで固定した。ずいぶんと軽くなり、なかなか良いと我ながら思っていたが、大失敗である。私は国内線乗り継ぎがが大いに不安になった。

とりあえず、無事インドには着いたようだ、あと半日でパラゴン、果たして予定通りいいくのであろうか。私にとっては、唯一の頼れる道しるべである「地球の歩き方」なしにムンバイの空港に着いた。

つづき

 

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BLOGは『人生とは遠い彼方へ向かう道程の、その脇にあるなにか』となれるのか

昔まだ私が24歳ぐらいで、初めて派遣で働いていた時のことである。

食堂で食い逃げして、首になるという信じられない辞め方をした派遣社員がいた。年は30前後、バックパッカーとして50カ国程をまわったTさんといった。彼と話しながら一緒に仕事をして、たいへん大きな影響を受けた。
とりわけ北米インディアンとの交流で出会ったという

「人生とは遠い彼方へ向かう道程の、その脇にあるなにか」

という言葉が強く残っている。この言葉が、今再び強く私の心を突き刺してくる。

私は、ある時お金がすべてだと感じて株の世界に入り、デイトレをやって退場した。

私はデイトレの収支をつけるためにブログを開設していたのだが、才能に限界を感じていた時、たまに寄せられるコメントや、アクセス解析から、ウェブの向こうにいる人の存在を感じれたことで、私は初めて情報を共有する楽しさを知ることができた。

デイトレからきっぱり足を洗えたのも、他に夢中になれるものを見つけられたからというのが大きくて、もしブログをやっていなければ、10記事も書かず辞めていたら、今の自分はないかもしれない。

まだ才能のないデイトレにかじりついて、デイトレ用のパソコンを購入しても減っていく資産にうんざりしていることだろう。何カ月も考え続けていた死にたいという思いも、最近は減ってきた。

私は、遠い彼方へ向かう道程の、その脇にあるなにかを見つけることができたのか。確かなことは分からないが、生活が楽しくなり、なにかが起こっていきそうな気がする。

 

 

 

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