ベトナム(ハノイ)、旅行記のようなもの1

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ベトナム、そのうぃ~なるもの

私は時々、変なラインのやりとりをすることをせまられる。

例えばこんな感じだ

あなた、今何をしている

^-^

はをみがいている

終わったか。

うん、おわった。

いつ二ホンくるの?

こない。

さびしいです。

二ホンだいすきですでもVISAがない。

👆のようなやりとりをラインでしていることが多い。

ライン友達はベトナム人

私とラインをやり取りしてくれる友人はベトナム人の方が多くて3人いる、3人とも女性であるが美人ではない。いわゆるバーなどで働いているプロではなくて、けっこうレアなケースだと思う。

ベトナム旅行で出会ったんだけど、今回はそんな出会いも含めて、ベトナムについての体験などを踏まえながら旅行記のようなものを書いてみたい。

ベトナム、旅行記のようなもの

記憶を掘り起こしてみたい、昨年11月のことである。私はいくつかの目的を果たすためにハノイに飛ぶことを決意する。渡越の最重要目的は、ベトナムの首都であるハノイに行ってベトナムの暮らしぶりを視察してくることであった。物価の安い外国でなんとか生きてはいけないものか、そんなことが可能かどうか、それを見極めるための渡越だった。

10月に辞めたタクシー会社が自己都合とならぬようにと働いた、日野自動車期間工を早々にバックレてしまった私は、自信を喪失しながらもまだ今のように追い詰められた感情はなかった、私の通帳には400万円の自由にできる金が残っていたからだ。

私の心に悲壮感はなかったように思う、バックレていい気分などしなかったけど金が私のすべてを支えていたのだ。今でも当時の記憶をたどると、その時はまっていて今でもよく聴くプリンスの曲が蘇る、これからどこに行こうか、なにをしようか、そんな希望が私の不安よりも大きくあふれていた。

たまたま11月の観光オフシーズンということもあって、3万円強という破格の往復航空券でハノイに発つことになった。

ベトナムへ

出発の日は雨だった、成田までのバスを待っている間にケータイの充電器など忘れてきたものを補充したことを覚えている、その間まだ株式トレーダー志望だった私は、スマホで頻繁に取引を行っていた。

吉祥寺から高速バスで成田空港へ、そして無事に登場してまずはマカオに飛ぶ。

マカオ航空の破格の航空券は、もちろん直通ではなくてマカオで乗り換えをする必要があったが、その乗り換えが曲者で、なんとわずか40分しかなかった。マカオ~ハノイ間の航空機に乗る前ではそのことばかりを心配していたが、空港従業員のドタバタな手を借りながら、なんとか乗り継ぐことができた、本当にギリギリの乗り継ぎである。

ベトナム労働者との出会い

私は隣の席の人に気軽に話しかけるような人間ではないが、アジアではそうもいかなくなることがある。この日も成田~マカオ間で大陸アジア人うぃ~のアバウトな精神が炸裂!私の端席(5列並び)が母娘に奪われそうになったが、

「ノー!!」

という奇声をあげてなんとか死守することができた。悲しい顔をして楽な席と交換してくれという母と幼い娘、きっと悪い人間ではないのだろうが、冷たいやつと思われているのが目つきで分かった。

勘違いされては困る、私は自分の番号通りの席に座ったのだ、しかしそれが通用しないのがまたアジアうぃ~の世界でもあるのだ。

マカオ~ハノイ間の機内では、幸い席を脅かされることはなかったし、私はまたしても通路側の席であったから落ち着いて到着を待つのみであった。

搭乗してすぐの時、私の横に座る人がずいぶん大きな荷物をもって通路で途方に暮れそうな雰囲気を感じた私は、すぐに

「オッケーオッケー」

といいながら巨大なトランクケースを上げてやったのだが、今思えばこのことが後々にまでつながっていく交流のきっかけとなったのかもしれない。

つづき

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