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-ガントク-
ふらふらになりながらシィッキム州、ガントクにたどり着く、運転手も途中でタイヤを交換したり、小さなタクシーで頑張ってくれた。私は心からのお礼を言い、ほぼ流されるままに地元タクシーに乗せられ、100ルピーで”ニューモダンセントラルロッジ”というホテルに行ってもらう。ホテルインしてすぐにウトウトしていると、従業員がきてチェックインしろという、私はそれを済ませ街をブラついてみた。あまり気は乗らなかったが、次の段取りのために観光案内所を訪れた。
全く一人旅に戻ったのだ、これをやりに来たんだ、と自分にいいきかせていたが、下痢と絶食、洗えない体で気分は沈んでいた。次の目的地は、少し下った場所にあるカリンポンというところ。私はなんとかその旨を伝え、どこへ行けだの、ここへ行けだの哀れな異邦人だ、さんざん歩いたが結局、たしかな情報を得ることはできなかった。ダージリンでは最終的にお金で解決してしまったので、今回は何とか予約なり、安心できる情報を集めないといけなかった。
乗りたかったロープウェイがストライキで停止しており、初めて屋外で絵を描く。トイトレインといい、今回の旅は何度もストライキに泣くことになる。なかなか良い絵が描け、インド人からグッドピクチャーと褒められ嬉しかった。ガントクの街は斜面に沿って開けており、町歩きは坂の上り下りが多くなるが、建物に色彩が多く絵の題材も豊富である。
昼に、モモという、小籠包風のチベット料理を食べたレストランがとても美味しく、私は夕食もそこで済ませることにした。入るとなにやら日本語が聞こえる、3人組の男性は日本人らしかった。私は挨拶をしてテーブルに入れてもらうと、皆同じホテルだと分かり、ハニブチさんとう方の部屋になだれこんだ。
皆一人旅で、何ヵ国にもわたって旅をされている方もいた、それだけで委縮してしまう。私にとってインドから国境を越えたり、航空券を買ったりして東南アジアへ行ったりすることは、未知の領域であるのだった。ハニブチさんはたくさんの本とパソコンを持っており、私も「ヘミングウェイ短編集」をいただき、ネットもさせてもらえて本当に助かった。それぞれの異国物語を聞きながら、ガントクの夜は更けていった。
翌朝
SNTバスターミナルへ向かうために目覚ましをセット。しかし、二度寝してしまい予定より遅れて7時半頃ホテルを出ようとするが、鍵が閉まっていてあかない。欧米人達が騒いでいたので、まあすぐあくだろうとホテルのソファで休んでいると、欧米系の女性が
「お散歩行けますよ」
と言ってくれる、おーすごい日本語である。
バス停に着いて、人込みと罵声で圧倒されてしまうが、自分がアクションを起こす以外道はないのだ、かろうじて列になっている場所に並んでみる。昨日、3人から聞いた情報によると、ストライキの影響で僻地にあるカリンポンに行くのは困難らしく、私はダージリンまでの中間地点、ニュージャルパイグリまで戻ることにしていた。
2時間ぐらい並んでようやくチケットが買えた、一度並んだだけで済むと思っていなかったので安堵したが、後に500ルピー騙しとられていたことに気付いた。よく考えたらバスのチケットが600ルピー以上するわけがない、私は要求されるがままに金を追加してしまったのだ。ついでにニュージャルパイグリからコルカタ行きの列車も取りたかったが無理であった、すでに満席らしい。
もう3日もシャワーを浴びていない私は、この日ホットシャワーが出る中級ホテルに移った。インド初のシングルルームである、ホットシャワーも充分にでて、窓からの景色も楽しみ絵を描いた。しかし、その安静も長くは続かない、従業員がいきなり入ってきて、無理やり部屋を2回も移動させられて、何年かぶりにキレてしまった。しかも、最初の高額な部屋の料金をきっちり請求してくる、最悪のホテルである。
翌朝、ニュージャルパイグリまで行き、そこからサイクルリキシャーでニュージャルパイグリ駅へ、なんとか二等自由席を手に入れてコルカタへと戻った。この移動中、私のプレッシャーは頂点に達していた感があり、とても不安だった。
情報もなく、旅行者もいない、とても気をはっていたと思うが、なんとかコルカタに戻れたのは運が良かったとしかいいようがなかった。