また無料ゲームのヴァーレントゥーガにはまってしまって、なんとか抜け出せたけど2日間一記事もかかなかった。
このブログの記事を書かなかったのはブログ開設から初めてのことだった。
それでも記事のストックが複数記事あるので更新には全く困らなかったけど、1日でも休むともう書けないんじゃないかという焦りはある。
雨の日も風の日も半年間1日も休まずに書いているなんて、自分をほめてもいいかもしれないと感じた。
ヴァーレントゥーガは魂の入った恐ろしいゲームだ、シナリオとキャラのデザイン、ゲーム性全てが神ががっており、作者はなんで無料でこんなものを作れたのか、人間の能力とは恐ろしいものだと実感させられる。
またなんとか普通に記事を書いて、体のメンテナンスをしてという生活に戻らないければ、少しづつできることからやっていこう。
私はとうに40歳をこえているはずなんだ。
人との出会いや環境の変化に疲れてしまって、家にいる時でもいつも誰かを思い出したり夢に出てきたり、そしてあの人はいつの誰だったのかよく思い出せない時もある。
混沌人生
人生年表を見ると分かる通り、自分は職を転々としている分だけ緊張感や出会いなどを人より多く経験していると思う。
またニート生活や職業訓練校など、様々な環境の変化にさらされており、最初のドキドキ感というようなものを人より多く感じてしまった。
人生の密度は
最初の1カ月
☟
3カ月
☟
1年
☟
3年
☟
それ以上
という具合にドンドン薄くなっていくと思う、最初の1カ月は3年目の1年よりもはるかに密度が濃いだろう。
自分は頻繁に転退職を繰り返しているので、その分人生が記憶に残りやすくなっているというこが、人生が長く感じる一つではあると思う。
好きでこんな人生になったわけじゃないけど、でも自分で歩いてきたんだから自分が選んだのか?
そもそも嫌なことは長い
そもそも嫌なことってすごく長く感じますよね、工場のラインとかに入っていると、とにかく時間がたたなくて最後には放心状態になって魂が抜けていく感じ、あ~もう嫌だな~、マジで働きたくない。
希望がない
なんの楽しみもなくて、ただ底辺の人間は40歳過ぎたら楽になるということを信じて生きているんですが、40歳までまだ2,500日以上ある。
だから単純に
生きていることが辛い=工場のラインと同じ
なので結局は時間が経つのが遅いんですよね、本当にこれだと思います。
生きがい
40歳過ぎたら何か見つかるのだろうか。
ホンダ浜松期間工で一年過ごした高丘寮の時にいた40歳過ぎの人たち(期間工)は、なにを生きがいにしていたっけかな~
- アル中の人
- カメラマンの人
- バックパッカーの人
- 雀荘に入り浸っていた人
たしかに思い出せる人全員がなにかを楽しみに生活していた。今の自分だったらブログになるのか?
いや、とんでもないわな、こんな面倒でしんどいことなんて働きはじめたら御免だ。