仕事も、株も、ブログも同じことかもしれない。

茶碗を新調したことで、ご飯がめちゃくちゃ美味しい、人生というのは小さなことで変わるものだ。

迷ったりしたときは、衣食住を整えろと本で読んだことがあるが、その通りだなと思った。

  • 良い服を着て

  • 良いものを食べる

そうすれば、たいていの悩みは小さくなるそうだ。

それが難しいんだけどね。

野球選手の打率だって3パーセントぐらいが食っていけるかどうかの分岐点だ、25パーセント打てるか、28パーセント打てるかで変わってくる、だから何事もそれを意識してやっていければ違うと思う。

ブログ運営も、一つの壁を越えてきた気がする。

文芸的な要素が強まってきたために、株部門を一つ無料ブログに独立させた。今後も株については書いていくけど、専門的な内容を扱ったブログにした、迷っている人を集めれそうな気がする。

全く異なるジャンルのブログを書くのは気晴らしになってちょうどいい、1+1=2の労力とはならないようだ。おそらく3つ運営して2つ分の労力かなと思う。

もっとも株ブログは、銘柄が数千もあるから、それをアップしていくだけだ、3つ目のサイト案はまだないけど、おそらくこのメインサイトを更新していれば、そのうち案は出てくるだろう。その時は、HTMLを組んで作りたいと思う。

あと、画像処理の方法を覚えた、ウェブ用に画質を落とすことで、容量オーバーを防ぐことができるので大きい、少しづつ必要なことを取り込んで運営していく。

しかし、無職じゃないとほんとできないわ

一難去ってまた一難

昨日から、ある一つの設定を間違えたことで、ブログのハード面での問題が解決できないでいる。

グーグル先生にイロイロ聞いてみたけど自分ではどうにも解決できそうにない。

アクセスが集まらないことに対する焦りかな、アクセスアップ対策をしている途中で問題をおこしてしまった、もしバイトでも始めたら業者に解決してもらおう。

毎日ブログを書いていると、デザイン面やアクセスアップ、設定などで、一日一個ぐらい、無料ソフトインストールしたり、設定をいじったり、それで一日以上調べるけど結局できなかったり、なかなか記事を書く時間に集中できない日が続いている。

そうなってくると気になってきて、一からドメインからやりなおそうかとか、プログラムを読めるよういならないと、とか考え始めるけど、そおじゃないよな、我慢が必要だと思う。

この辺はタクシーでも、株でも一緒だと思う。

才能があっても、とりあえず一年はやって、記事を積み上げないと何もわからない。あまり完璧主義にならずに、とにかく記事をつみ上げていくことが重要だ。

それでも、書くことには少しづつ慣れてきている。

無理やり記事にするというよりは、パッと湧きあがる書けると思う思考を見つけられるというか、特に創造的なものは、うまくいっているときは出てこないので辛いけど、それもまた大事にしないといけない。

実家にあったガンダム、エルメスのプラモデルを塗装から作ってみた

 

あと細部を塗装すれば完成だ。ゲルググとビットもついているが、色がないのと細かすぎるのであきらめた。

 

 

 

やっぱり、塗装すると発色が違うな~と思う。プラモデルをつくるなんて20年ぶりぐらいかな、塗装したのは初だったが、エメラルドグリーンの光沢が美しい。

道具を揃えて彩色してみて、大人とはすごいな~と感じた。これだけで、立派なオブジェにできるなんて、また実家にある未開封プラモを、持ち帰って作ろう。

福獅子と並べて飾ろうと思う。

なんかすげー色があってる^^

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インド旅行記4

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-ガントク-

ふらふらになりながらシィッキム州、ガントクにたどり着く、運転手も途中でタイヤを交換したり、小さなタクシーで頑張ってくれた。私は心からのお礼を言い、ほぼ流されるままに地元タクシーに乗せられ、100ルピーで”ニューモダンセントラルロッジ”というホテルに行ってもらう。ホテルインしてすぐにウトウトしていると、従業員がきてチェックインしろという、私はそれを済ませ街をブラついてみた。あまり気は乗らなかったが、次の段取りのために観光案内所を訪れた。

全く一人旅に戻ったのだ、これをやりに来たんだ、と自分にいいきかせていたが、下痢と絶食、洗えない体で気分は沈んでいた。次の目的地は、少し下った場所にあるカリンポンというところ。私はなんとかその旨を伝え、どこへ行けだの、ここへ行けだの哀れな異邦人だ、さんざん歩いたが結局、たしかな情報を得ることはできなかった。ダージリンでは最終的にお金で解決してしまったので、今回は何とか予約なり、安心できる情報を集めないといけなかった。

乗りたかったロープウェイがストライキで停止しており、初めて屋外で絵を描く。トイトレインといい、今回の旅は何度もストライキに泣くことになる。なかなか良い絵が描け、インド人からグッドピクチャーと褒められ嬉しかった。ガントクの街は斜面に沿って開けており、町歩きは坂の上り下りが多くなるが、建物に色彩が多く絵の題材も豊富である。
昼に、モモという、小籠包風のチベット料理を食べたレストランがとても美味しく、私は夕食もそこで済ませることにした。入るとなにやら日本語が聞こえる、3人組の男性は日本人らしかった。私は挨拶をしてテーブルに入れてもらうと、皆同じホテルだと分かり、ハニブチさんとう方の部屋になだれこんだ。

皆一人旅で、何ヵ国にもわたって旅をされている方もいた、それだけで委縮してしまう。私にとってインドから国境を越えたり、航空券を買ったりして東南アジアへ行ったりすることは、未知の領域であるのだった。ハニブチさんはたくさんの本とパソコンを持っており、私も「ヘミングウェイ短編集」をいただき、ネットもさせてもらえて本当に助かった。それぞれの異国物語を聞きながら、ガントクの夜は更けていった。

 

翌朝

SNTバスターミナルへ向かうために目覚ましをセット。しかし、二度寝してしまい予定より遅れて7時半頃ホテルを出ようとするが、鍵が閉まっていてあかない。欧米人達が騒いでいたので、まあすぐあくだろうとホテルのソファで休んでいると、欧米系の女性が

「お散歩行けますよ」

と言ってくれる、おーすごい日本語である。

バス停に着いて、人込みと罵声で圧倒されてしまうが、自分がアクションを起こす以外道はないのだ、かろうじて列になっている場所に並んでみる。昨日、3人から聞いた情報によると、ストライキの影響で僻地にあるカリンポンに行くのは困難らしく、私はダージリンまでの中間地点、ニュージャルパイグリまで戻ることにしていた。

2時間ぐらい並んでようやくチケットが買えた、一度並んだだけで済むと思っていなかったので安堵したが、後に500ルピー騙しとられていたことに気付いた。よく考えたらバスのチケットが600ルピー以上するわけがない、私は要求されるがままに金を追加してしまったのだ。ついでにニュージャルパイグリからコルカタ行きの列車も取りたかったが無理であった、すでに満席らしい。

もう3日もシャワーを浴びていない私は、この日ホットシャワーが出る中級ホテルに移った。インド初のシングルルームである、ホットシャワーも充分にでて、窓からの景色も楽しみ絵を描いた。しかし、その安静も長くは続かない、従業員がいきなり入ってきて、無理やり部屋を2回も移動させられて、何年かぶりにキレてしまった。しかも、最初の高額な部屋の料金をきっちり請求してくる、最悪のホテルである。

翌朝、ニュージャルパイグリまで行き、そこからサイクルリキシャーでニュージャルパイグリ駅へ、なんとか二等自由席を手に入れてコルカタへと戻った。この移動中、私のプレッシャーは頂点に達していた感があり、とても不安だった。

情報もなく、旅行者もいない、とても気をはっていたと思うが、なんとかコルカタに戻れたのは運が良かったとしかいいようがなかった。

つづき

 

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居心地がいい場所に”とどまる力”を意識する

先日から、インド旅行記をノートから写して掲載している。

まさか、この文章を公開する日が来るとは、思ってもみなかった。しかし、自分自身の記録として丁寧に記してノートにまでまとめたものだから、ただ写真を掲載するだけでパワーコンテンツとして機能しそうだ。

ノートは捨てていないとしても、使い捨てカメラで撮った写真までが残っていたのがありがたかった。写真を現像するとき、カメラ屋さんが、そういうサービスだったのだろう、CD-Rにデータを写して渡してくれていたのだ。写真があるので今まで一度も見ることはなかったけど、いまになると感謝感激である。データサイズは小さいけど、写真には使い捨てカメラで撮った味が感じられる。
 

 さて今回、旅行記を写していく中で、今後のヒントになりそうな気付きがあったので記しておきたい。

私は、なにか物事を進めていくときに、例えばそれが旅であるならば、事前にリサーチして頭の中で計画していることがほとんどである。それは自然なことで、多くの人が行き当たりばったりにたびなどしないだろう、しかし、私の場合は必要以上にそのことにこだわりがあるように感じた。

例えば、2010年のインド旅行でも、別に時間は無限にあったわけなので、あとはお金だけの問題を考えれば良いはずなのに、どこか自分の計画を第一に優先していいる気がした。

”自分のやりたいこと”を優先せずに、第一に計画通りにいっているのかという、事前の計画を優先している。だから、今後はそれを意識していくだけで、人生がより良い方向、自分が望む方向にいきやすくなるんじゃないかなと思う。

 1事前の計画

 1やりたいこと
 2お金や時間  2お金や時間
 3やりたいこと 3 事前の計画

優先順位を、こんな感じで変えていくことを意識するだけで、ずいぶんちがってくるのではないか。自分が真面目過ぎたといえばそれまでで、それが自分らしさであるともいえるんだけど、こういう意識を持つだけでも大きなことだ。

ネットで拾った言葉に、

 

悩まない

やりたいと思ったら

出来るかできないか

考えずにやる

そんでやると大抵できる

 

っていう興味深い言葉があったけど、

自分もまずは、やりたいと思ったら、どんどん予定や計画を変更していくということを、まずは意識してみようと思う。

 

 

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インド旅行記3

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-ダージリン-

同じくダージリンを目指すスイス人の女性と3人で、コルカタ、シアルダー駅へタクシーで向かう。そこから三段寝台列車でニュージャルパイグリ駅へ、すぐに客引きが現れて、ぎゅうぎゅうのジープに詰めこまれた。くねくねの山道を3時間、座った席も悪く、酔ってはきそうになる。降ろしてくださいと何度も言いかけたが、なんとかダージリンに到着した。

この街には、ヨーロッパ、イギリスの香りが漂っていた。私が住んでいるアパートの村田さんのおすすめホテル・プレステージへ、すぐに見つけることができた。話通り、岡山出身の日本人の奥さんと日本人による旅ノートが迎えてくれた、村田さんの知り合いということでたいへん驚かれ、喜んでもらえた。

シィッキム州の情報なども、快く教えてくれて助かった、部屋はケンさんとシェアすることにして、一泊350ルピーを2人で払う、停電とホットシャワーがでないが仕方ないところだ。この日のうちに、シィッキム州へいくためのビザを取得して、翌朝には早起きしてタイガーヒルに向かった。

あれほど見たかったカンチェンジュンガ(8586m)であったが、残念ながら季節のせいもあって、中央線からみた北岳にはとてもかなわないと感じてしまい、期待が大きかっただけに残念であった。

 

ダージリンの街並みは、良い感じの時計台を中心に、街全体が南北に広がっている。中央に近い広場には休日でもないのに、避暑に訪れた人々がベンチに座り語らっている。犬や馬も、暑さ極まるコルカタとは違い、のんびりとして見える、チャイは気温も手伝ってさすがに美味しかった。ただ、若干ミルクコーヒーばかり朝から3杯も飲んでしまった日があって、自分が相当なコーヒー好きということが判明した。

標高が高い(2134m)だけあって、昼でもそこまで暑さは感じない、でも基本的には電力不足のようで、夜はローソク暮らしとなる。私の100均電灯は、早くも故障して使いものにならなかった。暗闇はローソクで対処できたが、ホットシャワーが出ないのは致命的で、初日から風邪気味になってしまった。そして、とうとう下痢になってしまい、やはり少し滞在してから下痢になるというのは本当のことであったようである、腹痛はないものの、1時間おきにおしりからシャワーが噴出した。

一緒にコルカタから行動を共にしていたケンさんは、ダージリンでなにやら思い直して自分もシィッキムに行くと言い出したので、2人でガントクを目指すことになったが、その日のビザ申請が上手くいかず、迷いもあるようだった。そんな中、ネパールインする日本人女性と出会ったらしく、私は改めて一人でガントクを目指すことになった。

下痢の中、このたび1枚目の絵をホテルの窓から描く。ようやく一仕事終えた気もしてほっとしたが、明日は一人でシィッキムを目指さなくてはならず、頭痛や熱も出てきて大いに不安である。

 

あくる日、ダージリンにとどまり休もうとするが、ケンさんと記念写真を撮っていたりしたら下痢が4時間くらいは持ちそうに感じて、出発を決意した。ケンさん、ホテルのオーナーにあいさつを終えて、9時ごろに乗り合いジープ乗り場へ着くと、右も左も分からずにたちつくした。私の英語も聞いてもらえず、とにかくジープにはもう乗れないらしかった。タクシーのおじさんが

「2200ルピー」

と声をかけてくる。私は1日でもはやく出て先へ進みたかったので、体調不良の中ジープに耐える体力もなさそうだし、約15倍もするタクシーに乗ることに決めた。only youといった運転手だったが、少し待てといってすぐにインド人女性が乗ってきた、私はすでにお金を払っており、このまま置き去りにされるかと思っていたので、安堵感からなにも言えなかった。その女性はインド入りしてみた中で最も美しく、私は改めてインド人女性の美しさに魅せられた。ダージリン行きの時よりは広々しているが、ほとんど絶食状態が続いていた私の体には、5時間の悪路はハード過ぎた。

今回の旅は山々を廻ることになったが、もう私は電車以外の長距離移動は無理そうなので、今回の旅で最後にしようと何度も思っていた。私は、コルカタへの思いが益々大きくなっていくのを感じていた。

つづく

 

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インド旅行記2

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-空港-

飛行機を降りた瞬間、私はインド一人旅の厳しさを思い知ることになる、なにも頼るものがないのだ。自分でやるしかないんだな、どんなに苦しくてもすべて一人で責任を負わないといけない。この現実は、はっきりいってインドの地を踏むまで見えていなかった。日本に帰りたい、今すぐに帰りたい、私は素直に、実に反射的にそう思ってしまう。上空からデリーやムンバイの夜景を眺めた時とはえらい違いだ。手始めに出国カードの提出で、私はインドの洗礼をうける、

「なんだこれは」

と検査官、私が緊張から出国カードを握りしめていたので、しわくちゃになってしまっていたからだ。日本では問題ないレベルでつっぱねられて面食らった。新しい紙に書いてこいと怒鳴られ、ひきかえしている私を見て、3人ぐらいでゲラゲラ笑っている。私は負けまいと違うゲートの検査官にアタックしてゲートを通った。

空港の中が右も左も分からない、職員は誰か、みんなインド人なのか。混乱していたが、次の乗り換えは6時、あせらなくても良いはずだが、足が自然と小走りになる。いつの間にか、北京の青年とも離れてしまっていた。とりあえず人に聞きまくり、途中「ラゲッジ」の意味が分からずに、大丈夫かと心配されたり、教えたから金よこせといわれたり、カルチャーショックも受けながら、とりあえず、コルカタ行の便に乗るメドがたったので待つことにした。

 

-コルカタ-

長い空の旅を終え、コルカタに入り、私はメトロのダムダム駅で地下鉄を待っている。

なんと日曜日は14時からしか動かないそうで、ふざけてるとしかいいようがない、公共交通じゃないのか。
私はバスでこの街を走った瞬間、すぐにこの国が大っ嫌いになった、とにかく混沌としすぎている。カルチャーショックが大き過ぎて、頭の中をグルグルしている。なんて無謀な旅に出ようというのだろう、この国の人々の人間力は、日本人とは比較できないほどに強い。そして、今まで見てきた人間とは全く違う、異質な人達が街を創っている。平気で道の中央で眠る人、けたたましい声、堂々と歩いているイノシシ。私は、一、二週間でリタイヤしてしまわないよう、なんとか体を休めながらでも歩を進めようと思う、とにかくダージリンとバラーナスへは行かなければならない。
ダムダム駅で2時間つぶせるほどの自信がない私は、なんとか歩いてホテルパラゴンがあるサダルストリートまで歩けないものかと考え、分かりやすそうな川沿いに出ようと移動を開始した。しかし、暑さと疲れから気持ちがぶれるし、うまく方向もつかめないまま南へ行ったり西へ行ったり、歩き回っただけでいっこうに着きそうにない。確保されていた地下鉄ダムダム駅までの道のりも、完全に見失ってしっまった。私は自分の無鉄砲さにあきれ、現在地すら分からない自分の現状を憂いだ。

暑さに完全にやられ、大通りでタクシーを拾う覚悟を決め、警官風の男性に道を聞く、

「座っていろ、私にまかせておけ」

そう言うと住民と相談しながらバスを止めて。バスカーストの男に、降ろす場所と指定してくれた。私は合計17ルピーで空港からサダルストリート、そしてパラゴンに到着したのである。

 

一日でパラゴンの中でたくさんの出会いがあり、10人ぐらいの旅行者と会話を楽しんだ。スイス人、ドイツ人、もちろん日本人にも会うことができて、日本人4人で食事にも出かけた。寝る前、歯を磨くとき、自分の顔があまりにも違うのに驚いた。3割ぐらいインド人化している、こけているのだ。私はここ50時間、特にインドのムンバイ空港からパラゴンを目指した苦労から、人生で最も苦労した一日であったかもしれないなと改めて思うのであった。経験したことのないような暑さで、生命の危機を感じた。

 

最初は辛いであろうと想像した、パラゴンドミトリー生活であったが、一晩明けるとすっかり適応し、まだまだコルカタにいたいかもしれない、そんなことまで考えている自分がいる。自分が精神的に健常でないということが大きいのであるが、私にとってドミトリーに泊まることが一つの挑戦である。しかし、コルカタの暑さと喧騒は、私の思考を奪い、なにも考えられなくしてくれるような気がしている。おそらく前回の中国旅行のように、異国に来てしまえば、私の精神疾患も軽度になることが分かってきた。

友人の言う通り、パラゴンは最高のホテルである、ドミトリーに自分が最高の気分で泊まれるというのは、日本では考えられないことだ。また、魚好きの私としては、よく手入れされた大きな水槽があるのも、とてえも魅力的だ。皆、出会いや、従業員の態度が悪いことにしか触れないが、私にはホテルパラゴンが確かに伝説の宿として記憶された。

パラゴンに二泊して次の日の晩、チェックアウトをして映画を楽しんでから、ダージリンにむけて出発する。一人の日本人男性と出会い、彼と一緒にダージリンを目指すことにしたためだ、名前はケンさんといった。私はパラゴンでの名残惜しさを隠せず、再び南下しようという思いを強く持った。喧騒と、貧しさと、汚さと、マイナス評価の多いコルカタだが、自分はもっとこの街を知りたいし、求めている。ここ何年かで、唯一自分に戻れた気がした。

つづく

 

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“死にたい”と思っている人はブログを書こう!~マッキャンドレスの言葉~

無職だからというわけじゃなくて、ずっと昔から死にたいと思うことが多かったが、最近はブログが忙しくて気づいたら考えなくなっていた。これは、ただ忙しいからじゃなくてブログの特性からきているのかもしれないと思って記事にしてみる。

 

アウトプットの重要性

ブログを書くことで、アウトプットは圧倒的に増える。

この情報社会の中では、日々の生活で自分の意見を発信するよりも、情報を受け取ることが圧倒的に多くなってしまうものだ。テレビにネット、スマホがあるので、いろんな情報を雨あられのように浴び続けていることになる。

 

インプットとアウトプットのバランスが保つ

ブログを柱に

ブログなどで情報を発信ことによって、自分の影響を、身一つよりも何十倍、何千倍、あるいは無限に広げていくことができる。普通の(無職)生活では、コンビニに行って店員さんに影響を与えたり、受け身の受信機として、テレビなどから情報を受け取るだけなので、自ら発信することが非常に少ないので、どうしてもアウトプットが不足しがちだ。

ブログを書いて、情報を発信することで、インプットアウトプットのバランスが改善していき、心のバランスがとれていくように感じている。

 

ツイッターもやってみる

ブログを集中的にやってちょうどバランスがいいぐらいの感じで、できればいろんな媒体(動画共有サイト、ツイッターなど)を使って、情報を発信するのがいいだろう。有名人とかになれば、勝手に影響力を持ってしまうが、普通の人になると、ネットで情報を発信しているかどうかというのが、幸せを左右する大きなバロメーターであるのではないだろうか。

 

オンラインゲーム人気

最近人気である、オンラインゲームの世界でも、人とつながっている感じが楽しいのかもしれないなと、ゲームをやらない自分でも興味が沸いてきた。オンラインゲームは、参加するだけでかなり多くの影響力を持つことになるからだ。それは例えば、普通に道を散歩するよりも大きなものかもしれない。

このように誰かとつながっていることが楽しいんだという感覚は、ブログをやったことで初めて感じることができた。

 

マッカンドレスの言葉

映画「荒野へ」のモデルとなった冒険家、クリス・マッキャンドレスが最後に残した言葉が

幸福が現実となるのは、誰かと何かを分かち合う時

というものだが、これが正しいことだというのを、今こころから実感している。

 

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インド 旅行記1

なぜ呼ばれたのか その答えを求めて・・・

8.MAY.2010 出国

慣れない搭乗手続きを終え、いよいよその時がくる。

前回苦戦し、カッターなどのいくつかの物品を奪われたセキュリティーチェックも、今日はスムーズに運んだ。人並みの物と、水彩画の道具、余っている全ての精神安定剤を持って、まずはインド最大の都市であるムンバイへと飛ぶ、目指す場所はコルカタである。

大阪の街が見える、再び日本に帰る時が一カ月以上先で、帰ってすぐになにかにとりかかれれば、この旅は成功したといっていいかな、そんなことを基準として考えていた。しばらく日本から逃げられる安堵感と、少しの不安をかかえている。実際に飛び立つ前まではとても不安だった、それが今は開放感の方が強く感じられて、自分のDNAに確かに放浪遺伝子があることを感じた。

高松の街、そして先日登った讃岐富士が見える。丸亀の街も、瀬戸内の線路も、思えばあの上で、空の旅を思ったのだ。日本の地図をぼんやりと描きながら、自分は確かに26年間生きてきたのだ、そんなことを思った。

途中、香港を経由することになっていたらしい、ここまで約3時間、時差も考えてみると10時間もかかるのかと嫌になる。もうあまり日本人はいないようだ。おそらくインド人が3割、中国人が6割といったところか、基本的に席はすいていて、私の隣は空席であるので、私はそれに甘えて荷物を置きっぱなしである。スムーズにパラゴンに着けるか、まずはそこがこの旅の陰陽を占う第一歩であろう。何が起こるかわからない、その時々の環境に適応することである。

 

香港から若者が私の横の席に乗ってきた。

「ハーイ」

と彼、中国人特有の親しみやすさである、とりあえずまともな人で安心した。彼は英語が堪能で、私の幼稚な英語に合わせて会話をしてくれる。話を聞くと、彼は北京の出身でムンバイには仕事へいくのだという。北京からは間に合わず、香港まで出てきたらしい、ムンバイからの目的地はジャイプルだそうだ。

残りのフライトも4時間を残して、機内が暑くなってきた、それにしても関空を出て10時間以上も機内に閉じ込められたままである。これからもう一度降りてムンバイ、そして朝からコルカタ行きの国内線に乗り換えると思うとぞっとする思いだ。暑さと、不安で眠気は全くないので、私は空港で眠ることになるのだろうか。色々読んだりして時間をつぶそうと思う。次回もし、中国以外の国に行くときは、和英辞書が必須だなと感じていた、コンパクトな英和・和英でもいいが、和英は絶対にいる。この思いは毎日のようにぶりかえすことになる。

とうとう一睡もできないまま、14時間以上いもおよぶフライトを終えようとしている、機内食も3回(日本式、チキンカレー、ベジカレー)を数えた。最初にインド式を選ばなくて良かった、香港とデリーではチキンカレーかベジカレーしか選べなかったからだ。

本当に個人旅行はなにがあるか分からない、旅行会社の人に聞いたのだろうが、香港とデリーを経由するなんて気にしていなかったし、実感がなかった。私は、これから降りるムンバイのページを破って日本においてきてしまっていた。少しでも身軽に、軽量化を図るため、南インドと西インドのページをさいて長旅にたえられるように、側面をビニールで固定した。ずいぶんと軽くなり、なかなか良いと我ながら思っていたが、大失敗である。私は国内線乗り継ぎがが大いに不安になった。

とりあえず、無事インドには着いたようだ、あと半日でパラゴン、果たして予定通りいいくのであろうか。私にとっては、唯一の頼れる道しるべである「地球の歩き方」なしにムンバイの空港に着いた。

つづき

 

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BLOGは『人生とは遠い彼方へ向かう道程の、その脇にあるなにか』となれるのか

昔まだ私が24歳ぐらいで、初めて派遣で働いていた時のことである。

食堂で食い逃げして、首になるという信じられない辞め方をした派遣社員がいた。年は30前後、バックパッカーとして50カ国程をまわったTさんといった。彼と話しながら一緒に仕事をして、たいへん大きな影響を受けた。
とりわけ北米インディアンとの交流で出会ったという

「人生とは遠い彼方へ向かう道程の、その脇にあるなにか」

という言葉が強く残っている。この言葉が、今再び強く私の心を突き刺してくる。

私は、ある時お金がすべてだと感じて株の世界に入り、デイトレをやって退場した。

私はデイトレの収支をつけるためにブログを開設していたのだが、才能に限界を感じていた時、たまに寄せられるコメントや、アクセス解析から、ウェブの向こうにいる人の存在を感じれたことで、私は初めて情報を共有する楽しさを知ることができた。

デイトレからきっぱり足を洗えたのも、他に夢中になれるものを見つけられたからというのが大きくて、もしブログをやっていなければ、10記事も書かず辞めていたら、今の自分はないかもしれない。

まだ才能のないデイトレにかじりついて、デイトレ用のパソコンを購入しても減っていく資産にうんざりしていることだろう。何カ月も考え続けていた死にたいという思いも、最近は減ってきた。

私は、遠い彼方へ向かう道程の、その脇にあるなにかを見つけることができたのか。確かなことは分からないが、生活が楽しくなり、なにかが起こっていきそうな気がする。

 

 

 

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現代文だけはいつも一番だった《取次師》~序章~

私は学校の成績があまり良くなかった。

そのせいで、小学校の通知表を破った。

そのせいで、今もセロハンテープでとめられている。

そのせいで、公立高校にも落ちた。

そのせいで、何回英検3級を受けても結局とれなかった、4級どまりだった。漢検も4級までだった。

英語も数学も、化学も古典もすべてできなかった、漢字も苦手だった。でも現代文だけは、小学生のころいつも満点だった。テキトーに書いた作文が次々賞に選ばれた。中学2年の弁論大会でも、私の書いた文章が選ばれて、私は代表になった。

高校の実力テストでも、ほとんど9割は正解だった。他の、教科は目もあてられない状況で、古典や漢文もいつも0点だったけど、国語の偏差値は良かった。

私の頭の中には、いつも電話取次師のような人が住んでいて、いつも魅力的なフレーズを提供してくれた。この能力は、文章を書くのに役だった。成績優秀者でも思いつかない言葉を提供し、さらにそれを二段階に熟成してみせた。

皆、私の文章をみて、驚き、まごつき、そして放り投げた。

高校三年のときもそうだった。私が大学向けに書いた自己推薦文を国語の先生にみてもらわないといけなかった。

文章を読んだ先生は

「俺には難しくて、これがいいのか悪いのか分からない。」

そんなことを言った。

「あ~なんか凄いんだけど、う~ん、これは、、ごにょごにょ、、。」

とかなんとかいって放り投げた。

私は、それを見て、やってやがったと思った。

とにかくそう思った。

自分の力をみて、気恥ずかしい思いになった。

 

電話取次師は、私に言った。

「次は何を取り次ぎますか?」

私は答える

「普通の人が分からないように、でもわかるように」

取次師は言った

「それじゃああなたにも分からない、あなただって普通の人だ。身のほどをわきまえなきゃいけませんよ、あんた」

私は答える

「そう、私だって分からない、でもそれでいいんだよ。私には分からなくても君がいるじゃないか」

取次師はいう

「そういうことならいくらでも取り次ぎますけど」

「ただし、条件があります」

 

「なんだい?君は空想の中だ。なんでも好きにできるよ」

取次師

「ひどく寝てないんですよ、だから少し眠らせてください。あなたのような人が、いつも私を呼ぶんです。おいっおいっと呼ぶんですよ」

「それならたやすいことだ、ゆっくり休むといい。ところでどのくらい寝てないんだ君は?」

取次師は言った。

「はい、昭和からずっとです。」

つづき

前回

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