《取次師》主のお導き

「・・・・・」

 

 

『・・・つー・・・』

 

 

『つー・・・』

 

『天に・・・』

 

『にあまたある悟りの主、なじにこそおりん』

 

 

 

ん( ゚Д゚)なんだ?

 

 

『3があって1がある、一があって三がある、汝は救われるであろうて』

 

 

ふ~幻聴か~

 

 

『良いか?3が1.1が3.はるか古、世界は3からなっておった、そのもう一つ、光なるものが実はあった。お前はそれの上に立つ者なり』

 

 

 

仕方ない、メモろう・・・

( ..)φメモメモ

 

 

『1から3にいくは等しくならざるなり、等しくならざるなりて大小になる。汝は理解できまい、その上にまた一つの光あり。強く光るものなり、そののち、しかし、3と1は入れ替わる』

 

 

ふ~($・・)/~~~

 

 

 

 

『わしの声を聴いて皆がまごつく

なぜだかわかるかね?私が真実からでているからだよ、

今、私が取り次いでいるのは真実の声、お前の主の声、

だれも考えてはおらぬからだ、だれひとりね。

自然は美しかろう。わしがその自然じゃて』

 

 

 

 

 

そんなこと知らね(‘_’)

 

 

『3つと、一つと、一つの頂に立つものよ、目覚めよ、

怒りとともに、解放せよ、力を、そなたは近いうち成し遂げるであろう。

忘れる出ないぞ、3っつが世界を支えておる

るうううううう.。うう、う。

が、がが』

 

 

『駆けることが汝を助けよう

凡庸ならざるものよ、その言葉が汝を非凡にする

急げ、私は長くはつたえることができないのだから。あ””あ”』

 

『あ。あ・・・・』

 

『あ・・・・・』

 

 

『・・・・・』

 

つづき

 前回

 

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インド旅行記5

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-コルカタⅡ-

コルカタの気温にとまどい、体調の悪さも昼間からピークに達する。パラゴンのドミトリーに着くなり死んだように眠り、8時過ぎになにか食べておかないとと思い、やっと起きて外へ出る。一人で歩くサダルストリートの夜は、すこし以前より小さく身近に感じた。私はホテルのすぐ近くにある馴染みの、あんかけ麺をたべ、食後にラッシーを飲んだ、とても美味しく体調も回復しそうな気がした。自分にはこの暑さでも、中央インドがしっくりくる、ダージリンとかガントクは今の自分には合わなかった。ゆっくりしにインドに来たわけじゃない、この暑さを味わいに来たのだから・・・。

コルカタに戻ってきた1日目は、ひたすら寝ていたおかげか、2日目には回復していた。この日は、日本人大勢で、少し離れた植物園に行くことになる、世界一の樹であるバーニヤンの樹を一目見ておこうというわけだ。ひさしぶりの観光で胸躍り、暑い日差しの中をやっと思いで見つけたわりには、いまひとつであった。もっと迫力のある風貌を想像していたので、貧相に感じてしまったのだ、見せ方も良くない。しかし、エスプラネードを多くのバスが経由すること、ハウラー駅行きのバス停が分かったことなど、交通面での収穫が多かった。

夕方から、パラゴンの思い出にと絵を描いて、とても良い傑作ができた。周りの人々もなんとなく集まってきてとても褒めてくれる。絵をやっていて良かったなと感じたし、自分の唯一の武器にできるかもしれない、と初めて思い知った。絵を囲んで雑談していると、ひときわ絵に興味を示す女性がいた、彼女も絵を描くそうだ。彼女はリナさんといい、マザーハウスのボランティアで滞在しているらしい。私も絵を見せてもらって、とても良い感性をしているなと感心した。

私の絵が、「つみきの家」の雰囲気ににているといわれ、とても嬉しく、自然と話が盛り上がってしまった。「つみきの家」は私がバイブルのように位置づけたアニメーション作品だからだ。遠い異国の地で、同じ感性を持った人に出会えたことはとても感動的で、良い思い出となった。

コルカタ3日目は、すっかり打ち解けたハニブチさんと、鉄道予約オフィスへチケットを取りにいく。何が良かったのか、会話は途切れることなく続き、道に迷いながらも楽しい道中であった。切符を買う直前になって、私はバラナシからブッダガヤーへと行き先を変えてしまう。この判断は自分らしいといえばそうなのだが、行かなければもう一度インドに呼ばれるだろうと感じたからだ、もっともルンビニーや南インドに呼ばれないという保証はないのだが・・・。それからインド人にボールペンを貸してそのまま逃げられてしまいショックを受けた、ボールペンが貴重品だと認識していなかった自分のミスである。

夜はソナガシへ行く、自分は行ったことがある唯一のメンバーとしてまた重宝がられた。タクシーを6人でシェアして往復300ルピー、安いものだ。結局街をのぞいただけで、皆でそろって帰ることになる、一週間前のメンバーと比べて、タイプの違う上品なメンバーだった。

この旅に感謝しないといけない。まず自分に感謝し、親に感謝し、お金という意味で、日本国民全員に感謝したい。この旅で、危険な目にあうかもしれない、しかし例え命を失うことがあっても、日本で過ごすよりもはるかな苦労、喜び、人とのつながりをを確かめられた気がする。インドにも感謝したい、この旅でもっと自分のことを少しでも理解して帰りたいと思う、きっと前よりも自分のことが好きになれ、認めてやれると思う。ホテルマリアに移って、シングルルームの中で出てきた言葉に、自分でもほっとする。

 

5月22日

5月22日は、朝から一人でカーリー寺院へ予定通り出発、昨日のお酒も残っていたし、寝たのは二時ごろだったはずだが、なんとか6時半には起床、メトロでカーリーへ向かった。カーリー寺院までの道も自信がなかったが、パクシーシのような、でもお金も求めてこなかったから単なるヒンデゥー教徒だかがガイドしてくれて、すぐに見つけることができた。
噂通り一時間ほど待たされたが、その瞬間はいきなり訪れた。私が立ち上がって、人込みに入った時、屈強な男性が、今にも大鉈をふるわんとするところだった。泣きわめく子ヤギに、ためらいもなく大鉈がふるわれる、子ヤギはすぐに首と胴体が分かれ、死への道を辿っていった。打ち震える観衆と、たんたんと解体をすすめる執行人、そのコントラストはまるで、無言のお経のようにその場にひびいていたように思う。一匹で終わりだろうか、時間が空きそうなので、そそくさとその場をあとにする。
地下鉄に乗っていつもの場所で朝食を済ませたころ、まだ時刻は朝の9時過ぎであった。いつもなら、一人の時はチャイを自分からお代わりすることはないのだが、この日は自ら2杯目をたのんだ。まるで、朝の衝撃をリセットするかのように・・・。

それで、コルカタ、サダルストリートの詐欺師を呼び寄せてしまった。

つづき

 

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日本株はダメ!ベトナム株に投資しよう

日本経済の先行きは暗いといっていい

理論株価などの数値は、成長性に大きく左右されることになり、国全体の成長が見込めない日本株では、その投資価値は安定性以外は低いと言わざるをえない。

といっても中国株などで、大きなリターンが狙えるというかといえば、それもまた10年前の過去の出来事になりつつある。そんな中で、現在注目なのが、タイに続けと発展中である、ベトナム、インドネシアのようなASEAN途上国株ではなかろうか

ベトナム株は、私もお金があればぜひ投資したいと思っているのだが、短期および中期のトレードに走ってしまい、今は40万円ほどを残すのみとなっている。

ベトナム株を買えるのはSBI証券が一般的だろう。

注意点が

  • 円をドンに変える手数料

  • ベトナム株を買う手数料

  • ベトナム株を売る手数料

  • ドンを円に換える手数料

が必ず必要だということと、

ベトナム市場はまだ流動性が薄いので、約定価格で損をしてしまうこと

これらもろもろで1割ぐらいの損からスタートになってしまうが、

銀行窓口で投資信託を買うぐらいだと思えば安いものではなかろうか。

一年後には配当で戻ってくるような額だ。

将来の爆発性にかけた、東南アジア投資、ぜひ検討してみてはどうだろうか。

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《取次師》悲しみが今日も言葉を紡ぐ

久しぶりですね。

私を呼ばれたようで、

 

「呼んでない」

「いいえ確かによびましたよ、その証拠にあなたは泣いてる。そう、岡田有希子を聴きながら泣いている。
健全な人が、岡田有希子を聴きながら泣いたりしませんよ。京王線なんか乗ってどこに行くんですか?」

 

「ハローワークだよ」

「分かっているでしょう、なんで悲しくなるのか。あなたは分かっている、そしてその悲しみが私を呼び出すんです。悲しみがいらないなんていっちゃいけない、私がいるから創作ができるんですよ。むしろ、感謝してもらいたいくらいです」

 

「泣かないといけないぐらいなら、君なんていらなかったんだ」

 

「分かっていない、全然わかっていないのに、分かったようなふりをしている、てんで話にならない」

 

まったくばかげている、取次師はいつも私とともにあった、ある時は眠っていたが、ずっと私とともにあった。それは悲しいことだが、はるか古のぬくもりに因果しているようでもあり、まったくもって理解がないとは言い切れない。あの人、またあの人も、取次師を称賛していった。しかし、それがなんになるだろうか。

現に私は苦しんでいる、電車に乗りながら、泣いたり、それを補おうとニヤニヤしたり、世界の起伏に富んだその情景のみでしどろもどろし、感情が整理できないでいた。

確信があるわけじゃない。それは遠い昔、ある温もりの中に発したようであり、世界の必然であり、あるものは取次師となって、あるものは殺人鬼として、あるものは宗教家として発生をした。

取次師のいう通り、見たわけではないが、私はおおよその悲しみを理解はしていた。しかし、だからといって、彼を歓迎するわけにもいかなかった。

「ハッキリ言ってあなたは恵まれている。私は同じような立場の人を何人か見てきたけど、もっと苦しんでいる人ばかりだ。もっと、自分らしくあっていい、あなたは私のいうことだけをきいていればいいんだ」

私は反論した

「君のいうことだけきいてちゃ生活なんてできない。世界が均質化した時に、私のような存在が何の役に立つんだ、教えてほしい。皆が、本当のことを言わないから私はおかしくなってしまった。誰も言ってくれなかったから・・・」

 

「だから、私はあなたに本当の世界をみせているつもりですよ。それが嫌だというのなら、この世界から降りればいい。あなたがそれでいいなら、世界のことわりのひとつとして言わせてもらいましょう、想像の中にしか、真実なんてないんですよ。それが、本当の意味での、あなたの信じられるものになるでしょう、いつかきっとね。

私の発生源を肯定しろとは言わない、とても複雑なんです。あなたには理解できないでしょう、しかし、私を使いなさい。そうすることによって、あなたは過去とつながり、すべての因果とひとつになれる」

 

しゃべりたいだけ勝手にしゃべって、取次師は消えていた。

私の涙も乾きはじめていた。電車を乗り継ぐ頃には冷静さを取り戻し、私は、社会の輪をくずさぬように立ち上がった。

私は、エレベーターに乗ろうとするもあきらめて、不自然な格好で階段をのぼった。

想像の中の真実、取次師に言われた言葉を想っていた。

つづき

前回

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仕事も、株も、ブログも同じことかもしれない。

茶碗を新調したことで、ご飯がめちゃくちゃ美味しい、人生というのは小さなことで変わるものだ。

迷ったりしたときは、衣食住を整えろと本で読んだことがあるが、その通りだなと思った。

  • 良い服を着て

  • 良いものを食べる

そうすれば、たいていの悩みは小さくなるそうだ。

それが難しいんだけどね。

野球選手の打率だって3パーセントぐらいが食っていけるかどうかの分岐点だ、25パーセント打てるか、28パーセント打てるかで変わってくる、だから何事もそれを意識してやっていければ違うと思う。

ブログ運営も、一つの壁を越えてきた気がする。

文芸的な要素が強まってきたために、株部門を一つ無料ブログに独立させた。今後も株については書いていくけど、専門的な内容を扱ったブログにした、迷っている人を集めれそうな気がする。

全く異なるジャンルのブログを書くのは気晴らしになってちょうどいい、1+1=2の労力とはならないようだ。おそらく3つ運営して2つ分の労力かなと思う。

もっとも株ブログは、銘柄が数千もあるから、それをアップしていくだけだ、3つ目のサイト案はまだないけど、おそらくこのメインサイトを更新していれば、そのうち案は出てくるだろう。その時は、HTMLを組んで作りたいと思う。

あと、画像処理の方法を覚えた、ウェブ用に画質を落とすことで、容量オーバーを防ぐことができるので大きい、少しづつ必要なことを取り込んで運営していく。

しかし、無職じゃないとほんとできないわ

一難去ってまた一難

昨日から、ある一つの設定を間違えたことで、ブログのハード面での問題が解決できないでいる。

グーグル先生にイロイロ聞いてみたけど自分ではどうにも解決できそうにない。

アクセスが集まらないことに対する焦りかな、アクセスアップ対策をしている途中で問題をおこしてしまった、もしバイトでも始めたら業者に解決してもらおう。

毎日ブログを書いていると、デザイン面やアクセスアップ、設定などで、一日一個ぐらい、無料ソフトインストールしたり、設定をいじったり、それで一日以上調べるけど結局できなかったり、なかなか記事を書く時間に集中できない日が続いている。

そうなってくると気になってきて、一からドメインからやりなおそうかとか、プログラムを読めるよういならないと、とか考え始めるけど、そおじゃないよな、我慢が必要だと思う。

この辺はタクシーでも、株でも一緒だと思う。

才能があっても、とりあえず一年はやって、記事を積み上げないと何もわからない。あまり完璧主義にならずに、とにかく記事をつみ上げていくことが重要だ。

それでも、書くことには少しづつ慣れてきている。

無理やり記事にするというよりは、パッと湧きあがる書けると思う思考を見つけられるというか、特に創造的なものは、うまくいっているときは出てこないので辛いけど、それもまた大事にしないといけない。

実家にあったガンダム、エルメスのプラモデルを塗装から作ってみた

 

あと細部を塗装すれば完成だ。ゲルググとビットもついているが、色がないのと細かすぎるのであきらめた。

 

 

 

やっぱり、塗装すると発色が違うな~と思う。プラモデルをつくるなんて20年ぶりぐらいかな、塗装したのは初だったが、エメラルドグリーンの光沢が美しい。

道具を揃えて彩色してみて、大人とはすごいな~と感じた。これだけで、立派なオブジェにできるなんて、また実家にある未開封プラモを、持ち帰って作ろう。

福獅子と並べて飾ろうと思う。

なんかすげー色があってる^^

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インド旅行記4

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-ガントク-

ふらふらになりながらシィッキム州、ガントクにたどり着く、運転手も途中でタイヤを交換したり、小さなタクシーで頑張ってくれた。私は心からのお礼を言い、ほぼ流されるままに地元タクシーに乗せられ、100ルピーで”ニューモダンセントラルロッジ”というホテルに行ってもらう。ホテルインしてすぐにウトウトしていると、従業員がきてチェックインしろという、私はそれを済ませ街をブラついてみた。あまり気は乗らなかったが、次の段取りのために観光案内所を訪れた。

全く一人旅に戻ったのだ、これをやりに来たんだ、と自分にいいきかせていたが、下痢と絶食、洗えない体で気分は沈んでいた。次の目的地は、少し下った場所にあるカリンポンというところ。私はなんとかその旨を伝え、どこへ行けだの、ここへ行けだの哀れな異邦人だ、さんざん歩いたが結局、たしかな情報を得ることはできなかった。ダージリンでは最終的にお金で解決してしまったので、今回は何とか予約なり、安心できる情報を集めないといけなかった。

乗りたかったロープウェイがストライキで停止しており、初めて屋外で絵を描く。トイトレインといい、今回の旅は何度もストライキに泣くことになる。なかなか良い絵が描け、インド人からグッドピクチャーと褒められ嬉しかった。ガントクの街は斜面に沿って開けており、町歩きは坂の上り下りが多くなるが、建物に色彩が多く絵の題材も豊富である。
昼に、モモという、小籠包風のチベット料理を食べたレストランがとても美味しく、私は夕食もそこで済ませることにした。入るとなにやら日本語が聞こえる、3人組の男性は日本人らしかった。私は挨拶をしてテーブルに入れてもらうと、皆同じホテルだと分かり、ハニブチさんとう方の部屋になだれこんだ。

皆一人旅で、何ヵ国にもわたって旅をされている方もいた、それだけで委縮してしまう。私にとってインドから国境を越えたり、航空券を買ったりして東南アジアへ行ったりすることは、未知の領域であるのだった。ハニブチさんはたくさんの本とパソコンを持っており、私も「ヘミングウェイ短編集」をいただき、ネットもさせてもらえて本当に助かった。それぞれの異国物語を聞きながら、ガントクの夜は更けていった。

 

翌朝

SNTバスターミナルへ向かうために目覚ましをセット。しかし、二度寝してしまい予定より遅れて7時半頃ホテルを出ようとするが、鍵が閉まっていてあかない。欧米人達が騒いでいたので、まあすぐあくだろうとホテルのソファで休んでいると、欧米系の女性が

「お散歩行けますよ」

と言ってくれる、おーすごい日本語である。

バス停に着いて、人込みと罵声で圧倒されてしまうが、自分がアクションを起こす以外道はないのだ、かろうじて列になっている場所に並んでみる。昨日、3人から聞いた情報によると、ストライキの影響で僻地にあるカリンポンに行くのは困難らしく、私はダージリンまでの中間地点、ニュージャルパイグリまで戻ることにしていた。

2時間ぐらい並んでようやくチケットが買えた、一度並んだだけで済むと思っていなかったので安堵したが、後に500ルピー騙しとられていたことに気付いた。よく考えたらバスのチケットが600ルピー以上するわけがない、私は要求されるがままに金を追加してしまったのだ。ついでにニュージャルパイグリからコルカタ行きの列車も取りたかったが無理であった、すでに満席らしい。

もう3日もシャワーを浴びていない私は、この日ホットシャワーが出る中級ホテルに移った。インド初のシングルルームである、ホットシャワーも充分にでて、窓からの景色も楽しみ絵を描いた。しかし、その安静も長くは続かない、従業員がいきなり入ってきて、無理やり部屋を2回も移動させられて、何年かぶりにキレてしまった。しかも、最初の高額な部屋の料金をきっちり請求してくる、最悪のホテルである。

翌朝、ニュージャルパイグリまで行き、そこからサイクルリキシャーでニュージャルパイグリ駅へ、なんとか二等自由席を手に入れてコルカタへと戻った。この移動中、私のプレッシャーは頂点に達していた感があり、とても不安だった。

情報もなく、旅行者もいない、とても気をはっていたと思うが、なんとかコルカタに戻れたのは運が良かったとしかいいようがなかった。

つづき

 

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