今ニート(無職)の人間はクズだ、それが私だ。

どうしてこんな人生になってしまったんだろう。

https://kuniyame.com/?p=1211

 

居場所がない

これが全て自分のせいだとは、なんということだろう。私はもうダメかもしれない、ここからモチベーションを上げて這い上がれるだろうか。周りの人間を見る限り、もう難しいように思う、力が体に残っていないのだ。

ないうぃ~よ、どこにもないうぃ~。

 

うぃ・・・・うぃ・・・・うぃ・・・・

 

間違わないように

ここまで間違わないように、平穏に生きられるように道を選んできたつもりがこんな生き様である。

  • 間違うように
  • 人生が苦しくなるように

道をえらんできたわけじゃない、なんということだろう。一体どうやればこんな経歴、人生になるというのだ。

 

友人に、同級生の話を聞いた

皆上手くいっているようだ

  • 5000万円以上の遺産を相続して投資家になった者
  • 実は正教師になって身を固めていた者
  • それなりに、年収もあって仕事が辛くないという者

それぞれだが、死にたい消えたいといいながら出家を夢みているというような話は聞かなかった。

無職、出家するってよ。

 

仕事が続かないから悪いのか

仕事が続かないことでこうなってしまったのか?だから居場所がないのだろうか?では無限にあった新卒の選択から、たまたま辞めない会社をひけていれば、それで自分はクズとは見られなかったのであろうか。

たぶん、そうなんだろう。それなりに居場所を見つけて、立派な人で通ったのだろう。この世なんて結果が全てなんだから、自分は自分でクズを選んだんだ。

 

今、ニート(無職)の人間はクズだ

かつての私

どれくらい前だろうか、なんでハローワークにはあんなに仕事があるのに、失業中の人がいるのだろう、年齢とかタクシーだったら70歳過ぎても全く問題なくどこでも採用される、片腕がない人だってできる。

そんな疑問を持っていたけど、なんのことはない。皆もう働けない、動けなくなってるんだうぃ~、今の自分と一緒ですうぃ~そんなことも分からずに、自分はそこでも人々に疑問を持ったことが恥ずかしい。

 

それでも金は減っていく

嫌だ、もう金のある世界なんて嫌だ、お金(資本)主義なんていやだ!

分かるはずだ!自分みたいな人間は死にたくなるって!みんな、みんなには分かるはずだ!

 

怒りと叫び

今まで気づかなかった、気づかないふりをしていたけど、自分は怒りの塊だ。どうしょーもない怒りを、もはや文章でも絵でも表現できないでいる。しかし、その怒りと叫びがどこからきているのか、私には分からない。

 

全て地獄

全部うまくいかなかった、生きづらさの積み重ねが自分をダメな人間に変えてしまったのか、自分にとってこの世が地獄だ、平和も戦争も、快楽も労働も、所有も渇望も、全て地獄だ。

 

闇の力をみるがいい

へ、へっへっへっ・・・・うぃ~

うぃ~~うぃ!?

へっへ・・・うぃ、うぃ~。うぃ~、へへっ

これが本物の闇というやつですうぃ~。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村  

無職と貧困の中、絵が力を持ち始めている。

絵が力をもってきた無職

 

「なんか絵が上手くなってるよ」

「デザイン的な才能もある」

などという絵に関する声をたまにもらうようになった。

 

この絵辺りからグッと力を持ってきたようだ。

 

 

画家に挫折した自分、だから絵とはあまり関わりたくない

私は

「(´・ω`・)エッ?そんなことないうぃ~よ、変わりませんうぃ~」

「才能ないですうぃ~」

といっていたけど、ここにきて次々とうぃ~が勃興、私は認めざるをえなくなった。

 

画家時代のよすが(水彩画)

 

自分の成長というのも怖いのだろう、無意識に変化を否定してしまうアラサーの自分。

多分、悲しみが、苦しみが絵を力強くしている。

 

 

全て自画像のようなものだろう

絵の人物は一様に困った表情や、苦しみの表情、激しい怒りをあらわにしている。

自分の境遇が詰むほどに、絵のチカラは増していくという、何とも皮肉な結果だ。

 

この絵も、諦めという名の悟りである

 

赤もよく使うようになった。

 

パソコンが向いているのかもしれない

いろんな要素があるが、パソコンが油彩画水彩画と違って

  • 道具が必要ないので手軽
  • 版画のような偶発的な要素がある(絵の雰囲気を一気に変えられるなど)
  • 陶芸の様に、焼いたら終わり的な要素があり、完成しやすい。

などの違いがあるように思う。

 

この作品も、新たな可能性を感じさせる。

 

まとめ

改めて見ると、原色が増えているので、それが力強さにもつながっているのだろう。

自分の絵の弱点は、どこか力強さがなかったことだったが、👀の力などからそれも改善されているような気がする。

無職障害、生きづらさ、貧困が叫びとなって表現を得る。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村  

祖父の兄弟は9人もいた。

昔は兄弟が多かった、羨ましい時代だ。

先日見つけたツイートで盛り上がったので、そのことについて書いてみる。

きっかけは☟のツイート

 

自分のじいちゃんも9人兄弟だった

それで全員70歳以上生きたと記憶している、男性は3人じゃなかったか?じいちゃんは長男だったので、お盆などはよく皆が集まっていた、じいちゃんも下の弟も戦争に行ったけど二人とも死ななかったらしい。

 

戦争の話

実家はサザエさんみたいに三世代同居だったので、亡くなったじいちゃんはよく戦争について話してくれた。じいちゃんは、満州ロシアの国境守備隊として国境を守っていたらしい。

行くなというのに、国境の川に遊びに行ったやつらが皆撃たれて死んだ。遺体回収のくじを引いて、自分は2番目?になったとか・・・失敗したら3回、4回目とくじで決められたが、なんとか1回目の回収が成功した

それが一番よく聞いた話だ。

 

弟の話

弟さんは、激戦地の確かビルマだったと思うけど、水木しげる並みの激戦地で、およそ50倍ぐらいの倍率の生存者に入って日本に戻ってきたそうだ。

部隊はほとんど全滅だったという、その話は2番目によく聞いた。自慢の弟だったのだろう。

 

現代日本の人とのつながり

貧乏でも昔の方が良かったんじゃないか、たくさん兄弟がいても、数人は亡くなって、その中の強いものが生き残って、家や、一族や、兄弟を背負って生きていく。

 

寂しさ

現代日本人が感じている生きづらさや、寂しさは皆無で、皆が自分の居場所を持っていたのではないだろうか。もちろん問題はたくさんあっただろうけど、沢山の孫に囲まれた老後は、生き残れば皆が保障されたように思うし、兄弟の助け合い精神は心強かっただろう。

 

孫が消える日本

自分が生まれた80年代以降の人間が、孫を得れる確率は50パーセントをきるという衝撃の数字が発表されている。80年生まれが49パーセントで、この数字はだんだん大きくなる(なかなか信じられない数字だ)。

 

孫がいるは少数派

戦前の日本では、とうてい信じられないような大きな変化が、この国では起こってしまったのだ、もはや孫がいないのは多数派だ。そうはいっても信じられない、いないところにはいないし、いるところにはいる。何事もそうだが、全体としてはそうなってしまうのだろう。

 

個人ができる対策

運よく結婚できた人はなんとか4人子供をつくる、今の時代3人では心もとない。前述のように半分の人間は孫を得れないのだ。また4人いれば変なうぃ~が2人ぐらいいても助け合いでなんとかなる。だから子供が好きな人間と結婚した方がいいと思う、男も女も。

 

まとめ

などと、結婚や孫に縁がない無職が考えてみたけど、本当にどうするんだろうな~オレと日本。。。。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村  

無職が叫びたがってるんだ。

人生が壊れていく無職

どーしてこ~なった

ブログ設定で失敗

僕はもう終わりです、パーマリンク設定(トップページ以外のアドレス)を変えたら訪問者が半分以下に、、、検索からはゼロに、しかし、今のままでは問題があった。

もっと立ち上げ時に考えとくべきだったんだ、また一から出直します。

 

死にたいですうぃ~

 

それでもブログは辞めない

それでも無職のうちはブログは辞めないと思う、もう生活の一部になっているから。

でも地球が太陽に依存しているように、ブログ無職に依存している。無職でなくなったとたん、ただ死にたいだけの毎日に体を使われ、ブログなんてものは遠いところに追いやられてしまうだろう。

 

タロットなどに救いを求めているが

自分を知らないせいで、過去に色々な選択ミスをしたんじゃないのかというのはよく考える。どーせ自分の選択が信じられないのなら占の偶発性に頼ったりするのも悪くないと思ったりしたわけだけど、そもそもどんな道に行っても、自分の継続できないというスペックが問題なんじゃないのか。

 

ケケケケケケッ・・・・・

 

本当に継続できないのか

仕事においては継続できないというのはハッキリしているけど、全ての面においてそうなのかというのはまた難しい。筋トレや柔軟などはもう20年ぐらい継続しているわけだし、ブログだって普通ならもうやめていると思うんだ。

ほかにも細かいことではかなりしぶとい継続を見せている、人間関係がない、というのが一つのポイントなのかもしれない。

 

無職が叫びたがってるんだ

ブログでは表現できない

闇の力を開放するうぃ~

 

自分の闇をブログだけでは全部表現できない、限界を感じている。

『風の谷の無職』辞めることはないだろうけど、このままダラダラ書いても自分は救われないような気がする。

 

叫びたい

絵や文章じゃ自分の叫びが表現できない。しかし、確実に自分というもののコアが見えてきている気もするんだ、残すことによって、まとめることによって。

なにをどう発信していくのか、場合によっては写真だけとか、そんなこともありだろう。ギターは売ってしまったしな~、できれば20歳ぐらいから記録を残したかった。

 

新しい地平へ

死にたいんじゃない、生きたいわけでもない、最初から存在したくなかったんだ。

自分が憎らしい、今まではまだあの時の方がって思いもあったけど、現状今が一番厳しくなってきた、本当にどうするんだって真剣に考えても答えが出ない。

 

疲れた。

もっともっと自由でいい、どうせ上手くは合わせられない、どこかで無理がくるんだから。生きづらさが、おそらく限界点にまで達してしまったんだろう。当然生きなきゃいけないから、なんとか自分を奮い立たせるけど、もうそれも疲れた。

 

まとめ

向き合うことだ、なるようにしかならない。膿は出し切った方がいいのだ、全部自分のせいだ、全部自分で始末をつける。

 

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村  

夭折した&影響を受けた天才達。私のベスト10

学生の頃から、様々な夭折した天才に憧れ、また影響をうけてきた。

今でも影響を受け続けるきらめく天才達をまとめ、ベスト10を考えてみた。

『ベスト10』もくじ

 

惜しくもベスト10入りならず 候補にあがった、夭折した有名人

どんとBO GUMBOSボ・ガンボス、ボーカル&ギター)

ジャニス・ジョプリン(シンガー)

ジミ・ヘンドリックス(ギタリスト、ソングライター)

三岸好太郎(画家)

太宰治(作家)

芥川龍之介(作家)

フランツ・カフカ(作家)

アメデオ・モディリアーニ(画家)

※アイキャッチ画像『自画像』

 

ロバート・ジョンソン(ブルース奏者、ソングライター)

アコースティックギターを代表する名手であり、伝説的ギタリスト。

私が、音楽に強い興味を持つきっかけとなったのが、アコースティックギターを手にしてから、そこから音楽への興味があらゆる分野に派生していく。その中から最も印象深いのがこの人、私が持っていたCDは、いまだに新卒で採用された会社に残っているはずである。

 

エルヴィス・プレスリー(歌手)

エルヴィスを聴いてから、ようやくソングライターじゃない人の存在意義に気付いた重要な存在。それぐらい歌唱がずば抜けていた。

 

宮沢賢治(作家、詩人、教師)

感性豊かな人生を送りたいと思わせてくれた人。

 

 

青木繁(画家)

亡くなった画家を目指していた友人が最も好きだった画家で、私と同じ福岡県出身。おそらく日本で史上最高の洋画家で、重要文化財になった「海の幸」が有名。

 

佐伯佑三(画家)

日本洋画史上最高に絵が上手いと思わせる画家。佐伯佑三風の絵は誰も描けないと思う。

 

山田かまち(画家・詩人)

感性は宮沢賢治並みの早熟の天才、特に絵が素晴らしい。

 

 

今も変わらぬ憧れの伝説 ベスト10

10位 クリフォード・ブラウン(トランぺッター)

今聴いても古さを感じないなめらかなフレージングと技術。

この中で、世界的に見てもっとも将来を期待された天才。この人が生きていればJAZZの歴史が変わり、音楽が変わり、世界が変わっていただろう。歴史上、最も夭折が惜しまれた人物ではなかろうか。


ランキングに戻る

 

9位 関根正二(画家、詩人)

驚異のデッサン力と早熟さ

わずか20歳で、結核で亡くなるが、その才能は日本洋画史上ずばぬけていた。まるでダビンチに感性をプラスしたようなデッサンは、一枚見るだけで常人ではないことが分かる。日本の歴史上、最も早熟にして最大の天才だろう。

17歳の時のデッサン※出典

ランキングに戻る

 

8位 村山槐多(画家・詩人)

この人がいなければ、国矢眼もいなかったかもしれない

色々さかのぼって考えると、その影響はやはり大きい、なにかを感じ取る力は宮沢賢治に次ぐ存在感。

この画家の、『尿する裸僧』が観たくて、中央線鈍行の旅で、長野の信濃デッサン館まで足を運んだのは良い思い出。

自画像※ウィキペディアより

ランキングに戻る

 

7位 hideX JAPAN、ボーカル&ギター、バンドリーダー、ソングライター)

その音楽は、一人の音楽に無知だった中学生にも響いてきた。

大学まで、まともな音楽は尾崎豊しか聴かなかった私であったが、ヒデだけは、どこからか、誰からか伝わってきて私の耳まで届いていた。釣りをしながら中学生の時、よくウォークマンで聴いていた、私の音楽の原点ともいえるかもしれない。


ランキングに戻る

 

これより上位は本当に順位はつけがたい、心のコアにかかわっている偉人達です。

6位 ジョン・コルトレーン(サックス奏者)

その演奏は、一人哲学の域へ

音楽を思想にまで高めた伝説のジャズマン。私に対する影響力は日々増大中で、まだ多くを語る言葉を持ち合わせてはいないが、私が夭折をしなければ、1位になる日があるかもしれない。

知人の音楽家がいう、

「練習しすぎて頭がおかしくなってる、フレージングがおかしい」

はだてじゃない。

ランキングに戻る

 

5位カマロン・デラ・イスラ(カンテ・フラメンコ)

これが音楽なのか、歌唱のチカラ

インストゥルメンタルばかり聴いていた私に、音楽は歌唱だと感じさせたカンテフラメンコ。その中で永遠に輝き続ける才能が与えてくれた影響は計り知れない。


ランキングに戻る

 

4位クリストファー・マッカンドレス(冒険家)

“死にたい”と思っている人はブログをはじめてみようでも触れたが、私の人生観に決定的な影響を与えた人物、ブログのモチベーションの一つともなっている。

幸せは、誰かと何かをわかちあうこと

という一人の青年が、命をかけて悟った言葉から、私は逃れることができないでいる。幸せとはなにかという、私の、人類の永遠のテーマだ。

最期の写真※出典

ランキングに戻る

 

3位ファン・グリス(画家)

惜しまれて逝った天才キュビスト

ピカソがもっとも、その才能を警戒していたという早熟の天才、大学4年間でもっとも影響を受けた画家である。その存在は、まるでトランペット界のクリフォード・ブラウンのようだ。

ほとんどが静物画である

ランキングに戻る

 

2位 尾崎豊(ソングライター、作家)

あげないわけにはいかなかった青春の思い出。

今では、ほとんど影響力はなくなってしまったけど、最も多感な時期に私を支えてくれた存在。その影響は、見えない血肉となって私に生き続けているだろう。懐かしい、とにかく懐かしい。

 

死なないでほしかった。

いろんな意見があるだろうけど、個人的にはもっとも生きていてほしかった人、関根正二や他の音楽家が完成しているように感じるのに対し、まだまだ変わっていけたような気がしていて、他殺説があるというのも頷ける。

おそらく今生きていても、いい楽曲を生み出せたのではないか。浜田省吾や、福山雅治のような、枯れた尾崎の曲を一曲でも聴きたかった。


ランキングに戻る

 

1位は、タクドラで事故った日に知る、運命の出会い

1位 岡田有希子(アイドル)

命日に、たまたま事故って知る。

タクシードライバーとして乗務中に事故をおこし、早退して家でヤフーニュースを見ることがなければ、おそらくその存在を知ることはなかっただろう。

4月8日、私が事故った日が、たまたま岡田有希子の命日だったのだ。また後日、プロの音楽家でもある先輩に、ある昔のアイドルに興味があるといったら

「まさか岡田有希子じゃないよね?」

といきなり聞かれ、驚いてしまう。

先輩がいうには、先日、岡田有希子の話題になったからまさかと思ってという。近く行う自分のライブの会場のすぐ前が飛び降りたビルらしく、

「その日は今でも熱心なファンが集まるから、4月8日は避けてください」

という話になったというのだ。

この偶然は、いまだに理解ができない。

 

アイドルから歌唱、歌唱から感性、感性から思想へ

アイドルは、音楽の知識やトレンドを吸収するためにしか聴かない私だが、その歌唱と存在感にひきつけられた。次第に興味は内面に向かっていき、今では自分の思想の3割を、岡田有希子から構築しているといっても言い過ぎではないかもしれない。

宇宙のなりたちから、運命論まで、その感受性はさまざまな示唆にとみ、私の思想の源泉となってしまった。悲劇の結末から発する私の思想は悲劇へと向かうのだろうか、それとも彼女の生きれなかった未来であろうか。

 誰が何と言おうと、私は岡田有希子の楽曲を推す。

くちびるNetwork』が一番好きです。

ランキングに戻る

 

まとめ

この記事は自分の内面をえぐり出す作業のようで、なんだかんだ3カ月ぐらいかかってるような気がするので、今考えるとこれはっていうのもないわけではない。

国矢眼介という人間がもっとも現れている、体力を要した記事になった。

ランキングに戻る

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村  

私はなぜブログを続けているのだろうか

自分はなんのためにブログを書いているのだろうか

 

 

最初は記録がメインだった

デイトレの記録

トレードの軌跡と、記録のために当ブログの前身をスタート

アドセンスの収入を追う

デイトレ退場のため、本格的に人に役立つことを記事にしてpvを集め、有名ブロガーになってお金を稼ごうと思った。

アドセンスも挫折

アドセンスも自然に挫折、しかし停止をうけてからようやく再開できるようになり、ひとつだけ記事下に再開した。

現在迷走中

 

今はなんのために書いているのか

なんでブログを続けているのか、辞めないのだろうか、すこし考えてみる。

  1. 暇だから、無職だから
  2. 自分を知るため
  3. 自分を表現するため
  4. 誰かと何かを分かち合うため
  5. お金や名声のため
  6. 身内のため(生存報告)
  7. 記録のため

他にも要素はあると思うんだけど、色々な要素があることに気付く。でも本当は5がやりたかったんだと思う。

どうしても2や6の要素が強まってしまって、なかなか5のような記事が書けない。

 

自分を知る手段としては最高

自分を知る手段として、ブログは最強のツールだと思う。ブログを書いていると自分の事がよくわかるので、最強の就活になると思う。

 

無職じゃないとできない

逆に言うと、時間をかけて内面から記事を出してくるのは無職じゃないとできないことだ。これはインプットがバーチャルに偏ってくることも影響していると思うけど、就職したら時間もないから

  • 更新頻度
  • 記事内容

も変わってくるだろう。

 

合わせることができない自分

自分は人に合わせることができない人間だ、嫌なものは嫌である。そうじゃないと美大の絵画コースなんて言ってないと思うし、そういう意味ではブログには向いていないと思うのだ、ブログをやってみてよく分かった。

 

表現する力

表現する力、闇のチカラといってもいいかもしれない。自分には不器用な分だけそういうことは普通の人よりは備わっているんだと思う。

 

闇のチカラ

体の奥底から闇を外に解放させてやる必要がある、それは文章でも絵でも、ブログなら簡単にできてしまうというのが助かっている。

 

毎日来てくれる人を増やしたい

今はバランスをとりながら、全ての要素が満たせるようにする必要がある。

  1. 暇だから、無職だから
  2. 自分を知るため
  3. 自分を表現するため
  4. 誰かと何かを分かち合うため
  5. お金や名声のため
  6. 身内のため(生存報告)
  7. 記録のため

ファンになってもらう

全ての要素を満たしていくには集客が必要だ。

ある程度の集客をしながら、自分自身のファンになってもらうことで、少しずつこのブログが気になるという人(ファン)を増やしていければと思う。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村  

「好きなコト」、「やりたいコト」が分からない

なにものにも縛られずに生きたい

ずっと今後の道、人生をどう生きればいいのか分からなくて苦しい、だからそのことに本気で向き合う記事を書いて、考えを整理しなければならないと思った。

 

考えるきっかけ

主に上記の2つが一つのきっかけになっているとは思う。

 

特に、ベトナムへの仕事を紹介してくれる面接では、

やりたいことを明確に決めて、それをやり切る

ということをしてくださいと、二十歳そこそこの面接担当者に強く言われてしまい、考え込んでしまった。そのあたりの心境がこの『引きこもるなら10代に限る』記事にもなった。

 

自分と向き合わなかった後悔

なんとなく生活のために仕事を選んでいくよりも、電気やガスが止められるまで考え抜いて気が進まないことはやらないという姿勢が、少しはあってもいいのではないかと反省したのだ。

 

場所にも、時間にも、人にも縛られずに生きたい

すぐに思いつく自分の理想の生活は、自由に生きたいということだ。

そのためには

  • デイトレ
  • アフィリエイト

のどちらかが必要ではないかと思って、とりあえずやってみたけど才能もセンスも感じられない。結局、株で大幅な損失とアドセンス停止などの色々なトラブルに見舞われてほぼ挫折。

 

失敗の原因

金儲けの手段として始めたデイトレを中心に、やはり目的や手段がゴチャゴチャになってしまい、センスのないこと、才能のないこと、なにより好きでもないことで時間を無駄にした気がしている。

株は厳しいプロの世界なので、結果がでなければ生き残ることはできないし、好きだという情熱が自分には維持できなかったのだろう、また再開する日もあるかもしれないけど。

 

もしも10億円もらえたら

例えば自分がポンと10億円貰えたらどうするだろう?

まず、ベトナムとか物価の安い国のビーチにいってのんびりしたい。

 

ビーチでなにをするのか

ゆっくり紙で小説を読みたいな~小説を読むっていうのはよほど暇で自分にゆとりがないとできない、エッセイとか写真集とか漫画なら読めるけど。

あと酒と食を存分に楽しみたい、一カ月ぐらいは幸せだろう。

 

資産を振り分ける。

  • 世界インデックス(世界経済が上がれば資産増) 1億
  • 日本のブルベア型投資信託(日本が沈没すれば資産増) 1億
  • 新興国株(主にベトナム) 1億
  • 金、プラチナ現物 2億
  • 中国元 1億
  • 他(外貨、投信、個別株など)

みたいな感じでふりわけるかな、株が上がっても下がってもトントンな運用を目指しながら配当を貰うというのが理想。

 

 

最後に行き着くところ

でも結局すべてを手に入れたら、そんな生活飽きて長くは続かないと思う、そしたら何をするだろう?

それはやっぱり死と向き合うことだと思うんだよな~

だから、やっぱり出家まではしなくても、自己探求を始めると思うことを考えると、最初から貧乏→出家(のような生活)を目指せばいいのではないだろうか。

 

苦しい

あ~頭が痛くなってきたぞ(*_*;

苦しい苦しい苦しい・・・・逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ・・・死にたい、死にたい、死にたい・・・・10億欲しい・・・・

 

なにもしたくない、なにも感じたくない

収集がつかなくなってきたが、これは想定内でこうでなければ向き合っていることにはならない、ここからだ。

 

人生のテーマ

結局は何も感じたくない、心を乱されたくないということに落ち着くような気がする、人は最後は死と向き合う、だから自己探求をすることになる、そういう意味では人は最後は内向的になる。

その時に大崩れしない精神力を身につけたい、ここで来世があるとか、あの世にもお金が持っていけるならば話は全く別だけどね。

 

あれ?

クニヤメ生きてる意味なくね?死にたいって言ってるようなもんだろコレ?そうかもしれない、でも少なくとも自殺をしたいわけではない。生きたくない?正しいような気もする、しかしよく分からない。

”働いてまでは生きたくはない”

おそらくこれではないかな、ただでさえ生老病死で苦の多い世界に、なんでわざわざ独身男が働いてまで生きるのか?

 

少し見えたきた気がする

守るべきものがない(金、結婚、子供など)

働いてまで生きていたくない

晩年は修行(瞑想)したい「これが唯一の確たる希望」

今から晩年を生きればいいのでは?

 

もし余命が1年しかなかったら?

少し見えてきた気がする、もし1年しか寿命がなかったら間違いなく瞑想の修行をしに海外に行くだろう。いや、そうなると言葉の壁がある海外には行かなくてもいいな。

 

どこに行くのか?

日本の禅寺などでもいいかもしれない、いきなり海外だと言葉が分からないから、そう考えるともうやればいいじゃん、あと1年しかないと思ってとなってしまう。

国ありきではなくて、仏陀の言われた”自灯明 法灯明”が実践できる環境ならなんでもいいんだよな~変な権力のしがらみとむすびついてなければ。

  • 日本なら禅になるのかな
  • ティクナット・ハン(ベトナム人)のマインドフルネスならフランス
  • ヨーガーならインドのリシュケーシュー
  • 上座部仏教ならタイミャンマー

 

©手塚治虫火の鳥 鳳凰編』の我王

 

どれも瞑想の事で、自分を観察するという修行には変わりはない、ヴィパッサナー瞑想と言い換えても良いだろう。お釈迦様が、次々とあらゆる宗教に教えを乞うていったように、同じことがやりたい。

 

自由という不自由さ

やはりよく分からない

しかし、本当に他にやりたいことはないのか、最低限度働いて生活して、ブログなどを書いていければそれもまたいいのではないかという、可能性を考えてしまうとまたわからなくなってしまう。

第一、私が1年以内に死ぬ確率はごくわずかであろうし、でも結局気づいたら老後になってましたという人は多いと思うので、早すぎることはないのかもしれない。

 

分かったことは?

ここまで考えてみて、期間工には行かない方がいいんじゃないか?ということだけは分かった。

とりあえず株はやるつもりはないから、種銭はいらない

小金なんてあっても意味がない

金のために集中して労働する必要はない

期間工ダメ

ということになりそうだ。

 

まとめ

とりあえず、これだけ書いて考えてみたけども、えーっとまとめると

  • 期間工がダメ
  • もうすこし現実的な目標にする必要がある

ということが分かった。

あと気になり始めたのが、

  • このままの生活にバイトを組み込めないか
  • もっと自由に考える(アパートを残して気になる国に短期移住とか)
  • とりあえずブログは続けたいようだ
  • もし10億あったら瞑想のほかにも、小説が書きたい&絵も描きたい気がする

なのでこの辺をまた考えてみたいと思った。

 

訳の分からないことを、3000文字も書いてしまった・・・

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村  

日本でやり残したことはないだろうか

終活を考える無職

海外就職なんぞすれば、気軽に日本に帰ることができないだろう。なにかやり残したことはないだろうか。

 

結婚したかった(‘Д’)

無理でした、どうやら私もこのキモイ集団の一人のようです。

 

ヒャッハ~!こりゃ結婚できないわ(o|o)

どうやったら眼って死なないでいられるのだろうか、うさんくささを出さないで済むんだろうか。顔のつくりとかじゃないんだよね・・・真ん中の太った人が一番若いと思うよ、中身が・・・

 

私の知らないなにかが滲み出ているのか・・・

 

キャバクラに行けばよかった

これは今からでもいけそうだ、っていうか金さえ出せば確実いける。

でも、タクドラで色々話せたからいいかっ、裏側もいろいろ知っちゃったからな~でも人生経験として一回いっとくべきだった、20代の時に。

よく客がくれた高そうなお土産を、客が下りた瞬間にキャバ嬢からいただきました。

「運転手さん、これあきたから食べて~いつも同じものなの~」

とかいって高そうなお菓子(綺麗にラッピングされている)とか、花とかもらったりしていた。

そして、全力でのため息と死んだような表情・・・・歌舞伎町のキャバ嬢は皆優しかった、東京の土地勘がまるでなかった私を、

「うけるんだけど~○○もしらないの~」

とかいって教えてくれた。

彼女らは仲間だ、いつしか自分はそう思うようになっていた、時には散々な目にもあったけどね( ;∀;)

 

スナックには一度行ったことがある

浜松ホンダの時に、高丘寮で一緒だったアル中のおっさんが飲み屋の後に連れて行ってくれた。キャバクラだって、これだけいろいろ転々とすれば行く機会ぐらいありそうだけど、みんな余裕なかったのかな、でもスナックだけでも行けて良かったな~いい経験になったから、今となっては感謝だわ。

 

「クニヤメ君、お願いや、一杯だけ飲んで帰ろう、一杯だけでいいんや・・・」

とよく居酒屋に誘われたのが懐かしい、もちろん周囲の人は皆誘われていた。

 

行きたいこと・やりたいこと

四国八十八か所

四国お遍路は巡礼したかった、いずれ行く機会があれば行こうと思う。

 

鞍馬寺

少し行きたい気がする、私の中での聖地だ。これは一度は行っておいたほうがよさそうだな。前回のおみくじ”のリベンジをしなければ、また引くかもしれないが・・・

これには驚いた、マジで。思いっきりそむかれたしね。

 

挨拶をする

世話になった人に挨拶をしたい気持ちはあるけど、いけるところは限られてるしな~

 

記事ウィー

とりあえず書いてみたけど、特質すべきものは出てこなかったな~あれだ、自分には本当

  • 金や財産
  • 地位
  • 守るべきもの
  • やりたいこと
  • 夢など

なにもないってことなんだろうなと思う、ただ健康だけはあるって感じだな。しょーもない人生だ、ダメな人生、くだらない人生だ。

 

無職、今日の一句

 

蝉の音 行きつ戻りつ 鳴りやまず さびしささえも たれも語らず

国矢眼介

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村  

無職、出家するってよ。

無職はタイ出家を目指します(たぶんね)

 

 

全てを放棄して、ただ自分自身のために

無職は

  • この世の辛さから逃れる
  • 居場所を見つけられなかった
  • 生存競争に負けて
  • ただ嫌なことから逃れるため
  • 死ぬ時に情けない自分を見ないでいいよう

などのただ自分勝手な理由だけでを目指してみようと思っています、そうです、仏陀と同じです、同じということにしておきます。

 

 

あくまで目標です

弱い自分です、お金や俗世を捨てきれるかは分かりません。というか多分実現はしないでしょう、でも無職は、ただ日本に敗れて、ダラダラ涙を流しながら、ただ自分を救うためにタイを目指そうと思います。

 

求めれば求めるほど遠のいた金と居場所

33年間、自分の居場所をつくれませんでした。

 

情けない自分

水産大学に行きたかった

魚を研究するのが中学校の夢だった

画家を目指した

それでも画家を目指した

挫折して染の工房に入った

染師になろうとした

教職を生かして、養護学校の先生になった

靴製造工になった

初めて工場派遣に行った

神社仏閣の修復師になった(屏風や飾り)

精神を病んだ(社会不安障害)

工場派遣

ヤマトの横乗り

工場派遣

喫茶店をクビになる

日雇い一年

期間工(バックレ)

期間工

工場派遣

都心タクシー

期間工(バックレ)

現在無職

本当に情けない、でもこれが私だ。

 

最初の一歩

さしあたり、すぐにバンコクコールセンターの面接を受けようと思う。

私が必要とされていれば通るだろうと思う、とりあえず受けてみて、結果を待って色々考えよう、とりあえず履歴書を送ります。

 

ブログについて

このブログはお金のためにはじめたけれど、結局それも色々あって挫折してしまった。今、関連記事を表示させようとしてもなかなか反映されなくて、もうアドセンスは使えないのかもしれない。(あれ?純広告は使えるようだ、とりあえず記事下だけ)

 

皆さんありがとう

まだ初めて半年もたたないけれど、毎日100人以上が訪問してくれるようになりした、こんな自己満足の日記につきあってくれてありがとうございます。

信じられない思いです、今ではこのブログが唯一の自分の居場所のような気がしています。何を書いてもおこられないし、死にたいといっても誰も嫌な顔はしません。

今日の内容はまだ確信はないです、でも思い付きではなくて10年近く温めてきた思いでもあるので、今後の展開を見守っていただければと思います。

まだ、しばらくは毎日更新が続くと思います、よろしくお願いします。

 

自分のキャラが僧侶風なのは、未来を予言していたかのようだ。とてもデイトレーダーには見えないよな・・・やっぱり。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村  

引きこもるなら10代に限る

引きこもりについて

学校に行かないのは大いに結構なことであると思う。

よく学校(義務教育)いかないで家にいるとか、そんな子供がいると思うんだけど、全く問題ないと思う。どんな生き方をするにも、研究期間というか準備期間というか、考えて蓄える時期が必要だと思うし、専門的な職業に就くにも引きこもることによってメリットがあると思う。

問題なのは、若いのかどうかだけであると思うのだ。

 

10代の引きこもり

例えば学校が馬鹿らしくなって中学校に行かなくなったなんていう生徒がいたら、それはかなり見込みがあると思っていいだろう、現行の社会に不満を持ち、そのまま従わないということは強い意志を感じることができる。

 

いじめについて

いじめられている場合はどうだろうか、これもあまりあてにならない。小中学生でいじめられているといっても、いじめている側がまだ子供なわけであって、成熟した集団でのいじめは、また質が変わってくる。それにいじめられたとしても、その人間が20代になった時に弱いままなのかはまったくあてにならないし、もしかしたらいじめを受けたことで良い人間になるかもしれない。

 

20代の引きこもり

20代前半ならまだ問題はないだろうと思う、とくに大学を出てから働こうとしないとか、コンビニバイト等を続けているとかいう人は見込みがある。

こういう人は自分が見てきた経験だと、なにかの拍子に生きる道を見つけて、これだと決めたらゆるがない人が多いように思う。ずっと大学や資格に向けて浪人している人もこの傾向が見られる、それらは意思の強さを現しているのかもしれない。

 

30代の引きこもり

最も厄介なケースが、

  • いじめられることもなく
  • 不登校をすることもなく
  • 浪人することもなく
  • 迷走期間がなく

なんとなく普通に進学し、就職した場合だと思う。このケースだと、もし最初の就職につまずくと、人生が急に暗転していくような例が多いように感じている。現に私がその部類に入ると思われるのだが、数年の考える時間を経ていないために人生につまずきやすいのではないかと感じている。

 

30代で引きこもると危険

一度つまずくと焦りから、早く社会復帰しようとしてまたつまずく、挑戦してまたつまずくを繰り返してしまうのではないか。

それが

  • 社会的な当たり前を愚直に歩もうとした姿
  • 空白期間を造れなかった真面目な性格

などのどんな要因なのかは分からないが、結果的には20代後半~30代前半の引きこもりを生んでしまう原因だと思う。

 

人間には迷う期間が必要なのだ。

これらの考察から、人間には考えてなにもできないような、モヤモヤした時期を過ごした方がいいのではないかと思えてくる、どうせそのような時期が必要ならば、それは早い方がいい。

私がこの記事を書こうと思ったのは、そんなことを掘り下げて考えてみたかったからだ。

 

30代で引きこもると終わりなのか

社会的には終わりといってもいいだろう、しかしそのことが幸せの全てを決めるわけではないし、可能性も残されているだろう。

しかし、例えば90歳まで生きている老人に聞けば、

「引きこもり?大いに結構、見込みがある人間だ」

と私のように言うかもしれないね。

否それはないか、自分の感覚だと人生は終わったと思っている、あとはおまけのようなものだと考えている。少なくとも見込みがあって逆に期待することにはならないかな~、でも義務教育を拒否するのは本当に見込みがある。

そんなことを考えた無職の深夜零時。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ ギャンブル依存症へ
にほんブログ村