学生の頃から、様々な夭折した天才に憧れ、また影響をうけてきた。
今でも影響を受け続けるきらめく天才達をまとめ、ベスト10を考えてみた。
『ベスト10』もくじ |
惜しくもベスト10入りならず 候補にあがった、夭折した有名人
どんと(BO GUMBOSボ・ガンボス、ボーカル&ギター)
ジャニス・ジョプリン(シンガー)
ジミ・ヘンドリックス(ギタリスト、ソングライター)
三岸好太郎(画家)
太宰治(作家)
芥川龍之介(作家)
フランツ・カフカ(作家)
アメデオ・モディリアーニ(画家)
※アイキャッチ画像『自画像』
ロバート・ジョンソン(ブルース奏者、ソングライター)
アコースティックギターを代表する名手であり、伝説的ギタリスト。
私が、音楽に強い興味を持つきっかけとなったのが、アコースティックギターを手にしてから、そこから音楽への興味があらゆる分野に派生していく。その中から最も印象深いのがこの人、私が持っていたCDは、いまだに新卒で採用された会社に残っているはずである。
エルヴィス・プレスリー(歌手)
エルヴィスを聴いてから、ようやくソングライターじゃない人の存在意義に気付いた重要な存在。それぐらい歌唱がずば抜けていた。
宮沢賢治(作家、詩人、教師)
感性豊かな人生を送りたいと思わせてくれた人。
青木繁(画家)
亡くなった画家を目指していた友人が最も好きだった画家で、私と同じ福岡県出身。おそらく日本で史上最高の洋画家で、重要文化財になった「海の幸」が有名。
佐伯佑三(画家)
日本洋画史上最高に絵が上手いと思わせる画家。佐伯佑三風の絵は誰も描けないと思う。
山田かまち(画家・詩人)
感性は宮沢賢治並みの早熟の天才、特に絵が素晴らしい。
今も変わらぬ憧れの伝説 ベスト10
10位 クリフォード・ブラウン(トランぺッター)
今聴いても古さを感じないなめらかなフレージングと技術。
この中で、世界的に見てもっとも将来を期待された天才。この人が生きていればJAZZの歴史が変わり、音楽が変わり、世界が変わっていただろう。歴史上、最も夭折が惜しまれた人物ではなかろうか。
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9位 関根正二(画家、詩人)
驚異のデッサン力と早熟さ
わずか20歳で、結核で亡くなるが、その才能は日本洋画史上ずばぬけていた。まるでダビンチに感性をプラスしたようなデッサンは、一枚見るだけで常人ではないことが分かる。日本の歴史上、最も早熟にして最大の天才だろう。
17歳の時のデッサン※出典
8位 村山槐多(画家・詩人)
この人がいなければ、国矢眼もいなかったかもしれない
色々さかのぼって考えると、その影響はやはり大きい、なにかを感じ取る力は宮沢賢治に次ぐ存在感。
この画家の、『尿する裸僧』が観たくて、中央線鈍行の旅で、長野の信濃デッサン館まで足を運んだのは良い思い出。
『自画像』※ウィキペディアより
7位 hide(X JAPAN、ボーカル&ギター、バンドリーダー、ソングライター)
その音楽は、一人の音楽に無知だった中学生にも響いてきた。
大学まで、まともな音楽は尾崎豊しか聴かなかった私であったが、ヒデだけは、どこからか、誰からか伝わってきて私の耳まで届いていた。釣りをしながら中学生の時、よくウォークマンで聴いていた、私の音楽の原点ともいえるかもしれない。
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これより上位は本当に順位はつけがたい、心のコアにかかわっている偉人達です。
6位 ジョン・コルトレーン(サックス奏者)
その演奏は、一人哲学の域へ
音楽を思想にまで高めた伝説のジャズマン。私に対する影響力は日々増大中で、まだ多くを語る言葉を持ち合わせてはいないが、私が夭折をしなければ、1位になる日があるかもしれない。
知人の音楽家がいう、
「練習しすぎて頭がおかしくなってる、フレージングがおかしい」
はだてじゃない。
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5位カマロン・デラ・イスラ(カンテ・フラメンコ)
これが音楽なのか、歌唱のチカラ
インストゥルメンタルばかり聴いていた私に、音楽は歌唱だと感じさせたカンテフラメンコ。その中で永遠に輝き続ける才能が与えてくれた影響は計り知れない。
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4位クリストファー・マッカンドレス(冒険家)
“死にたい”と思っている人はブログをはじめてみようでも触れたが、私の人生観に決定的な影響を与えた人物、ブログのモチベーションの一つともなっている。
幸せは、誰かと何かをわかちあうこと
という一人の青年が、命をかけて悟った言葉から、私は逃れることができないでいる。幸せとはなにかという、私の、人類の永遠のテーマだ。
最期の写真※出典
3位ファン・グリス(画家)
惜しまれて逝った天才キュビスト
ピカソがもっとも、その才能を警戒していたという早熟の天才、大学4年間でもっとも影響を受けた画家である。その存在は、まるでトランペット界のクリフォード・ブラウンのようだ。
ほとんどが静物画である
2位 尾崎豊(ソングライター、作家)
あげないわけにはいかなかった青春の思い出。
今では、ほとんど影響力はなくなってしまったけど、最も多感な時期に私を支えてくれた存在。その影響は、見えない血肉となって私に生き続けているだろう。懐かしい、とにかく懐かしい。
死なないでほしかった。
いろんな意見があるだろうけど、個人的にはもっとも生きていてほしかった人、関根正二や他の音楽家が完成しているように感じるのに対し、まだまだ変わっていけたような気がしていて、他殺説があるというのも頷ける。
おそらく今生きていても、いい楽曲を生み出せたのではないか。浜田省吾や、福山雅治のような、枯れた尾崎の曲を一曲でも聴きたかった。
1位は、タクドラで事故った日に知る、運命の出会い
1位 岡田有希子(アイドル)
命日に、たまたま事故って知る。
タクシードライバーとして乗務中に事故をおこし、早退して家でヤフーニュースを見ることがなければ、おそらくその存在を知ることはなかっただろう。
4月8日、私が事故った日が、たまたま岡田有希子の命日だったのだ。また後日、プロの音楽家でもある先輩に、ある昔のアイドルに興味があるといったら
「まさか岡田有希子じゃないよね?」
といきなり聞かれ、驚いてしまう。
先輩がいうには、先日、岡田有希子の話題になったからまさかと思ってという。近く行う自分のライブの会場のすぐ前が飛び降りたビルらしく、
「その日は今でも熱心なファンが集まるから、4月8日は避けてください」
という話になったというのだ。
この偶然は、いまだに理解ができない。
アイドルから歌唱、歌唱から感性、感性から思想へ
アイドルは、音楽の知識やトレンドを吸収するためにしか聴かない私だが、その歌唱と存在感にひきつけられた。次第に興味は内面に向かっていき、今では自分の思想の3割を、岡田有希子から構築しているといっても言い過ぎではないかもしれない。
宇宙のなりたちから、運命論まで、その感受性はさまざまな示唆にとみ、私の思想の源泉となってしまった。悲劇の結末から発する私の思想は悲劇へと向かうのだろうか、それとも彼女の生きれなかった未来であろうか。
誰が何と言おうと、私は岡田有希子の楽曲を推す。
『くちびるNetwork』が一番好きです。
まとめ
この記事は自分の内面をえぐり出す作業のようで、なんだかんだ3カ月ぐらいかかってるような気がするので、今考えるとこれはっていうのもないわけではない。
国矢眼介という人間がもっとも現れている、体力を要した記事になった。