幼少期は常に劣等感にさいなまれた人生だった
運動神経がない、勉強もできない
兄の存在
兄はものすごく頭が良かった、どれぐらい良かったかといえば年子の私の点数があまりにも凡庸なので
「お前はそんなもんなのか」
などと教師から聞かれるような始末であった。
だいたい兄弟、姉妹は一人成績が良かったら皆いいいですよね(・・?
それがなぜか家ではあてはまらなかったのだ、なんということだろう。よく覚えていないけど、中学の時に100人ぐらいいて、10番以内には絶対入っていて、当然のように一番いい進学校に行ったよ。
自衛隊の幹部候補
その後兄は、高3で自衛隊の幹部候補生の試験に3種類合格して、一番難関の航空学生にいったが、2年ぐらいで辞めて、何事もなかったかのようにすぐに国公立大学に合格、今は税理士事務所で働いている。
航空学生とは?ウィキぺディアより引用
海上保安学校の航空課程と並びパイロットとして確実に就職できる最短コースであるため受験倍率は非常に高い状態が続いており、航空要員は2013年採用試験では受験者2823名に対し採用者は39名(72.4倍)と非常に難関であり、受験者の中には日本航空高等学校などに在籍し受験前に海外で操縦士の資格を取得している者もいる。
親はもっと良かった
特に母親なんて、IQのテストが良すぎるとか何とかで親(祖父母)が小学校に呼び出しをくらってなんたらかんたらで、それはもう期待されたらしい。当時はベビーブームで子供が多かったから、中学校は数百人いていつも2番だったらしい!意味が分からん、勉強が簡単で仕方なかったらしいよ。
私はすっかり自信を喪失した
私の自我は小1の頃にすっかり自信をなくしてしまった、それは自分の頭の悪さ(兄との差)に激怒して、通知表を破ってしまったほどで、今でもこの通知表はテープでとめられている。
兄の成績が凡庸であれば、あるいは自分の人生は別の方向に行ったかもしれない、自分よりバカだったら人生変わってるよきっと、こんなこと考えたくないけどね。
絵で戦ったよ
習っていた書道、得意だった絵と作文で必死に秀才たちと戦ったよ、しかしここでも兄と同じように勉強できるやつが絵も上手いし書道も上手いし頭もいいんだ。だから、得意だった絵でも少し気を抜けば、
運動神経=絵の才能のやつとか、
頭=運動神経=絵=書道の才能があるスーパーマンみたいな女性に負けたりした。
読解力は一番だった
そんな中で唯一他を寄せ付けないものが現代文のテストだった、漢字はバカだったけど、小学生の時は現代文は別だったからいつも100点、悪くても90点だった。
しかし、ただでさえ兄の存在に埋もれていた自分に、そんな栄光は小さいものでしかなかったけど、今考えると素晴らしい才能だったな。
実は一番頭が良かったんじゃないのか
私は勉強が嫌いだったから、ほとんど授業も聞いていなかったと思うし、勉強しなくて自頭だけで勝負できるのが現代文だったんじゃないのかな?だから高校になっても古典漢文全滅でもある程度は良かったし、偏差値も高かった。
今考えたら、頭のいい奴でもみんな40点とかなのに一人だけ100点だった小学生の頃の国語のテストはスゴイよ、よくやったよ( ;∀;)間違いない、自分は一番だった。
悔しいのう、悔しいのう
自分には、きっと素晴らしいなにかがあったはずなんだ、それに気づいて認めてやれなかった自分が一番悔しい、あんな教師の言葉に傷つく必要なんてなかったんだ。
どこの世界に「自分はバカ」が口癖になる子供がいるんだよ、でもそういわれてきたんだから仕方がないじゃないかよ、あ~言葉が出てくる、出てくるよ!自己満足だ、全部自己満足だよ!