火の鳥、我王のように
ガンダムのアムロじゃないけど、自分の内面の激しい怒りに気づいてしまった自分には、もはや絵や文章では怒りや叫びを表現しきれないでいる。
いつしか、手塚治虫の『火の鳥、鳳凰編』に登場する我王と自分の姿がダブるようになった。
我王とは?
生まれてすぐ左腕を失った我王は、盗賊となり各地で悪行を繰り返す日々を送っていた。やり場無き怒りと憎しみに身を任せ、罪なき者の腕を傷つけ金品を奪い続けたある日、速魚という美しい女性を攫い、ともに暮らし始めるが、ちょっとした勘違いから彼女のことを疑い手にかけてしまい、以後自責の人生を送ることになる。
本編後半では仏師となり、隻腕でありながらまるで生きているかのような彫り物を作る人物として有名になる。しかしその評判が届いた都で嘗て自分が傷つけた彫刻家の茜丸と出会う、都では権力争いの延長で鬼瓦の勝負をすることとなり、渾身の鬼瓦を製作したが、負けを認めたくない茜丸は自分の腕を傷つけた過去を持ち出し我王を非難し、残った片腕さえ切り落とされてしまう。両腕を亡くしながらも都を這い出て朝日を見た時、腕を切られた時にさえ出なかった涙を眼に浮かべ、腕を傷つけられ仇を目にしても自分を恨まなかった茜丸が変り果てた都の魔を理解し、世に絶望し師匠が自ら死を選んだ理由を理解するが、自分は死を選ばぬ事を誓い山中に消えていった。
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい・・・
苦しみ
うう~ん、うぅ~ん、んーぅ、うぃ~、描き描き、うぅ~ん、うぃ~。
描き描き・・・うぅ~ん、うぅ~ん、う~ん・・・
ブログが苦しい、内面の叫びが苦しい、挫折が苦しい、過去が苦しい、労働が苦しい、金がなくて苦しい、
否
生きることが苦しい
~我王の言葉~
また死んだ・・
人はなぜ死ぬのか・・・・・
なぜ生きものは死なねばならないのか?
いや・・・なぜ生きるのか?
死ぬために生きるのか?
~国矢眼の言葉~
己の幸せを見つめる、そこに苦がある。
もはや苦しむことはないだろう、
日々がただ悲しい。
命が悲しんでいるから・・・
まとめ
純粋に生きるにはどうするべきか、夭折していった画家達に憧れて、その感性を保つために自分を律してきた。そうすれば感受性が若いまま保たれて、良いものが描けるのではないかと思ったのだ。
待っていたものは、ただ不器用でクズな人生だけだった。
武装していない自分を傷つけてボロボロになる、それを周囲は察知してボロボロにされる、伝えたい思いはただ一つ、国矢眼は今日もここで苦しんでいる。
画像©『火の鳥』鳳凰編
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