大学の後輩である”黒木華”(くろきはる)が有名になってる。

絵を描くのも面倒だし、写真を加工しました。。。

京都造形芸術大学の後輩である黒木華さんが、大河ドラマのヒロインに起用されるなど、やりあげましたね。

黒木華

ちなみに、読みはクロキハナではなく、クロキハルですが、おそらくほとんどの人は最初間違ってしまうと思いますし、私も間違えました。これは、最近結婚した、女優の武井咲(たけいえみ)さんも同じですね。

京都造形芸術大学、映画学科、俳優コース出身

クニヤメは、京都造形芸術大学の美術工芸学科、洋画コース出身なのですが、黒木華さんは、どうやら最近新設された映画学科の出身ということです。私が在学中には舞台芸術学科というものしかなかったのですが、伝統や先端芸術に特化するよりも、現代にあった娯楽である映画に大学の威信をたくしていくということでしょうか?

実際に毎年一本ペースで大学名義の映画を作っているようで、岸部一徳さんのような有名俳優を起用しているものもありました。

勢いがなくなった京都造形芸術大学

私が在学中辺りまでは、俳優香川照之氏の父親である市川猿之助氏が教授として常駐。卒業してからは秋元康氏を学長に招聘、校歌の作曲を担当し、すでに全盛期であったAKB48が歌唱に来るなど、話題をさらいました。

子供芸術大学や通信教育などの、生涯教育にも力を入れており、そこでの収入が経営的にも効果をあげていると言われていました。また、国からも予算をとりつけられるほどの舞台である、準国立扱いでもある春秋座という劇場を構えています。

しかし、この前京都を訪ねた際に大学を見たときは、このところの日本経済の失速をもろにくらっている感じがあり、正直将来の展望は厳しいのではないかと感じてしまいました。私が在学当時はまだリーマンショックの前で、まだまだギリギリ日本に余裕があった時だったと思います。

最近勢いがなくなったとはいえ、まだまだ関西の美術芸術大学の雄であることには疑いはなく、今後の巻き返し、知名度アップを狙っての映画界進出なのだろうと思います。

黒木華さんは大阪出身ということで、この大学に縁があったのでしょう。

『船を編む』~『リップヴァンウィンクルの花嫁』へ

船を編む』という映画を、2013年に映画館で観たのですが、この映画に出演していたらしいです。これは主演の松田龍平さんの印象がけっこう強くて、あまり印象に残っていませんね。女優だと池脇千鶴さんの印象も強いですが、ウィキによると縁のある宮崎あおいさんが主演ですね。

でもこれは本当にいい映画だったので、映画館で観れたのはラッキーでした。

 

リップヴァンウィンクルの花嫁』という映画は、私でも知っている岩井俊二監督作品なので、おそらく注目度も高くて、見た人も多いのではないでしょうか。こちらの演技はとても自然で、キャラが出ていたと思うので、これで名前が売れたというのはあると思いますね。

作品自体は、同監督の有名作品にははるかにおとるものの、見て損がない作品ではあると思います。

大河のヒロインとして活躍する彼女には、京都造形芸術大学の卒業生として、今後ともますます輝いて欲しいと思います。

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自分らしい真の無職になりたい~進撃の無職に憧れて~

こんにちは、国矢眼です。

もう息をするようにブログを書いてます、グーグルとか気にしなくなったので楽になりましたうぃ~。

今日は良いことがありました、今日と言っても深夜でまだ日付が変わったころです。

たまにツイッターで上がってるキャスを聴いたりするのですが、今日は自分が影響を受けてひそかに憧れているくらげネコ氏がツイキャス配信をしているのが上がってたので、のぞいてきました。

憧れの無職ブロガー

憧れてはいるものの、それまでツイキャスでコメントしたことはなかったので、自分に対しての認識は分からなかったんですけど、どうやら自分のことを認識してもらえているようで、いくつか質問もいただけました。

中国行きのこととかにも触れていただいたので、どうやらブログも目を通してもらっているみたいで心躍りましたね。

私が訪問した時にはちょうど介護の話をされていて、自分の運の悪さというか過酷さを受け入れて、それでもプラスにとらえているところが引っかかって最後まで聴きたいと思って、どうせなら挨拶がしたいなと思って声をかけさせていただきました。

やはり、ブログも面白いけど、話も面白いし、人柄のバランスもとれている。結局ブロガーでもバランスの良い人しか残っていかないのだなと感じました。まぁ氏も無職なのですが・・・

くらげさんとの出会い

ブログを読んでいたことがハッキリ記憶に残っているのは、2011~12年にかけて自分が、浜松ホンダ期間工で働いていた時代ですかね。それより以前に読んでいたかというのは記憶にないのですが、氏の介護編や飲食編があまり記憶にないので読んでいなかったのかもしれませんね。

なので、大きな出来事でリアルタイムで読んでいたのは、

  • ホームレスと喧嘩して骨折事件
  • スカイマーク株紙屑事件

のように、比較的新しい歴史だけのような気がします。また仕事が忙しくてあまり訪問できなかった時期もありました。

進撃の無職がなければ、私のブログはなかったかもしれない。

それでも、かなり長い期間にわたってネットを開けば「進撃の無職」という時代が続いたので、その影響は計り知れないものがあると思っています。

読書量、行動力、発信力が、無職の中では突出しており、新しいことには貪欲に挑戦していく姿勢には非凡さを感じざるを得ません。代名詞となっている”僕はもうダメ”というセリフも、どこかふさわしくないように思ってしまうほどです。

なのでブログを始めてから、ツイッターを触り出して思い切ってクラゲさんをフォローして、フォロバしてもらえた時は感動しました。

ブログを始めて本当に良かったと思う

無職ブログを始めて本当に良かったと、今心から思っています。

本当に絶望的に金にはならなかったけど、頑張って発信していれば影響を受けた人と交流もできる。

くらげさんの名言でもある

”リア充は発信する必要はないけど、非リア充はブログでもツイッターでもいから発信しないとリアルじゃ誰も聞いてくれない。でもネットなら誰かが聞いてくれる”

という言葉は本当に名言だと思っていますし、今心からそれを実感しています。

追伸

自分が他人のことをこれだけ熱く語るとは少し驚いています、それだけ嬉しかったのでしょう。

「風の谷の無職」というブログ名で、私がブログを書き始めた時に、実はくらげネコ氏が、なにかのコミュニティですでに「風の谷の無職」を使っていたという事実に気づきまして・・・その件をここでお詫びさせていただきます。

影響を受けたくらげネコ氏のブログ👉進撃の無職


 

ばっくれ指数 84

くらげさんと交流できた +10

かつてないブログへの愛が襲ってきた +5

少し腰が痛い -2

風の谷解約料が心配「継続要素」日/-2。-2

73+11=84

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八王子でいっしー氏、愛内氏と初めてのブロガー(無職)オフ会。

引越し準備でエアーベッド(これも寒かった)が無くなって、寒い寒い言いながら起きて慌てて暖房を入れる。

最近はあまり朝寝坊していないので、今日は予定もないからゆっくり寝ていようと思った。

時刻は午前9時ごろ、なんだか夢か現実か分からないような夢をみながらも、半分起きているような状態だった。

「友達百人できるかな!?うぃ~!」

などと言っている、なんだこれは?幼稚園の年長の頃の夢らしい、次は幼少の頃のガキ大将に向かって喧嘩を吹っ掛ける自分の夢などが、今勉強している中国の

「チャンチャンスイピン!!シェンマシホー!」

などという幻聴の間に見える。

ああそうか、ほとんど友人のない私にもたくさん友達がいたんだな~これは昨日も考えさせられたことだったような・・・・そうだ昨日はオフ会だったんだ。

なんとなく目が覚めて、これが夢なんだと気づきはしたがいろいろ精神を消耗したらしい、眼は涙で濡れていた・・・。

オフ会である、初めてブロガーに会ってきた。

それも今最も注目される無職人ブロガーである愛内さんと、強い発信力と万人うけするキャラで人々を魅了する無職、いっしーさんと3人で会うことになった。

変に構えない方が良いのではないかと思ったし、実際あまり緊張はしていなかった。切り替えが下手で、二時間前行動が当たり前の自分が珍しくギリギリに到着メッセージを送ったほどで、それまで八王子駅裏の本屋で「地球の歩き方チャイナ東北部編」を迷った挙句買ったりしていた。

この本があれば、最悪学校には行ったものの騙されていて学校がなかったということになっても大丈夫である、迷わず日本に還れるはずだ。

お2人は若かった

いっしーさんに関しては20代半ばであることは知っていたが、愛内さんに関してはブログでおっさんアピールをしているところを鑑みて自分と同じ30代であると思っていたので、いっしーさんより若かったのには正直驚きを隠せなかった。

今までどんなカテゴリーに入っても、複数人が集まれば最年長者にはならなかった自分が、初めて最年長者となった瞬間だった。もっともこれは前職が比較的高齢者の多いタクシーであったことも関係していると思うし、そういう点で次の職場では自分の年齢を感じることが多そうで、今後このようなケースが増えてくるだろうと考えさせられた。

王将👉カフェ👉24時間営業の大衆居酒屋

軽く挨拶を済ませた3人にもう余裕はなかった、時刻は一時をまわっており、皆無職で腹を空かせていたのだ。

人生でここまで、

「無職、無職・・・無職が・・・無職なんで・・・」

という言葉が連発されるシーンは初めてで、自然に会話しているにも関わらず、それはどこかシュールだった。

そして、なるべく安いところを考えてたどり着いた場所が、餃子の王将だった。

餃子の王将での会話は正直言ってよく覚えていない。注文を済ませて料理がくるまでは腹が減って会話に集中できなかったし、料理が来てからはもう会話どころではなかった。

鳥の揚げたもの、そう唐揚げなるモノが私の前に横たわっていた。肉である!!これは紛れもない高カロリーの部類に入る肉だった!

私はサラダなどには目もくれずに肉を味わった、そしてゆっくりと飲み込みながら時間をかけて唐揚げを味わった。うぃ~教では肉食を禁じているわけではないものの、大っぴらに肉を食べることには抵抗を持つ信者が多いし、教祖自らとなるとなおさらなのだ。

教祖はひそかに思った、チャイナうぃ~に行く前に一人で王将のカウンター席で肉を食おうと、そう心に誓った。

私の中ではもう餃子の王将ではなくて、肉の王将だった。

お2人とも常識人でした

肉をたいらげて王将を出るころにはようやく会話に集中し始めた。

 

会話は主に、

  • 他のブロガーについてと交流関係
  • それぞれの過去の職歴や自己紹介

的なことがメインだった。

いっしーさんと愛内さんがはてなブロガーということで、ほとんどはてなブロガーの人が話題にあがった。やはり無職の人が多いので、皆が同じように社会で働けずに自立しようと模索している姿があったが、それを実現できた者はわずかなようだった。

実際私も株やブログで夢破れ、チャイナうぃ~の道を進むわけである。

常識のなかにも香る、たしかなうぃ~

「いっしーさんがブログを一年も書いてる人は間違いなく変態ですよ」

と言って、愛内さんは否定していたし、私もそんなことはないと思っていたけれど、やはり今考えると3人ともうぃ~を隠しきれていないところもあって、やはりどこか普通ではないぶっ飛んだ部分があるんだろうなと、今は思ってしまう。

これはかなりオブラートに包んだいい方であって、簡潔に言えばみな変態なのだろうと思う。やはりいっしーさんの見解は正しかった。

 

結論

3人とも変態でした。教祖からの報告は以上です。

 

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岩見彩乃プロはなぜ急にPリーグで優勝できたのか?

型破りなバックアッパー、岩見彩乃。

Pリーグ

テレビ東京系列でPリーグという女子プロボールのトーナメント戦が、録画で放送されています。再放送もやってるのかな、なので週2回ぐらいやってますよね。

そんなに真剣に見ているわけではないのですが、なんとなく毎週録画しているので暇なときに見たり、リアルタイムでもNHKからチャンネルが自動で切り替わる(録画中に他は観れないため)のでけっこう観ます。

 

岩見彩乃プロ

Pリーグの中に毎回かわいいコスプレのような衣装を着たプロがいました、嫌でも注目してしまうし、なによりバックアップ投法という特殊な投げ方をしており、そのボーリングスタイルが素人目にも魅力的で、個性にあふれる岩見プロに自然と注目していたんです。

右投げなのにこの球出しで、ここからガーターすれすれまでいって強烈な時計回りの回転によって真ん中にいきます。なのでフツーの右投げの人の逆ですよね、このスタイルは少なくともPリーガーにはいない特殊なものです。

 

プロとしてはギリギリのところだった

つい最近までは初戦突破をしたことがなかったらしく、プロとしてはギリギリの実力だったのですが、最近なんとなく観てないうちに初勝利をあげて、そのままの勢いで決勝進出、なんと優勝したらしいのです。

これには正直驚きました・・・・最近は順調に勝ち進むことが増えて、人気に実力も伴ったことで今注目のプロとなっています。

 

なぜ急に伸びたのか?

丁寧に録画を見返すと、解説の男子プロの方がこれじゃなかなとう回答を示されていました。それによると、3歩助走から4歩助走に変えたということが、最大のポイントではないかということでしたね。

たったそれだけのような気もしますが、何事もそんなもんですよね。

もともとこの投法は回転量が多くまっすぐは投げられないので、スペアをとるには不向きなようですが、岩見プロもまだスペアをミスすことが多いですよね、ミスが減ってくればさらなる飛躍ができそうです。

 

まとめ

明らかに、ルックス人気のアイキャッチャー的存在に見えた岩見プロですが、今では完全な実力者になってしまいました。

どんな分野にしろ、ここまでの変貌を遂げた人物を私は知らないので、きっと陰ながらの地道な努力があったのでしょう。

今後とも要注目の岩見彩乃プロの活躍を、陰ながらに応援したいと思います。

 

『ドキュメント72時間』で最も印象に残った”マグナム依田さん”という人

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日馬富士ファンとしてはツラ過ぎる~それでも魅力的な相撲と絵~

ファンとしては残念でならない

今問題になっている日馬富士の傷害事件ですが、一ファンとしてはとてもつらいところです。

 

力士で一番好きかもしれない

力士の中でおそらく現役では一番か二番目に好きだと思います、もう一人はベテランの豪風ですね。

私はどちらかというと、厳しいおっつけを武器に闘いながらも、マルチにこなして前に出ていくスタイルが好きなんですが、日馬富士もそのタイプの横綱で本当に好きです。

あの鋭い矢のような立ち合いと、幕内最軽量で横綱を張る姿にはモンゴル人ということを超えた魅力を発しており、日本人の琴線に触れるものがあります。

 

溢れる人間味

それからモンゴルに対する慈善事業などにも積極的にかかわっており、メディアから伝わってくる印象やアナウンサーの声からも、

「誰よりも努力する」「もし足首の怪我さえなければ」

という声がいつも聞かれました。

 

絵画もプロ級

モンゴルで美術系の高校に通っていたこともあって絵画もうまいですよね。本格的な油絵なのですが銀座で個展を何度も開いています。 ※グーグル画像検索

自分の色彩を写実絵画に落とし込む技術は素晴らしいものを感じますし、画面へのまとめ方がプロ顔負けで、なにより多忙の中で絵を描いているだけでも凄いと思います。

多彩な表情と感性をもった天才型の人物でしょう。

 

NHKの時論公論でも

今一番報道の多いニュースとなっており、毎日新しい情報が報道されています。NHKで0時ごろにやってる時論公論でも話題にされていましたが、担当は相撲解説でもおなじみの刈谷アナウンサーでした。

番組では、

  • 相撲界が体質を改革できたかに見えた時だったこと
  • 横綱の不祥事であったこと
  • その横綱が、日馬富士だったこと

が衝撃だとして、解説の刈谷アナウンサーも平幕の頃からよく取材しており、何度も食事を共にしたが、特別酒癖が悪いとは感じたことがないということで、驚きと困惑の感想を語っていました。

 

考えてみると、不安がなくもなかった

いま思えば日馬富士がいくら人情派でも、その人柄と魅力は大陸初のもので、日本人と結婚し、心からどっぷりと日本に染まろうとする白鳳とは違うのだと感じます。

それは鶴竜についても同じことが言えると思いますが、どちらも朝青龍タイプで、血までは日本に染まっていないところが魅力だし、人間味も感じさせます。だからある意味では日本人が理解できない感覚を多分に持っているだろうし、そういう意味では今回の事件も起こるべくして起きたのかもしれません。

 

貴乃岩だったという不運

おそらくあまりにもひどく暴行されたというので、角界の改革派である貴乃花親方を説得しきれずに、逆に角界を変える材料にされてしまったというようなところだと思います。

貴乃岩の師匠が貴乃花でなければ、この事件は黙殺されていたと思いますね、本当に不運と言うほかはないです。

 

私はファンであり続ける

力士は相撲がすべてだと思います、朝青龍だっていい相撲をとったので私の心に残り続けています。

間違いなく引退は免れないでしょうが、私の心には日馬富士の相撲が残り続けるし、今後のモンゴルでの活躍を祈りたいと思います。

 

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期間工が語る『40歳過ぎたら楽になる』は本当なのか?

私は引越し、期間工、タクシー、派遣など、色々な底辺職を渡り歩いてきたその道の人間であるが、皆が同じように語るある言葉がひっかかっている。

 

40歳を過ぎたら急に人生が楽になり、幸せ感を味わい始めるという

 

あぁ~楽になるよ~40過ぎたら、う~ん楽しいね~も~ね~気楽

などといって皆が静かにほほ笑むのだ。

 

いったい39歳から40歳までの間になにがあるというのだろう、このことは自分の数少ない希望の一つになっている。

 

 

20代後半から30代前半が一番キツイ?

28歳ですか~一番きつい時期ですね~(・∀・)ニヤニヤ

とはホンダ期間工時代によく言われた言葉だ。

私の聞いた経験から言うと、30代は一番悩む時期であるという。当時私は20代であったが、確かに30代の人は、前半であろうが後半であろうが、皆が一様に死んだような顔をして迷走しているようにも見えた。

 

39歳期間工Tさん

今まで引きこもってた、だから俺職歴とかなくて。でもこの年じゃフリーターの仕事もなくなっていくから、一大決心で来たんよ

みたいなことを言っていた、働き方にも不器用さがよく出ていたし、なにより闇に支配されたような暗い目が印象的だった。

 

33歳期間工Aさん

やっぱり勉強してきたことを生かそうと思ってるから、外国に行こうと思っている。9カ月やったらカナダに行くんよ~

といっていた、今の自分と同じだ、年齢まで同じである。この人も、20代組に比べるとなぜか暗い表情をしていた。

 

 

それに対して40代は明るかった

40歳Hさん

初対面でいきなり

クニヤメさんはいくつですか?はぁ~ニヤニヤ、一番キツイ時期ですね~

などといきなり言われる。とても穏やかで不器用そうにもみえるが、なにがどうしたというのだろう。

僕は30代前半が一番きつかったですね~

どこか自然体である。

 

40代期間工Kさん

楽ね~もう本当に気楽ですよ。

 

40代期間工Oさん

今は本当に楽やな~あん、自分のために働いて~自分のために使う、ほら~あれや毎月ひとつづつ揃えていくんや

と、今月はスマホデビューしたと得意顔である。

 

 

性格の問題ではない気がする

皆、独身だったし、いろんな性格の人がいた。しかし40~45歳ぐらいの人の精神状態はみなが安定しているようで、顔がおだやかだったのが印象に残っている。

 

40代後半から50代はどうか

幸せ感はないが、自らの目標をしっかりと持っている人が多いように見えた、それはたいていお金のことだったりするのだが・・・

 

まとめ

迷いが消える時期

おそらく40代前半というのが、迷う必要がない空白地帯のようになっているのかもしれない。

親と30歳差としてもまだ70歳と車を乗れるぐらいの年齢だし、就職も非正規ブラック企業タクシーなどの求人しかないだろうから、自然と生きることに直接向き合えるのかもしれない。

 

40歳まであと6年

9月で私は34歳になる、なんとか40歳まで生き残りたいと思う。

 

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”ホームレスからの言葉”を伝えてくれた先輩のこと

ホームレスからの教訓」が読まれている記事トップになってしまい複雑な気持ちの無職

この記事は元職場のタクドラの先輩からの引用、さらに元はホームレスの方の言葉です。やはり無職の人間ぐらいでは、ホームレスに勝てないということなんでしょうか。

 

今日はこの先輩”Mさん”について書きたいと思います

それでいいんよ

Mさんは、タクドラ時代の先輩である。

グフフフフフフフフッ グフフフフフフフフッ それでいいんよ~

が口癖の人でした。

おもしろいやろ~困るやろ~悩むやろ~グフフフフッ それでいいんよ~

とにかく

それでいいんよ

が口癖で、ひどい時には意味もなく連発していました。そしてわけもなく笑っていました。

つまらん男にだまされたキャバ譲が乗ってくるやろ、託児所行くやろ、なんかしらんけど俺らドライバーにあたってくるやろ、でもそれでいいんよ(・∀・)ニヤニヤ いいんよ~

娘の旦那が働かんやろ~俺が働かないけんやろ~でも70前で糖尿秒でしんどいやろ~でもそれでいいんよ~(・∀・)ニヤニヤ

いいんよ~うぃ~いいんよ~うぃ~

とにかく、他人、自分問わずに、すべてはそれでいいんだという境地に達しておられました。

 

全部自分のせい

もう一つよく言っていたのが、全てが自分のせいだということでした。

よく24時間勤務で、翌実帰ってきてから話していたんですが、とある日の会話です。

クニヤメ

朝、六本木の工事現場で上から資材が落ちてきて頭を貫通して通行人が亡くなったそうです

Mさん

あ~ほんとに~全部自分のせいだから、それでいいんよ~(・∀・)ニヤニヤ

クニヤメ

えっなんでですか(*_*;歩いてたらいきなりパイプが落ちてきたんですよ

Mさん

いやっ、そこにおったんやから、その人が~それでいいんよ~(・∀・)ニヤニヤ、やられ事故も全部自分のせい、それでいいんよ~、そこにおったせいなんやから~いいんよ~

 

あまりの達観ぶりになんでそんな風に考えるようになったのか聞いてみたことがある。

クニヤメ

あの~なんでそんな風に、全部自分のせいって思うようになったんですか

Mさん

いろいろなことがあって~そう思うほうが楽って気づいたんよ~いいんよ~それでいいんよ~(・∀・)ニヤニヤ

ということだった。なんとなく重みがあった。

 

みんな避けていたMさん

Mさんに捕まったら帰りが遅くなる、いつしかそんなうわさが広まり、皆避けるようになっていた。そりゃそうだ、ただでさえ24時間働いて疲れてるのだ、体はボロボロで眠いし、15年戦士の大先輩でもある。

しかし、そこは国矢眼の真骨頂である。この人の奥義を吸収しようと毎日、2時間、3時間かけて洗車をしながら教えを乞うた。

いつしか、出番日があまり重ならなくなり、そのまま私が退職したために最後の挨拶はできなかった。酒の席で会うと嫌われるから行かないといって、外での会にも参加していなかったので、それきりになってしまったけど、またいつもの調子で言ってくれるだろうと思う、

それでいいんよ~

と。

 

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私が出会った有名人

今日は、私が出会った有名人が、なぜか出世していくというお話です。

私は、都心でタクシードライバーとして3年半働きました。

ザギン(銀座)、ギロッポン(六本木)や西麻布、二丁目(新宿二丁目)など、主要な都市はほぼ網羅していましたので、国会議員、力士、作家、芸能人など、あらゆる有名人の仕事をしました。

 

また、新卒で就職した会社も、京都の染色関係で、一部上場企業社長や、芸能人、有名人に会え、会話できる環境でした。

この工房は、古くは川端康成が逗留し、日本の最高峰小説「山の音」を執筆したという、旧料亭「千鳥」を改装した伝統ある建築でした。

 


2002年ノルウェー・ブック・クラブ公表(世界54ヶ国の著名な作家100人選)

 世界54ヶ国の著名な作家100人の投票で選んだノルフェー・ブック・クラブ史上最高の小説ベスト100のリストです。ただし、この小説ベスト100のリストはランキング順ではなく、1位の「ドン・キホーテ」以外は、作者名のアルファベット順で公表されています。

タイトル/著者
1位 ドン・キホーテ /セルバンテス
崩れゆく絆 : アフリカの悲劇的叙事詩 /チヌア・アチェベ
9つの物語―アンデルセンクラ… /ハンス・クリスティアン・アンデルセン
高慢と偏見 /ジェーン オースティン
ゴリオ爺さん /バルザック
モロイ /サミュエル・ベケット
マロウンは死ぬ /サミュエル・ベケット
名づけえぬもの /サミュエル・ベケット
デカメロン /ボッカッチョ
伝奇集 /J・L・ボルヘス
幻獣事典 /J・L・ボルヘス
ドン・イシドロ・パロディ 六つの難事件 /J・L・ボルヘス
嵐が丘 /エミリ ブロンテ
異邦人 /カミュ
パウエル・ツェラン全詩集 /パウル・ツェラン
Journey to the End of the Night /Louis-Ferdinand Celine
カンタベリー物語― /チョーサー
Nostromo /コンラッド
神曲 /ダンテ
大いなる遺産 /デキンズ
Jacques the Fatalist and His Mastern /ドニ・ディドロ
Berlin Alexanderplatz /Alfred Doblin,
罪と罰 /ドストエフスキー
白痴 /ドストエフスキー
カラマーゾフの兄弟 /ドストエフスキー
ミドルマーチ /ジョージ・エリオット
見えない人間 /エリスン
王女メディア /エウリピデウス
響きと怒り /ウィリアム フォークナー
感情教育 /フローベール
ジプシー歌集 /F.ガルシーア ロルカ
百年の孤独 /ガルシア・マルケス
血の婚礼 他二篇―三大悲劇集 /ガルシア・マルケス
Mesopotamia /Gilgamesh,
ファウスト /ゲーテ
Dead Souls /Nikolai Gogol,
ブリキの太鼓 /ギュンター・グラス
The Devil to Pay in the Backlands /ローザ, ドノーソ
飢え /クヌウト・ハムスン
老人と海 /ヘミングウェイ
イリアス /ホメロス
オデッセイア /ホメロス
人形の家 /イプセン
ヨブ記 /旧約聖書
ユリシーズ /ジェイムズ ジョイス
城 /カフカ
審判 /カフカ
シャクンタラー姫 /カーリダーサ

山の音 /川端康成

その男ゾルバ /ニコス・カザンザキス
息子と恋人たち /ロレンス
Independent People /Halldor K Laxness,
Complete Poems /Giacomo Leopardi
黄金のノート /ドリス・レッシング
長くつ下のピッピ /アストリッド・リンドグレーン
Diary of a Madman and Other Stories /Lu Xun
Children of Gebelawi /Mahabharata
ブッデンブローク家の人びと /トーマス・マン
白鯨 /メルヴィル
エッセー /ミシェル・エイクム・ド モンテーニュ
ビラヴド /トニ・モリス
源氏物語 /紫式部
特性のない男 /R. ムージル
ロリータ /ウラジミール・ナボコフ
Njaals Saga, /-
1984年 /ジョージ・オーウェル
変身物語 /オウィディウス
不穏の書、断章 /フェルナンド・ペソア
エドガア・アラン・ポオ全集 /エドガア・アラン・ポオ
失われた時を求めて(プルースト全集) /マルセル・プルースト
ガルガンチュワ物語 /フランソワ・ラブレー
パンタグリュエル物語 /フランソワ・ラブレー
ペドロ・パラモ /フアン・ルルフォ
真夜中の子供たち /サルマン・ラシュディ
The Orchard /Sheikh Musharrif ud-din Sadi
Season of Migration to the North /Tayeb Salih
白の闇 /ジョゼ サラマーゴ
ハムレット /シェイクスピァ
オセロ /シェイクスピァ
オイディプス王 /ソポクレス
赤と黒 /スタンダール
トリストラム・シャンディ / ロレンス・スターン
Confessions of Zeno /イタロ・ズヴェーヴォ
ガリバー旅行記 /ジョナサン=スウィフト
戦争と平和 /トルストイ
アンナ・カレーニナ /トルストイ
イワンの馬鹿 /トルストイ
チェーホフ代表作 /チェーホフ
千夜一夜物語 /-
ハックルベリーフィンの冒険 /マークトウェイン
ラーマーヤナ /ヴァールミーキ
The Aeneid /Virgil
草の葉 /ホイットマン
ダロウェイ夫人 /ヴァージニア ウルフ
灯台へ /ヴァージニア ウルフ
ハドリアヌス帝の回想 /マルグリット・ユルスナール


中小企業の社長や、知る人ぞ知るという風な人には日替わりで会え、かなり深い会話までできました。

何度か泊まり込みで働いたときに、執筆した部屋【川端の間と呼ばれていました】で布団を敷いて寝ていました。

どんなに風邪気味でも治ってしまう、夢は見ずに安眠できると社内で噂だったんですが、本当にそうでした、不思議です。

今回は、有名度に関わらず、出会った後の出世度合いでランキングしてみたいと思います。

無職が出会ってから、出世したような気がする有名人

第10位までまとめたので、順に書きます。

第10位 佐藤江梨子(女優)

そんなに出世してない気もするけど、タクシーで女優さんも乗ってくるよということで・・・。

秋深き」という映画が好きで、その主演が佐藤江梨子さんだったので、気になってだいたいの映画を観てたので、西麻布でいきなり乗車されたときは感動しました。

タクシーは、どんな有名人相手でも、向こうが勝手に話しかけてくれるのが良いところだと思います。

道とか説明するのはお客様しかできないので。


第9位 森泉(モデル)

ご乗車された時点で、十分に有名でした。

その後も人気を保っておられ、活躍されています。

DIYにはいつも感心しています、テレビの通りの気さくな感じでしたが、背の高さと、細さに驚きました、さすがモデルさんです。

どこだったかな?たぶん西麻布かな、3人でご乗車後、お二人が先に降りて最後はお一人になりました。

第8位 北野武(監督)

このランキング外の人も含めて、私が出会った中で最もビッグな人です。

最初の職場で、監督が修行した浅草のストリップ劇場「ロック座」兼大衆演劇場「大正館」の社長の、カバン持ちとして1週間だけ修行することになりました。

私が、染の師匠への弟子としての仕事ができていない(カバン持ち、煙草の火をつける等)ということで、急きょ決まって東京に行くことになりました。

そこで社長の家に寝泊まりしながら、監督とも同じ空間で過ごさせていただきました。ただ残念ながら会話はできなかったですが、高級車を何時間も警備したのをよく思い出します。

その他にも様々な芸能人の人と、3人で食事に行かせていただいたり、貴重な体験をさせていただきました。ただ、カウンターに座って日付が変わっても、何一つ口にできず、弟子の辛さを味わいました、空腹と闘う一週間でもありました。


第7位 小籔 千豊(芸人)

タクシー無線の仕事でした。

毎日タクシー通勤なので、私の会社では有名な人でした。

今も人気をキープされています。

人気芸人さんは、テレビ局に行く仕事が必然的に増えるので、毎日タクシーを利用されている人が多いと思います、タクシーの仕事は本当によく、芸人さんに出会えます。


第6位 バカリズム(芸人)

この辺りから出世率が上がります。

この芸人さんも、テレビの露出が増えました。お笑いだけじゃなくて、司会や他ジャンルでも出演してますよね。


第5位 勢(関取)

当時はまだ、幕の内二桁で、実力はまだまだの力士だったと思います。

その後、三役にも昇りつめて、角界の人気者になりましたよね。


第4位 早乙女太一(役者)

会ったのは染公房、勤務時の2005年、座頭市で映画デビューされていましたが、まだ少年という感じで、ほとんど知名度はなかったと思います。

北野監督つながりで、早乙女太一さんが着る、舞台衣装を染めたりしました。本人が工房にきて、深夜の2時、3時まで私も働いたことを思い出します、本当に辛かった。

その後、「流し目王子」という言葉が出てきたり、モデル西村 茉希さんとの結婚も話題になりました。

染の工房に何度も来ていただいたということで、リストの中では最も深くかかわらせていただきました。


第3位 澤部 佑ハライチ)

タクシー無線の仕事でお会いしました。

毎年、テレビやCMで見かける機会が増えている気がします、今一番勢いのある若手じゃないでしょうか。

役者もやったり、若手を代表する芸人さんになりました。

第2位 宮崎あおい(女優)

大河ドラマ篤姫」の撮影前の2005年、染公房勤務時にお会いしました。

なぜか私は、一時間以上そばにいて、ひたすら鮎を炭火で焼いていました。そして、それを給させていただいたりと接待をさせていただきました。あいさつ程度しかしていません。

一般的な知名度は第一人者ではなかったはずですが、篤姫のあとは、日本を代表する女優になりましたよね。

私も、けっこう気になって映画を観たりしました。

あまり好きな女優さんにはなりませんでしたが、
ツレがうつになりまして。は映画館で観ました。
レンタルして観た、「初雪の恋ヴァージン・スノー」という映画が良かったです。


第1位 高安(大関)

もう断トツで1位ですな、相撲界というか、

スポーツ界というか、日本を代表する一人になりました。

当時は、まだ三役にもなっていないし、

相撲好きの私でも、名前が思い出せないぐらいでした。

今時中卒で力士とは珍しいなと思うぐらいでしたが、ここ1年の活躍は説明するまでもありません、

今場所の大関昇進で決定的になりましたね。

タクシーの流しで、乗車されたんですが、大きいけど、タクシーに十分乗れますよ。

ただ存在感がありすぎて、

横に座っているような感じがしたのを、憶えていますね。

 

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ホームレスからの教訓byある路上生活者

この記事は旧会社の先輩、Mさんがホームレスの方との会話をまとめたものです

貸していただいた当時、自分の境遇と重なる部分も多く衝撃を受けました。

会社の先輩は、数年前に片道10キロを歩いて通勤していた時、毎日のように、橋げたでこのホームレスと会話をし、教えを乞うたそうです。

今はどうしてるかわからないけど、どうやらもういないようだということです。

素晴らしい教訓&紛失防止になるので、ここで紹介しておきます。

ホームレスの言葉


母の写真見つかってよかった

写真、一枚しかないから見つかってよかった。

忘れちまうばばぁ(母)の顔。

最近どんどんわすれていく、昔の事、いろいろ、いろいろ、でもいいのか忘れても、よく考えりゃあ。

いい思い出なんてねえ

子供のころから貧乏で、中学を出たらすぐ働いた。

小っちゃな工場の旋盤工で、安月給で、だだっ広い作業場で、夏は死ぬほど暑く、冬は隙間風。

足先、指先が凍りついた。

寮生活、二段ベットで休みは月2回、その休みもでダラダラテレビを観るかパチンコ。休み2回でキレイに給料は消えたっけ。

いつもポケットには小銭しかなくて、それでも時々街に出て映画・・・・・・。

いや・・・・・。映画は嫌いだった。

オレと同い齢の高校生が仲間、あるいはカップルで連れだっているから眩しかった。

映画よりズッ、、、、、と。そんな時はみじめでな、いつか見返す。

胸の中でいつもつぶやいていた。

21の時、勤めていた小ちゃな工場が潰れて、その後はフラフラフラフラ。

運送屋の助手皿洗い掃除夫工場のライン新聞配達。どこも長続きしなかった。

オレは人と馴染めず、人生の階段を昇れなかった。

昇れず退職の繰り返し。だからズーっと下っ端。

オレは不公平!不公平だって思ってた。世の中、不公平だって。

でも本当はちっとも不公平なんかじゃなかったのかもな。

だってオレは何も積み重ねず、一人ですね、ふてくされ、社会から手を放し続けてきたんだから、でも、

こんなオレでも一度だけ、頑張ろうと思ったっけ、板前になろうって。

オレの入った店は追い回し3年、焼き方5年、煮方は10年。

一丁前の板前になるのには15年、20年。その途方もない時間、、、、に。

オレは結局、音を上げ、、、、へこたれた。凹んで垂れた。放棄したんだ、頑張りを。

ポタポタハァーハァー足りなかったんだ辛抱が、、、、。

誰だって、何も考えずにこんな重労働出来やしねえ、どうしても辿っちまう過去。

もう救えねえ過去の自分、戻らない日々。

あの頃

働いていた割烹に、ちょっとだけ手伝いに来た学生がいて、オレみたいな者にも、優しくてキラキラしてて、一発で好きになった。

でも、いえなかった。そんな事とても・・・。

まぁ声を掛けたところで同じ事、無理な話。

釣り合わねぇ、俺なんかとても。

でも、たとえ無理でも、それでもあたってみるべきだったな。ちゃんと断られるべきだった。

失恋しておくべきだった。失恋しそびれた。いや、色恋だけじゃねぇ。全て。自分が悪い時に謝りそびれ、仲間に優しい言葉を掛けそびれ、そして挑みそびれ、とどのつまりいきそびれた。

気がつけば融通の利かぬホームレス、変人、鼻つまみ者

あんなんじゃ損するだけ。社会夫適合者といわれ、でもオレはそれでちょっと安心した、そう安堵した。

オレはオレの人生の失敗を性格のせいにして安心していた。

多分、無能と思われるより良かったんだろう。

まだひねくれ者の方が、オレのこじれ。人生のこじれは逃げ、、、。

逃げだったのかもしれねぇ。

人生に正面から向き合わない「逃げ」、怖かったんだ。

幸せを求めて幸せを得られない事が。成功を求めて成功を得られないことが、優しさを求めて優しさを得られないことが。

結局オレは傷つく事が怖かったんだ。

怖いから他人と繋がらず、他人を許さず自分を守って、結果手にしたのは空洞の人生。

ふがいない自分だ。いききれなかった人生だ。

Byある路上生活者

 

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モーッアルトにも、エルビスにも会っていないが、”プリンス”には会った

プリンスとの出会い

私がプリンスを初めて意識したのは、彼がなくなった時であった。

当時はタクシードライバー真っただ中で、深夜のタクシーの中で、ずっと彼の特番をきいていたのを思い出す。

こんな人いたんだ~、死んでこんなに騒がれるなんて、有名な人なのかな~という印象しかなかった。

しかし、NHKのソングスという番組で取り上げられたのを、なんとなく録音したのを機に、私の中で彼の存在が大きくなっていく。

特に影響を受けたのが彼の言葉だ、純粋に、そして冷静に内面をみつめた強さと儚さが、インタビュー映像から伝わってきた。

 

プリンスの言葉

「僕はステーヴィーワンダーを尊敬していた。彼の曲作りと自分自身の魂との対話にすごくひかれた。僕を導いてくれたのは彼だ、楽器を全て自分で演奏すること、そして自分の信念を貫くところもステーヴィーを参考にした。12歳の時、もう僕にはこれしかないと思った、一生音楽でやっていくんだと」

「(生い立ちの辛い境遇から)本当にやらねばならないことを見極められるようにはなったかな」

「(レコード会社に権利を奪われ、名前を捨てて)立ち止まって時間を無駄にしたくない、だから前へ進もうと頑張るんだ。僕の作品を持っている会社に、激しい憎しみをかんじていることもある。僕の作品が、人の手にあるというのが納得いかなかった。道端で子供に(パープルレインは僕のものじゃないと)といったらびっくりされるだろ?(中略)」

「自分の心がなにをもとめているのか?考えた結果、自分の新しい人生のステージに進むべきだと思った、それで名前を変えることに決めたんだ。そうすることで、今までの自分を切り離せたように思えた。自分にとって名声が大事なのか、自分のハートが大事なのか、結局ハートを選んだよ。」

「(自らの音楽を定義してと言われて)僕は枠にはめられるのが嫌いだ、だからインスピレーション音楽とだけ言っておこうかな。心から作られている音楽はみんなそうだ、全身全霊を込めている人たちのはね。芸術とインスピレーションは、何よりも優先して大切に育てるべきだ、そうすれば、たとえ低迷しても、必ず何かをつかんで迷路をぬけだせるから」

 

まとめ

プリンスがなにを成し遂げて、音楽的にどのようにすごいのかは、正直よくわからないし、知らない部分も大きいが、一つのジャンルでここまで自由になれた人はいないんじゃないかと思う。

プリンスを聴くと、こんな曲でも音楽になるんだ、という真実に気づくことができる。で

も、それは、人生でも、どんなジャンルでもできることなのかもしれない、そう思わせてくれるのはプリンスしか知らない。

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