無職でいることが安定感をます悲しみと矛盾

無職でいることによって、心は安定している。

不安定な記事が増えてしまうのは、単純に金がないからである。

金さえあれば無職でも安定しているが、金がないことによって実は不安定になっている。このことの考察をすべきであると考えた。

 

無職で不安定なのか、金さえあれば無職でも安定なのか

もしあふれる金があったならば、

  • 無職じゃだめな人
  • 無職でも安定している人

にはっきり分かれると思うのだ、私は完全に後者の部類であるので、無職でいるということだけで、それだけで十分なメリットになりえる。ただ金がないために生活に困るというだけで、他の部分ではどんどん健全になっていくことだろう。

 

最低限のカネ

もし1人で生きる分に、必要最低限のカネが振り込まれれば、おそらく一生働くことはないだろうと思う。毎月10万やるけど、一生それ以上は稼げないと言われても迷わずオッケーするだろう、10万じゃ生活できないと言われようが、何と言われようが迷わずオッケーするだろう。

 

なにもいらない

無職じゃあ不安定になるとか、やりがいがないとか、そんなことに困るような性格ではないのである。どこまででも

  • 1人きり
  • なにもしない

ということに、耐えられる過剰な内省的な性格によってすべては解決してしまう。またある意味では自分に厳しい性格である。なにかに逃げることなく10年以上も一人きりでいれば、孤独にはなんとか耐性がつくものだと思っている。

 

ペット(哺乳類)もいらない

私はとてつもなく動物が好きだけど、おそらく自分の孤独をいやすために動物を飼うことは一生ないだろう、つまり一人ぐらしでは飼わないので、一生飼うことはないであろう(メダカとか金魚以外)。

 

無職は拝金主義になったのか

なにが自分を拝金主義に変えたのだろうか。いや、正確に言うと拝金主義とは無縁のところにいると思う、何かを所有するという意味で、自分ほど興味がない人間もいないのではないだろうか。

 

モノが要らない

一生車はいらないし、できれば所有したくない、田舎などに住むことになれば嫌々持つだろうけどそれだけで苦痛である。

牛を持つものは牛によって憂う、何も持たないものには憂う必要がない

仏陀

 

というような仏陀のお言葉があるが、その通りだと思う。

 

 

サービスが要らない

生きることに必要最低限の刺激は要らない、ただどうすれば

  • 苦痛なく生きられるのか

という難題に向き合うことが無職では可能である。

 

そもそもオレッちいらねーじゃん

このようなことを考えると

  • 自殺
  • 出家

などという大層なワードの出現となるが、それらのワードをあえて恐れずに、おくせず思案していくということが重要だと考えている。

 

ブログがしんどい

ブログは面倒くさいし、しんどいけど、文章を考えることによって自分を教えてくれる。文字にするということは、ワードが持つ力が増幅されて悪影響を受けそうなものだが、それ以上に自分を知ることのメリットは計り知れない。

正しく生きれるよう、自分にしか導けない答えに向かって、情報をアウトプットしていきたい。

 

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本当に誰でも月収50万円(手取40万)以上稼げる(たぶん)唯一の方法

 

今日は、都心のタクシードライバーの収入について書きたいと思います。

東京都心のタクドラは稼げる

都心のタクシードライバーは、ハッキリ言ってめちゃくちゃ稼げます。

だから

  • 借金がある
  • 家族のために稼ぎたい

のでしんどくても良いと考えている人にはおすすめです。おそらく、一般的に考えられているイメージの倍ぐらいは稼ぐことが可能だと思います。

 

無資格でも何歳でも、誰でもなれる

最大の魅力が、無資格でも会社が面倒を見てくれるし、何歳からでも正社員になれるし、おそらくニートやフリーターでも若ければ大歓迎w

そうです、だれでも成ることができます。会社は無数にあり、年齢制限がない分、期間工よりもはるかに選考が緩いです。

 

どれぐらい稼げるのか

私の場合

自分の場合は、月に最低限度の11日(約20時間拘束)乗って、額面35万ぐらいでした。これを単純にマックス13日乗れば、額面40万円を超えます。これは1年以上経験すればだれでも可能な額です。

私の通し勤務での最高売り上げ

(無線0、未了解なし、成田なし、非クロ)

さらに稼ぎたい人は半日勤務で、毎晩深夜に乗れば誰でも額面50万円を超えます、これは特別難しい数字ではなくて、一生懸命走ればだれでも届く数字です。

私も慣れない一年目は、毎晩乗るナイト乗務をしたので、手取り30万以上ありました。

 

トップの人

私が働いていた最大手の国際自動車の売り上げトップの人が身近にいたので、詳しく話を聞いたことがありますが、月収90万円、手取りは75万だと言っていました、ボーナスを合わせると年収は一千万円をこえますね

この人は信じられないほどの天才なので、普通の人には不可能ですが、40万円が余裕というのは分かってもらえると思います。

 

会社を選ぶポイント

とにかく頭文字をとって、『大日本帝国』と約される大手4社にはいることです。

どこの会社でも稼ぐことは可能ですが、この4社にもぐりこめば間違いありません、もし無理ならばそのグループ会社でも問題ありません、同じように稼げます。

なお、タクシーに限っては誇大広告はあまり見られません、給与保障もすべて本当だと思いますし、掲載給与が平均額だと思っていいです。

 

女の水商売、男のタクドラ

都心タクシーは一発逆転が可能な、究極の水商売のようなものです。もし向いていて個人タクシーに慣れれば誰でも年収一千万は現実的な数字ですし、安定感抜群の個人事業主に慣れます。

 

都心のタクドラは全く別モノ

仕事は相当ハードですが、自分は誰でもなることができる最も稼げる可能性がある仕事だと思っているので、接客とかが苦にならない人なら検討する価値はあります。今のご時世稼げない仕事ばかりでしょ?未経験で手取り30万円も難しいのでは?

地方からいきなり出てきて、ペーパードライバーだったとろい自分にできたので、たぶん誰でもできる仕事です。

ただ続けることが難しいです、変な奴がいっぱいいますからwでも、

  • 社交性がある人
  • 命がけで稼ぐ覚悟がある人

には本当にお勧めします。

 

関連記事

都心のタクシーはいくらぐらい稼げるのか

都心タクシードライバーへの転職は、どの会社を選ぶきか

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働きたくないが、これからについて考えてみた2

前日の記事のつづきです。

動けないことで、さらに空白期間ができる、でもそんなもの今更どうでもいい気がする、もう普通には生きてはいけないのだから。

引き続き選べるものを上げていってみる。

33歳、無職の選択肢

期間工ウィー

応募できない大手

で、トヨタ系とホンダ系はもう厳しいと思っている。まぁアイシンとかダイハツなら関係ないかもしれんけど、気持ち的に負い目がある。

大手では、村田製作所も一週間で辞めたからだめだです。最近は派遣を通す選考が多いけど、アウトソーシング系も村田と日野のダブルで通せなくなったので、選考会参加も色々難しくはなった。

 

応募できる大手

残された大手メーカーは

  • 日産(三菱)自動車
  • いすゞ自動車
  • マツダ

ぐらいかな、スバル(トヨタ系)に行きにくいのが痛いな。まぁ日産が最後の砦だけど、なくなったらもう二度と応募できなくなるだけで、それでいいと思う、どうせ続かないんだし。

 

日産自動車

色々検討してみたけど、応募するなら日産自動車

  • 横浜工場
  • 追浜工場

のどちらかだと思った。日本写真印刷で縁があった日総経由で応募できるし、週末は八王子のアパートにも戻れそうだ。

 

派遣ウィー

これは、アウトソーシング以外は、どこでも大丈夫だ。

まぁだいたい

  • 日総
  • テクノサービス
  • 日本ケイテム

辺りを自分なら使うと思う。もう5年ほど縁のない世界だけど、業界の特徴が全て頭の中に入っているので、自分がいかに底辺の人間かが分かる。

 

自営

自営でなにかできないだろうか

デイトレにもう一度挑戦する

やっぱり働くことが苦手だから、どうしても株の世界を考えてしまう。儲からないとは分かっているけど、他に可能性が見いだせない以上は気になる存在だ。

 

占い師になる

なんとなく気になっていろいろ調べてみたけど、挫折した個人タクシーと同じで、なろうとしてなるものというよりは、いつの間にかなっていたという類の職業だと思った。

 

カンカン(アルミ缶拾い)になる

釜ヶ崎のまっちゃん

市区町村によって禁止されていない限りは、ホームレスの真似をして、技術をまねれば死ぬことはないと思うが、本気で考えていたため友人には笑われた。

 

死ぬ

自殺は自分には無理そうだ。

 

出家する

いずれはタイで、出家したい。その意味ではバンコクコールセンターにいってタイに慣れるのは良いと思うけど、まだすべてを捨てきれていない。

自分が理想とする生活は俗世では得られないのかもしれない、でも億万長者とかになるとそれはそれで関係ないのかもしれない。そういうことを確認できないで出家するのはお釈迦様とは違って逃げだと思う、でも逃げだと分かっていればそれでいい。

お釈迦様も違う意味で逃げたのだろう、だれも死からは逃れられない、誰もが長短はあるが最後は死と向き合う、その練習を早い段階で始めたいという希望なのだ、いつ死んでも感謝を持って死ねるように。

 

現実的な候補

現実的に考えると、

  • 期間工ウィー(日産自動車)
  • 派遣ウィー(通える範囲)

が一番具体的なような気がする。しかし、これも逃げの選択であって、まぁ間違いなく死にたくなるだろう。

 

現在の目標

とりあえず、期間工ウィーの数々の先輩がおっしゃられていた40歳(39歳という人も)になると全てを諦めて楽になる、30代が一番しんどいという言葉を信じてまず生き残ること。どんなに情けなくても、貧乏でも、まず生き残ること。

その自分にとっては高くなってしまった壁に向かって、私はただ今日を生きる。

 

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働きたくないが、これからについて考えてみた1

無職の選択肢を考えてみた

 

・・・・働きたくない

・・・・・・

 

しかし金が必要だ。

可能性のある選択肢をあげて、今後の生き方や働き方、当座の現金収入について考えてみたいと思った。

現状、

  1. 3年半のタクシー激務
  2. 株の損失退場
  3. アドセンス収入の挫折

など、特に1と2の要因でなかなか動けないでいる。しかしそろそろ動かないといけないのも現実で、色んな選択肢を整理してみようと思う。

 

正社員や契約社員

正社員としての募集はハローワークでも35歳になるとガタッと減って、ほぼなくなるといっても良いから、正社員で経験のあるタクシーを捨てると、未経験の分野を一から覚えていかないといけない。

タクシーの時の様にこれといった職種が見えない今、正社員や契約社員として一からスタートするのは難しいだろう。タクドラデビューは20代だったので、まだフットワークも軽く東京にも出てこれたが、現状では難しいと思う。

 

介護関係

介護関係、とくに津久井やまゆり園のような障がい者福祉施設に興味を持っているが、やはり続けたい仕事でも続けることができなかった(社会不安障害などで)自分である、どうせ長続きしないだろうと思うと、あえて挑戦する意欲は出ないが、ハローワークでも紹介してもらったりはするなど、何度か動いてはいる。

 

トラックドライバー

特に長距離のドライバーは、タクドラと共に大学時代から興味を持っていたので興味はあるが、あまりにもOBから良い噂を聞かないので積極的になれないでいる。

 

教職を生かす

自分は美大ウィー出身であるから、同級生ウィーのほとんどは、教職しか資格を持っていないので皆それを生かして教員になっている。自分も4カ月だけ養護学校で働いており、資格はなくならないのでいつでも働く資格はある。

 

実家に戻る

兄が会社をつくる可能性

税理士事務所で、農業部門を担当している兄が、自分も農業の会社を作ってしまおうという壮大な計画を立てているらしい。2,3人で真剣に頑張れば、けっこう儲かっている家族が多いのだそうだ。しかし、18歳からずっと一人暮らしの自分が実家で暮らしていく自信はなく、いろんな決断が必要だろう。

 

海外逃亡

バンコクコールセンター

一度、西麻布の説明会に参加した会社を受けることはできるし、長続きする人が少ないらしいので選考もそんなに難しくないと思う。人生の最後は、タイで終えたいと思っているクニヤメには絶好の選択のようだが、

  • 日本人相手の職種
  • 給料の安さ(手取り9万程度)

がネックとなり、決断できないでいる。

 

ベトナムの人材派遣業者

ベトナムの人材派遣業者に複数登録してみたが、反応は思わしくない。私の職歴が短すぎて、なかなか企業には紹介しづらいようだ。しかし、日本語教師はその限りでもないらしく、これの紹介があれば一番即決できる道ではある。

 

学習・資格取得

占い

占いに興味を持ったことで、手相四柱推命などの学校に行って専門的に学びたいいう気持ちが少し出てきた、特にタロットが一番興味がある。

 

日本語教師

ベトナムの現地でする場合などは必ずしもなくても良いらしいが、あった方が有利なのは確かなので、今資格を取るならこれに決まりだろう。

 

英語学習

フィリピンや、フィジーなどの物価の安い外国の語学学校にいけば、かなりの英語力がつきそうだし、数カ月いっても無職なら徳しかないだろう。

 

思ったより長くなりそうなので2記事に分けることにします、つづく

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資本主義と人間について。インドと日本の違い。

先日の、津久井やまゆり園の記事から派生したことについて考えたい。

資本主義と人間

資本主義においてはすべてのものが価値がお金を元にして価値を算出される。それが資本(紙幣、株、不動など)を中心に据えた資本主義であって、おそらく人間をはじめ、すべての生命にも値段がつくのではないだろうか。

 

人間の場合

その人物が、今後どれだけの資本を生み出す可能性があるのかを見ることでおおよその値段がつくだろう。

  • 年齢
  • 性別
  • 技術や資格、能力

などによって、様々なところでレーティング(値踏み)がなされているのが現実ではないだろうか。

私は建前が嫌いだ。

私は、本音で生きる不器用な人間なので建前が嫌いだ。

思い切って教育でもそもそも人間はみんな違っていて、その能力や人生は不平等だということを公にした方がいいのではないだろうか。

誰一人同じ人間がいないということは、全ての人間で能力が違うということは当たり前ではないだろうか。

 

あえて闇を認める社会、インド

あえて闇を認める社会はどのようになっているのだろうか。私が2度旅行したインドは、おそらく世界で最も差別の激しいい社会だろう。

カースト制度によって、生まれながらに不浄の運命を背負っており、触れることさえ嫌がられる身分もある。

 

外見を極端に差別する

インドで輪廻から解脱できない人間として代表的なものに、

  • 五体満足ではない人間
  • 皮膚病の人間

という分類がある。

したがってこれらの人々は、ガンジスでも死体が焼かれずに重しをつけてそのまま沈められるそうだ。

分かりやすい外見からも差別する対象をつくり、ピラミッド構成で社会を構築しているのではないだろうか。

 

カーストと日本

蔵前仁一氏の著書によると、日本にはカーストがないと言うと、インド人が

日本は素晴らしい、では日本では差別がないんですね?

と言われるらしい。そこで素直には肯定できないというようなことが書かれている。

 

差別国ほど弱者を助けている矛盾

私は、中国にも4回旅行して色々な都市をまわったが、中国も貧しくてまだ障がい者を助ける制度がないのだろう、道端で物乞いをしていいる姿も見られるし、インドではそれが日常だ。

けれども、これらの国では、差別が公になっている分、たとえば日本のホームレスの様に、社会にまるで存在していないかのような扱いは受けていないように感じる、特にインドではそうだ。

実は日本も、インドと変わらないのではないだろうか。

 

差を認める

インドには、日本より多くの問題があるのかもしれないが、強者が弱者を素直に助けている場面というのは目にする機会が多い。また、生まれたときから運命は決まってしまうので、自己責任という日本では大きな支持を得ている考え方もあまりないと思う。

 

隠すのが変

日本でも、誰もが命は平等ではない、人間すら平等ではないと思っているのではないだろうか。そのことに誰も触れない社会、それが良い社会を造るのだろうか。私にはどうしてもそれが滑稽に思えるし、どこかに無理が生じるのではないだろうか。

 

 

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全てを捨てて出家するには、まだなにかが足りないように思う。

出家するのかしないのか、それが問題だ

働くと死にたくなる自分

無職あるあるといっていいと思うんだけど、働くぐらいなら死んだほうがましと思ってしまって、仕事が続かない人も多いのではなかろうか。

ほかでもない私自身がそうで、

食べるために就職をする

すぐに死にたくなる

頑張って続ける

どこかのタイミングで我慢できずに辞める

というのを人生で繰り返してきた。

そうなると働かなくても生きていける方法を常に考えるようになるわけで、就職していても毎日その手段を考えるようになる。

 

無職でも生きていける方法

無職でも生きていける方法の一つによくあげられているのが、宗教のコミュニティーに入るというものがあって、そういうサイトやQ&Aでは割とよく出てくることだ。

とくに女性には選択肢が多いようで、国内海外含めて小さな村のようなものを作って、そこに全財産を寄付することで、社会とは関わらずに生きていけるようだ。オウム真理教とかもその類の一つではあると思う。

 

仏教へのあこがれ

私は、高校生の時にはすでに仏性へのあこがれが少なからずあって、社会に出る前からその素養はあったんだけど、仏教に興味を持った一番の理由が、おそらく人生が苦だとハッキリいう仏教に共感した点が一番あると思う。

高校の倫理の授業などで興味を持って、お釈迦様がただ人生の意味や苦しみに疑問を持ち、それを解決するという自らの欲のみで出家したということに憧れを抱いたし、

求めるものは得られず、苦難ばかりが続き、生きるということは心身の働き全てが苦となる

というような言葉を読んで、全くその通りだと思ってしまったのだ。

 

日本の仏教に興味はない

そういう意味から言って日本の仏教にはあまり興味はないし、伝統とか風習とか、そんなものはどうでもいい。仏教というのは、もともと生きている自分自身のためであったからだ。

偶像崇拝は禁止で、初期仏教では仏像を作ることも許されず、いかに自分自身で苦の人生を歩いていくのか、自己啓発の究極の形であったのではないだろうか。

弟子に促されて語った、釈迦の最後の言葉が

自灯明 法灯明(じどうめい ほうとうめい)

という言葉であった、これは

ブッダをよりどころとするな、他人をよりどころにするな、ただ自らだけをよりどころにして、真理だけを頼って犀の角のようにただ一人歩めというような意味だ。この言葉に、仏教の心得が要約されているのではないか。

  • いつか別れる不確かな他者
  • 祈っても助けてくれない神様

にすがっても永遠の救いはやってこない、むしろモノや人を所有することで不安は増えていく、したがって瞑想では最終的に、自分の身体すらも捨てて、肉体の制約から自由になることを目的としている。

 

上座部仏教

自分が目指すべきところは、タイヤやミャンマーを中心に残っている瞑想を中心に据えた上座部仏教だと思っている。このような国では、ミャンマーには瞑想ビザがあるぐらいで、出家したいという人を無料でかこってくれる場所がいくらでもあるのだ、仏教徒は社会的にも尊敬されているが、日本とは違って厳しい戒律がある。

 

厳しい戒律

まず女性に絶対触れてはいけない(もちろん結婚できない)ので、電車とかでも僧侶がいると女性は気を使う。それからお金を所有することができない。

自分に莫大な遺産とかあったらさ、遊んで暮らしてたと思う。それが宗教ってなんだ、その部分は王子様で実は側室までいたことが分かっている釈迦とはずいぶん違うけど、宗教って貧乏人の受け皿でもあると思うんだ。

 

悲しいのう 悲しいのう

うつ病とか、働きたくないとか、こんな仏教に興味を持つよな人間というか性質だから、そこから全てつながってると思うんだよな、意味が分からんよ本当に、普通だったらさ、普通に生きていけたと思うんだよね。

意味の分からない自分と 意味の分からない思考と 意味の分からないブログ・・・

 

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納得いくまで無職で考えようと思う。

無職期間が最も長くなったようだ

以前作った人生年表を見てもハッキリ分かる。

人生年表を考えても、ここまで無職を続けているのは初めてになりそうだ。

10年前、まだ24歳だったころにずいぶん長い無職期間があるが、4カ月(7~11月)は職業訓校に通っていたし、その日当も出ていた。そのことを考えると、今まで散々長いこと無職をやっていた気がするけど、意外と3カ月ぐらいしか無職期間が続かなかったことが分かる。

 

焦りがあった

その根底には、貯金があるなしに関わらずに焦りがあったのが一番だろう。今よりは挫折が少なくて、試したいこともあったので、比較的早い段階に動けたのだと思う。でも今考えたらもう少し時間をかけて動いても良かったし、場合にはよっては学校で勉強し直したり、世界一周を試みたり、そんなことをしても良かったかもしれない。

 

今だから分かること

結局どうなろうと働くのは自分だし、生きるのも死ぬのも自分だ。だから、人の考えに影響を受けても良いことはないと思う。特に仕事というのは自分の生き方に関わってくることだから、時間をかけて選ぶ必要があったと思うし、時には周囲の意見を無視するぐらいで良かったんじゃないのかなぁ。

 

自分の苦しみは自分だけのものだ

自分が分からない

自分の事がよく分かっている人ならいいんだろうけど、自分は

  • 何がしたいのか
  • 何ならできるのか
  • なにが向いているのか

まだよく分かっていない、それは逆に言うと続かなくても

  • どんな仕事でも
  • どんな職種でも

ある程度対応できて、求められる水準に達してしまうんだとも思う。

そこには長所を伸ばそうとするんじゃなくて、短所をカバーしてバランスの良い人間になろうとしてきた、自分の性質が透けて見えていると思うし、そのことが自分という人間を知ることをますます困難にしている。

 

自分の経験

自分の経験を自分が一番分かっている以上、自分の判断は自分がするしかないのだろうと思うが、逆に年齢が上がるにつれて、経験が増えるにつれて、自分をふりかえることが難しくなるような気がしている。過去の挑戦は良い思い出になりがちだし、それが自分の人生のすべてにも思えてくるからだ、そのベクトルを生活の楽しみや生きやすさに変えていくというのは自分で思っているほど簡単なことではないように思う。

 

なにものにもなれずに、このまま朽ち果てるのか

色々考えて、行動して、これからもボチボチ働いていくんだろうけども、自分の事が理解できない以上は幸せにはなれそうにない、だがそれはそれで自分の人生だと思うし、そんな人生もあるだろう。だから、せめて自分のことは自分で決断していく、そんなことを心がけたいと考えた。

 

発見の連続

当然だけど家に引きこもって苦しい苦しいいってるだけだから、ブログのネタなんかないわけであって、色々考えて無理やり文章を書くんだけど、そこでまた自分が知らないことの発見の連続なわけです。書いて初めて気づくことしかないというか、40歳過ぎたら、もうそんなこともすべて無意味になって受け入れるのかもしれないから、まずなんとか40歳まで生き抜ければ、それで成功だと言えるし、感謝すべきことかもしれない。

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幼少期、「自分はバカ」が唯一の口癖だった。

幼少期は常に劣等感にさいなまれた人生だった

運動神経がない、勉強もできない

兄の存在

兄はものすごく頭が良かった、どれぐらい良かったかといえば年子の私の点数があまりにも凡庸なので

「お前はそんなもんなのか」

などと教師から聞かれるような始末であった。

だいたい兄弟、姉妹は一人成績が良かったら皆いいいですよね(・・?

それがなぜか家ではあてはまらなかったのだ、なんということだろう。よく覚えていないけど、中学の時に100人ぐらいいて、10番以内には絶対入っていて、当然のように一番いい進学校に行ったよ。

 

自衛隊の幹部候補

その後兄は、高3で自衛隊の幹部候補生の試験に3種類合格して、一番難関の航空学生にいったが、2年ぐらいで辞めて、何事もなかったかのようにすぐに国公立大学に合格、今は税理士事務所で働いている。

航空学生とは?ウィキぺディアより引用

海上保安学校の航空課程と並びパイロットとして確実に就職できる最短コースであるため受験倍率は非常に高い状態が続いており、航空要員は2013年採用試験では受験者2823名に対し採用者は39名(72.4倍)と非常に難関であり、受験者の中には日本航空高等学校などに在籍し受験前に海外で操縦士の資格を取得している者もいる。

 

親はもっと良かった

特に母親なんて、IQのテストが良すぎるとか何とかで親(祖父母)が小学校に呼び出しをくらってなんたらかんたらで、それはもう期待されたらしい。当時はベビーブームで子供が多かったから、中学校は数百人いていつも2番だったらしい!意味が分からん、勉強が簡単で仕方なかったらしいよ。

 

私はすっかり自信を喪失した

私の自我は小1の頃にすっかり自信をなくしてしまった、それは自分の頭の悪さ(兄との差)に激怒して、通知表を破ってしまったほどで、今でもこの通知表はテープでとめられている。

兄の成績が凡庸であれば、あるいは自分の人生は別の方向に行ったかもしれない、自分よりバカだったら人生変わってるよきっと、こんなこと考えたくないけどね。

 

絵で戦ったよ

習っていた書道、得意だった絵と作文で必死に秀才たちと戦ったよ、しかしここでも兄と同じように勉強できるやつが絵も上手いし書道も上手いし頭もいいんだ。だから、得意だった絵でも少し気を抜けば、

運動神経=絵の才能のやつとか、

頭=運動神経=絵=書道の才能があるスーパーマンみたいな女性に負けたりした。

 

読解力は一番だった

そんな中で唯一他を寄せ付けないものが現代文のテストだった、漢字はバカだったけど、小学生の時は現代文は別だったからいつも100点、悪くても90点だった。

しかし、ただでさえ兄の存在に埋もれていた自分に、そんな栄光は小さいものでしかなかったけど、今考えると素晴らしい才能だったな。

 

実は一番頭が良かったんじゃないのか

私は勉強が嫌いだったから、ほとんど授業も聞いていなかったと思うし、勉強しなくて自頭だけで勝負できるのが現代文だったんじゃないのかな?だから高校になっても古典漢文全滅でもある程度は良かったし、偏差値も高かった。

今考えたら、頭のいい奴でもみんな40点とかなのに一人だけ100点だった小学生の頃の国語のテストはスゴイよ、よくやったよ( ;∀;)間違いない、自分は一番だった。

 

悔しいのう、悔しいのう

自分には、きっと素晴らしいなにかがあったはずなんだ、それに気づいて認めてやれなかった自分が一番悔しい、あんな教師の言葉に傷つく必要なんてなかったんだ。

どこの世界に「自分はバカ」が口癖になる子供がいるんだよ、でもそういわれてきたんだから仕方がないじゃないかよ、あ~言葉が出てくる、出てくるよ!自己満足だ、全部自己満足だよ!

 

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いつまでこんな人生が続くのだろう、たぶん死ぬまで続くのだろう

わけいってもわけいっても無職

選択肢を考えても、また苦しみが待ち受けていると思うと動くことができないでいる

自分以外の人に信用されないのならまだいいが、自分を自分で疑うようになってくるともうだめだ。自分の場合は罪悪感にさいなまれようが、無職の時が一番心が安定している。

積み上げていない人

海外スカイプ面接でもまだ若いからと言われたけど、積み上げてない30代など必要とされていないし、そんなこというのなら仕事を紹介してくれたと言いたかった。やはり株の損失があまりにも痛かった、たかが数百万円の金ともいえるけど、自分には未来を託したすべての金だった、あまりにもスケールが小さい話で泣けてくるけど・・・

 

おみくじ効果

おみくじをひいてから半年ほどたつので、

万事 我が頼みに思うものにそむかれることあり

と書かれてあったこと効果は

などで消えてしまったと思いたいが、神のみぞ知るだ。

 

アドセンス減額

アドセンス復帰後は少し安心させておいて、数日後にガッツリ見積もり収益が減額されていた、もうダメだ~どうでもいいです再開する気も起きない。

金にならなくても続けているということは、『風の谷の無職』は自分にとってのなにかになったのかもしれない。

 

明るい兆し

千里眼

自分には軽い千里眼的なものがあって、こうだと確信できれば未来がその通りになるといったようなことが人生に何度か起こった。それがどんなに不可能に思えることで、あぁそうなってしまう、成功してしまったことを未来から見ている感じだ(今のところマイナスのイメージは見えたことがない)。

今年というか、近いうちに明るい兆しがあるような気がしている、自分にとって一見好ましいと思えるなにかだが、まだなにも具体的には見えてはいないから、このまま見えずに終わる可能性もある。

 

千里眼は時間がかる

私の印象では、透視といのか?予知というのかはものすごい時間がかかる。だから、他人のことは絶対にわからないと思う、5年、10年という熟成期間が必要で、その間の規則正しい生活が、一見すると関係ないような結果に結びついてくるというような印象を持っている。

正しく生活をするといっても、読書をしたり、健康管理をしたりというような基本的ことだが、そういうことが人生の運を引き寄せてくるのだと実感するのだ。

なにを言っているっか分からないって?自分もそう思う、普通はこんなことを実感できないのが普通だろうけど、見えてしまったんだからしょうがない。

 

書くことがない

ノーテーマ

今日も書くことがなかったので、ノーテーマで書いてみたけど、ずいぶん苦労して考えたのが結局何もしたくない、死んでしまいたいだったのでこんな文章になってしまった。

それでもあげないよりはましだと思って、無職の間は書き続ける、意外とテキトーに書いた記事が読まれたりするしね。

もう、そんなに長い期間は無職はできないけれど・・・

 

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悟りがみなぎる無職

無職に感謝しようと思う

無職でも生きているということは、無条件に宇宙に生かされているということではないか、私がなんの生産性のないことをしてもとりあえず私は生かされている。

無職であること、無職になる運命であったこと、自らにマイナスのことにも感謝する姿勢というのは瞑想にもつながってくる。

今日はお釈迦様のお話を紹介します。

 

お釈迦様の話

荒地への布教

ある時お釈迦様は、まだ仏教未開拓の荒地に一人の僧を送ることになりました。それにともなって修行を終えた一人の僧と面談をしていくつかの質問をしたそうです、記憶があいまいな部分もありますが覚えている範囲で書きます。

 

悪口に感謝

お釈迦様

「今度お前の行く土地は、たいへん悪人が多いそうだ。お前のことを悪く言ってくるかもしれない、その時はどうするね」

「はい、お釈迦様。私はその者たちに心から感謝して寄り添うでしょう、なぜなら彼らは私に石を投げつけたりはしなかったのだから」

 

投石に感謝

お釈迦様

「では、石を投げつけられたら、お前はどうするね」

「はい、お釈迦様。私はその者たちに心から感謝して寄り添うでしょう、なぜなら彼らは私を棒で叩いたりはしなかったのですから」

 

棒だたきに感謝

お釈迦様

「では、棒で叩かれたら、お前はどうするね」

「はい、お釈迦様。私はその者たちに心から感謝して寄り添うでしょう、なぜなら彼らは私を殺してしまったりはしなかったのですから」

 

殺人に感謝

お釈迦様

「では、すぐに殺されてしまったらどうするね」

「はい、お釈迦様。

世の中には自ら命をたってしまう人が多いといいます、私は若者ながらもこの年まで自殺をせずに生きることができました。私は自らの運命と、自分を殺めてくれたその者たちに心から感謝したします」

お釈迦様

「もうお前に教えることは何もない、今すぐに旅発ちなさい。」

 

恨みをもっている相手に、恨みをもって立ち向かってはいけない

私の解釈

布教の話は、仏教心の厚い私にとっては涙なしには読めないものであって、人生を考える上でも大きな影響をうけている。

この話で、大事なことは人々が一般的にいって自分勝手で悪人だというような存在が必ずいるということではないだろうか、しかし仏教ではその者たちを非難して自らを正当化したり、価値観を押し付けたりはしない。

 

殺人は特別なことではない

現代の日本では皆が自分の利益を追求することが正義であって、お金を稼いでホームレスにそれを配るといったような利他的な社会ではない。だから非常識と言われるような人々が、殺人事件をおかしたところで特別異常なことではない、ただ殺したかったから、自らの利益を追求するために殺したのだ。

 

物事に善悪はない

いつも考えているのが、なんで西郷隆盛とかチンギスハンナポレオンは偉人なのに北朝鮮や麻原彰晃は悪人なのか?ということだ。もっとさかのぼればイスラム教の教祖であるムハンマドも宗教家というよりも商人であり、軍事指導者であり、政治家であった。

 

考えないから戦争が起こる

私は平和を目指せとか、非核化だとかを訴えるつもりにはどうしてもならない、なんで軍隊を組織してより多く殺した人が英雄になるのか、なんで中途半端に失敗するとテロになるのか、そのことを考えない限り解決はしないと思うからだ。

私は仏教的な心から戦争も憎まない、ただ命がけで人を殺すことを拒まずに国に追随した人には、反戦を訴える権利はありませんよといいたい。

 

平和は残酷である

平和を目指すというのは残酷なことであると思う、どんな時も話し合いだけで解決できるわけがない、利害が対立した時に一方が武器をとることは考えればわかる

平和を目指すとは、それでも武器をとらずにただ殺されることだ、それを考えないような者に平和を語る資格はないし、そこからようやくスタートできる。

平和は残酷である、そこには血まみれになった自分と、家族の姿があるだろう、そこまで覚悟を決めてから平和を語ってほしい。

 

善悪を超えて

すべては、それでいい

もし平和の理念よりも、自分の命をとるのなら、それは今までの歴史と同じように戦争を終わらせることはできないだろう、それが人間であって私はそれでいいと思っている。

無職は私の理想とは遠いものであった、同じように平和も遠いものだ、信じられないが毎日、毎時間、人が人を殺し続けている。

でも、私はそれでいいと思って、そのことにすら感謝する一原始仏教徒でありたい。

 

 

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