無職でいることによって、心は安定している。
不安定な記事が増えてしまうのは、単純に金がないからである。
金さえあれば無職でも安定しているが、金がないことによって実は不安定になっている。このことの考察をすべきであると考えた。
無職で不安定なのか、金さえあれば無職でも安定なのか
もしあふれる金があったならば、
- 無職じゃだめな人
- 無職でも安定している人
にはっきり分かれると思うのだ、私は完全に後者の部類であるので、無職でいるということだけで、それだけで十分なメリットになりえる。ただ金がないために生活に困るというだけで、他の部分ではどんどん健全になっていくことだろう。
最低限のカネ
もし1人で生きる分に、必要最低限のカネが振り込まれれば、おそらく一生働くことはないだろうと思う。毎月10万やるけど、一生それ以上は稼げないと言われても迷わずオッケーするだろう、10万じゃ生活できないと言われようが、何と言われようが迷わずオッケーするだろう。
なにもいらない
無職じゃあ不安定になるとか、やりがいがないとか、そんなことに困るような性格ではないのである。どこまででも
- 1人きり
- なにもしない
ということに、耐えられる過剰な内省的な性格によってすべては解決してしまう。またある意味では自分に厳しい性格である。なにかに逃げることなく10年以上も一人きりでいれば、孤独にはなんとか耐性がつくものだと思っている。
ペット(哺乳類)もいらない
私はとてつもなく動物が好きだけど、おそらく自分の孤独をいやすために動物を飼うことは一生ないだろう、つまり一人ぐらしでは飼わないので、一生飼うことはないであろう(メダカとか金魚以外)。
無職は拝金主義になったのか
なにが自分を拝金主義に変えたのだろうか。いや、正確に言うと拝金主義とは無縁のところにいると思う、何かを所有するという意味で、自分ほど興味がない人間もいないのではないだろうか。
モノが要らない
一生車はいらないし、できれば所有したくない、田舎などに住むことになれば嫌々持つだろうけどそれだけで苦痛である。
牛を持つものは牛によって憂う、何も持たないものには憂う必要がない
仏陀
というような仏陀のお言葉があるが、その通りだと思う。
サービスが要らない
生きることに必要最低限の刺激は要らない、ただどうすれば
- 苦痛なく生きられるのか
という難題に向き合うことが無職では可能である。
そもそもオレッちいらねーじゃん
このようなことを考えると
- 自殺
- 出家
などという大層なワードの出現となるが、それらのワードをあえて恐れずに、おくせず思案していくということが重要だと考えている。
ブログがしんどい
ブログは面倒くさいし、しんどいけど、文章を考えることによって自分を教えてくれる。文字にするということは、ワードが持つ力が増幅されて悪影響を受けそうなものだが、それ以上に自分を知ることのメリットは計り知れない。
正しく生きれるよう、自分にしか導けない答えに向かって、情報をアウトプットしていきたい。