そして、街が、季節が暗い。
そして、有り余る極寒。
その中で、なんとなく考えたことです。
極寒と闇の中で
私は真のうぃ~である。
20代の頃の後悔は、枚挙に暇がない。
しかし、である。
私は今、さまざまなうぃ~メインの人生において、やはり私の人生がベストだと思いたい。
そう思えそうな気がしている。
なにもない、金もない、家もない、家族もない、彼女もない、
とりたてていい思い出もない。
だから最近一人の男子高校一年と氷の湖畔を歩き、不覚にもそれが人生で一番幸せなことと思
えてしまったのは、読者諸君の記憶に新しいところである。
私にあるのは、ただ瞑想と腹筋100回うぃ~と、うぃ~御用達の日本語教師だけである。
思い出せば2017年、私は剣玉を片手に無職と戦っていた。
たくさんの人の後押しや協力を受け、私はなんとか日本語教師うぃ~という仕事を見つけるに至った。
2018年、そこからは禊の時とでもいおうか。
これまでの真正うぃ~からの脱却の時期だったかもしれない。
日本語教師として、さまざまな苦労をした。
初めての外国暮らしは、私を瞑想へと目覚めさせるには十分過ぎた。
私は完全に生きる希望も、失望も無くし、無を欲した。
しかし、結局私の運命は穏やかさを選びはしなかった。
コロナが起こり、給料未払いが起こり、私の頭に混乱が起きた。
冷静さを失い、激しく感情をかき乱され、気がつくと私は中国の辺境で隔離されていた。
そこは奇しくも、吉林省よりもさらに北。
今はチチハルに赴任してもうすぐ一カ月が経とうとしている。
個人的な経験から言えば、ここから先の3か月ほどが最も大事な時期になると考えている。
この時期に、とりあえずバックレモードに入っていないというのは、大きな収穫だ。
だが、これからの過ごし方一つで、それは更によくもなるし、転落もする。
もう若くない。38歳になってしまった。
しかし、この年齢からうぃ~を引いて、果たしてそこに何があるだろうか。
うぃ~分の人生うぃ~をマイナスして、そこに私がいるのだろうか。
私は、一種特殊なうぃ~を歩んできたはずである。
その時期が無くて、普通の人生を歩んでいれば、現在全てを手にしていたかもしれない。
人並の貯金も、家も、車も、妻も、子供も、、、、
しかし、そこに瞑想をしながら思索する自分がいるだろうか?
ブログを書いている自分がいるだろうか?
いないだろうと思う。
それは、あまりにも寂しいことではないのか?
なんとなく、そんなことを思った。
私はクニヤメ。
自分の中に最大の価値を求める、うぃ~教開祖である。
しかし、そんなこともまた、この寒さと孤独にかき消されていくようだ。