中国黒竜江省辺境の極寒と薄暗い照明の中で考えたこと。

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部屋が暗い

そして、街が、季節が暗い。

そして、有り余る極寒。

その中で、なんとなく考えたことです。

私の部屋の電気代が高すぎるという問題が発生しています。 こった照明や構造が裏目にでてしまっている感じです。 こういうこと...

極寒と闇の中で

私は真のうぃ~である。

20代の頃の後悔は、枚挙に暇がない。

しかし、である。

私は今、さまざまなうぃ~メインの人生において、やはり私の人生がベストだと思いたい。

そう思えそうな気がしている。

なにもない、金もない、家もない、家族もない、彼女もない、

とりたてていい思い出もない。

だから最近一人の男子高校一年と氷の湖畔を歩き、不覚にもそれが人生で一番幸せなことと思

えてしまったのは、読者諸君の記憶に新しいところである。

ちょっと早く帰ったのでブログを更新します。 昨日マウスを落として壊してしまいました。 それもあってしばらく更新は難しいか...

私にあるのは、ただ瞑想と腹筋100回うぃ~と、うぃ~御用達の日本語教師だけである。

無職ひきこもりなので、ブログ漬けの毎日である。 ブログ、ブログ、ブログの日々 無職以外は、ブログなんてやらない方がいいな、やることが多す...

思い出せば2017年、私は剣玉を片手に無職と戦っていた。

少し前に、試してガッテンの総集編かなにかで、けん玉が脳に非常に良く、 まだできない技を習得しようとする時 すでに習得した技を...

たくさんの人の後押しや協力を受け、私はなんとか日本語教師うぃ~という仕事を見つけるに至った。

2018年、そこからは禊の時とでもいおうか。

これまでの真正うぃ~からの脱却の時期だったかもしれない。

日本語教師として、さまざまな苦労をした。

初めての外国暮らしは、私を瞑想へと目覚めさせるには十分過ぎた。

私は完全に生きる希望も、失望も無くし、無を欲した。

しかし、結局私の運命は穏やかさを選びはしなかった。

コロナが起こり、給料未払いが起こり、私の頭に混乱が起きた。

冷静さを失い、激しく感情をかき乱され、気がつくと私は中国の辺境で隔離されていた

↑隔離されている部屋の窓からみた瀋陽の景観 隔離日記 うぃ 特に書くことが無くなりましたうぃ、でも隔離中はなんとかブログを継続しよ...

そこは奇しくも、吉林省よりもさらに北。

祖父が満州時代にいた黒竜江省だった

大日本帝国の一兵士の記録であるが、ブログでアップすることで、誰かのためにはなるのではと思い、祖父の人生を振り返るついでに引用しておく。

今はチチハルに赴任してもうすぐ一カ月が経とうとしている。

個人的な経験から言えば、ここから先の3か月ほどが最も大事な時期になると考えている。

この時期に、とりあえずバックレモードに入っていないというのは、大きな収穫だ。

だが、これからの過ごし方一つで、それは更によくもなるし、転落もする。

もう若くない。38歳になってしまった。

しかし、この年齢からうぃ~を引いて、果たしてそこに何があるだろうか。

うぃ~分の人生うぃ~をマイナスして、そこに私がいるのだろうか。

私は、一種特殊なうぃ~を歩んできたはずである。

その時期が無くて、普通の人生を歩んでいれば、現在全てを手にしていたかもしれない。

人並の貯金も、家も、車も、妻も、子供も、、、、

しかし、そこに瞑想をしながら思索する自分がいるだろうか?

ブログを書いている自分がいるだろうか?

いないだろうと思う。

それは、あまりにも寂しいことではないのか?

なんとなく、そんなことを思った。

私はクニヤメ。

自分の中に最大の価値を求める、うぃ~教開祖である。

しかし、そんなこともまた、この寒さと孤独にかき消されていくようだ。

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