中国隔離中に考えたこと。瀋陽隔離3日目。2021年9月。

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↑隔離されている部屋の窓からみた瀋陽の景観

隔離日記

うぃ

特に書くことが無くなりましたうぃ、でも隔離中はなんとかブログを継続しようと思っていますから、更新することに意味があると思っています。

ただの日記でも書かないよりはいい。それだけで、生活にはりはでますから。

不思議な事

今一番自分でもしっくりしてないことが、まだ中国にいる現実感がないということ。

中国に二年も住んでいた2018~2019年。毎日住んでいるのに、微々たる高揚感は残存していたように感じていた。それが、今は全くない。まだ中国にきたばかりなのに・・・

なぜだろう?考えられる理由はいくつかある。

  1. 年をとった
  2. 瞑想が進んだ
  3. 中国にいるトータル期間が一定数を超えた
  4. 交流した大多数の中国人が日本慣れしている(日本から帰国、日本語が分かる、外国人慣れしている等)
  5. まだ実際に勤務地、勤務校に行けてない
  6. コロナ禍、隔離下という環境下にいる

といくつかの理由が思いつく。もちろん他の要因もあるだろうが、上に挙げた中のいくつかが中心的な原因となっているだろう気がする。

この中で、なにが一番の要因だろうか?

個人的には4、5、6の原因ではない気がしている。

環境的な変化で高揚感が無いというのなら、今のこのコロナ禍での渡航&隔離と言う非現実的なコースで、高揚しないはずはないのではないだろうか。

ましてや、日本語教師という仕事は同じでも、今回は大学ではない。高校と大学では実際に生活や仕事の面でかなり影響は出てくるだろう。

成長(老化)という線

やはり、可能性が高いのは老化である。もちろん老化は成長と言い換えることも出来る。

精神的、肉体的に衰え、経験値が増したことにより、いろんな意味でストレス耐性がついたり、感度が落ちてきているのかもしれない。

1~3のなかで、特に特出すべきは3になるだろうか。

いくら、肉体的精神的に老化しても、中国に行ったことがないのでは、世界一周をしたようなバックパッカーでもない限り、それは無理な話だろうと思う。

中国の総滞在時間は二年を過ぎるぐらいになっているだろうか。

2度の長期旅行(台湾含む)、3度の中期旅行でかなりいろんな都市を訪れたので、いまさらあっと驚くような都市にもなかなか出会わない。

つまり3によって、耐中国性が十分に育ってしまったのではないだろうか?ということになる。

もちろん、それだけでは説明できないことではあるのだが・・・

隔離が明けて

果たして、隔離が明けてから、どのような展開がまっているのだろうか。

ここまで自分の考えを整理すると、不思議なことに少しワクワクしてくるではないか、人間とは不思議なものである。

どんどん、変化していくしかない。

変化を恐れずに、進んでいく。実はそれが最も安全なことである。

さらに北方で新しい生活が始まる。

それは、半分は私が期待したことではない。では、誰が期待したことだろうか?

それは、たぶん私なのだろう。やはり、私うぃ~なのだろう。

新天地への赴任、日本語教師が中国僻地へ赴く時、なにが必要だろうか?

それを明日以降考察してみたい。

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中国隔離中に考えたこと。瀋陽隔離3日目。2021年9月。

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