瀋陽からハルビン隔離ホテルへ新幹線で移動。中国隔離14日目。2021年10月。

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中国の歴代詩人のテーマの一つに、望郷というテーマがあるように思う。

中国は広大で、古代から既に広大だった。
情報通信網の発達により、その中国で望郷の念を深めるのは、今外国人ではないかと思う。
昔は四川や甘粛省出身の詩人が望郷を詠っていたが、現在では一日で帰れてしまう距離になってしまった。
日本や印度にしろ、中国からの距離はそんなに感じない。

しかしである。

当時の数百分の1、数十分の1に時間短縮されたといっても、それがそのまま感覚に落とし込まれ、望郷を完全に忘れることができるだろうか。

このあたり、ずっと考えてきたことで、やはりそれは無理な話ではないかとも思った。

ちょうど読んでいた下川裕治氏の『シルクロード中央アジアの旅』

という本の中に、これはと思う一節があったので引用したい。

あれだけの難路を三年もかけてインドに向かった理由が、唯識の疑問を解きたいということだけだったのか……と。唯識はそれほどすごいものなのだろうか。

トルファンの高昌国に入ってからは、各国の王に援助を受けたとはいえ、その距離はあまりに長い。玄奘が進んだルートを完全にではないが辿った身にはよくわかる。

当時と違い、いまは列車や車での移動である。それでも長い距離だった。

天山山脈の峠を越え、中央アジアを横切り、車内の気温が五十度を超えるような炎熱列車のなかで耐えてきた。玄奘はその旅のはじめ、高昌国の莫賀延蹟では命を落としかけてもいる。

それほどまでにしてインドをめざし、身につける価値が有識にはあったのだろうか……と悩んでしまうのだ。

17年という歳月をかけ、有識(今風にいえば空の思想)を学びに行った玄奘に、現代彼の旅を再現して旅を綴った下川氏が思いを述べている。

下川氏は、時間は圧倒的に短縮されたが、過酷だったと書いている。

哈爾浜行の車内でこれを読みながら、そうだよなぁと妙に納得してしまった。

コロナ禍の現代、私は目的地の省に入るまでに3週間を要し、さらにここから省内の最終目的地である学校の教室までは、まだ3週間以上を待たなければならない。

いよいよ、現代においてついに、玄奘の旅の片鱗を観ることが叶う時代になったのかな、そんな風にも思った。

瀋陽隔離2週間、ついに解除

さて、私の旅である。

16時24分に隔離解除と伝えられていた。

16時過ぎにフロントから電話があり、一階へ降りるように言われた。

この時点で、どのように駅へ向かうのかはよく分かっていない。

時間になり皆が騒ぎ始めたが、言葉も状況もつかめない中、とりあえず隔離証明書が受け取れるような列に並んだ。

それが終わると、外に出てとりあえず新幹線に乗りたい主張をしていると止まっているバスに乗れと言われた。

乗ったあともずっとホテルの中がけたたましい。いろいろな境遇や場所に移動する人がいて白い防護服の管理者達と各々口論していた。

とりあえずバスは満員になり、出発した。

遼寧省の省都、瀋陽

外はまだ少し明るく、夜に到着した時には見えなかった瀋陽の大都会が広がっていた。

色々記録したいことがあった。

ホテルでは怖くてスマホを構えることができなかったが、ゴソゴソとスマホを出して写真を撮り始める。

高層ビルが立ち並ぶ。大都会である。

もしこの街で生活できるなら、なにか大事なものがたくさん見つかりそうな気もした。

しかし私はチチハルうぃ~に行かなくてはならない。

リアルに想像すると、やはり私にはその方がしっくりきそうな気もした。

瀋陽北駅

バスは瀋陽駅、瀋陽北駅と続いて止まった。

私は瀋陽北駅でハルビン行きの新幹線に乗ることになっている。

こちらは寝台列車や普通列車が多い瀋陽駅

瀋陽北駅についても防護服づくめの人の対応は続いた。

切符を買う必要もなかった。

レッドゾーンのような区画の中で待たされ、列車が来る30分ほど前に1人づつピックアップされていった。

ずっと白い服の人がついていて、時にはそれがマンツーマンとなる。

新幹線に乗っても、下りる時も、常に防護服の人が自分だけのために待っているのである。

徹底していた。

もし私が陽性となれば、同じ車両の席の人はなにも知らずに隔離となる。

だから、それが分からないように新幹線内だけは防護服姿の人はいなかったが、監視は続いてた。

なぜ招聘状を出したくないのか、少し見えた気もした。

感染対策が厳し過ぎて、莫大な労力を使っており、中国人帰国者の対応だけで精一杯なように見えた。

瀋陽北駅ホームにはほとんど乗客の姿はなかった。

四平東駅

瀋陽北からハルビン西駅までの途中に、4年前まで住んでいた四平うぃ~駅がある。

瀋陽、長春、ハルビンしか停車しない中で、少し控え目に止まったように見えた。

やはり懐かしかった。

まさか自分が黒龍江省に住むとは、思っていなかった。

やはり中国東北部の寒さにはもううんざりしていたからだ。

四平東駅は、市街地から離れており、街並みは見えない。

ただなんとなく覚えている変な赤いオブジェが、暗闇に光っていた。

電子掲示板に四平の文字

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