うぃ~(神)との対話

クニヤメの弁明

「クニヤメよ、お主はどうしたんじゃ。せっかく勉強していたベトナム語まで放り出して。皆が心配しておるのが分からんのか…。お主はただの人、チャンスを伺っているようだが所詮は因果を破ることはできん。欲求にまみれていくことになるだろう」

「うぃ~様、私は数日前まで本気で神に選ばれたと思っていました。
神に選ばれた私は、特別なのだという自尊心をはぐくみ、私の性格は一片していったのです」

序・教祖の覚醒

「クニヤメよ、皆が心配しているのが分からんのか?皆はお前が気がふれてしまった。現実逃避の末に悪い方向に走りだしたと思っているのだぞ」
「うぃ~様、数日前の私は愛を放てる人間でした。しかし、今また、このままでは輪廻を断ち切ることはできないと感じております。つまり、愛の不足を感じ、不足感を感じた状態で死んでいくだろうと思うのです。」
「クニヤメよ、それは当然のことだ。所詮お主は神にはなれん。これは確率の問題でもあるがな…」
「うぃ~様、その確立に私は選ばれたと感じていました。見えない力を得るのも時間の問題だと本気で信じていたのです。そして、恐らく私は今生で輪廻を断ち切るだろうという意識にいたっていきました」
「クニヤメよ、、、、まさかそこまで気がふれていたとはな。。お主はただの瞑想者に過ぎない。それもまだ未熟者だ、それがなにかを悟ったなどと、おこがましい」
「うぃ~様、私は嘘を語るつもりはありません。真実だけを語っていくつもりです。そして、今はまだ私は覚醒への可能性を残してはいると感じております。つまり、完全に希望を捨ててしまってはいません。ある時期になれば、私は特別な存在へと移行する可能性を秘めています」
「クニヤメよ、お主は一塊のうぃ~に過ぎない。そのお前がどんな非凡さを手に入れようか。お主が手に入れた愛とやらはどうなった、全て無くなってしもうたのじゃろう」
「はい、今はまだ愛を明確に定着させることはかないませんでした。私の信じていたものは妄想であった可能性があります。しかし、一つのきっかけをつかんだのは事実であり、私はそのことによって人生は一変したと思っております」
「クニヤメよ、見損なったぞ。まさかここまで時間をとってやってもなにもでてこんとはな。なにも新たな気付きを得ていないどころか、なにも次元上昇できておらん。なにが教祖か、なにが愛か、孤独に一人、絶望に向き合い、瞑想を続けよ」
「はい、うぃ~様。返す言葉もありません」
「・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「うぃ~様、私は性欲ばかりに支配されていた過去を悔いております。人間にとって、一番大事なことがモテて子孫を作ることだと思っておりました。」
「クニヤメよ、実はな。その通りじゃ」
「エエッ?!」
・・・・・・・
「エエッ?」
「うぃ~様、私は国、親、先祖、神への感謝を感じながら、もう一度自らを高めていく所存です」
「それで?それでどうする?なにがしたい?どうにもならず一人で死んでいくだけぞ?」
「うぃ~様、私の心は打ち震えているのです。なんと自分が強い男になったかと、誰も本当のことを言わぬ世界で、なんと現実に向き合っている奴かと。うぃ~様よ、このうぃ~を見てください」
「見えておる、見えておるじゃ。しかしな、その強さがなんになろうて」
「うぃ~様、私は性に向き合い、生に向き合い、死に向き合うことができる人間です。この三苦に真っ向から挑み、正面から見つめているのが今の私です。人々は言うでしょう。なんと情けない奴だと。なんと情けないうぃ~かと。しかし、それが私の強さでもあると確信しております。私は行くでしょう。遠く非凡なるうぃ~に導かれ、魂の道を歩むでしょう」
「クニヤメよ、お主一人でいくぶんにはいい。しかし、今のお主は一端の仕事を持ち、社会に仕える身、自分の心の世界にくれぐれも他人を巻き込むでない。自分のやっていること。自分のやってきたことを人に語るな、犀の角の様にただ一人行くなら、私はもうなにも言わん」
「うぃ~様、お言葉ですがそれは叶わぬことです。私は人と関わりながら、学んでいくでしょう。そして、図らずもうぃ~を拡散し続けるでしょう。ある時には誰にもいえぬ教祖としての試みをやる時もくるでしょう。しかし、それ相応のものをこの地球にもたらすでしょう。」
「たかが瞑想者もどきになにができる」
「うぃ~様、私の人生は究極の分岐点におります。この必死の一年で、私はある答えをえるはずです。もしなにも悟りがなければ、私はうぃ~の看板をおろすつもりです。とりあえず看板を下ろして、また空白期間を作りたいと思っております」
「ほぅ・・・・・、そこまでの覚悟であるか」
「・・・・うぃ~」
「クニヤメよ、泣きわめく者よ。弱き者よ。今度のお前はどうしたというのだ。どうして、もう悟りの光が無くなってしまった。もうもうダメだダメだとなぜ騒がん。なぜ悟った風の顔を維持しておる。気に食わん」
「うぃ~様。先程も話した通り私は確かに何かをつかみつつあります。そして年始の悟りの光は、完全には消えず私と地と溶け合いました。今後はこの悟りの光と、この小さな光と共に歩むでしょう」
「惨めな奴。死にゆく者。老いゆく者。ただ一人の瞑想者が、勘違いしおってからに」
「小さな悟りの光は、私をまっとうな人間に導き始めました。私は、もう以前のバックラーではありません。性欲の塊でもありません。自分を大切にしない者でもなければ、印度であなた不安不安なってる!と詐欺師に罵られた私でもありません」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「やいややいや、やいややいや、お~キナッペ、キナッペはおるか~?」
「はい、ここにおりますうぃ~様」
「クニヤメがな、なにやら生意気なことを言い始めた。お主はどう見る?」
「はい、うぃ~様。クニヤメの存在は確かに新たな萌芽を放ちつつありますが、それは限定的なものです。おそらく、開眼はせぬでしょう。しかし、クニヤメは本質を放ちつつあるようにも思います。つまり、あの男は生きると言うことに感覚を使い始めました。そのため不自然な言動が増えるように見えますが、特異な引力を放つ恐れがございます。少し観察が必要かと、今までのようにすぐに泣き付くようなこともないのではと想像されます」
「ワシが心配しておるのはな?やつがうぃ~から離れて行かぬかということ」
「うぃ~様。お言葉ですが、クニヤメの本質はうぃ~です。うぃ~を離れてクニヤメは存在できません。それは我々の帰るべき場所であり、拠り所です」
「なるほどな、そうであったな。では、来るべき時が来たということだな」
「ええ。一部の者はクニヤメに陶酔するかもしれない可能性を秘めたものに感じます。それは、クニヤメが因果への挑戦を続けた結果であり、真実に近づいているともとれましょう」
「うむ、しばらく対話を続けるとしよう」

「クニヤメよ、苦しんでおったな。なんのことはない、悟りは離れてしもうたのじゃ」
「うぃ~様。はい、一時期悟りは離れてしまいました。しかし、今また感じつつあります。」
「したらば何を感じる?」
「はい、うぃ~様。私は死に向き合う荒野に一人立っております。孤独は寂しさと等しい。寂しさは性欲に等しい。孤独とは性欲である。私はこの欲を乗り越えるポイントが少し分かってきた気がしております。それは、圧倒的な自己愛、誰かから言われるのではなく自分で自分を愛おしいと思える状態と言えばいいでしょうか。この状態になれば、他者に愛を与えられる存在になる気がしております」
「クニヤメよ、こしゃくな。それで性欲が満たせるとな?」
「はい、うぃ~様。人気アイドルや女優が美しく愛おしいのではありません。その欲を自分に向けるのです。いや、自然に自分に向くのです。それほどに自分を愛した時、人は変わるでしょう。そして、その人の孤独は終わりを迎え因果を断ち切る可能性があります。」
「クニヤメよ、そんなうそは聞きたくない。孤独で不安不安になろうて。孤独は恐ろしい。誰も助けてはくれん」
「神よ。うぃ~の神よ、わが内包の力、その時が来ると信じております」
「予言しておくぞ、お主は誰にもい相手にされず、悟りもできず、ただ一人死んでいく。全ての底辺と同じようにな」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神様、うぃ~様!!」
「どうしたキナッペ、どうしたというに」
「神様、これをご覧ください。さきほどクニヤメの脳波を分析しましたところ、素晴らしい波形を示しております。いや~、これは我々人ならざるものに並ぶ日がくるやもしれませんぞ」
「ふん、こしゃくな。なにが脳波じゃて。幽霊かピチピチギャルでも見せておけ。さすれば一度にやつは混乱し、再び自らの非モテの境遇を嘆くのじゃ。ガハハハッ」
「う、うぃ~様・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
////////////////////////////////////////////////////////
「うんしょうんしょ、うんしょうんしょ。うんしょうんしょ、うんしょうんしょ。
あ~かっぱ桜~に月が出~る~うぃ~。うんしょうんしょ、うんしょうんしょ。うんしょ、うんしょ。あ~かの国の聖地に陽が登りゃ~あ~て。うんしょうんしょ、うんしょうんしょ。うんしょうんしょ、うんしょうんしょ。愛が消えてきえりゃ~せ、光のぉ中せ消えな~せ~と。うんしょうんしょ、うんしょうんしょ。・・・・・・メイっメィツ、てぇええええい!!」
「どうしたんじゃ、クニヤメよ。どうしたというに」
「うぃ~神様。私は平常に瞑想中にてございます」
「どこがじゃて、どこが平常だと申すか、正気に戻らんか」
「うぃ~様、なにを一体私にどうしろというのです。何を怯えているのですか。」
「エエっ?!」
「・・・・・・エエッ?
恐れながらうぃ~様、私は遠い彼岸に死を見つめし者でございます」

アカシックうぃコード(自己との対話)

覗いてみた過去生(妄想かまだ判定できず)

25年2月23日 方法:退行瞑想
古代エジプトのような場所
男性 40代ぐらいにみえた。派手ではないが、頭に金の蛇のような飾り物をのつけているので、ファラオかと思ったが、現場で戦闘を指揮していたので違うと判断。しかし、かなり広く清潔な家があったため、歴史に残るような程度ではないが、かなり地位が上の人物。
妻がいる(アジア系にも見える顔、これは間違って近場の人を当てはめた可能性を感じた。)死因は恐らく毒殺、ベッドで苦しんでいるのが見えた。それを妻のような人が物陰から複雑な顔で見ている。現行犯はおそらく妻、政敵に殺されたか、妻との三角関係のもつれか、妻はその後新たな夫と歩いていくような姿が見えた。
一度号泣して、継続したところで二度目の号泣。
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瞑想は集中力をつけるトレーニングである。

瞑想はなにを高めるのか?

腹筋をすれば腹筋がつく。英会話を勉強すれば英会話がみにつく。

では、瞑想はなにがつくのか?

瞑想は心を鍛えると紹介されることが多いし、心のトレーニングといわれることもある。

これは端的にいってしまえば、集中力をつけるということであると思う。

たいして好きでもないことに、時間を忘れるほど集中する能力だといってもいい。

 

集中力をつけるには瞑想が一番

集中力をつけるには、もちろん他の方法でも可能であろうと思う。

私の経験では譜面を読みながらの楽器演奏、絵画における石膏デッサンなどの写実絵画では、相当な集中力が必要で、当然集中力を高める効果があると思われる。

しかし、スポーツなどにも言えることだが、これらは身体の動きが伴っており、そちらの方の成長も見込める分、集中力だけにフォーカスできていない。

集中力だけを鍛えたい場合は、やはり瞑想が一番有効であると私は考えている。

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瞑想で培う本物の集中力とは?

人の集中力

子供がゲームに熱中するように、人は自分が夢中になれるものには集中力を発揮することができる。

でも、それがひとたび仕事や勉強など自分が5時間、10時間とぶっ続けでやりたくないことをしていると、わずか2時間、1時間さえ集中力が持たないことも珍しくない。

にもかかわらず、例えばギャンブルやゲームなどでは。寝食を忘れるほど取り組んだ経験がある人もいるのではないだろうか?

瞑想で培われる本物の集中力

瞑想で培われるのは本物の集中力といってもいいかもしれない。

瞑想をやっている効果として、自分がそんなに好きではないことをしている時に対する集中力が向上しているように感じるのだ。

なぜ瞑想は集中力を培うのだろうか

なぜ瞑想集中力を向上させるのか?

 

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瞑想で増す集中力とは?

瞑想の集中力とはなにか?

瞑想によって培われる最大の奥義、集中力の増加とはいったいなんだろうか?

ここではそれを考えてみたい。。。

明鏡電子辞書によると

集中力[名詞]…一つのことに意識を向け続けることのできる能力。「彼はーに欠ける」

とある。

なるほどなと思いましたうぃ~、

まさにその通りである。

あっぱれです。

もともと集中力は人に備わっているのか?

では、もともと集中力うぃ~なるものが、人に備わっているのであろうか?

例えば子供たちが誰でもゲームなどの遊びに熱中し、時間を忘れるほど遊んでいる。

中学うぃ~のころ、一番成績の悪かった モリケイ は、ゲームボーイのソフトである『ポケットモンスター』のゲームで、誰よりもはやくモンスターの名前を全てそらんじてみせ、周囲を驚嘆させたことを昨日のことのように思い出す。。

 

このように人は誰でも本来集中力を持っているかのようにみえる。

 

 

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瞑想で変化するたった一つの効果。

瞑想で信じられない能力を得た!

瞑想で予知能力を獲得!

などという情報はよく耳にする。

しかし、私が行った瞑想経験の中ではそのようなことは信じない方がいいのではないかな?と思っている。

 

瞑想の効果は集中力の増加

瞑想の最大にして唯一といってもいい、明確に変化を認識できる効果がある。

 

それが

 

集中力である。

 

私自身もなかなか自分で明確に認識できるまでに時間がかかった。

集中力といういうのも、これもまたなかなか曖昧なものだからだ。

 

集中力とはなにか?

集中力とはなんだろうか?

 

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瞑想者とブログ、インプットとアウトプット。

瞑想者とブログ

ブログで瞑想を扱うようになった。

ブログというものは最終的に日常生活の全てをネタにするようになって、完成する

というような言葉を、どこぞの有名ブロガーのBlogで最近見たような気がする。

もちろんこの言葉は、月間30万PV以上とかのブロガーが見える景色だとは思う。

でも、瞑想をライフワークとしようとして、そのために毎日瞑想を続けている自分が、瞑想情

報をアウトプットしていくというのはある意味で自然であり、今まで考えなかったことの方が

不自然ではあるな、そんな風にも思う。

 

意外と相性が良かった瞑想とブログ

瞑想ブログ、この世界の両極を表すような言葉である。

お互い外来語ではあるのだろうが、東洋と西洋、カタカナと漢字、内と外、インプットアウ

トプット、有益と無益。

これほど離れた二つのワードを出会うとは、これはやっぱりなにかあるなという感じがする。

無意識に今自分はブログ瞑想生活に入ったわけだが、ある意味ではこれまでのブログ下積み時代も今日のためか?

などと思わなくもない。

 

インプットとアウトプット

瞑想ほど個人的な行動も少ないかもしれない。

ほとんど他人と関わることはゼロで、ただひたすら内面を見つめ、経験をインプットしていく。

それだけにアウトプットの場がない、ゼロである。

これだけでも意外ではあるが、ブログと瞑想は相性がいいのではないか?そんな気がする。

 

瞑想ブログはネタが尽きない

アウトプットの機会が極端に少ないにも関わらず、毎日必ずインプットする。

すると嫌でも思想・経験・苦悩・欲求などの全てのアウトプットした欲求がどんどん溜まっていく。

しかし、現実世界で人にあったとしても変人扱いされて、熱心に聞いてくるような人はまず現れない。だから、瞑想者はひたすら内面にその経験を蓄えて、それを貯蔵することになるだろう。

そうすると、ブログという媒体を使ってそれをアウトプットすることは、一石二鳥どころかこれ以上ない相性にも見えてくる。

 

瞑想情報を求める人はいるのか?

しかし、そもそも瞑想情報を求める人はいるのだろうか?

初心者瞑想者である私であるが、他人の瞑想者がなにを考えているかなどということは別に気にならない。

瞑想は極めて個人的なもので、瞑想者になったということは、その人が独立一派の宗教の教祖になったようなものだからで、もはや遠からず指導者の方法を真似ているつもりが、全く新しい各々の瞑想を目指していくことになると思うのだ。

 

瞑想ビギナーへの需要

これから瞑想を始めようとしている初心者の人や、なんとなく興味をもってググっている人には需要があるのかもしれない。

瞑想を継続する人は極めてまれな存在であって、そもそも瞑想情報を発信できる人も少ないと思われ、需要はそこそこあるのかもしれない。

現実に、つい先日書いた記事が「瞑想 やり方」のワードで検索から人が見に来ている。

 

瞑想を継続することの希少性

瞑想情報をアウトプットできるほど座った人がまず非常に少ないだろうと思われる。

毎日の習慣にしていれば少なくともアウトプットは可能だが、一年二年と継続すると変人の領域に入る。

でもこれは単純にブログを続ける、筋トレを続けるとかでも同じかもしれない。

 

瞑想者への単純な興味

私が瞑想者だというと、

瞑想の良さは体験しました。しかし、あなたはなぜ継続しているのですか?

と真顔で聞かれたことがある。

なんのことはない・・・・答えは出ていて、苦しんでいるからである。

しかしたいていの場合は真実をかくして、別の理由を言うことが多い。

 

瞑想ブログの可能性

瞑想者は「生きることが苦しい」から瞑想を始める。

それはたぶんおおよそ間違いない。

しかし、きっかけは絶望的であっても、それを継続しているのはまた別の要因である場合が多いと思っている。

それはいったい何なのか?

この辺り瞑想者自身もアウトプットが足りていないせいでなかなか見えてこないことが多いと思う。

そんなようなことを考える機会としても、やはり瞑想ブログの相性は良さそうである。

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瞑想のやり方、基本的な方法

中国語でも〈めいそう〉は同じく瞑想と書き、ミンシャンという。

だから、先生の趣味はミンシャンをすることです。とか言うと生徒から

「うぃ~、それは良いことですよね・・・・」

とか

「先生、それは動くのですか? 止まっているのですか?」

などと質問を受けることがある。

今回は私がやっている瞑想方法の基本を簡単に紹介する。

私がやっている方法はヴィパッサナー瞑想

私がやっている方法はヴィパッサナー瞑想という方法で、その昔お釈迦様が悟りを開いた時のベースとなった瞑想であろうと考えられている。

お釈迦様は仏教の開祖となる前、様々な修行をする中でいくつもの瞑想を経験したとされている。

ヴィパッサナー瞑想とは?

この瞑想は、簡単に説明すると自律神経を観察すること。

体の感覚を感じることと説明されることが多いのだが、本来のヴィパッサナー瞑想人間のいしとは関係なく動いている、臓器とか呼吸とかの自立神経を観ることと説明することといえる。

瞑想を体験してみよう!

ちょっとそこのお兄さんやお姉さんも瞑想をかじってみよう。

そんなに難しく考える必要はない。自律神経を感じるだけ、初心者はまず呼吸を感じることがいい。

呼吸の観察

第一ステップは呼吸を観ていく。

呼吸は古代より、

  • 自律神経(意識せずに行う)
  • 非自律神経(意識してもできる)

の両方で動かせる特徴があるということで、呼吸を観察することが重要とされた。

呼吸を観察することで、普段私たちが意識している心とは別の領域(潜在意識)まで感じることができると考えられてきたのだ。

呼吸は、意識と潜在意識を行ったり来たりできるたったひとつの鍵とみられていた。

どうやって呼吸を観察するの?

では、どうやって呼吸を観るのだろうか?感じるのだろうか?

これも具体的に方法がまとめられていて、

  1. リラックスしてあぐらをかいて座る。
  2. 眼を軽く閉じる。
  3. 呼吸を鼻呼吸だけにする。
  4. 鼻と口の間の皮膚に意識を集中する。
  5. 鼻の下に鼻から出る空気の流れを感じる。

だいたいこのようなステップが、どんな瞑想指導でもだいたい初心者に行われるはずだ。

自然な呼吸を続けるのがポイント

しばらくずっと皮膚の観察をしてみる。

意識を鼻の下の皮膚(本当に狭い部分)に集中させることが必要。

呼吸に合わせて規則正しく皮膚に風があたるのを感じられれば、かなり集中できている。

この時、変に意識して呼吸したりすると、呼吸は自律神経から意志で動かす方法にシフトしてしまう。でも、慣れてきてもずっと続く問題なので、気にする必要はない。

どのくらい座っていればいいの?

別に時間は決まっていない。

5分でも、10分でもいい、ゆっくりと眼をあけてみよう。

なんとなく頭がさえている、スッキリしている気分を味わうことができると思う。

あまり知られていないが、瞑想は脳を回復させる。

脳が回復すれば、身体も回復する。そう、ドラクエのゴレムススラリンは、本当に回復していたのだ。

まとめ

以上が瞑想の基本的なやり方だ。

瞑想は、いろいろな流派があるし、ヴィパッサナー瞑想だけでもいろんな方法がある。

そして、いくら習っても自分なりの個性や生き方が反映されていく。

でも皆最初はこれをやっているので、ちょっと瞑想でも試してみるかっていう感じでやってみてほしい。

気軽にこの世界を体験してもらえたら、瞑想者としてとても嬉しいことだ。

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瞑想で悩みのすべてが解決する

テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老が本に書いていた印象的な言葉に、
瞑想悩みのすべてが解決する
という言葉があった。
この言葉はどんなに忙しい時でも、週2、3回は思い出すほどで自分の人生の大きな指針になってきた。
信じているとか信じていないとかじゃなくて、この言葉にただ無条件にすがっていたというべきかもしれない。私にとっては自分の弱さを直視する言葉である。

瞑想ですべて解決するのか

はたして瞑想うぃ~なるもので全ての悩みが解決するだろうか?
全てという言葉は万物に対して不適切だろうと思う反面、スマナサーラ長老がなにを言いたかったのかということはだいたい理解できるようになってきたつもりだ。
考えたり、悩んだりしてなにが解決したのか?思考することは多くの場合、ほとんど逆効果である
この様な言葉も残されている。

お釈迦様の思想

その昔、お釈迦様は仏教の根本思想として
諸行無常
諸法無我
という絶対的な思想を打ち出した。

そして死期を悟った時に高弟に語ったとされている言葉がある。それが
仏陀をよりどころとするな、他者をよりどころとするな。ただ真理のみをよりどころとし、犀の角のようにただ一人歩め
という言葉である。

私は一人はごめんだ

断わっておくが、私は絶対に一人は嫌である。一人で生きていきたくない。しかし残念ながら私は、一人で生きてきたし、これからもそうやっていくのだろう。

そして、そのうち両親も順番に亡くなっていくだろう。その時、人の希望が一体どこにあるというのだろう?なにもないのではないか?(ここでは独身者をあえて一人で生きていく存在と仮定した)

テロに走る30代&40代の無職(まれに尊敬されない非正規)

人は誰からも依存されないと精神は崩壊するのではないか?精神的、経済的、肉体的、社会的、なんでもいいのだ。あるどこかで強く人から必要とされていなければ、心は腐敗していく、誰からも認められないのは辛い。

  • 秋葉原殺傷事件
  • 京アニ放火殺傷事件
  • 相模原福祉施設殺傷事件

などそのほとんどが独身の30~40代の無職男性ではないだろうか・・・・私は日本という社会が、このような分子をなんとかケアできないものか?彼らに人から認められる経験をしてほしいと考えているし、彼らの姿は私の未来の姿でもあるのだ。

他社に依存しなくてもいい唯一の選択肢

瞑想は自分の感覚それ以外に依存することがない、命にはかえられないが、他の何がなくなっても、それなりの瞑想はできる。

今回考察するにあたって、私は究極の状態を想像するために、難病で生命維持装置をとられればすぐに死んでしまう状態ということで考察した。

家族という選択肢

以前テレビで見た。

体中の機能が徐々に失われていき、最後には全身全く動かせなくなって、話すこともできない難病の人がテレビにでていた。彼は撮影中の前後に、人工呼吸器をつけて世界と全く関われなくなっても家族の介護で生きていくことを選んだ。

それは頭脳だけが変わらない状況で、たとえ自分をアウトプットする術が世界になくても、残される眼や耳のインプット機能から、家族(特に子供)の成長を感じられるからだという。これは本当に幸せなことだと思った。しかし他社にすがる場合、それを失うという不幸の存在が多くの場合に伴う。

自分の意志さえあれば

瞑想は自分の意志が不完全でも残っていれば、どのような状態になってもできる。

健康がなくても、お金がなくても、他社に依存しなくても、完全にできる領域が他のことよりも圧倒的に広い。多くの物事では、例えば失明しただけで、耳が聞こえないだけで、多くの影響を受けてしまうだろうが、瞑想に与える影響は私の考えではあるが全くないと思う。

まとめ(家族を持つ瞑想者が一番いい?)

少々今回は長くなったが、かなり核心に迫ってきた気がする。瞑想のハード面ではなくソフト面の核心である。

これはしばらくすればまた考えも変わるであろうが、現状孤独な人間がいかに生きるべきなのか?それを考えている自分の中では避けては通れないテーマとなっている。

現状、一番いいのはやはり幸せな家族を持ちながら瞑想者になることだ。それに勝るものはない気がする。でも、瞑想と家族どちらかといわれると、今は難しい選択になってきたなと、それぐらい瞑想に依存してきた日々だ。

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ゴレムスは瞑想によって一人でラスボスにも勝る

ゴレムスとは?

35歳~45歳ぐらいの人には説明不要かもしれない。

 ゴレムスとは、家庭用ゲーム端末であるスーパーファミリーコンピュータ(通称:スーファミ)の大ヒットソフトである『ドラゴンクエストⅤ~天空の花嫁~』の中の敵キャラクター、ゴーレムが仲間になった時の名前である。


1体目の名前がゴレムスで、自動的に名前が決まっており、変更はできない。同一モンスターは4体まで仲間にすることができ、2~4体目の名前はクニヤメは存じていない。

ドラクエⅤの思い出

この『ドラゴンクエストⅤ』は相当のヒット作であるが、クニヤメが相当にやりこんだ勇逸のゲームといっていいいかもしれない。はっきりとした記憶はないが、主人公のレベルは最高90ぐらいまで上げたし、最も後に出てくるモンスターであるヘルバトラーも1体仲間にした。キラーマシン2体、ギガンテス2体、グレイトドラゴン2体も仲間にしたのを記憶している。
その他の特質するものとしては、初期のモンスターであるドラキーを最高レベルの99まで育てたりもした(これは教会を使った裏技でやった)。ドラキーは雑魚モンスターであるが、Lv99にもすればHPが500になったりとラスボス戦でも戦えるようにはなる。

裏ボスであるエスターク

たしかエスタークだったと思うのだが、ドラクエⅤには裏のラスボスがいて、ゲームをした後でも何度もその裏ボスを倒すことができるため、ずっと遊び続けることができる。
エスタークを倒すのに何ターンかかったのか?というただ一つの要素だが、それがなかなかやりこみ要素がある。

ゴレムスの力

いったいいつだったのか?はもう覚えていない。おそらく何度かクリアして、駆け足でゲームクリアを目指した時だろう。私は瀕死のパーティーでエスタークまでたどり着き、早々に主人公たちがやられ、たしか最高レベルであるLv40のゴレムスだけが生き残ったことがあった。あまりゴーレムが好きでなかった私は、実力は知りながらも過去に育てることがなかったが、エスタークでのやりこみを目的にしており、はやくゲームを進める必要があったのだと思う。その時は、ゴレムスを絶対的な戦力として必要としていたのだ。
ゴレムスが1体になった段階で、私は当然そう長くはもたないし、まさかエスタークを倒せるだろうとは思っていなかった。戦いはまだ始まったばかりで、エスタークの体力がまだ相当残っていることが分かっていたからだ。

瞑想の力

よく覚えていないが、ラスボスは瞑想のように自分でHPを回復する術も心得ていたように記憶している。
しかし、勝ち目のないようなたたかいであったが、ゴレムスは死ななかった。それどころか、「気合ため」「攻撃」「めいそう」を繰り返すといういたってシンプルかつ的確な攻撃によって、エスタークの体力を奪っていったのだろう。なん十ターンか経過した時、うぉーん!という声とともにエスタークは倒れた。

神秘の能力として刻まれた瞑想

これが私がゴーレムゴレムスという名前や存在上に、瞑想という力を見せつけられた、人生で最大の出来事だった。このようなヒット作のゲームで、瞑想という不思議な技が、このような設定を与えられ、それだけでラスボスを倒すことができる。
なにか神秘のベールをまとったように瞑想という言葉を深く深く、魂に刻んだ瞬間であった。

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瞑想者と死生観

瞑想、それ即ち生を感ずることである

瞑想、その胡散くさいもの。胡散くさい臭いですよ~うぃ~なるもの。しかし、瞑想の本質はとにかく良いと悪いをなくしていくこと。感情を入れずに物事をただ現象と観ること、簡単に言ってしまえばそれだけのことうぃ~である。実にこれうぃ~であってまた同時に、非うぃ~の世界にも見える。しかし、非うぃ~もまた対であるうぃ~と混在している。しかしそれは本当にそうか?それが瞑想の死生観を問う時、私には分からなくなる時もある。この私が日々取り組んでいる無駄なことむぃ~な瞑想という行の一連の情景を、なんとか垣間見せていきたいと思う。

大脳からの解放

瞑想中に感じる事、重要な本質の一つが自身の肉体を脳から切り離すということであると思う。
一般的に人間の生活は脳、特に大脳から切り離すことがなかなかできない。大脳新皮質で様々な情報処理を行い、言語を理解し、光を素早く情報処理し映像に替え、空気振動をこれまた素早く音に変換し、休むことなく働いている。現代人はその傾向がどんどん増大しているといえるが、それはなにも現代人に限ったことではなくて、肉体労働しかしなかったであろう古代人でも、脳で情報処理を行っていた以上は、その呪縛からのがれることができないできないうぃ~なのである。

大脳から解放された精神

瞑想中に大脳から解放され、思考の無くなったただの存在はどこにいくだろうか?思考をシャットアウトしたただの私はどこに思考を求めようとするだろうか?この時、私の精神は自由に肉体を飛び回るが、ここで人は初めて偉大な臓器の存在から目をそらすことができなくなる。それが心臓うぃ~である。

心臓うぃ~の偉大さ

ことにこの、心臓うぃ~様の偉大さに気づくことが瞑想初心者では遠からず訪れる。脳から解放された感覚、そして思考の種は心臓というその強大な存在に恐れおののき、初めて思考と妄想は心臓への感謝を日々思い始める。ただ単純に減少を観るという瞑想に対して、それは強敵が現れたことを意味する。

人の手の中にある死

生と死が対等な関係にあるのかどうか?日々心臓を見つめるとわからなくなるのだ。
瞑想をしていて、特に不安になってくるのが生命の、命の不安定さである。一生懸命に何を頑張ろうとも、この全身で鼓動を感じるようになった瞑想者が思うのは、この心臓が止まった時に命が終わるということである。それが良いことだとか悪いことだという意見ではない。

コントロール可能な死と、不可能な生

人間は自分でも、そして第三者でも、いつでもその生を自分で終わらせることができるという現実がある。生はコントロールできないのに対し、死はある程度コントロールができるといっても差し支えなさそうだ。この辺りに生命の本質的な危うさ苦が潜んでいるし、これを完全に否定することはできない気がしている。

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