君の名は。を中国語の勉強のために見ています。
たまたま中国のアプリで見つけて、他のものは上手く探せない。この映画には東京の街がよく出てくる。実に良く描写されているので、首都の街をタクドラとして走った思い出が蘇る。
毎月、毎週だろうか・・・・いまだに夢でうなされる。関東に全く縁がなく、いきなり上京してのタクドラ三年半の生活は地獄だった。ハッキリ言ってまた同じ状況を最初からやるなら私は傭兵にでもなることを選ぶかもしれない。1000万円やると言われてもやらない。一億なら考えてもいい。
高校からずっと実家を出ていた私は、悪いことにペーパー免許だったし、家族は無謀だと言った。
東京のタクシーは戦争だ、交通戦争だ。
トラックが本気で殺しにかかって接近してくるのを想像してほしい。。。その時に理不尽さを受け入れつつも本気でよけなければ死んでしまうのだ。そう、彼らもまた命がけで仕事をしているのだ。私の三年半の内に三鷹営業所の先輩は二人乗務中に死んだ。そして、一人の先輩が歩行者を殺した。。そういう世界である。
ずいぶん話がそれたが、東京の街である。
毎日夕方に出て、九時過ぎのランチは必ず東京駅でとった。駐車料金いらなくなる八時以降なので、東京駅のほぼ真正面に路上駐車することができる。当然多くの車が狙っているが、そこに我が物顔でタクシーを寄せていく。東京駅丸の内口、日本の玄関、ランチはガード下から選び放題だ。タクドラは意外と少ない。。。ほとんどが高層ビルで働いている一流企業のサラリーマン。
ランチを食べた後は、そのまま少しの仮眠をとって、丸の内口タクシー乗り場につける。そして、まだ九時代の早い時間に会社の金で八王子などに帰るロング客を狙った。
そんなことをしていたのが、私はにわかに信じがたい。。だいたい三鷹営業所からそこまで行く人は少ないかもしれない。何も失うものがなく、そして、九州から上京して知識ゼロで、どこでも「道何もわかりません。教えてください」で全てを通せた田舎者だからできたのかもしれない。
東京駅や新橋で勝負してから、そこから銀座にいりびたる。ずいぶん壮絶な体験もした。もう過去の事である。
中国にきて一年半。
全て地に足がつかず、なにも敏感に感じず、ただ毎日が過ぎていく。当然日本語を教えられるはずもない。
そんな私が優秀外国人専門家?に推薦されるという。。よく考えるとそんなものに値するはずもない。自信もない。
次の学期からはようやく生徒のために自分からなにかをしたり、できるかもしれない。自然とそんな行動もできる。そんな気がする。
一年半で生徒は皆大きく成長した。それがとても嬉しい。私はいつも誰かに泣きつき、いつも誰かに助けられ、いつも私は守ってもらったのだろう。そして、なんとかフツーの先生を続けてこれた。中国人を愛してやまない。そしてこの感謝の気持ちを、少しずつ誰かに返していきたい。東京の街で、いつも中国人にだけは、特別丁寧に接していた、タクドラのころの自分のように。。