今日も、風が強く吹いている風の谷。

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風が強く吹いている

風がいつもより強く吹いている、どうやらなにかが新しく始まろうとしているような、自然と前に進みたくなるようなそんな気配が漂ってきた。

昨日おもむろにタロットをとり出し自分の人生を占ってみると、久しく見ていなかった最高のカードである「世界」の正位置が出た、色々な項目で占ってはみたが、やはり逆位置は出なかった。

少し潮目が変わりつつあるのかもしれない、それは人間の感受能力にそえば一見するとプラスと呼ばれていることの様だ。

サイコパスと被害者、物乞いの子供と大企業会長の子供、生と死、それらは等しきものであって、その陰陽を推し量ることは人間にはできない。

だから自分の選んだ陰陽がどちらに向かうのか見てみようと思う、サンカーラ(自分が蒔いた因果の種)の導きなるままに・・・三欲も私を突き動かすことはできない、陰陽一つになりつつある精神の中で、もはや私はこの世から離れつつあるからだ。

私を突き動かせるものはただ一つ、それは静寂だけであると思うし、そうなることを願っている。

四苦八苦

すべてが思い通りに行かぬことだけが苦しみなのではない、すべてが思い通りになってもまた苦しみなのだ。苦しみの種を増やすなかれ、なぜなら私達には三つの恐ろしい苦が残されているからだ。

老病死という苦が、逃れられない苦がある限り、静寂こそが人生で目指すべきものだと思うし、全ての陰陽は淡く不明瞭なものとなる。

肉体がボロボロに腐敗し、あらゆるところが弱り病に怯え、恐い恐いと思って死んでいく、戦争が、なにかの被害者だけが悲惨なのではない、人生がそのまま悲惨なのだ。

もうこれは小学校で教えてもいいかもしれない、国語、算数、四苦、八苦である。

しかし死がなければ、対となる生もない。夏がなければ冬が存在しないように、光がなければ影が存在しないように・・・死は生と同じようにまた光(夏)でもあり陰(冬)でもあるのだ。

死があることによって生という対が生じ、生にあらゆる色が万華鏡のようにともり、世界を彩っている。だから世界はたとえようもなく美しく、全ての事象とことがらが美しさの要素に貢献し、また新たな陰陽を生み出している。

起きること全てが美しく、全てがそれでいい。

私が向き合うことが、自分の陰陽をただ受け入れ、感謝と共に死んでいくことができるのかというただ一つになった時に、うぃ~教は真になるのだと思う。

悪魔パーピマンの言葉

「子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執着するもとのものは喜びである。執着するもとのもののない人は、実に喜ぶことがない。」

仏陀の言葉『スッタニパータ』33・34より

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