デイトレ退場で人は変わってしまうのだろうか
今日の話は、別にデイトレを退場したことによる生活の変化ではない。
デイトレ退場は劇薬になりえるか?
多額の資産を一気になくすことが、性格を変えてしまうほどの劇薬になりえるのではないかという話だ。
資産がみるみる減っていく状況を目の当たりにすること、と置き換えてもいいだろう。
それはある意味では、自分が引き起こした津波に、自らがのまれるようなものだ。
人が変わる、というのは難しい。
どんなに病気になっても、20歳になっても、30歳になっても、人はなかなか変われるものではないだろう。
それが今、人生で初めて、自身の変化を感じているのである。
デイトレ退場後の2,3か月間に大きな変化を感じ、それが持続しているため、私は変わったといえるのではないだろうか。
なぜ変わったのか
トータル300万円以上という損失を出した私だが、損失のほとんどが去年の年末から年始にかけてに集中しており、
- それを取り返そうとしたこと
- 自暴自棄になり、トレードを続けたこと
などから、
一月に100万円以上の最高損失額を記録した。
一度に大金を失った。
庶民の私にとっては、100万円は大金であり、毎日命がけでタクシーに乗務して貯めたお金である。
今では、受け入れられたような気がしているが、その衝撃は経験したことのないような痛みを伴った。多額の資金を失ったことで変わった、ということで間違えないだろうと思う。
なにが、どう変わったのか
音楽の好みが変わった
まず一番最初に意識したのが、音楽の好みが変わってきたということだ。
デイトレ退場前後の私は、プリンスに夢中になっており、よくCDをレンタルして聞いていたのだが、今ではあまり聴かなくなってしまった。
いや、プリンスだけではない、今まで聴く機会の多かった音楽をあまり聴かなくなった代わりに、ほこりをかぶっていたようなCDがいいと思えるようになったりと、好みがガラッと変わってしまったのだ。
(以前よりも)人の気持ちを考えるようになった
これも、今は人と接することが少ないのだけれど、少しだけ人との間にあった溝が埋まったような気がしている。
そのことで、人が望むことなどに昔よりも敏感になってきたような気がする。
興味深いことに、どうやらこれらの変化は一時的でものではないようだ。
私が失った300万円があれば、なにができただろうか。
あれもできた、これも買えた、あそこにも行けたと想像が膨らむ。
では、その価値があるものを一気になくした私には何も残らずにゼロになったのだろうか。
それは正しくないと思う
利益を出している方から見れば、なにをほざいているんだと思うかもしれない。
しかし、宇宙は、その大きなよどみをゼロにはできないのではないか。
何一つ無駄にはなっていないのではないか
私が損をしたという経験は、そのまま宙ぶらりんになって、なかったこととは決してならない。
それがいいことにつながるか、悪いことになるかはわからないけど、正確に300万円分の影響(良くも悪くも)を私に与えているのではないか?今はそう考えている。
それは物事が変化するという意味で、成長なのではないだろうか。
私は300万円がないとできない経験をしたのだから
それは、
- 無理やりでも思おうとしている
- 私が弱い
だけなのだろうか。
まとめ
私は、自らの能力不足から、間違った方法でトレードしたことによる原因から、多額の損失を得た。
では、多額の損失を得たことの結果とはなんだろうか。私の絶望感を生んだだけだろうか。いや、影は、光のあるところにしか存在できないはずだ。それは、なんなのだろうか。
それが、自分の変化の原因ではないだろうか、今はそう考えている。