nextブロガー・フライト
どこを探してもパスポートは見当たらなかった。
ベトナム行きへの期待は一気にしぼんでしまった、ただパスポートがないということが最大の不安として現れ、これを解決せねばならなかった。
まだ幸い搭乗までの時間はある、彼は一度落ち着いて考えてはみたが、解決策はパスポートを見つけるほかにはなかった。少し落ち着いた場所に移動して、大きな柱の側の椅子に腰かけて、全部の荷物を開けてみることにした。
ベトナム生活に不安を感じ、まとめ買いしてきた色々なものをすべて広げ、30分ほどかけて全ての荷物を確認したがパスポートは見当たらなかった、何度も確認して整理されている日用品の数々がいやに虚しく目に映る。
国矢眼は身内や助けを求められそうなところへとりあえず電話をしようとしたが、日本でのスマホは解約しているのでこれが大変だったし、繋がったところでパスポート忘れが解決できるわけはなかった。
再び覚悟を決めて荷物を広げ、パスポートがないことを受け入れた彼は、なんと空港を出てバス停に座っていた。彼は珍しく現状を受け入れて出直すことにしたようだ、秋の空は彼の状況とは無関係なように雲一つない晴天だった。
ほどなくして八王子行きのバスが来た、それは搭乗時刻にちょうどいいような時間である。バスに乗り込むとすぐさま現地ハノイの日本語学校にメールをした、空港まで送迎してくれるということだったので、とても申し訳ない気分である。
もうどうすることもできなかったが、彼は情けない気持ちと絶望感に苛まれ続けていた、いっそのことこのままどこか遠くへ行きたかった。
会社から逃げ、日本になじめずに途上国を目指し、今度はどこに逃げるというのだろう、逃げ場所はもう一つしかないように感じた。まだベトナムから逃げたわけじゃない、けれどまるでそうなるとしか考えられないような気分だった。
成田から八王子までずいぶん時間がかかる、都内に入るころには彼の心にはますます自責の念が強まっていた、特に金銭的な面と内定先の会社とのやり取りを考えると、絶望的な気分になった。
バスは彼が3年半タクシードライバーとして走った首都高を走っており、その周囲にはまた嫌になるぐらい走った都心の道がはりめぐらされている。タクドラとして上京してきた5年前、もう5年も前のことになるのかと思うと同時に、それ以前の思い出はさらに昔話になってしまった。いつもそうだ、会社から逃げ、社会から逃げ、今日本から逃げようとしている。
いったいどうしたいんだ、なにがやりたいんだと問いかけても、コンクリートの嵐はただ黙って広がっていて、彼の心を受け入れてはくれないようだ。それでも、どこかふだんより冷静に自分と向き合えている気はして、いつものようにボヤボヤした彼の頭ではなかった。
タクシーで自宅に着くころには、国矢眼の心は落ち着いてきていたのと同時に、ある思いが心を支配していた、それは例えようのない感覚であった、今ここに生きているという感謝のようにも思えた。
その後、彼がどういう道をたどるのかは誰にも分からない、もしかするとベトナム行きを諦めてしまったのかもしれない、しかし私は思うのだ。
それでいいのではないかと、たとえ悲観的な結果が待っていようとも、どんな足跡からでも物語は紡げるのだ、それは長くても短くてもまた美しい。
※この物語はフィクションです。
関連記事