今年は何一つ上手くいかなかった。~蜘蛛の糸~

今年は何一つ上手くいかなかった

当たる占い外れる占い

私はなんとなく占いが好きだ、良くネットで検索したり、手相やタロットは自分で覚えて少しは使えるようになった。一番好きなのはタロット占いだけども、もともとは動物占いや手相など、統計学からきた占いが好きであった。

その中でも結構好きな占いの一つに、今年は大フィーバーですぜ!みたいなことが書いてあった。

私はやってやがると思いながら、参考程度に淡い期待を寄せていた。

ちょうどそんな頃、無職となってお先真っ暗な人生を歩み始めていた私は、風の谷に移住してから友人の銀月太郎氏が住む京都を訪れた。

 

鞍馬寺

銀月氏は京都市左京区に住んでいるので、彼に鞍馬寺に行こうと提案したのは私だった。鞍馬寺は私にとって最高のパワースポットで、これまでの人生の転機でも色々なお導きを与えてくれた場所なのだった。

風邪気味でもあったが私達は山の上の本堂まで登ることにしたのだが、その中腹にポツンとあるおみくじが気になった私は引いてみようと提案した。

やった!と大吉な彼と対照的に、私はなんとだった。そんな馬鹿なと思って何度も思わず二度見したが、凶という文字はそこにズシンと居座り、どうやら動く気はないようである。

はは~そうきたかと私は思ったが、もはや手遅れである。私は人生で初めて凶のおみくじを見たのだが、それが自分が引いたおみくじになってしまった。

 

落ちろっ落ちろっ落ちろっ!

私はその後、占いとおみくじの対照的な結果のせめぎあいの中で、無職なりに精力的に色々なことに手を出してはみた。

  • バンコクコールセンター説明会参加と検討
  • ハノイの営業へ応募、名古屋まで車で面接へ→不採用
  • ベトナム関係でスカイプ面談4件
  • ハノイの日本語教師→合否不明、連絡途絶える
  • 職業訓練(日本語教師)選考会→落選
  • 介護分野への検討と辞退
  • ブログをはじめる
  • アフィリエイトに挑戦→途中停止→再開→いまだ収入0円
  • デイトレ再開→退場

など、ざっと見てもこれぐらい考えたり行動したりしてきたが何一つ実を結ぶことはなかったのかもしれない。特に最低でも小遣い程度にはなると踏んでいたアフィリエイト収入がいまだに0円というのが想定外だった、しかし冷静に自分の能力を見れば分かったことだ、世の中の需要を考えてそれに合わせてマーケティングしていくなど、自分には全くない才能である。自分は意味のない絵や文章を書くことしかできないのだ。

悔しいことに今年は占いの結果よりも、おみくじの結果が優先されたようである。

 

一つの救い

そんな今年の救えない状況の中で、ブログ広報のために始めたツイッターだけが救いであるように思える。ツイッターとの交流の中で、私のブログのファンであるという声を聴くことが増えてきたのだ。

この先ブログがどうなっていくのかは分からないが、検索流入がすべてであるブログの世界で検索流入がない以上、自分のブログが爆発的に伸びるということは期待できないだろう。それは残酷で悲しいことだが、とりあえずそう長くはない無職の期間はもう少しあがいてみようと思う。

 

絶望の中で

もう苦しいこともめんどくさいこともしたくない、欲しいものもなにもないし(最低限の衣食住あれば)、これから齢をとっていくだけで状況は良くなるよりは悪くなっていくだけだろう。それでも普通に働ければ、やっていければまだいいけども・・・大人しく全てを諦めてタイで出家したい気持ちもあるけど、やはり金さえあれば解決するのにそうするのも変な話なのだ(億万長者になっても悩んで出家する可能性は大いにあるが、それはまた次のステージのことだ)。

もうこれ以上は書くまい、また教祖様なんだからしっかりしてくださいとお叱りを受けるのが常だ。驚くべきことに私はツイッターとブログに救われている、ある無職賢人が言われた「底辺の人間こそ発信せよ」という言い伝えは本当だった。

この蜘蛛の糸をたぶん離してはいけないのだろう、それは自分の居場所という大切な糸なのかもしれない。

 

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無職になって一年たった現状と今の気持ち

無職になって一年が過ぎました。

まさか一年間も無職で過ごすとは思わなかった。

ただでさえない選択肢が、一年間職歴なしという負の経歴によって大きく狭まったと思います。期間工などでは突っ込まれることはないと思うけど、正社員では相当突っ込まれるんだろうな~もうダメかもしれません。

 

稼げなかったけど、ブログが唯一のやったこと

この一年、ハノイ旅行に行ったり、就活をしたり、職業訓練(日本語教師)の選考に落ちたりと色々ありましたが、やはりハイライトはブログを始めて8か月ぐらい書き続けたことじゃないかなと思います。

もうやめようと何度も思いましたがフラフラと続いており、なんとかこのまま何年も続けることができればなと思っています。

アフィリエイトサイトを作って稼ぎたかったのですが、雑記ブログは書けずに日記ブログになってしまいました。

8カ月やっても一円も稼げていないという絶望的な状況ですがどんな分野でも成功者はごく一部、ブログ更新を続けられていることだけでまずは評価したいです。

 

無職飯の記事

苦労して書いた記事よりも、最近始めたテキトーに書いた無職飯の方が注目を集めているのが辛いところです、マーケティングというものは本当に難しいです。

 

もう働けない

もうまともに働ける気はしません、ブログを続けていくことでその気持ちがだんだん大きなものになっています。自分のモノの考え方や価値観などを鑑みて、どうもこれはまともに働くことは難しいなと感じざるをえません。

細胞レベルで私という人間が様々に主張しており、社会に合わせるのが辛いです。ごく普通に近い価値観や感性ならば合わせやすいのかもしれないけど、自分の場合は生まれながらの嗜好に反社会的なまなざしもプラスされ、無視することが困難です。

 

一人暮らしの出費

働かずに一人でじっとしてるならそれでいいんですが、腹は減るし部屋も服もいるのでお金がかかります。それらを得る最低限の労働というのも自立した一人暮らしでは10万円以上稼がなければならず、フルタイムと同じように働いても金が貯まらないため辛かったです。

せめて市民税と健康保険代がなければ10万円でも余裕だとは思いますが、税金が重くのしかかります。年金も払うならば15万は欲しいところで、そうなるともう正社員の方が楽ですよ。

 

まとめ

ただただ自分や世界を見つめながら静かに生きたいです。

 

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無職のままにわがままに僕はピーマンだけを傷つけない。

ピーマンの こと

無職がピーマンについて語ります

ある本には書いてあった、ピーマンの中に虫がいたことがあると。

包丁で切ると中から幼虫がこんにちはしたというのだ、あまりにもグロテスクな様だったのだろう。読者としてはその幼虫がどうなってしまったのか、切れてしまったのか、はたまた生還したのか、気になるところだが詳細は書かれていなかった。著者はそれ以来ピーマンを買えなくなった、キャベツの虫は平気なんですが、などとうそぶいていた始末である。

私はもう10年もピーマンを使って無職飯を作ってきた身だ、そんなことがあるはずがなかろうてと、つい最近まではそう考えていた。

先日のことである、私はみどりの業務スーパーでピーマンを買ってきた、透明の袋に5つ入って88円、破格の値段である。いつものようにピーマンと卵の無職炒めを作ろうと、無職自炊でボロボロになった手でピーマンを切っていた、その時である。

なにか様子がおかしい、明らかにピーマンに元気がない。そう、まるで虫に寄生されているようである。しかしなにも確かなことが分からぬ私は、思い切ってピーマンに包丁を入れた。

するとどうだろうか、本の通りに虫がこんにちしているではないか。さすがにリアルで自分のことになると驚きが隠せなかった。なんで虫が中にいるのだ、どうやって入ったというのだろう。他のピーマンは全く問題がなくて、虫などもいなかった。

そうか、私は学生の時、講義で聞いたことがる、それはほとんどゼロともいえるような確率でしかないものの、量子力学の世界ではモノがモノをすり抜ける可能性がゼロではないというのだ。まさかあのような講義がこの無職飯の世界で引っ張り出されようとは思わなかった、皆さんも気をつけてほしい、モノはすべてをすり抜ける可能性がある、そしてそれはピーマンでも例外ではないのである。

 

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無職なのに「仕事だ死にたい」と思いながら起きる朝がある。

死にたい朝

死にちゃ~死にちゃ~死にちゃ~うぃ~!!!

タイトルのままである、けっこうあるんですよね・・・。

無職なのに職があると錯覚して目覚めてしまうことが・・・、たぶん夢かなんかで苦しんでいてその延長なのかもしれませんけど、ダメだ仕事行きたくない、今日はもう無理だと思いながら起きるんです。

 

あるあるなんでしょうか

ほかの無職様方はこんな症状がありますかね、私も昔はこんなことがほとんどなかったように記憶しているのですが、なんでこんなリアル感をもってせまってくるようになったのか分かりません。

本当にリアル感があって嫌なんですよね、というか完全にリアルなんですよ。

あ~仕事だよ、もーダメだ~うぃ~死にちゃ~うぃ~という感じなんです。

 

就職は無理かもしれない

そんな妄想に苦しめられている私が、就職なんてできるのかなと思うわけです、いや多分無理ですよね、だからもう日本ではとりあえず就職することを諦めたんだと思います。

 

海外逃亡うぃ~

だからといって海外で通用するのかというとそれは分かりませんが、環境が変わることで物事は想像以上に変化することがあるとは思っています、もちろん悪化することもあるわけですが。なので、海外なら働けるかもしれないという選択肢を試すことはやってみた方がいいのじゃないかという気がしています。

 

大まかな逃亡の流れ

日本での就職を諦める

フルタイムじゃないと貧乏になるから嫌

日本の将来性に悲観

(日本は素晴らしい国ですが、自分のように持たざる者は高齢化で終了だと予想している。)

海外で働くことを試してみる

ダメならまた考える

最終手段はタイで出家

こんな感じで推移してきたし、おおまかにはこんな流れでいくんだろうと思います。

 

インドと不安障害

2010年に行ったインド旅行で不思議な体験をしているんですよね。

ある希望の仕事が社会不安障害で続けられなくなってしまい、インド旅行の前後では心療内科を転々としていたんですが、なぜかインド旅行の時だけは全く大丈夫でした。

インド 旅行記1

暑すぎて命の危機を感じるほどだったというのもあると思うんですが、ほとんどといっていいほど気にならなかった。

直前にダイハツで働いていた時、皆が休憩する休憩所にも行けなかった私が、狭いドミトリーで多くの旅行者(ほぼ日本人)に囲まれ、絵などを見せて話題の中心になることができた、そんないい思い出がどこかに残ったんだと思います。

海外に行くなど環境が変わってガラッと気質が変わるということはないのかもしれません、しかしそれはかもしれないというだけであって、もしかしたらという希望はあると思います。

 

まとめ

人のために働けないか考える

恥ずかしながら私は利己的な人間です。

それが私の長所に繋がっているところもありますが、このままでは人生を謳歌できないのではないかという思いがどこかにあります。自分さえ良ければいいという気持ちではなくて、喜んでもらうために、誰かのために見返りを求めないという行為が少しは必要ではないかと感じています、これは前々から感じていたことなのですが、主にツイッターでの交流を通してさらに強く感じるようになりました。

 

教師という仕事

またすぐに逃げ出してしまうのかもしれない、けれどもしベトナムで日本語教師ができることになったら、まず生徒のために尽くすことを考えたいなと思っています。

ハノイでは私の心にもハノイの風が吹くのではないでしょうか、そう期待しています。

 

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趣味がない私が、無職になって多趣味になった件。

無職になって趣味が増えました

私は色々なものに興味があります。

しかし鑑賞などの受け身のものが多く自分で主体的に行う趣味がなく、つい半年前までは、”味がない”というワードでググったりして、なんとか趣味を見つけようと悩んでいました。

 

昔からの趣味

趣味と呼べるのかは分かりませんが、筋トレと柔軟体操は20年以上も続けています。

しかし、健康管理の要素が強くて、無職飯も必要にかられてという感じなので、楽しみだったのは音楽、ドキュメンタリー番組、映画、スポーツ鑑賞ぐらいでしょうか。

 

いつの間にか趣味だらけに・・・

無職になってもうすぐ一年になるのですが、特に意識してもいないのにいつの間にか趣味だらけになっていたのでそのことについて考えてみます。

 

半年以内に趣味になったもの

  1. ブログ
  2. ツイッター
  3. タロット占い
  4. ブログとツイッターによるネットでの交流
  5. 美術鑑賞
  6. けん玉

古い順に並べてみると6つもありました、たった半年間の間、しかもほとんどがここ2,3カ月で出会ったものです。特にツイッターを本格的に触り始めた2,3カ月前から急に趣味が増えています。個別に考えてみます。

 

ブログ

すべてはここから始まりました、ハッキリいって

  • アウトプット
  • 情報整理

の必要性から無理やり続けているところもありますが、ブログをやることで全ての趣味に発信というステータスがつくので、やはり大事な趣味ということになるだろうと思います。これから特に職業の浮沈からペースの波はあると思いますが、ずっと続けていく可能性が高いと思います。

 

ツイッター

完全にブログの広報のために始めました、しかしブログや国矢眼に興味を持ってくれる人が現れはじめ、それが4のネットでの交流につながっていきました。最初はどこがおもしろいんだろうと思ってやっていましたが、今では現代社会の最重要ツールではないかと考えています、ツイッターをやっていない人は人生を1割損していると思います。

 

タロット占い

タロットは就活や金銭不安などを解消するためにすがりついたものだったと思うのですが、純粋にかなり精度の高い自分を知るツールとなりえるのではと考え始めました。

 

美術鑑賞

美大卒でもあり、以前から美術展を見るのは好きでしたが、自分から行くことはあまりなく、友人についていくという形が多かったように思います。

最近になって、これもブログのネタ探しや、アイキャッチ画像を描かないといけない影響があるのかもしれませんが、自分から毎週でも観たいと思うようになってきました。これも行けば確実に記事が書けるという、ブログきっかけだと思います。

 

けん玉

この趣味はブログには関係がないところで始めた唯一の趣味かもしれませんね。

最近時間だけはある無職という環境なので、録画したテレビ番組を見返していると、その中に一年以上も前に録画した「ためしてガッテン」のけん玉特集があって、初めてそれを見たのがきっかけですね。脳の開発とアンチエイジング(ボケ予防)にとって最強らしく、脳を活性化させるために買いました。

 

以上どの趣味もとて有意義で大切な趣味となりました、あと探せばゲーム、漫画、パソコン画とかもここ半年で加わった趣味といえるかもしれませんね。

 

なぜ趣味が増えたのか

いろいろなことが好循環しているように思えます、受け身の趣味しかなかった私にこれだけの趣味ができたのは、おそらくブログで考え方や情報を出したということが影響しているのではないか?と考えていますが、詳しいことは分かりません。

なにかを探すとき、外に求めるよりも、自分の中に求めた方が解決が近いのかもしれません、それは私が最も影響を受けている初期仏教の思想と重なります

 

趣味関連マップ

無職生活の中で趣味がどのように発生していったかのマインドマップを作ってみました。なんとなくこんな感じで、過去にはない再編と創造が行われたんだと思います。

 

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そして無職はベトナムに出会った。

無駄に一年を費やした無職です。

どーも、うぃ~な無職、クニヤメです。

日野自動車期間工バックレてから11ヵ月となり、来月で一年を超えます。最近では、日々確実に減っていく貯金を直視することができずに銀行通帳を見る機会も減りました。

 

もし株の損失がなければ・・・

仕事が長く続かない自分にとっては、タクドラを3年半でやめて、日野期間工をすぐにバックレてしまったのはある意味では想定内の出来事でした。そして、そこからベトナムのハノイに視察に行って、どうやってベトナムに逃亡しようか、そんなことを計画していたのですが、株で軽く100万円以上(特にスイングトレードでの80万円ほど)を一気に失いまして、気力も資金もやられて計画が狂ってしまい、それが想定外のことでした。

 

ベトナムの経済成長がすべての始まり

そもそも私がベトナムに興味を持ったのは、株の知識から経済成長に興味を持ったことでした、ベトナム株の配当はつい4,5年前までは配当15パーセントぐらいの銘柄がゴロゴロしており、今でも10%に近い配当を出す会社も珍しくありません。それからSBI証券で外国株の講座を開き、ちょこちょこ株を買ったりしていました。

今考えると方向的には間違ってなかったと思います、ベトナム株は大きな変化がなければ年利10%ぐらいで推移していくことが分かりました、問題だったのは短中期的なトレード(日本株)にも手を出していたことです。

 

本との出会い

ベトナムへの興味が尽きず、年利10%で物価が激安ならば、なんとか現地でやっていけないものか、そんなことを病気の様に考えていたタクドラ末期、私は三鷹市の図書館分室で『金なし、コネなし、ベトナム暮らし!~ゼロからはじめる異国生活マニュアル~』という本を偶然見つけて、退職を決意しましたw

 

ちょうど一年前・・・

そこには意味の分からない決意をまとって課長に話しかける私の姿がありました、

クニヤメ「はい、退職させていただきますうぃ~。小説を書こうと思っているんです、そうです、ベトナムに住みます」

すると、年に400万円も会社に貢いでいる(タクどらの売り上げ)私の申し出にあっさりと

課長「俺は良いと思う」

と納得してしまったのです(/ω\)課長も意味不明な理由でその後退職してしまったようですが・・・課長。。。そうです、課長もうぃ~だったんだと思います。

 

タイか、ベトナムか。それが重要だ。

私は日本人に大人気のタイには、まだ一度も行ったことがありません。

中国には4回、インドには2回行ってるのに・・・しかし日本社会に絶望してしまった私には、早急に海外逃亡をしたいという思いが強まり、そこに仏教国であるタイが浮上します。

 

将来性のないタイ

信じられないことにタイの出生率は1.5人と極めて低く、その数値は日本よりも悪いです。なので今後信じられないスピードで高齢化が進むと予想されており、アセアンの中では一国だけ成長が止まり、現在のリーダー格としての立場から陥落するでしょう。

無職としては、タイの上座部仏教のオーディネーションという外国人のための出家制度が、最後の希望として非常に魅力的に映っているのですが、もし出家しなかった場合は身につけた語学スキルなどは、ベトナム語や中国語ほどは生きてはこず、タイは暮らしていけないほどに経済が悪化する可能性があるので(たぶん日本よりマシだと思いますが・・・)、非常に厳しい道になる確率が高く、とりあえず住んでみるというのも賭けだと思います。

 

対するベトナム

それに対してベトナムは、同じように少子化の影響は受けるものの、日本より40年そのまま遅れていると言われるポテンシャルを秘めており、ちょうど現在は1977年だと言い換えることができるでしょう、まさにこれから本格的な成長に入っていく国なのです。したがってもし自分が俗世で生きていく道を選ぶのならば、これほどに適した道はない、日本人補正がきいて、日本人というだけで結婚できるかもしれないし、安い人件費からベトナム人労働者が増える中で日本でのベトナム語の重要も伸びていくでしょう。

 

まとめ

とまぁ以上のようなことをグルグル考えながら一年間無職で過ごしてきたのですが、株で気力と資金が失われたのが一番いたかったですね。でももう一年たつんだから、ブログのサイト概要、メニュー項目なども考え直して、新しい道を模索して、働いていかないといけないとは思っています。もちろん外国に逃げる(あるいは俗世から逃げる)という前提は変わらないわけですけど、現実にはいろいろ手を出してあとは、良い出会いと運をなんとか引き寄せたいです。

 

※アイキャッチ画像は場合によっては描いて一カ月以上も経過している場合あり、したがって今日の気持ちを反映するものではありません。今日の様に一カ月前に描いたものをテキトーに選ぶ時もあれば、わざわざ描く時もあり。

 

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34歳になりました。

また一つ齢をとりました。

年齢はあまり気にしていない

私は年齢はあまり気にしてはいません、それは世間的なプラスの意味とは違っているかもしれません。

私は34歳にも関わらず64歳であるかのように生きたいと思っています、そして40歳は70歳というような認識でいます。

 

まだ若いと言われることは多い

30代だと、他人からまだ若いと言われることも多いですが、そんなことは全く関係がないと思っています。10代の人から見れば、私は老いた人であって、彼らには私は「まだ若い」という言葉をつかわなくてはならないでしょう、しかし私は本音では今日命が終わるかもしれないよ、気をつけないさいよと思っています。

 

年齢感覚は個人が決める

自分の年齢感覚は自分だけが決められるものだと思っています。私の友人は2人も若くして白血病で亡くなりました、彼らが不幸だったのでしょうか。長く生きることが幸せなのでしょうか、それはそれぞれが決めていいんだと思いますし、個人差が大きいです。

 

肉体について

肉体は人それぞれです、若くして死ぬ人、60代でだめになる人、90歳でも普通に生活できる人もいます。また、その偏差値は年齢によっても変化していきます。それは人が決めることではなく、身体が決めることです。

70歳でも、身体に不自由することがなければ、そしてそこに精神が伴えば年齢など気にすることはありません。彼はなんだって挑戦できるし、新たな冒険を始められることでしょう。しかしそれは選ばれた人であって、努力だけではどうにもならないことだと思います。

 

精神について

精神については肉体よりももっと重要だと思っています。精神は生活を創り、食生活や生活習慣にも影響し、結局は体にも影響してきます。また体が元気なのにボケてしまっては元も子もありません、精神と肉体どちらかをとるならば、間違いなく精神をとるべきで、そういう健康管理をしていくべきでしょう。現代社会は身体の健康を優先し過ぎているところがあると思います。

 

私の年齢

いまのところ身体に大きなダメージはないと思いますが、心にダメージを負っています。しかしこれはとりたてて問題のないことだと思います、出家をしたり、世捨て人のように生きる方法を見つけられればいいことです。また、この判断も常に移り変わっていくでしょうから、先のことは分かりません。すぐに自殺を選ぶかもしれないし、力強く立ち直ることがあるかもしれません。

 

感謝する心

実年齢は34歳でも、私は幼いころから死に向き合ってきました。

人生の大まかな計画は人それぞれあることだと思いますが、それよりも今生きていることに感謝することが何より大事ではないかと考えています。

 

まとめ

  • 肉体より精神が大事である
  • 死を考えないことは、生きることを考えないこと
  • まだ若い、もう年だという基準などなく、それは自分で決めること
  • 決して自分の思い通りにはならない、感謝すること

 

仏陀の言葉

色はこれ我にあらず。もし色これ我ならば、色において病苦の生ずるあらず。また、色において、かくのごとくせざらしめんと欲することあらず。色は無我なるがゆえに、色において病あり、苦しみの生ずるあり。

(阿含経 二)

 

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タクドラ時代に聞いた~お客様の教え~

お客様の教え

3年半にわたる都心でのタクシードライバー時代に、様々なお客様と会話し、語りつくせないほどの経験をした。

その中で、またその話かというよく語られた話ベスト3を紹介したい。

 

タクシーで繰り返し語られた話

引退のない仕事を選べ

これは最も長距離利用が多い50代の男性によく言われた、また短距や時間帯を問わずによく聞かされたテーマだった。

自分達みたいなサラリーマンは定年したら終わりだけど、タクシーはそこからが独立したりと本番だから羨ましい、人間働けなくなったら心身ともに終わりだという持論を持っている人が多く、とにかくそういう意味でタクシードライバーという仕事を評価してくれて嬉しかったのを覚えている。

タクシードライバーという仕事に憧れているというエリートと思われる証券マンなどもたまにいて、熱心にどんな仕事なのかを聞かれたりすることもあった、釣りが趣味だということで、もっとも似ている仕事がタクシーではないかという、たしかにそうかもしれない、面白い意見だったので印象に残っている。

 

糖尿病には気をつけろ

タクシーというのは、そんなに安い料金ではないから、必然的に事故や病気で苦しんでいてる人と接する機会が増える、これは特に事故などでは相手に料金が請求できるために豪快に使う人もいるし、病院まで行く仕事というのは多い。

病気という面では、明けの午前中によく糖尿病で通院する人を乗せた。タクシーに乗るなり福祉券でいいかとか、しんどいとか愚痴ってくるのはだいたい糖尿病の人だった。

皆が口をそろえるのは

  • 糖尿病を馬鹿にしていた
  • 人工透析に使う時間が負担で人生終わりだ
  • 生活を改めなかったことを後悔している
  • 糖尿をなめてた

などというものだった。だから、君は糖尿病にだけは気をつけろよとそう言ってくれたものである。

 

無理やりでもいいから結婚しろ

これはとくに年配女性からよく言われた、一週間に一度は聞かされたといっていい。結婚している人からも、またしていない人からも言われた、どちらかといえば結婚している人が多かったように思う。

結婚していなかったらなにもない、中年以降もう人生終わりだというような内容だったのだろうか、とにかくすごい勢いでまくしたてる人が多かった。

私ができれば結婚できるように頑張りますというと、できればじゃない、絶対にしなさい、無理やりでもいいからしなさいと釘を刺されたものだ。

これらの言葉には大きな影響を受けていて、私はなるべくこういう話になった時に、人には無理にでも結婚した方が良いし、自分も絶対結婚したいと言うようにはしている、まぁ無理だろうけど・・・。

 

人間の美しさと汚さ

人間の本当の美しさと汚さは、人と人との間にに生まれるものだということをタクシー乗務でまざまざと知った、そしてそれは他人同士の間でもっともよく出てくるのだと思う。

3年半で信じられないような美しさにも出会えば、とうてい受け入れられない汚さも見ることも多く、今も自分を苦しめている。こういう形ではあるけど、自分の体験を共有できるのはありがたいことであって、今後も少しづつ話していければと思っている。

 

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死ぬにも準備が必要だ

死にも準備が必要だと思います。

いきなり癌って宣告されて、余命一年ですっていわれてもなにも準備してないと間に合わない。それは、定年になってからやりたいことを探したって難しいのと同じである。

 

何事も準備に勝るものはない

事故にあってから対応するんじゃない、病気になってから対応するんじゃないんだ。もしそのような考えだったら、きっと良い結末は得られないだろう。

  • 事故が起きる前から運転を辞める
  • 病気になる前に生活を見直す

など、結果が出る前から対応していくこと、何事も起こってしまってからでは間に合わないケースが多い。

 

確実な未来

私が事故に巻き込まれるかは分からない、癌になるかどうかも分からない、どんな大病をするのかも全く分からない、しかしただ一つ確かなことがある。私がいつか死ぬということだ。

だから、保険に入るとか、お金を貯めるとか以前に、私はいつか死を迎えるということを日常から準備しておくことを考えていきたいと思っている。

 

お金では解決できないこと

生老病死はお金ではほとんど解決できない平等なものだ、いくら医療が発達しても自らの健康寿命を買うことはほとんどできない。

確実にくる死という未来に向かって、今私なりの思考を構築していかないといけないと思っている。とりあえず、今までの洞察から死ねば完全に自分は消滅するということは分かってはきたけど、ではどう生きるのかということを生き方にまで昇華させるというか、つなげていく必要があるのだと思うのだ。

 

あの世はないとする

来世というか、あの世のようなものがあるかもしれないというのは否定できないが、とりあえずあったとしても、いつか来る我の消滅ということは確実(永遠不滅のものはないことから)であろうことから、とりあえず肉体と共に自我も滅すると考えて生き方を決めたい。

 

無が恐い

ここ数日の死についての考察から、いつか自分が完全に消滅するということがハッキリとしてきた。それはとても恐ろしいものだ、いかに人間が弱いものであるかとうことも、まざまざと感じさせられている。

 

無と向き合って

それでも自分が無になるということから逃げずにあえて挑んでみようと思っている、なぜ目をそらしたくなるのか、そこにはなにか理由がありそうな気もする(生命にインプットされている?)し、なにか見えてくるような気がしている。

そしてそこから独自に、

死にたいというマイナス

×

死への洞察というマイナス

いかに生きるのかというプラス

 

を生み出さんとする壮大な結果にしたいと思っている。

私という感受組織は今ここに存在し、そしていつか完全に消滅するものである。自分は死ぬというそんな当たり前なことを受け入れるのに34年もかかった。それぐらい自分には関係ないことと遠ざけていたのかもしれない。

 

まとめ

この記事大丈夫かな?もう自分もダメかもしれませんね。自分でまともなつもりなんですが、だいぶきてる気がする。まぁ、参考程度に?読んでいただければと思います。

書くことがなくても書くとさ、やぱり生老病死とか興味がある方に引っ張られちゃうわけです、もうほんと嫌になりますよ。

 

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四苦八苦と一球入魂

諸行無常とあの世(死後の世界)

 

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諸行無常とあの世(死後の世界)

死んだらどうなるのか

諸行無常

あの世(死後の世界)があるかどうかは分からない、しかし一つだけ確かなことがある

それは、全ての物事、事象、生命はいつか消滅し、永遠ということがないということである。この法則からは、太陽も霊魂も魂も、銀河系も太陽系も太陽も宇宙全体も、全てが逃れることはできない法則であり、それを真理という。

従って人間が死を迎えてどうなるかは分からないが、魂があったとしても、たとえ生まれ変わりを繰り返したとしても、そのうちどこかでその魂は消滅する。

天国に行くことがあっても、地獄に行くことがあっても、それは永遠ではなく、すべての人間も、その魂もいつか消滅してなくなり、全ての縁起から離れるだろう。

 

仏陀

お釈迦様はあの世について、死についてどう語っているだろうか。

ブッダは自殺について否定しなかったし、死後の世界のことについては何一つ語らなかった。死について問われたとき、仏教は今を生きる人間がどうやったら苦しみから逃れられるかを扱っているとし、死後の世界については答えなかった。

ブッダは死について語ることがなかったが、その教えや真理を観察することで、だいたいの解釈はできるように思う。

物事は全て移り変わり、永久不変のものはないという真理、それは魂(精神世界)も例外ではなく、人間の肉体がゼロになって精神が残ったとしても、いつかそれもゼロになり、完全に消滅するだろう。

 

なにも恐れることはない

なにも恐れることはない、この世に善悪などはなにもない。

自殺をしても、殺人を犯しても、ポルポトやヒトラーの様に何百万人殺しても、マザーテレサのように何百万人救おうとも、消滅は平等に訪れ、いつか人間は精神も肉体もゼロになる。なにをしても善悪はその時代が決めることであって、ある時は英雄になり罪人になるだろう。

たとえあの世が何千年続こうとも人はゼロになる、それが人間の死についての明確な回答となるだろう。

 

まとめと希望

かつて私は、あの世について真理をしらず様々な思索巡らせてきたが、私を導いてくれたのはやはり仏陀の確立した、諸行無常諸法無我という仏教の根本思想だった。

全て苦しみも快楽もいつか終わりがくる、私はいつか消滅する存在であるという真理を持って生きることで、今という自分に集中することができる。

なにも残せないということからなにができるのか?なにも残せない世界で自分はどう人と接していくのか?そういうことが新たな自分の課題として今問われていると思うし、一つの生き方の指標と、新しい思考をまた構築していくつもりである。

私は死が怖いし嫌で分からなくて、なすすべもなく死んでいくだろう、しかし最後にどうなるかということだけは知っている。

 

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