今日まで、アドセンス停止関連の記事
6/12日に失業給付が終わる、受け取りは月末あたりだろうけど。
90日間なにができただろうか
グーグルアドセンス停止によって光はだいぶ失われた、3日間、色々模索したが、他の広告も取り入れてリスク分散するぐらいしか見つからない。
ネンド広告
ネンドという広告があるらしいが、単価がグーグル広告の4割ぐらいに下がるらしい。
まだアマゾンの審査に通らないのも痛いし、楽天とネンド、アドセンスを上手く併用すればいいのだろうか、それぐらいしか見えてこない。
みんな労働から解放された
私には、よくみるブログが3つある。
そのうち、2人は期間工関連の検索でたどり着いたブログだ、当時は私を含めてみな期間工をしていたが、今では2人とも個人事業主になってしまった。
一人はブロガーになっているようだ、一人は最近までくすぶっていたが、九州でゲストハウスを開業した。
二人とも10万ほどの収入があるようだ。
もう一人は、ブログを知った時には、すでにアフィリエイターだった。けっこう過激な内容なのでここでは紹介できないけれど、大卒から一度も就職することなく海外を飛び回っている。
ずっと憧れているけど、先日の記事で、英語の筆記体を習っていない世代というのがあった。
調べてみると、ゆとり世代以降の全ての世代が、中学生で筆記体には全く触れなくなったらしい、私より年下であることが判明し少なからずショックを受けてしまった。
それでも無職は死なない
労働の恐怖が私をとりこんでいく
まるでゴキブリがホイホイに誘導されるように、期間工ウィーへと戻ってしまうのか、少しでもとりつかれるとひとたまりもない。
私は期間工ウィーの中の、さして光るもののないピースとして、この肉体を使われるだろう、いや、それでも勤まればまだいいほうだが、それも無理なように思われる。
希望も、光も、可能性も、全てまだあるように思う。ないと言われてしまえば、それもそうだろうけど、いやまだ可能性はある、探せば出てくる。
しかし、もう私の心はなくなってしまった、壊れてしまった。希望も、欲望も、さびしさも、もう感じられない。そして、手をこまねいているうちに、すべての可能性は終わってしまうだろう。
どうやって人生の幕を引くか
多少の嘘はつかせてほしい、道の途上にいさせてほしい。
二言目には、あの世ばかりが見える。
かつてインド旅行で
「私は死にたいんですが、あなたはどうですかウィー」
と手当たり次第に旅行者に聴いていた私、今そんな奴が見の前にいたら、どれだけ美しい人だと思うだろうか。そおだ、私の人生は美しかったのかもしれない。
ただ、10年たってもなにも変われていない、これがごまかすことなく、ただ挑み続けた自分の姿なのだろうか、認めたくはない、しかし認めざるをえない。
どうすればいいのだ、残りの人生、感謝だけでは生きていけない。心の火は消えても、体には青く燃え続ける命がいる。
なにもかもが空しく悲しい。
ただ命だけが美しい、その美しささえ、もう私はみない方を選びたい。
自身の肉体を所有したくはない、肉体は苦だ、生命は悲しみだ、しかしそれだけになによりも美しい。
一人きり 慣れてしまった寂しさも 唯生きるため もやしと卵
国矢眼 介
アドセンス停止関連