新小岩パークホテル
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ホテルのフロントでベトナム人女社長(日本語学校)の帰りを待つ
新小岩パークホテルのフロントで社長の帰りを待っていた。
時刻は午後の20時40分辺りであった、30分、一時間と待てるかな~と考えていたが、次々とフロントに現れる客の顔をチェックしているうちに時間は過ぎていった。
21時40分を過ぎても社長が現れる気配はなかった、私は一筆メモを残しホテルを出ることにした。
ホテルを出ればすぐに駅の北口である、私はまた可能性の一つが消えたことと、ギリギリになってホテルまで面接に来いといったり、またドタキャンしてしまうような経営者に対する不信感とで意気消沈していた。
2時間近くかかって風の谷の最寄り駅まで戻り、トボトボと歩いていると突然着信があったので電話をとると女社長からであった。
- ドタキャンのお詫び
- 明日の朝ホテルまで来てほしい
ということを伝えられ、あぁもう5時間しか寝れないよと思いながらも、私は内心悪い気はしなかった。
次の日の朝
ついつい昼まで寝てしまうことも多い無職生活であるが、なんとか6時半には家を出て小雨ふる中新小岩パークホテルの面接に向かった。
ホテルについて内線をしてもつながらないので、しばらくロビーで待っていると女社長が現れた。まずは挨拶と先方のお詫びから始まったけど、私の経歴を説明しているうちに徐々に相手の顔色は曇っていき、教師として具体的になにができるかということや、模擬授業ができないことについてグチグチ言われ始めると完全に立場は逆転した。
面接が終わるころの自分は、もうここ数日間の自分ではなかった。最近の就活で特に身に染みているけど、
- 資格や技術がない
- 経歴に自信がない
ことの面接ほど自信を失うものはないと思う。
今回も一生懸命頑張りますという熱意だけでいいという趣旨をメールで確認してからの応募だったのだが、実際にそれではダメ、日本語教師についての情報はいくらでもあるので、自分で勉強してなにがしたいのかをこちらに示せなければ難しいときつく言われたが、それはそちらの都合である。
都合が合わないのならハッキリ不採用にすればいいものを、
「合否は一カ月後に出すけど、それも再面接するかどうかの合否です」
と言われ、もしこの会社に採用されても要求が高くバックレる将来が見えるようで、帰りの電車ではすっかり自信を喪失し、もし採用されても辞退しようと思うばかりで、この面接を就職活動の経験としてプラスにとらえるのが精一杯であった。
まとめ
農業、外国への逃亡、底辺工場といろいろな道があるが、とりあえず今は外国逃亡の道として日本語講師を優先するつもりだが、国については
- 資格が必要なところが多い
- 私塾が多い
ベトナムとは違い、資格が要らずに国立大学で働けることが多い中国も視野に入れてみようと思っている。
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