2009年の北京、呼和浩特、銀川、蘭州の動画。中国個人旅行の記録。

2009年の中国旅行、記録動画

先日、2009年中国旅行の写真を整理していた。

すると、ファイルの最後に当時撮った動画を見つけた。

当時私が使っていたデジカメは、なかなか質の良いカメラで動画も撮ることができた。

 

動画の質はかなり悪いが、逆にこれが当時を思い出すうえではちょうどいい。

とりあえず全部youtubeに上げてみたので、ブログで共有する。

 

北京の王府井

おそらく北京の屋台街がある王府井付近で撮影。

他にも黒いサソリや、ヒトデなど、いろいろなゲテモノがあった。

 

胡同の猫

中国の古い路地を胡同という。

だんだん、失われていく胡同街は、当時はまだまだ残っていた。

 

このはかなり中国らしいである。

 

北京ダックと子供達

2009年当時、まだ北京市民も貧しかったのだろう。

日本人3人(私は当時友人と2人旅)がシェアして注文した北京ダックが珍しいようだった。

 

貧乏無職3人が頑張って注文したので、当時としては現地でかなり高価だったのだろう。

子供たちが一斉に集まってきて、この光景は今でもよく覚えている。

 

北京から呼和浩特(フフホト)へ

北京の新幹線の駅は北京西駅だったろうか?

切符をよく確認せずに北京駅に行き、寝台に間に合わず。

無座に乗ることになってしまった。

 

なんで日本人がこんなところに座っているんだ!

と警察から責められたのは、今ではいい思い出。

海外バックパッカーの鉄道がいきなり無座、本当に辛かった。

 

呼和浩特のロバ

内モンゴルの省都、呼和浩特(フフホト)へ私の思いつきで行くことになった。

北京で会った日本人が蘭州や西安を勧めてくれたこともあり、北から西周りで上海へ向かう旅になった。

 

 

呼和浩特の大草原ツアー

友人の希望で、呼和浩特大草原ツアーに申し込んだ。

夜の満点の星空が記憶に残っている。

 

馬を乗りこなすモンゴル人が、日本にいる相撲取りと全く印象が違うのが印象的だった。

どちらかというと顔が濃く、蒙古襲来の絵のような人たちだった。

 

包頭の響沙湾の駱駝(ラクダ)

大草原ツアーの帰りに寄った砂漠。

場所はよく分からなかったが、大きな観光地だったので、おそらく『地球の歩き方』に出ている響沙湾ではないかと思う。

初めてラクダに乗った。

 

 

銀川の賀蘭山岩画(がらんさんがんが)

寧夏回族自治区の省都、銀川へ。

初めての海外旅行で行く場所ではないことは確かである。

 

賀蘭山岩画がらんさんがんが)は、なかなか面白いところだった。

かなり広大な範囲に点在しており、とても全部は周れない。

 

蘭州の黄河

蘭州黄河が流れる陝西省の省都。

ここも、かなりマニアックな場所。

中国通でもここまで来る人は少ないだろう。

 

世界遺産で中国四大石窟の炳霊寺(へいれいじ)石窟が有名。

 

2009年の中国動画まとめ

以上駆け足で2009年中国旅行を振り返ってみた。

旅はこのあと、西安~上海へと進んだ。

この初回の旅でシルクロードを意識する。

後に新疆のウルムチまで旅する動機となった。

 

YouTubeなど当時はなかっただろうし、なぜ動画を撮ったのかは覚えていない。

個人の記録としては、まぁ良かったかもしれない。

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虎頭要塞とウスリー河観光、満州を巡る旅05(2019年8月)

満州戦争遺構の旅

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

第4日目:虎頭要塞激戦地

8月8日

第4目は移動や次の日程や手配を気にしながらも、本格的に虎頭要塞激戦地跡をせめる。

 

 

試製四十一糎榴弾砲

この地図でいうと、第二次世界大戦終結地記念園があるあたりに、どうやら巨砲陣地遺構などが残っているようだ。

試製四十一糎榴弾砲(しせいよんじゅういちせんちりゅうだんほう)は最大射程50kmを誇る旧日本陸軍最大の要塞砲であり、これが最大の見どころだ。

 

第二次世界大戦終結地記念公園へ

まずは、中国にとって日本に勝利して敵対国を追い出したことのなる記念すべき土地、第二次世界大戦終結の地へにある公園に向かう。

 

 

商店街も通り抜けてひたすら歩く。

 

この時点でもまだ確証はない、本当に徒歩で行けるのか?でもいわゆる観光タクシーなどは街には見かけなかった。

後で分かったことだけど、この公園はサファリパークにように車で回る仕様になっており、そもそもここに車以外で観光に来る中国人もいないだと分かった。

やっと案内が見えた。

 

まずは第二次世界大戦終結地の記念塔。

 

巨大要塞砲跡

中国人が車で回る中、執念の説明でなんとかチケットを購入し、これまた執念で巨砲跡を見つける。

 

実物はけっこう良かったです。

虎頭要塞の戦い最激戦地へ

ネット情報から虎頭要塞の戦いの最激戦地だったであろうと思われる場所も、できる限り徒歩で回りました。

 

 

 

玉砕覚悟で守備した旧日本軍、逃れた来た付近の邦人。

これまた死を覚悟して突入したソ連軍と、多くの血が流され、最終的に日本軍は玉砕となって中国での日本軍の大規模交戦は終わりました。合掌。

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虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04(2019年8月)

満州戦争遺構の旅

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

第3日目:虎頭要塞(ことうようさい)

8月7日

3日目の続きです。

この日は盛りだくさんでした。

牡丹江~虎林駅から虎頭の街に着いたの昼過ぎごろだったでしょうか。

ホテルと食事をとって観光に繰り出しました。

 

街中にあった虎頭案内板

 

いちおう案内板らしきものもありましたが、この時点ではまだタクシーをチャーターしなければ無理だろうなと考えていました。(実際その方がいいわけですが…なんとか回れないことはない)

事前情報では、虎頭の遺跡遺構は数十キロ幅に点在しており、まだ観光整備もされていないという感じでした。

 

虎頭要塞博物館

事前情報で資料館などがあるという場所に行きましたがすでに閉鎖。

なんとなく方向性だけはつかんで歩き始めると、新しい看板があります。

 

比較的新しい案内図

 

どうやら虎頭要塞博物館というものができているらしいということが分かりました。

結果的にこの虎頭要塞博物館が、いわゆる祖父がいたであろう虎頭の拠点地でした。ここが旅のハイライトになりました。

 

 

虎頭は第二次世界大戦終結地

第二次世界大戦終結の地として、かなり力の入った一大観光地として整備されている虎頭の中でも、ハイライトのようです。

抗日英雄像(お約束です)

 

ちょっと日本人がいるのは辛い環境。

立派な虎頭博物館

 

この博物館から、そのまま過去に日本軍が作った要塞へ行けます。

現実の要塞が突然現れたという感じで、日本人として、また祖父がここを訪れていたであろう身としては、本当に複雑なものを感じました。

 

観光客は減ってかなり怖いです。

 

弾薬庫跡

 

後に尋ねた東寧要塞よりも天井は比較的高めでした。

まだ建造中は軍に余裕があったのかな?そんなことを思いました。

 

発電所跡

 

これが風呂跡

 

かなり狭い場所もあります。

 

ここが虎頭要塞博物館の出口

 

旧日本軍騎兵神社

旧日本軍騎兵神社

 

日本兵が心のよりどころにしていたという騎兵神社がありました。

ここに日本代表として、日中露の友好と世界平和を祈りました。特に祖父の敵だった中国やロシアの英兵に力をお借りしたいと思いました。

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

満州記。一歩兵の太平洋戦争、支那事変の記録。奉天(瀋陽)、大連、新京(長春)、虎林。

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虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03(2019年8月)

満州戦争遺構の旅

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

第三日目 虎林~虎頭、ウスリー河

8月7日

少し肌寒い感じの中8:30の列車で向かいます。

密山駅付近通過中。

 

客はどんどん減る中、虎林駅まで列車で向かいます。

 

虎林まで列車で行き、そこからバスで今日中に虎頭を目指します。

虎林駅到着

 

虎林駅

 

13:16

虎頭までのバスに乗れました。

一時間で着きます。すぐにバスに乗せられましたが、虎林は大きな街でした。

 

 

 

 

ウスリー河

虎頭に着いてホテルを確保。

ホテルの前は、ウスリー河です。祖父はここにいたかもしれません。

 

初めて観るウスリー河

 

ウスリー河

ウスリー河はのどかな大河でした。

『冬将軍が猛威を振るう頃になるとウスリー河は厚い氷が張り詰め、どこが上流か下流か見分けがつかなくなる。

大平原を緩やかに流れる川の中にはいくつもの中州ができていた。

一触即発の危機をはらむ、ソ連軍との間に点在する中州に、京都郡出身で同時に小倉連隊より出た仲のよい4名の戦友たちが、張り詰めた氷の上を中州の偵察に出かけたが、河の中央付近で、突如としてソ連軍の敵陣より機関銃の猛射を浴び、4名の戦友はそろって即死する大事件が起きた。』〈祖父〉

とあるが、この付近がその現場なのだろうか。穏やかな河からは想像できない。平和な時代を感謝しなければと強く思う。〈父〉

 

 

虎頭市街の様子。写真の奥にウスリー河が見える。

 

名物、鶏西冷麺

この辺りはれーめんが有名。

値段も安く旅人には嬉しい。

 

 

名物の鶏西冷麺

 

 

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

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牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02(2019年8月)

満州戦争遺構の旅

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

第2日目:牡丹江駅

8月6日

牡丹江は大きな街でした。

交通の要衝ですよね。

四平よりずっと大きいです。

 

牡丹江駅

 

牡丹江駅

 

父の満州の話ではなぜか、牡丹江と言う地名が印象に残っている。

ロマンチックに感じたのだろうか、少し哀愁をを感じる土地の名前と勝手に思っている。

写真を観ると、信じられないくらいの規模の街で驚きました。〈父〉

 

黒竜江省、鶏西駅

13:48

小雨の鶏西駅

 

鶏西駅

 

牡丹江から移動した今は鶏西

明日は、虎林駅に行きます。

ここは四平くらいの規模です。

今晩はここのホテルをとりました。

 

 

虎林の規模を想像するとやることも限られそうなので、明日の夜行で虎林を発つスケジュールにしました。

時間があれあ日本ゆかりの情報を送ってください。

徒歩で行けそうな廃墟跡など、たぶんないと思うけど。

線香がないので、絵でも書いて代りに立て替えます。

 

ネットが少しつながり、スマホで調べていますが、虎林駅周辺で日本人の足跡を見つけるのは難しいようです。

やはり過去のことですね。

それでも足で散策してみようと思います。

 

鶏西市を観光

 

豚骨ラーメン?

 

豚骨ラーメンと同じようなもの。

ハンバーガー?

 

ハンバーガーとは全く違います。

肉まんに近い。

ラーメンと2つで300円しないくらい。

 

鶏西市の金魚を見る

鶏西市で金魚や植物を売るかなり大規模な市があった。

たぶん日本初公開ではないだろうか?

自分の他に足を踏み入れた人がいるだろうか・・・

 

 

 

私は金魚や観賞魚に目がないので、大いに楽しんだ。

 

 

このスイホウガンは欲しかった…

 

鶏西の景色と雰囲気は好きだ、こういう意味のないことに意味を見出す時の自分は強い。

途中で夕立が来たが、コンビニで雨をしのぎながら観光を楽しんだ。

なにげにこの街のことが一番思い出に残っているかもしれない。

 

 

 

虎林要塞と東寧要塞の情報

東寧という地名のところに遺構がある情報があったので、父とのやり取りを頻繁に行う。

そこで東寧要塞があることが分かり、そちらへ慰霊のためにことを決意する。博物館もあり、観光地化されている。

虎林には戦争の遺構が残っていないように思いますので、東寧要塞に行きます。

そこ(東寧要塞跡)では祖父のいた時代の面影が分かりそうです。

 

虎頭要塞へ

ちょっと信じがたいですが、虎頭要塞まで訪問したブログを偶然見つけました。切符をキャンセルして、虎林を掘り下げることにする。

虎林駅から虎頭に向けてバスがあり、虎頭にはホテルもあるようです。

まったく未知ですが、とりあえず明日バスを探してみます。

虎頭までいけばウスリー河が間近にあるそうです。

 

鶏西駅の待合所

 

翌朝虎林へ向かいます。

車窓風景(鶏西~虎林)

 

車窓の景色は中国のイメージと合致します。

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

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大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

2020年8月、旧満州巡る旅は、私の中国東北地方在住での集大成となった。

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

 

四平と言う日本で全く知られていない(東北地方の中国人に以外にもほとんど知られてはいない)このマニアックな土地で、泣いて笑ったこの二年間。

いったいなにから振り返ればいいのか、想像もできないほどである。

その二年間の生活の中で、1年半が経過していた中で強行したこの旅は、まさに中国生活の苦労や醍醐味を味わいながらも、なお現状をなにか変えたいと先祖を訪ねようとした、そのように解釈できなくもないなというほど、まぁ突然に思い立った旅ではあったし、自分の中でも整理がつかないままである。

しかしいい旅となった。

終わりよければ全てよしである。

もう中国から抜け出したいと思ったこともないではなかったが、この素晴らしい満州の旅は私を初心に立ち戻らせてくれた。

もう二年半前に吉林省の地を踏んだような新鮮さは味わえないかもしれない。

でも、それでも自分が中国と関わっていく中で、また違った素晴らしい体験がある、思い返せば旅はそんなことを自分に教えてくれたのかもしれない。

挑戦ないところに失敗はなく、また必死になったところに感動があると思う。

2年前に吉林省長春の空港に下りた時、ロシア人の先生と迎えの大学の先生と合流しながら大学を目指した。

大学に到着した時には25時を回っていたと記憶しているが、寮の前から門に入る間に寒さで死ぬかと思ったのを覚えている(すでに3月であったのに)。

すぐにバックレなければいけないと思った。

しかし、結果的にそれは素晴らしい旅になった。

そして、集大成となった満州旅行も素晴らしいものとなった。

これからも、

「人間至る所、青山あり(この広い世界、自分の骨を埋める場所ぐらいは、どこにでもある)」

の精神で、また中国へ旅立つ日を、今は静かに待っている。

 

父が『同行二人 満州戦争遺構の旅』という冊子を作ってくれた。

それに刺激を受けて、やはりこの旅をまとめておかなければという思いを強くし、もう一度ブログの管理画面を開ける。

令和元年8月の旅である。もう記憶が薄らいでいるところもあるが、この非常に意義のある旅を少しずつでも整理していきたいと思った。

 

 

同行二人

満州戦争遺構の旅

令和1年8月5日~8月12日

 

『動乱の歴史・わが人生』というあまり立派ではない大きな本が我が家にある。

さまざまな人達の戦争体験を中心とした人生史をまとめた本である。その中に、祖父・幸義の投稿したページがある。祖父が他界して20年。縁あって吉林省で働いている間に、祖父の青年期に陸軍の一員として派遣された満州の地を訪ねてみることにする。〈父〉

満州記。一歩兵の太平洋戦争、支那事変の記録。奉天(瀋陽)、大連、新京(長春)、虎林。

父の投稿記事の中に出てくる、大連新京奉天虎林牡丹江哈爾浜(ハルピン)。

祖父、幸義が日本兵の兵士として従軍していた満州の地。80年のときを経て孫の自分が訪れることにした、父は希望するも同行することはできなかったが、スカイプを通じてまるで同行しているかのごとく、意思の疎通を計る。〈父〉

 

第一日目:大連駅

旅の始まりは大連

天気は良く。気候も暑くはありません。

 

祖父の従軍も大連上陸から始まりました。

 

大連駅の正面から

 

 

一度自宅(大学の寮)に帰り、旅の支度をする。

夜行で出発に備える。

 

日本の自宅を朝出発して、その日のうちに飛行機、夜行列車と乗り継ぎ、明日は牡丹江で目覚める予定。

 

四平駅前の風景

 

 

四平の気温は30度。21時10分。

「乗る人がいないから、気を張ってないと今回の旅はどうなるかわからんね」

 

駅の電光掲示板

 

 

満州戦争遺構の情報は乏しく、また黒竜江省や、吉林省の旅情報も乏しく、不安と期待を胸に8月5日夜行列車で四平を発つ。

駅のホームに電車が入る(電子板に牡丹江の文字)

 

 

明日は朝8時からすぐに鶏西への電車、虎林につくのは、明後日の午後の予定。

21:10 駅は人が少ないです。列車が到着しました。いよいよ旅の始まりです。

 

 

中国人は皆足が長いですね。車両は快適ですが、すごい揺れが続きました。

今までは順調に来ています。

 

中国東北(吉林省)生活の集大成

なにから書けばいいモノやら、、怒涛の日々だった。

塵一つなく、でも台風が過ぎ去ったにしてはどこか現実感がないような、なにかが思考を妨げる様な、様々な人生を一気に駆け抜けたような、なにかが混じり合って、幾人か、いや無数の魂と交錯したような、そんな深い旅であった。

メモはほとどとっていないが、簡単なスケジュールと写真、切符などを見ながら毎日コツコツと書いていきたい。書きたい、そう思わせるような歴史的な旅となった。

彼女に出会った。それだけではない、彼女が現実になろうとなるまいと私は四平に帰る日が近づくにつれて、詳細な旅行記を残そうという思いを強くしていった。インドの一人旅以来ではなかろうか?あるいは一人旅がそうさせるのか、そういうなにかが起こるタイミングだから一人旅にでるのか?それは分からない。しかし、一人旅には、やはり壮大なドラマと出会いが自分にはつきもののようで、それはずっとなにかしらつながっていくようなことが、幸いにも多いのだ。。。

ちょうど中国の虎林に呼ばれたのと同じように、10年前にはインドに呼ばれ、その時は、偶然に仏陀の誕生日をブッダガヤーで迎え、東西南北インド中から僧侶が街を目指して行進する大集団を目にした!

タクドラを辞めた時に、訪れたハノイでは早くも行きの搭乗機の中で日本から帰国する技能実習生と出会い、同じホテルに泊まることになった。彼女達との関係は今でもlineで続いている。

予期しないところからなにかが起こる。それが旅先と深くつながることができる一人旅の魅力であろう。もっとも、移動待ちでも荷物を全部もって行かなければいけない、部屋や貸し切りタクシーが割高になるなど、短所をあげればきりがないのだが・・・・。

8月5日(月)晴れ  大連から四平、四平~牡丹江

東北の晩夏、大連ではまだちょっと暑さが残る、しかし、昨日までいた日本の九州の真夏の暑さは全くない。

二度目の宿泊となった百時快棲酒店(大連港湾広場店)からの出発であった。朝起床して、パンを食べて、チェックアウトをする。

前回のチェックアウトの時に、なぜかデポジットを返してくれなかったのが気にかかっていた、たかが数元なので忘れていたのだと思うのだが、そんなことも言い出せない性分である。今回は、数元のデポジットがちゃんと戻ってきたが、私はトボトボと地下鉄へ向かいながらも、この先の旅への足取りは非常に重かった。なんで、こんな面白くもワクワクもしない、中国東北部の、しかも花形であるハルビンや瀋陽、大連観光ならまだ分かるし、行きたいとも思う。特に瀋陽などは観光資源が豊富だ。ハルビンの街並みも美しい。

それが、なんでよりによって虎林とかいうわけのわからない極東の場所なのだろうか?なんでハルビンじゃないのだろうか?

旅の途上、なんど思ったことか。ああ、しかし悲しいかな旅の運命は、吉林省から近く去るであろうタイミングや、諸々の条件も整って、いよいよ行くしかみちはないのかなという感じになっていった。特に色々な人に話してしまって、もう四平から牡丹江行きの寝台を買ってしまっている。

まぁいいや、なんとかなるさ。最後はそう思い直して、足取り重く「湾岸広場」の駅へと階段を下りた。

今回の出発場所は大連駅、中国の新幹線の駅としては、大連北や北京南、例えば四平なら四平東など、新駅から乗ることがほとんどなのだが、この日は珍しく大連駅からのスタートだった。地下鉄を降りてから二人ほどに道をきき、なんとなく歩いていくと、スーツケースを転がす人々が現れ、私もその波にのまれた。

大連~四平東、この行程は少し慣れてきたとも言えなくもない路線で、なんとなく気持ちの余裕もあったのか、あまり記憶が定かではない。ただ、気乗りがしない旅を本当に行くのだろうか?果たしてなんの意味があるのか?そんなことばかりをうじうじと考えていた気もする。

悪いことに、親戚一同とこの話になった時に、

「ぜひ線香をもって行って、参ってき」

そんな興奮した声が聞かれ、それに方々から喝さいが起きたので、これを第一の目的かと、そんな風に考えていたのだが、その線香すらも忘れている始末だった。それでも、代わりになるものはなにかないかと探したところ、自分には水彩画しかないのではないかと思って、それでまぁ絵の道具を四平のアパートに戻った時に、しっかりと道具に入れた。

四平はずいぶん涼しく感じた。やはり福岡とは違う。生徒の姿はほとんどないが、たまに大学生のカップルが寄り添って歩いていた。なるほど、実家に帰らずに残るとしたら、よほど課外授業でもあるか、同じ大学でカップル同士かのどちらかぐらいであろうか。アパートに戻った私は、スーツケースからバックパックにそっくり荷物を移し替え、帽子をかぶり、すっかりバックパッカーの装備を整えると、普段はあまり使わない四平駅へ、鈍行寝台列車に乗るために向かった。

「やっぱり新幹線じゃなくて、普通の駅かも知れない」

私がそうつぶやくと、運転手の表情はあきらかに曇った。それは、僻地の四平東駅から、中心の四平駅への変更を意味したからだ。しかし、切符を運転手に見せると、やはりあきらかにこれは四平発のようだ。

それもそうだ、東駅は新幹線駅の専用車線のはずだからである。念のために、午後四平東に着いたときにネット決算していた切符を、切符売り場で現物化していた用心深さが、この度のスタートを救ったかもしれない。もし、四平東駅にいっていれば、途中で気づいてまたタクシーに乗っても、この度のスタートは相当躓いた結果となる。

なんでも初めが肝心、あれはそう、まだ私が24歳の時。

職業訓練でsさん(シラコさんという変わった名だった)が、語った内容とだぶる。なんで職業訓練でそんな内容を授業中に立って話していたのかは忘れたが、確かに彼は、

「理由がどうあれ、偶然でも、スタートが成功すれば、そのまま上手くいくことが多い、だから、そこに集中しています」

このような内容のことを語った。彼は確か30歳に近い年齢で、営業職あがりでずいぶん苦労したそうだ。頭はすでに剥げ散らかしそうな様相を呈していたが、今はどうしているだろうか。まだ京都にいるのだろうか。

この旅のスタートで、寸前のところで失敗を回避し、なんとか問題なくスタートできたことを想う時、このような物語を思い出さないわけにはいかない。

かくして私は四平駅に着いた。

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

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旅想ゆふいん やまだ屋に泊まる、料理の感想。湯布院温泉。

中国へ旅立つ前にと、家族が湯布院温泉へ連れていってくれました。現在無職のくせに、豪華な料理と温泉に癒されてしまいましたのでレビューします。

湯布院温泉 旅想ゆふいん やまだ屋

階段の踊り場にある箪笥。

建物は二階建て、穀雨というお部屋でした。

創作和風懐石料理

夕食のメニュー

前菜(チーズ豆腐、、季節の盛り合わせetc)。名物のチーズ豆腐は何とも言えない食感で、贅沢にキャビアがあしらわれていました。

ワケギのヌタ和え、サーモンサラダ

お造り彩々。刺身も特別美味しかったです、特にイカの刺身は今までの人生で一番でした。

特選牛ロース鍋。この肉をしゃぶしゃぶで食べたんですが、人生で初めてしゃぶしゃぶを食べたんだなという気がする、感動の味でした。

蓮根饅頭そば米あんかけ。濃厚な味の創作料理でした。

朝食レビュー

朝食も適度なボリュームで、とにかく朝晩共に量がちょうどよくて良かったです。

朝食デザート。デザートは自家製のモノが目立ち、特にフルーツが丁寧に盛り付けられている様子は、見ているだけで嬉しくなります。

温泉や部屋について

内装や宿の雰囲気はあまり印象が良くなかったですが、部屋から見える壮大な由布岳はそれすらも帳消しにする眺めでした。

部屋から望む由布岳。

まとめと評価

料理の味、内容、デザート、量のバランスがとても良いです。それから夕食は部屋食なので、とてもゆっくりとくつろぎながら楽しむことができます。

韓国、中国の宿泊客が八割を占めるということで、おもてなしや接客の面では、日本人から見て少々不満もあがるかもしれません。特に韓国人の宿泊が多いらしく、韓国人が多く働いています。好みの分かれるところですが女性の従業員も少なく、接客はどちらかというとドライな宿だとは思います。

温泉は数が多いので湯布院としては悪くないと思いますが、泉量や温泉特有の臭いはそこまで強くなく、温泉目当てならば別府などの方が良いでしょう。

部屋や宿の内装は特にクセもなく普通ですが、悪く言えば特別なこだわりは感じられません。それから、少し迷路のように感じられて、道に迷ってしまうところがあるように感じました。

五段階評価

内装☆☆☆

部屋☆☆☆

料理☆☆☆☆☆

温泉☆☆☆

接客☆☆

(特に悪いわけではないが、日本語があまりできないスタッフもいるため)

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去年は凶⇒今年は大吉を引きました。~鞍馬寺にて~

鞍馬山へ

ちょうど一年前辺りに引いた鞍馬寺の凶みくじを、引いた場所である由岐神社の木の枝に結んで返してきました。

おみくじで凶をひく~京都、鞍馬寺からのメッセージ~

もうこれでもかというぐらい、一年間手帳に入れて大事に扱い、おりをみてはおみくじをひらいて自分を鑑みてきました。

占いとかおみくじとか、タロットもそうなのですが、自分を考える一つのきっかけとして使う、自分にとっては大切なツールです。とくに何らかの考える材料が与えられ、それについて考察することで自分にはない発想を入れることができるので、違う角度から思考する材料にする感じですね。

大吉を引いた!

今回は、途中の由岐神社ではなくて、本堂である本殿金堂でおみくじを引いてきました。

 

結果は見事に大吉で、再びそれを大事にしまってからすぐに山をおりました。

自分にとっての最大の聖地として、もう10回ぐらい行っていると思うので観るべきものはありませんね。

自分としては、何度も叡山電鉄で開いてはみたものの、なかなか良いことを書いているとはどうしても思えずに、なんだか拍子抜けした感じでアパートに戻ったんですが、夜に銀月氏に見せると今の境遇を写しているようで、感動的ですらあるというようなことを言われ、再評価しました。

おみくじ全文

第十二番 大吉

晴れ渡る 雲居に願ひ かけはしの わたりそめたる 身こそ楽しき

我が山は是れ仏法相応の勝地なり。一度もよずれば業障を除き生気充満す、と。生気活力の心身にみちみちて、事は成就するなり。活力とは尊天の下したまえる御力なり。更に尊天の信仰を深くして真理の和道を実践し大繁盛を期すべし。「受け難き人界に生れ、あり難き正法を聞き、三宝護神の保祐を受く、宿因の深きを喜ぶべし(鞍馬弘教教条)」。

運気つよし。出産神の御子を挙ぐと心得べし。売買ともによし。婚姻私心を去りて吉。去人来る。願望叶う。病気心田に在る力を思え、ただちに全治すべし。失物出ず。計画吉。待人来る。

注意、人の意見を聞くだけの心のゆとりを持て。自分の欠点をよく反省せよ、更に偉大なる可し。

鞍馬山

何ごとにも不屈不境、何処をゆくとも心安らけし、これぞ最大の幸福なる。


ばっくれ指数 131

鞍馬山に行けた。+2

凶のおみくじを返せた。+2

大吉を引いた。+2

久しぶりに大学の近くのラーメンを食べた。+1

自分に自信がついてきた。+10

114+17=131

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京都の洋館(銀月アパートメント)で二泊します。

入り口。昔は銀月アパートメントって書いてるのが見えたんですが、消えてます。

銀月アパート

友人の銀月氏が住む京都の銀月アパートに来ています。

うぃ~教典 一章:その3、銀月太郎

古すぎて、正確にはいつ建ったのかすら正式には分からない、映画監督などの著名人も輩出している、京都のサブカル文化の中ではちょっと有名ないちアパートです。

銀月太郎氏はここに大学学部~院生~社会人と部屋を変えながら、もう15年近く住んでいます。

 

この一見誰でも住めるアパートには思えない外観、丸窓とかは狙って作ってるわけじゃなくて半世紀以上前の本物です。

モーリス・ユトリロの絵画のような漆喰。

中に入るとまた内装もおしゃれです。とにかく木材とガラスと漆喰だけでできてる感じです。

四角い各部屋に囲まれるように中庭があり、どこか福建省の土楼を思わせます。

二階部分も各部屋に囲まれて中庭や屋根があり、トイレ台所、物干しなどの共用部が屋根の上にる奇天烈な構造。

各部屋もおしゃれです。


氏の部屋。だいたいどこを撮ってもこんな雰囲気で、このセンスにはいつも感心しますし、けっこうお金がかかっています。

母校(京都造形芸術大学)にも行ってきました。

行ったというよりは、まぁ前にある牛丼屋で朝飯を食べただけですけどね、久しぶりに観れたのは良かったです。

もっとも外観から感じる勢いのようなものは感じられませんでしたね、やはり不景気だからだと思います。今は美大なんか行く時代ではないのでしょうね。

 

鞍馬寺にも行ったんですが、また次回書こうと思います。

ばっくれ指数 114

夜行バスで全く寝れなかった。-2

母校の大学を観れた。+1

友人と会えた。+5

牛丼を食べた。+1

東京を引きはらえてホッとしている。+2

 

「あなたスゴいね~」と言って無職の巨人が去っていった。+3。

「応援しています♡」と言って、ぱにゃぞのの精霊が去っていった。+5

いや~そんなフォローしていただいただけでも申し訳ないのに・・・うぃ~

100+15=114

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2010年、インドへ初めての一人旅、交渉術や当時の物価などの紹介。

引越し(といっても業者は頼まずに捨てるだけだが・・・)で物を整理していると興味深いメモがみつかる。

インド一人旅で日記をつけていたメモ帳だ。

捨てる前に開いてみたのだが、そこには今まで把握していなかったインドでのリクシャ(買い物)交渉術や、自分へのメッセージが含まれていたので記事にして残そうと思った。

インド 旅行記1

2010年のインド一人旅で得たものとメモ

メモ帳といってもほとんどインド旅行記の内容であるが、特に前後の表紙ページに色々な情報をメモし、知識を得て自分なりに闘っていた跡がうかがえる。

リキシャー(リクシャ)3台目交渉術

  • 一台目・・・目的地までの値段を聞く。
  • 二台目・・・一台目の半額から交渉する。
  • 三台目・・・二台目の感触から本格的に交渉。

買い物のポイント

  • 優しく接する(そうじゃないと逆になめられる)。
  • 店も見てみると言って立ち去るフリをする。
  • 言い値の3分の1しか出せないという。

勧誘を断る

以下の言葉を、簡単な英語で言えるようにしておくと便利だ。

  • ありがとう、いま食べたくないんです。
  • お金はないんです。
  • 疲れているから、移動したくない。

 

当時の物価(ルピー)

以下のよう物価を事前情報で調べてノートに記録している。

 

  • リキシャ 短距離 5~10
  • 長距離 35~50
  • サイクルリキシャー 5
  • 水1リットルのボトル 10
  • チャイ 5
  • ネット1時間 15~50
  • バナナ一本 1
  • パン 6
  • カレー 8~80

現在のレート

1インドルピー =
1.76049943 円

実際の購買記録

  • 水 10~15
  • ペプシ 23
  • ビール瓶 50
  • パラゴン(伝説の宿)ドミトリー 一泊130
  • ホテルマリア(シングル) 一泊600
  • スプライト 22
  • メトロ 4~8
  • チャイ 5~
  • 映画 25
  • マック 134
  • ネット 28
  • 酔い止め 88
  • 屋台のスナック 10
  • カレー 30~100など(屋台では8が最低)
  • コーヒー 10
  • ラッシー 10
  • 散髪 30
  • 傘 170
  • 石鹸 18
  • 屋台チョーメン(焼きそば) 15~30
  • 洗剤 30
  • ペン 10
  • バナナ一本 3
  • 懐中電灯 200
  • 列車チケット(無座)ガヤー~ニューデリー 453
  • バス 10

現在のレート

1インドルピー =
1.76049943 円
リクシャーは交渉が恐かったのだろう、結局あまり乗ってなくて最低限つかっただけなのであまり詳しくない。それでも電動ではないサイクルリキシャーにも乗ったが、料金は距離や交渉次第でまちまちでありタクシーも同じだ。

体調を崩した時

ほぼ確実に下痢にはなる。

たべられない場合が多いので、どこの街でもある小さな薬局に行ってポカリの粉のようなものを買ってきて飲む。

とにかく水分だけは切らさないようにして下痢を出し続けると、10日ぐらいして体が水に慣れてくれば治まっていく場合が多い。

咳についての対応

咳については冷たいモノの飲み過ぎが原因だとインド人に言われたことがある。インド人は死ぬほど暑くても冷えたものは物は飲まないそうだ、冷えたコーラなどはよくないらしく常温の物を飲めと言われた。

4月のインドで冷えていないものを飲むのは抵抗があるが、実際にたしかに効果があった。

その他夏の場合、昼間は熱すぎて観光どころではないので現地人にならって夕方を中心に活動しよう。

インド一人旅の必需品

私はパソコンどころか携帯電話すら持ってなかったので、以下の物がないことに後悔したようだ。これは個人によって変わってくるだろうが和英辞書の機能はなんらかのツールで持っていたほうが無難である。

それから、ベンザブロック辺の風邪薬も多めに持って行った方が良い。

  • 和英の辞書(電子辞書)
  • 携帯電話
  • 耳せん
  • 常備薬

まとめ

インドの実情はあまり変わっていないだろうから、物価以外は参考にできるとは思う。

やはりこのメモ帳は捨てずに持っておくことにする、細かい部分までは記録できないし、今となっては自分には貴重な記録である。

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