中国人のパーソナルスペースとソーシャルディスタンス

中国人のパーソナルスペース

中国人のパーソナルスペースは狭い。

もうそれはそれは狭い。

私は教師として学生と交流しているが、たまに接近し過ぎて体が接触しているのでは?

と思うこともある。

だから、実際に接触していなくとも、あまりに接近されると無意識にこちらがのけぞってしまう。

日本人は、家族や恋人以外の人間が近距離に入ってくることに慣れていない。

 

腕を組んだりハグもする

なにか特別な時、

  • 例えば皆で食事に出かけようとしていてワクワクしている
  • 卒業する前や、教師が辞めてしまう

時などは恋人のように腕を組んだりハグしたりしてくる女子学生も多い。

これには驚いた。

さすががに振りほどくわけにもいかず、もうなすがままである。

相手にはそれほど深い意味があるわけではない。

しっかり彼氏がいたりするので、それは確実だ。

 

中国人とソーシャルディスタンス

このような感覚のために、やはり昨今のコロナ対応については日本などよりも広がるリスクはあるのかもしれない。

ソーシャルディスタンスを1m確保しよう!

というような標語を見る。

日本と比べるとずいぶん短いなぁと感じてしまった。

中国で厳しいコロナ対策がされているのは、人口が多いという以外にも、人と人の距離が近過ぎることがある気もする。(もちろん政府の意向と民意もあるだろうが)

パーソナルスペースが狭いので、コロナ対策と言う点ではマイナスに働いていしまうだろう。

中国人あるある。日本人との違い。

 

大国のパーソナルスペースの今後

中国のパーソナルスペースは今後どうなるのか?

それが私の関心事項の一つである。

中国は、例えばインドのように宗教的な影響も受けないので、素直に欧米や日本を追随していきそうな気がする。

実際に、新幹線に乗ってもほとんど皆がスマホをいじっている。

乗ってから、下りるまでずっと。

日本と違うのは、途中で何度か通話することだろうか。

あるいは音声メッセ―ジを送っている。

このまま、日本の様になってしまうのだろうか?

中国にいると、自然と積極的ではない自分も気軽に自分から話しかけられるような素晴らしい雰囲気がある。

これはぜひ体験して欲しい。

時代の流れで仕方ないのかもしれないが、この雰囲気がなくなるのは残念である。

 

中国の魅力

まだスマホがなかった2009年に中国で乗った列車は忘れられない。

皆が話かけてきたし、外国人というだけで人気者になれた。

しかし、この中国の伝統も簡単には変わらないだろう。

 

中国はおせっかいな国だ。

貧しい国が全部おせっかいとは言えないし、同じアジアでもベトナムや韓国、台湾などは個人的に違うと思う。

しかし、自らが貧しいのに強烈におせっかいな国がある、それがインドだ。

中国にしろ、インドにしろ、大国の中で生きる人の器の大きさが、そこで生きる人々の魅力なのかもしれない。

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中国人と付き合う。恋愛する。婚活する。

私は中国東北地方の大学で2年間日本語を教えていました。

赴任当初、私は34歳でした。

今はもう40歳が見えてきましたから、今よりは若かったです。

 

年齢というのは2つに大きく分けるなら、

人生の前半と後半は35歳で別れるのではないか?

と私は思います。

 

そういう意味では、ギリギリまだ若者で外教を経験できたのは良かったです。

同時に、40歳過ぎて明らかにおじさんになってから、中国の大学で一人で教えるのは大変だな~と思います。

 

年々いろいろな寂しさを感じることが増えるのではないでしょうか。

しかし、それでもすがりつく人は多いと思いますが…。

また、コロナがそれでも好きなとこにいれるだけマシかな、と思わせるような転機にはなりま

したね。

 

大学で教え始めてすぐの時、

「先生は中国に結婚相手を探すためにきたんでしょうか?」

 

というようなことを言われました。

もし今なら、

「うんうん、君はいい感性をしているね。その通りなんですよ。うぃ」

とかいうかもしれませんが、当時の私はそんな考えは全くありませんでしたから、

 

「コイツ、なんて失礼なやつなんだ…うぃ」

と心の中で軽蔑しました。

 

でも、私の人生はそういう方向に流れていきます。

 

なんでも否定すればそちらの流れになるのかもしれません。

私が25歳の頃、上海で出会った日本語教師を馬鹿にしました。

彼は、こちらがのんびりして楽だからこちらにいると言っていました。

 

それから約10年後、私は日本から逃げた中国大学の外教(外国人教師)という全く同じ立場になりました。

 

現在の私はというと、もう中国で結婚相手を見つけて、永住するのが一番自分には幸せな道かなと思い始めています。

人それぞれ大事なものは違うし、いろいろな方法もあると思いますが、

長期的に安定して居場所を確保するとなると、仕事ではどうしても弱い気がします。

やはり、結婚するというのは法的にも一番保護されるように思うのです。

日本で一度も恋愛できなかった私が、簡単に結婚できるとは思えませんが。

 

中国で恋愛する

2年間の中で、一度中国人女性と付き合う機会がありました。

ちょうど黒竜江省に旅行に行っている時、マッチングアプリで出会いました。

彼女は北京の大学、中国社会科学院大学院博士課程で社会学を研究している学生でした。

 

マッチングアプリ『探探』で出会う

中国の外教ならみんな、気休め程度にダウンロードしている『探探(タンタン)』というマッチングアプリがあります。

簡単な写真とプロフィールが流れてきて、お互いが気に入れば連絡がとれるシステムです。無料で使うことができます。

 

彼女が哈爾浜に研究に来ていて、その時、ちょうど黒竜江を旅行していた私に出会いました。

中国で外国人が異性と付き合うには、この探探が便利だと思います。

 

彼女のように外国人や年上が好きな人も、たぶんたくさんいるはずです。

中国ではかなり普及しているようで、大学で起動すると自分の学生や他の外教の先生が現れます。

当然相手にも私のプロフィ―ルが流れているはずですが、そのことを話題にされたことはありません。

たぶん、中国に住んでいる独身者で、アプリを入れていない人の方が珍しいからです。

 

 

中国人と恋愛する

もちろん同僚や、信頼できる人からの紹介があれば、一番安心でしょう。

私も同僚に紹介をお願いしましたが、残念ながら

 

「先生は年をとりすぎています。中国の田舎では30歳をすぎたらもう独身者は少ないです」

といわれていまいました。

実際にアプリを使っても30代、特に30半ば~後半は極めて少ないです。

私は、なんとか二年間いた最後の半年で、大学院生と付き合うことができました。

 

恋愛に必要な中国語

実際に恋愛するのに、そんなに難しい中国語は必要ありません。

しかし、それなりの勉強が必要で、1年では足りないと思います。

 

やはり2年、HSKでいえば4級があればなんとか対応できると思います。

中国語検定でいえば3級ぐらいでしょうか。

私は当時HSKを受けたことがなかったので、なんとも言えないのですが

  • 彼女が共産党に入党しない理由
  • モンゴル帝国の元は中国か

という議論を中国語でして、彼女の頭の良さに感服してたりしたので、これぐらいの内容が会話で話せるなら問題ないと思います。

やはりリスニングが一つのネックになると思うのですが、毎日聴いていると一時的にかなり向上しました。

別れてからは、突然リスニングができなくなりましたが‥‥やはり慣れですね。

 

彼女は社会学の専門でしたが、英語がペラペラで本屋の洋書コーナーでは洋書をすらすら読み、レストランで洋楽がかかると、即座に中国語で意味を話してくれました。

現代中国では高学歴の人なら英語が話せる人も多いので、やはり英語が話せる人には恋愛にも有利かと思います。

すでに中国は世界の教育や経済の中心地ですから、世界中の人と恋愛をするチャンスもあるでしょう。

 

わがままな中国人女性

中国女性と付き合う上で、やはりネックなのが自己主張が強く、わがままな点です。

 

もともとそういう傾向なのか?

それとも一人っ子政策で一人っ子が増えた影響なのかは分かりませんが、とにかくわがままです。

私もたいへんな目に遭いました。

 

一番よく覚えているのが、自分と彼女の分の弁当を買って帰った時、

「私が好きなものはなに?私は肉が好きなの!!」

といってゴミ箱に弁当を捨ててしまったことです。

 

たぶんなにか気分を害していたのでしょうが、あり得ない対応だと思いました。

男性陣は、普段からこのような女性達に鍛えられているので、基本的に女性に対して自己主張は少なく紳士的です。

 

中国で婚活する

今の希望は、次の赴任地で婚活がしたいということです。

チチハルという辺鄙なところですが、あれこれ考えてもしょうがない。

もう38歳という年齢は遅すぎますが、まだ30代ということで最後のチャンスとも言えそうです。

 

私がもし前回の吉林省時代のように給料が5500元しかないなら、そんな余裕もないと思います。

しかし、今回は10000元を軽く超えるぐらいあります。

この額はチチハルの中の中の給料が4000元(瀋陽の隔離ホテルでチチハル人と偶然居合わせ、

聞いた)ということを考えればかなり多い金額です。

そういう意味で、今は婚活できる条件があります。

 

中国の婚活が果たしていくらかかるのかは分かりませんが、100万円ぐらいならなんとかなる

かもしれないなと思っています。

もっともチチハルにいれるのは一年未満の予定ですから、慎重に考えれば、やはり踏み出すの

は難しいかもしれません。

 

このブログで、中国ローカル婚活情報も発信できれば!

という思いもありますが、まずは仕事と生活を頑張ります。

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中国人女性の顔は丸いのか?丸顔か?江蘇省の丸い顔

中国人の丸い顔

中国人の顔は丸いのか。

中国人の顔は果たして丸いのだろうか?

 

アニメや物語でも面長に細長い目、長いあごひげといった風貌で表される人物も多い。

でも現実にはなんだか丸顔の人も多い気がする。

 

この記事では、主に女性の顔に焦点をあてて、考えてみたいと思う。

 

 

蔡英文(台湾総統)顔

私が勝手に名付けている顔の系統に蔡英文顔という系統がある。

台湾総統の蔡英文を見てもらえると分かるのだが、

  • まん丸の輪郭
  • 額は平らで広い
  • 目元が優しい
  • 骨格が目立たない
  • 黒髪でストレート

という点が特徴である。

 

江蘇省の丸い顔

この蔡英文顔が男女ともに中国人には多数いるように思う。

そして、この顔、実はある省にものすごく多い。

それが、江蘇省である。

 

なにかと江蘇省と並べられる省に浙江省があるが、こちらではほとんどこの顔が見られない。

どちらかというと、浙江省は文化的にも少し漢民族を外れ、海洋文明の影響を受けている気がする。

方言にも、日本語と似たような言葉が多いそうだ。

在日中国人はほとんどが浙江省の出身者だというし、なにかと日本と縁が深い場所である。

ただ南部の温州などまでいくとまた少し蔡英文顔が増えていくような気がしている。

いずれにしても、浙江省では江蘇省よりも明らかに少ないように見える。

江蘇省の女性でいえば、約半分以上の女性がこの丸顔の特徴を持っているといっていいと思う。

男性も同じで、江蘇省にはこのような系統の顔が多い。

男女ともに優しい顔立ちということができるだろう。

中国の中原に近い山西省、河南省などにも多い顔であることから、漢民族特有の顔の一種だということができるだろう。

 

 

東北地方の顔

では、それ以外の場所ではどうか?
私があまり把握できていない土地もあるが、内陸に行けば行くほど、丸顔の人が増えていく印象を持っている。

それは、現在住んでいる東北地方の黒竜江省でも丸顔が多いということと矛盾しない。

遼寧省、吉林省は、私の印象の中では最も面長の人が多い。

しかし、黒竜江省までいくと、また少し変わってくる。

なんと丸顔の人が増えていくのだ。不思議だが、確かにそういう印象がある。

色が白く、頬骨は目立たなくなる。

しかし、蔡英文顔がどちらかというとエラが張っている感じに見えるのに対して、黒竜江省ではエラも目立たない人形のような顔に近づいていく。

また、ここでは蔡英文顔は少なくなるが、別の系統の丸顔が増えてくる。

中国伝統芸能顔ともいうべき、目が少し大きくて、派手目な顔だ。

顔の中で目や口が比較的大きく、パーツがやたらと主張しているような顔である。

この顔は、中国各地で多く見られる。

これも、漢民族の顔といっていいかもしれない。

 

 

四川省の顔

内陸に行けば行くほど、顔は丸くなっていく。

それを最もよく体現しているのが湖北省、さらに四川省と入っていく中国南西部である。

武漢でも面長の人は少ないが、四川省だとさらに少ない。

さらに、四川美人に代表されるように、色が中国一白い。

これは四川省が山深く、平地が少ないため、太陽が届きにくく、色白になるということだ。

また、四川省が美人の宝庫と言われる理由に、少数民族の存在があるだろう。

内陸にいけばいくほど民族などの混血化が進み易く、比較的美人が多いと言われている。

そういう意味では、北京や上海よりも武漢や重慶、西安などの内陸都市が美人の宝庫ということになるのかもしれない。

 

まとめ

私はここであげた、蔡英文顔や中国伝統芸能顔が好きである。

日本人とは違いがあり、すぐに中華系かな?と分かる。

そして、基本的に近寄りがたい印象もないし、親しみやすい顔である。

皆さんは、中国人の顔にどんな印象があるだろうか。

 

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中国人あるある。日本人との違い。

中国と日本の違い。

 

漢字とひらがな。

中華料理と日本料理。

大陸と島国。

うるさい人。静かな人。

(イメージです)

 

中国人と日本人の違いは、様々なところに現れます。

見た目こそほとんど見分けがつかず、東京の人混みから中国人を見つけるのはなかなか難しいと思います。

中国在住3年目の私が、日本人と中国人の差について紹介します。

 

日本人と中国人の違い

日本人の私からみて印象的な違いはいくつかあります。

まずは外見的なことから紹介していきます。

同じ東アジア人で、顔はそれぞれの個性もあり分かりにくいです。

一番差が出るのはファッションや髪型、体型などです。

 

女性がよくスニーカーを履く

ファッション面では、男女とも共通してあげられる特徴に靴があります。

とにかく、男女ともスニーカーをよく履きます。

特に人気があるのが、女性の履く鮮やかな白いスニーカーです。

 

日本でもスニーカーを履く女性は見かけますが、なかなかショッピングやデートに履いていく人は少ない気がします。

中国人女性のお洒落には、ピンクや白系のスニーカーが欠かせません。

 

男性の髪型

男性の髪型に特徴があります。

主流の髪型で、日本ではあまり見られないものがあります。

分かり易く言うと、少し極端ですが北朝鮮の金正恩スタイルです。

モヒカンまではいきませんが、両サイドの髪を深く刈り込む、またはきれいにさっぱり剃ってします人もいます。

ということで、中国で日本人男性が散髪してもらうのは大変です。

両サイドを深く刈り込んで頭頂部と差をつけるのが主流なので、日本人からみるとかなり違和感があります。

ですが説明しても、日本風カットを理容師は受け入れてくれません。

 

中国在住の日本人にとっては、あるあるです。

 

女性のスタイルがいい

南北差や地方差はありますが、日本人と比べてとにかく足が長いです

それから、胴体が丸く細いです。

対する日本人は肩幅が広く、胴が扁平で太いです。

 

女性だと結果的に中国人のウエストは目立ちません。

どちらかというと、胸から下のラインはストンと落ちて直線的です。

 

黒竜江省美人(女性)の特徴。中国東北部。

 

 

私が中国の服を買うとサイズ的に小さいものが多いです。

肩幅や腰回りの寸法が少し小さめだと感じます。

やはり、日本で服を買う方がしっくりくるし、長く着られます。

 

中国人の性格面での違い

性格面では、人と人の距離が近いです。

日本だと、例えば大阪などでは知らない人から話しかけられそうなイメージはあります。

中国はそれがもっと激しくなった感じでしょうか。

 

なにか困った時に、隣に座っている人に話しかけても自然です。

同じ目的で並んだり、時間を待っている時など、話をしない方が逆に不自然に思われます。

だから、中国人が集団になると、例え初対面同士でも会話がつきません。

これは、本当に良い文化だと思います。

同じ大陸でも、ベトナムや韓国、インドはそんな風ではくワンマンでした。

すぐに協力し合うのは中国人の特徴かもしれません。

私も積極的な方ではありませんが、中国にいれば違和感なく溶け込めるから不思議です。

 

食べ残しはOK

中国人が食事をする時のイメージと言えば、やはり丸テーブルで中華料理です。

現実もイメージそのままで、丸テーブルに大きな丸皿に料理がきて、皆でつついて食べます。

実際の大学教師時代の、会食の光景です。

 

日本と大きく違うのは、

  • どんなに料理を残しても失礼とはならない
  • 一人一食ではなく、料理が大皿で来る
  • テーブル上は屋外の地面という感じの認識ぐらい汚す

という点です。

食べれなかったら、残すというのは自然だと考えられています。

あらかじめ多く食べる人の量に合わせていて、多い人は残してくださいぐらいの感じです。

ですから、中国の学生食堂でも大部分の学生は全部食べ切れずに残します。

巨大な残飯の量を見ると、文化とはいえどうにかならないものかな?

と日本人なら思ってしまいます。

これも、中国在住の日本人あるあるの一つです。

 

中国人から見た日本人

逆に中国人からみた日本人はどのように見えているのでしょうか?

ここでは、中国人大学生から指摘された3点を紹介します。

  1. 男性の髪型が変
  2. 歯が悪い
  3. 女性が働かない

中国の大学で働き始めて、まっさきに学生たちから言われたのが、この3点でした。

中国を知らない日本人からすると、少し不思議に思いますよね。

 

1.男性の髪が変

これは、日本人と中国人の認識が同じで、お互いを変だと思っていることです。

ある意味、貴重かもしれません。

私も最初は理解できなかったのですが、男性の髪型はサイドを大きく刈り込むスタイルでした。

そのことから中国人男性に長髪は少ないです。

日本のドラマや芸能人などを見た時、男性の髪型が変に長く感じるといいます。

「日本人男性の髪は女みたいです」

と学生によく言われました。

 

 

2.歯が悪い

これが一番意外でした。

中国人は歯の状態がとてもいいです。

特に大学生は虫歯がなく、皆真っ白でした。

「日本人は歯が悪いでしょう」

と学生から責められ、私は初めてこの差を知りました。

いったいどこから日本人の歯が悪いということを知るのか分かりませんが…

確かに街に歯医者がほとんどありません。

でも、学生が日本人より丁寧に磨いているというわけでもなさそうでした。

男子学生は

「特に肉、骨付きの肉や硬いものを毎日食べるのが当然なので、歯が丈夫になる」

と得意げにいいました。

たしかにそうかもしれません。

日本にいる時より、中国では歯をつかっているな~という実感はあります。

 

3.女性が働かない

このことを指摘された時も驚きました。

1人や2人ではなく、多くの中国人がそう思っています。

日本人が働かないわけではなく、日本人女性が働かないとみているようです。

 

確かに、中国人は経済を大事にするので、育児など頼める者は親に頼ってお金や出世を大事にします。

日本でも成長期が終わり、女性の社会進出も進んでいますが、働こうとする意欲は中国人女性の方が強いです。

 

中国では食事の用意や家事も女性がするという感じではありません。

得意な方が食事を作り、暇がある方が家事をします。

女性の方が多く稼いでいるという家は決して少なくありません。

日本とは比較にならない程、男女平等なのです。

 

まとめ

以上、中国人と日本人の違いでした。

私が気になるものを簡単にまとめてみましたが、いかがでしょうか。

まだまだたくさんあると思いますが、皆さんは中国人のなにが気になるでしょうか。

これからも、中国人のいい所を、たくさんみつけていければと思っています。

 

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黒竜江省美人(女性)の特徴。中国東北部。

遥かなる中国、その最北の地、黒竜江省。

ここは美人の宝庫でもある東北の中でも、最も北に位置する。

ロシアとの国境が近く、単純に考えても美人が多そうだなという印象はある。

私は吉林省在住2年、これから黒龍江省に在住予定であり、黒竜江省人の特徴は把握しているつもりだ。

 

黒竜江省女性の特徴

全体的な特徴としてとにかくスタイルが抜群にいい!!

脚がとにかく長い。

なんだか近づきがたいイメージもあるがそんなことはない、優しいし親切である。

それでは細かい特徴をみていこう!

これは旅行中、牡丹江駅を撮影したものに混じりこんだ黒竜江省の女性である。

見てもらえれば、その足のスタイルの良さは一目瞭然である。

 

顔のベースは意外と思われるかもしれないが丸い。

色は基本的に白く、日本人よりも白い。

化粧は薄いイメージがある。唇も、他の省より赤くしない。

頭は小さく、顔も小さいので、必然的に顔が丸くなるのだろう。

顎や頬骨などの原始的なゴツゴツした骨格が少ないので、色の白さも手伝って、幼く若く見える傾向がある。

吉林省や遼寧省と比較すると、かなり違う顔立ちだ。

アニメキャラに近いと言えば分かり易いだろうか。

 

スタイル

とにかく足が長い。

中国人は全員間違いなく足が長いが、とくに腰の位置がまた一つ高い。

やはり最北に位置し、ロシアに面しているからだろうか。

普通の痩せている人は、全員が日本のモデルよりスタイルがいい。

ちょうど日本でなじみの美少女キャラのようなスタイルをしている。

実際に旅行してみると、明らかにロシア人でもなく混血だと分かる人をみることがあるが、本当に美人だ。

服装はあまり派手好きではない印象がある。

 

とにかく白い。

中国の中で一番白いのは、まず間違いない。

これが同じ東北三省のなかでも、吉林省や遼寧省と違う点である。

吉林省は意外だけど、けっこう黒い。

江蘇省や四川省などの、南部の方が白いとも感じる。

 

性格

いろいろな性格があるにはあるが、共通するのは心の暖かさ。

学生との交流を通して感じたのは、黒竜江省の女性はなんだか心が暖かい印象がある。

それは旅行中も変わらなかった。

 

東北はなんだか品が無い感じがすると言われるがそんなことはない。

吉林省の中でも、遼寧よりと黒竜江よりではだいぶん違っており、やはり黒竜江省よりの方が穏やかでうるさくない印象がある。

顔や姿にも品がある。

シンプルイズベストという感じで、あまり奇抜な服装はみかけない。

 

話し方

これも、遼寧省、吉林省とは大きく違っている。

黒竜江省は北京普通語の原型になったと言われることもあって、かなり正統的な発音をする。

他の東北弁はかなり雑で激しいイメージがあるので、言語的には南下して河北省に行ったような錯覚を覚える。

中国語を学習をするには、一番きれいな標準語なので北京よりもいいし、どの省よりも優秀かもしれない。

 

まとめ

とりあえず中国黒竜江の女性の特徴について、思いつく限り書いてみた。

いろいろ書いたが、そのどれもにマイナス要素はない気がする。

女性についての好きなタイプは色々あると思うが、黒竜江の女性はちょっという人はなかなか想像できない。

とにかく肌が白い、顔が小さい、スタイルがいい、心が暖かい。

それが最大の特徴といっていいだろう。

ぜひ、チャンスがあれば黒竜江省で現地人と交流してみてほしい。

少ない中国語でも、丁寧に聞いてくれるはずだ。

また、日本で黒竜江省人をみかけたら、それはラッキーかもしれない♪

 

コロナ禍での中国渡航から瀋陽隔離。1日目。2021年9月。

中国人女性の顔は丸いのか?丸顔か?江蘇省の丸い顔

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虎頭要塞とウスリー河観光、満州を巡る旅05(2019年8月)

満州戦争遺構の旅

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

第4日目:虎頭要塞激戦地

8月8日

第4目は移動や次の日程や手配を気にしながらも、本格的に虎頭要塞激戦地跡をせめる。

 

 

試製四十一糎榴弾砲

この地図でいうと、第二次世界大戦終結地記念園があるあたりに、どうやら巨砲陣地遺構などが残っているようだ。

試製四十一糎榴弾砲(しせいよんじゅういちせんちりゅうだんほう)は最大射程50kmを誇る旧日本陸軍最大の要塞砲であり、これが最大の見どころだ。

 

第二次世界大戦終結地記念公園へ

まずは、中国にとって日本に勝利して敵対国を追い出したことのなる記念すべき土地、第二次世界大戦終結の地へにある公園に向かう。

 

 

商店街も通り抜けてひたすら歩く。

 

この時点でもまだ確証はない、本当に徒歩で行けるのか?でもいわゆる観光タクシーなどは街には見かけなかった。

後で分かったことだけど、この公園はサファリパークにように車で回る仕様になっており、そもそもここに車以外で観光に来る中国人もいないだと分かった。

やっと案内が見えた。

 

まずは第二次世界大戦終結地の記念塔。

 

巨大要塞砲跡

中国人が車で回る中、執念の説明でなんとかチケットを購入し、これまた執念で巨砲跡を見つける。

 

実物はけっこう良かったです。

虎頭要塞の戦い最激戦地へ

ネット情報から虎頭要塞の戦いの最激戦地だったであろうと思われる場所も、できる限り徒歩で回りました。

 

 

 

玉砕覚悟で守備した旧日本軍、逃れた来た付近の邦人。

これまた死を覚悟して突入したソ連軍と、多くの血が流され、最終的に日本軍は玉砕となって中国での日本軍の大規模交戦は終わりました。合掌。

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虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04(2019年8月)

満州戦争遺構の旅

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

第3日目:虎頭要塞(ことうようさい)

8月7日

3日目の続きです。

この日は盛りだくさんでした。

牡丹江~虎林駅から虎頭の街に着いたの昼過ぎごろだったでしょうか。

ホテルと食事をとって観光に繰り出しました。

 

街中にあった虎頭案内板

 

いちおう案内板らしきものもありましたが、この時点ではまだタクシーをチャーターしなければ無理だろうなと考えていました。(実際その方がいいわけですが…なんとか回れないことはない)

事前情報では、虎頭の遺跡遺構は数十キロ幅に点在しており、まだ観光整備もされていないという感じでした。

 

虎頭要塞博物館

事前情報で資料館などがあるという場所に行きましたがすでに閉鎖。

なんとなく方向性だけはつかんで歩き始めると、新しい看板があります。

 

比較的新しい案内図

 

どうやら虎頭要塞博物館というものができているらしいということが分かりました。

結果的にこの虎頭要塞博物館が、いわゆる祖父がいたであろう虎頭の拠点地でした。ここが旅のハイライトになりました。

 

 

虎頭は第二次世界大戦終結地

第二次世界大戦終結の地として、かなり力の入った一大観光地として整備されている虎頭の中でも、ハイライトのようです。

抗日英雄像(お約束です)

 

ちょっと日本人がいるのは辛い環境。

立派な虎頭博物館

 

この博物館から、そのまま過去に日本軍が作った要塞へ行けます。

現実の要塞が突然現れたという感じで、日本人として、また祖父がここを訪れていたであろう身としては、本当に複雑なものを感じました。

 

観光客は減ってかなり怖いです。

 

弾薬庫跡

 

後に尋ねた東寧要塞よりも天井は比較的高めでした。

まだ建造中は軍に余裕があったのかな?そんなことを思いました。

 

発電所跡

 

これが風呂跡

 

かなり狭い場所もあります。

 

ここが虎頭要塞博物館の出口

 

旧日本軍騎兵神社

旧日本軍騎兵神社

 

日本兵が心のよりどころにしていたという騎兵神社がありました。

ここに日本代表として、日中露の友好と世界平和を祈りました。特に祖父の敵だった中国やロシアの英兵に力をお借りしたいと思いました。

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

満州記。一歩兵の太平洋戦争、支那事変の記録。奉天(瀋陽)、大連、新京(長春)、虎林。

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虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03(2019年8月)

満州戦争遺構の旅

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

第三日目 虎林~虎頭、ウスリー河

8月7日

少し肌寒い感じの中8:30の列車で向かいます。

密山駅付近通過中。

 

客はどんどん減る中、虎林駅まで列車で向かいます。

 

虎林まで列車で行き、そこからバスで今日中に虎頭を目指します。

虎林駅到着

 

虎林駅

 

13:16

虎頭までのバスに乗れました。

一時間で着きます。すぐにバスに乗せられましたが、虎林は大きな街でした。

 

 

 

 

ウスリー河

虎頭に着いてホテルを確保。

ホテルの前は、ウスリー河です。祖父はここにいたかもしれません。

 

初めて観るウスリー河

 

ウスリー河

ウスリー河はのどかな大河でした。

『冬将軍が猛威を振るう頃になるとウスリー河は厚い氷が張り詰め、どこが上流か下流か見分けがつかなくなる。

大平原を緩やかに流れる川の中にはいくつもの中州ができていた。

一触即発の危機をはらむ、ソ連軍との間に点在する中州に、京都郡出身で同時に小倉連隊より出た仲のよい4名の戦友たちが、張り詰めた氷の上を中州の偵察に出かけたが、河の中央付近で、突如としてソ連軍の敵陣より機関銃の猛射を浴び、4名の戦友はそろって即死する大事件が起きた。』〈祖父〉

とあるが、この付近がその現場なのだろうか。穏やかな河からは想像できない。平和な時代を感謝しなければと強く思う。〈父〉

 

 

虎頭市街の様子。写真の奥にウスリー河が見える。

 

名物、鶏西冷麺

この辺りはれーめんが有名。

値段も安く旅人には嬉しい。

 

 

名物の鶏西冷麺

 

 

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

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牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02(2019年8月)

満州戦争遺構の旅

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

第2日目:牡丹江駅

8月6日

牡丹江は大きな街でした。

交通の要衝ですよね。

四平よりずっと大きいです。

 

牡丹江駅

 

牡丹江駅

 

父の満州の話ではなぜか、牡丹江と言う地名が印象に残っている。

ロマンチックに感じたのだろうか、少し哀愁をを感じる土地の名前と勝手に思っている。

写真を観ると、信じられないくらいの規模の街で驚きました。〈父〉

 

黒竜江省、鶏西駅

13:48

小雨の鶏西駅

 

鶏西駅

 

牡丹江から移動した今は鶏西

明日は、虎林駅に行きます。

ここは四平くらいの規模です。

今晩はここのホテルをとりました。

 

 

虎林の規模を想像するとやることも限られそうなので、明日の夜行で虎林を発つスケジュールにしました。

時間があれあ日本ゆかりの情報を送ってください。

徒歩で行けそうな廃墟跡など、たぶんないと思うけど。

線香がないので、絵でも書いて代りに立て替えます。

 

ネットが少しつながり、スマホで調べていますが、虎林駅周辺で日本人の足跡を見つけるのは難しいようです。

やはり過去のことですね。

それでも足で散策してみようと思います。

 

鶏西市を観光

 

豚骨ラーメン?

 

豚骨ラーメンと同じようなもの。

ハンバーガー?

 

ハンバーガーとは全く違います。

肉まんに近い。

ラーメンと2つで300円しないくらい。

 

鶏西市の金魚を見る

鶏西市で金魚や植物を売るかなり大規模な市があった。

たぶん日本初公開ではないだろうか?

自分の他に足を踏み入れた人がいるだろうか・・・

 

 

 

私は金魚や観賞魚に目がないので、大いに楽しんだ。

 

 

このスイホウガンは欲しかった…

 

鶏西の景色と雰囲気は好きだ、こういう意味のないことに意味を見出す時の自分は強い。

途中で夕立が来たが、コンビニで雨をしのぎながら観光を楽しんだ。

なにげにこの街のことが一番思い出に残っているかもしれない。

 

 

 

虎林要塞と東寧要塞の情報

東寧という地名のところに遺構がある情報があったので、父とのやり取りを頻繁に行う。

そこで東寧要塞があることが分かり、そちらへ慰霊のためにことを決意する。博物館もあり、観光地化されている。

虎林には戦争の遺構が残っていないように思いますので、東寧要塞に行きます。

そこ(東寧要塞跡)では祖父のいた時代の面影が分かりそうです。

 

虎頭要塞へ

ちょっと信じがたいですが、虎頭要塞まで訪問したブログを偶然見つけました。切符をキャンセルして、虎林を掘り下げることにする。

虎林駅から虎頭に向けてバスがあり、虎頭にはホテルもあるようです。

まったく未知ですが、とりあえず明日バスを探してみます。

虎頭までいけばウスリー河が間近にあるそうです。

 

鶏西駅の待合所

 

翌朝虎林へ向かいます。

車窓風景(鶏西~虎林)

 

車窓の景色は中国のイメージと合致します。

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

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大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

2020年8月、旧満州巡る旅は、私の中国東北地方在住での集大成となった。

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

 

四平と言う日本で全く知られていない(東北地方の中国人に以外にもほとんど知られてはいない)このマニアックな土地で、泣いて笑ったこの二年間。

いったいなにから振り返ればいいのか、想像もできないほどである。

その二年間の生活の中で、1年半が経過していた中で強行したこの旅は、まさに中国生活の苦労や醍醐味を味わいながらも、なお現状をなにか変えたいと先祖を訪ねようとした、そのように解釈できなくもないなというほど、まぁ突然に思い立った旅ではあったし、自分の中でも整理がつかないままである。

しかしいい旅となった。

終わりよければ全てよしである。

もう中国から抜け出したいと思ったこともないではなかったが、この素晴らしい満州の旅は私を初心に立ち戻らせてくれた。

もう二年半前に吉林省の地を踏んだような新鮮さは味わえないかもしれない。

でも、それでも自分が中国と関わっていく中で、また違った素晴らしい体験がある、思い返せば旅はそんなことを自分に教えてくれたのかもしれない。

挑戦ないところに失敗はなく、また必死になったところに感動があると思う。

2年前に吉林省長春の空港に下りた時、ロシア人の先生と迎えの大学の先生と合流しながら大学を目指した。

大学に到着した時には25時を回っていたと記憶しているが、寮の前から門に入る間に寒さで死ぬかと思ったのを覚えている(すでに3月であったのに)。

すぐにバックレなければいけないと思った。

しかし、結果的にそれは素晴らしい旅になった。

そして、集大成となった満州旅行も素晴らしいものとなった。

これからも、

「人間至る所、青山あり(この広い世界、自分の骨を埋める場所ぐらいは、どこにでもある)」

の精神で、また中国へ旅立つ日を、今は静かに待っている。

 

父が『同行二人 満州戦争遺構の旅』という冊子を作ってくれた。

それに刺激を受けて、やはりこの旅をまとめておかなければという思いを強くし、もう一度ブログの管理画面を開ける。

令和元年8月の旅である。もう記憶が薄らいでいるところもあるが、この非常に意義のある旅を少しずつでも整理していきたいと思った。

 

 

同行二人

満州戦争遺構の旅

令和1年8月5日~8月12日

 

『動乱の歴史・わが人生』というあまり立派ではない大きな本が我が家にある。

さまざまな人達の戦争体験を中心とした人生史をまとめた本である。その中に、祖父・幸義の投稿したページがある。祖父が他界して20年。縁あって吉林省で働いている間に、祖父の青年期に陸軍の一員として派遣された満州の地を訪ねてみることにする。〈父〉

満州記。一歩兵の太平洋戦争、支那事変の記録。奉天(瀋陽)、大連、新京(長春)、虎林。

父の投稿記事の中に出てくる、大連新京奉天虎林牡丹江哈爾浜(ハルピン)。

祖父、幸義が日本兵の兵士として従軍していた満州の地。80年のときを経て孫の自分が訪れることにした、父は希望するも同行することはできなかったが、スカイプを通じてまるで同行しているかのごとく、意思の疎通を計る。〈父〉

 

第一日目:大連駅

旅の始まりは大連

天気は良く。気候も暑くはありません。

 

祖父の従軍も大連上陸から始まりました。

 

大連駅の正面から

 

 

一度自宅(大学の寮)に帰り、旅の支度をする。

夜行で出発に備える。

 

日本の自宅を朝出発して、その日のうちに飛行機、夜行列車と乗り継ぎ、明日は牡丹江で目覚める予定。

 

四平駅前の風景

 

 

四平の気温は30度。21時10分。

「乗る人がいないから、気を張ってないと今回の旅はどうなるかわからんね」

 

駅の電光掲示板

 

 

満州戦争遺構の情報は乏しく、また黒竜江省や、吉林省の旅情報も乏しく、不安と期待を胸に8月5日夜行列車で四平を発つ。

駅のホームに電車が入る(電子板に牡丹江の文字)

 

 

明日は朝8時からすぐに鶏西への電車、虎林につくのは、明後日の午後の予定。

21:10 駅は人が少ないです。列車が到着しました。いよいよ旅の始まりです。

 

 

中国人は皆足が長いですね。車両は快適ですが、すごい揺れが続きました。

今までは順調に来ています。

 

中国東北(吉林省)生活の集大成

なにから書けばいいモノやら、、怒涛の日々だった。

塵一つなく、でも台風が過ぎ去ったにしてはどこか現実感がないような、なにかが思考を妨げる様な、様々な人生を一気に駆け抜けたような、なにかが混じり合って、幾人か、いや無数の魂と交錯したような、そんな深い旅であった。

メモはほとどとっていないが、簡単なスケジュールと写真、切符などを見ながら毎日コツコツと書いていきたい。書きたい、そう思わせるような歴史的な旅となった。

彼女に出会った。それだけではない、彼女が現実になろうとなるまいと私は四平に帰る日が近づくにつれて、詳細な旅行記を残そうという思いを強くしていった。インドの一人旅以来ではなかろうか?あるいは一人旅がそうさせるのか、そういうなにかが起こるタイミングだから一人旅にでるのか?それは分からない。しかし、一人旅には、やはり壮大なドラマと出会いが自分にはつきもののようで、それはずっとなにかしらつながっていくようなことが、幸いにも多いのだ。。。

ちょうど中国の虎林に呼ばれたのと同じように、10年前にはインドに呼ばれ、その時は、偶然に仏陀の誕生日をブッダガヤーで迎え、東西南北インド中から僧侶が街を目指して行進する大集団を目にした!

タクドラを辞めた時に、訪れたハノイでは早くも行きの搭乗機の中で日本から帰国する技能実習生と出会い、同じホテルに泊まることになった。彼女達との関係は今でもlineで続いている。

予期しないところからなにかが起こる。それが旅先と深くつながることができる一人旅の魅力であろう。もっとも、移動待ちでも荷物を全部もって行かなければいけない、部屋や貸し切りタクシーが割高になるなど、短所をあげればきりがないのだが・・・・。

8月5日(月)晴れ  大連から四平、四平~牡丹江

東北の晩夏、大連ではまだちょっと暑さが残る、しかし、昨日までいた日本の九州の真夏の暑さは全くない。

二度目の宿泊となった百時快棲酒店(大連港湾広場店)からの出発であった。朝起床して、パンを食べて、チェックアウトをする。

前回のチェックアウトの時に、なぜかデポジットを返してくれなかったのが気にかかっていた、たかが数元なので忘れていたのだと思うのだが、そんなことも言い出せない性分である。今回は、数元のデポジットがちゃんと戻ってきたが、私はトボトボと地下鉄へ向かいながらも、この先の旅への足取りは非常に重かった。なんで、こんな面白くもワクワクもしない、中国東北部の、しかも花形であるハルビンや瀋陽、大連観光ならまだ分かるし、行きたいとも思う。特に瀋陽などは観光資源が豊富だ。ハルビンの街並みも美しい。

それが、なんでよりによって虎林とかいうわけのわからない極東の場所なのだろうか?なんでハルビンじゃないのだろうか?

旅の途上、なんど思ったことか。ああ、しかし悲しいかな旅の運命は、吉林省から近く去るであろうタイミングや、諸々の条件も整って、いよいよ行くしかみちはないのかなという感じになっていった。特に色々な人に話してしまって、もう四平から牡丹江行きの寝台を買ってしまっている。

まぁいいや、なんとかなるさ。最後はそう思い直して、足取り重く「湾岸広場」の駅へと階段を下りた。

今回の出発場所は大連駅、中国の新幹線の駅としては、大連北や北京南、例えば四平なら四平東など、新駅から乗ることがほとんどなのだが、この日は珍しく大連駅からのスタートだった。地下鉄を降りてから二人ほどに道をきき、なんとなく歩いていくと、スーツケースを転がす人々が現れ、私もその波にのまれた。

大連~四平東、この行程は少し慣れてきたとも言えなくもない路線で、なんとなく気持ちの余裕もあったのか、あまり記憶が定かではない。ただ、気乗りがしない旅を本当に行くのだろうか?果たしてなんの意味があるのか?そんなことばかりをうじうじと考えていた気もする。

悪いことに、親戚一同とこの話になった時に、

「ぜひ線香をもって行って、参ってき」

そんな興奮した声が聞かれ、それに方々から喝さいが起きたので、これを第一の目的かと、そんな風に考えていたのだが、その線香すらも忘れている始末だった。それでも、代わりになるものはなにかないかと探したところ、自分には水彩画しかないのではないかと思って、それでまぁ絵の道具を四平のアパートに戻った時に、しっかりと道具に入れた。

四平はずいぶん涼しく感じた。やはり福岡とは違う。生徒の姿はほとんどないが、たまに大学生のカップルが寄り添って歩いていた。なるほど、実家に帰らずに残るとしたら、よほど課外授業でもあるか、同じ大学でカップル同士かのどちらかぐらいであろうか。アパートに戻った私は、スーツケースからバックパックにそっくり荷物を移し替え、帽子をかぶり、すっかりバックパッカーの装備を整えると、普段はあまり使わない四平駅へ、鈍行寝台列車に乗るために向かった。

「やっぱり新幹線じゃなくて、普通の駅かも知れない」

私がそうつぶやくと、運転手の表情はあきらかに曇った。それは、僻地の四平東駅から、中心の四平駅への変更を意味したからだ。しかし、切符を運転手に見せると、やはりあきらかにこれは四平発のようだ。

それもそうだ、東駅は新幹線駅の専用車線のはずだからである。念のために、午後四平東に着いたときにネット決算していた切符を、切符売り場で現物化していた用心深さが、この度のスタートを救ったかもしれない。もし、四平東駅にいっていれば、途中で気づいてまたタクシーに乗っても、この度のスタートは相当躓いた結果となる。

なんでも初めが肝心、あれはそう、まだ私が24歳の時。

職業訓練でsさん(シラコさんという変わった名だった)が、語った内容とだぶる。なんで職業訓練でそんな内容を授業中に立って話していたのかは忘れたが、確かに彼は、

「理由がどうあれ、偶然でも、スタートが成功すれば、そのまま上手くいくことが多い、だから、そこに集中しています」

このような内容のことを語った。彼は確か30歳に近い年齢で、営業職あがりでずいぶん苦労したそうだ。頭はすでに剥げ散らかしそうな様相を呈していたが、今はどうしているだろうか。まだ京都にいるのだろうか。

この旅のスタートで、寸前のところで失敗を回避し、なんとか問題なくスタートできたことを想う時、このような物語を思い出さないわけにはいかない。

かくして私は四平駅に着いた。

 

大連駅から四平、満州を巡る旅01(2019年8月)

牡丹江駅から鶏西市観光、満州を巡る旅02

虎林駅から虎頭、ウスリー河。満州を巡る旅03

虎頭要塞を徒歩で探索、満州を巡る旅04

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