期間工寮をばっくれる~ホンダ期間工からホームレス~

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バックレるのか バックレないのか それが問題だ

夜をかける

友は私を止めた、しかし私は必死に押し通ろうとした。

刑務所のようなホンダ寮に、落ち着きを失った私の声がこだましている。

「やめるうぃーやめるうぃー!バックレるうィー!」

友人は落ち着けて言ってくれていた、2人とも必死だった、私はなんとか説得を受け入れて部屋に戻った。

しかし、10分後、再び友人の独房を訪ねた私の表情には男の覚悟があった。

「やっぱり俺はやめる。みんなおかしい、俺もおかしい。」

友人はそうかとだけいった。

そして、部屋の鍵をだまって渡してくれ、自身は夜勤へと向かっていった。

3勤者(3交代の最後の深夜帯)が出勤を終えて、皆が寝静まるころ、男は行動を開始した。

必死だった、とにかく荷物を4階から、3階の友人の独房に押し付けた。

あとでどうにでもなる、当時はそう思っていた、私の通帳には150万円ほどにぎられていて、それでなんとかなると思った。

必死で汗まみれになりながら段ボールを運んだ、まわりからせかす声がきこえる、あるいは幻聴かもしれないがたしかに聞こえた気がした。

「・・・おーバックレとるバックレとる(*´з`)」

たぶん、言ってる人はいたと思う。

深夜の時間帯とはいえ、三交代の現場である、まだかなりの灯りがあったのだ。

自分の交代者にもすれ違った、その人は唖然とした表情でこちらを見ていた、私は今工場にいないといけない時間帯なのに、独房にいたのだから。

独房の前で、二段段ボールを必死に運んでいる姿に何を思っただろうか、私の歩調は自然と速くなった。

いまだに彼の表情を思い出す時がある、この人はなにをやってるのだろうか、そんな人間の生の表情だった。

友人は職に困っているときに京都から呼び寄せた、大学からの友達だ。

私が急にバックれられたのは、このリアルの友人の存在が大きい、彼の部屋を活用できなかったら、あるいは別の未来を生きていただろうと思う。

11カ月分の荷物だったので、すぐに逃げれる量ではない荷物を抱えていたから、普通の人は思い付きでばっくれるなどは難しいことだろう。

友人を、一人寮に残していってしまったことはたいへん申し訳なかったが、当時の私は逃げ切る、その思いでいっぱいだった。

寮をバックレてからの数日間のことはいまでもよく記憶している。

私は短期的な計画をたてて、とりあえず派遣会社に潜り込もうと考えた。

京都のアパートはもう引き払っていたし、実家の九州に戻るというのも最後の選択肢だった。

底辺マスターになりつつあった私の頭の中には、あらゆる選択肢があるように思えた。

自転車で10キロ近く走って、浜松駅まで行き、少し惜しみながら自転車を乗り捨てた。

自転車を買った時の古道具屋のおっちゃんを思い出す、

「浜松を離れる時は、また買い取ってやるから、社員になれたら一番いいけどな~昔はみんな社員になったニダ~」

そんなことを話していた。

しかし、私を待っていたのはバックレの未来であった、期間工でさえ私には勤まらない。

今ではこれも私の中で常識であるが、それが分かるまでに多くの苦しみが、当時の私には足りなかった。

自転車を丁寧に浜松駅のガードに乗り捨てると、私はマンガ喫茶に向かい一晩を明かす。漫画喫茶にある求人が目についた、とりあえず情報はなんでもと、漫画喫茶の求人をメモったのを覚えている。

ネットで朝方までいろいろと派遣会社の情報を調べあげた。

そして一番ひいきになっていた京都本社の日本ケイテムが、浜松で面接会なる、という情報を得た私は、それに参加することにした。

しかし、まだまだその日までには何日かあったので、ネットカフェを転々としながらその日を待った。

1年ぶりの自由であった、しかし自由の高揚感はバックレた日だけで終わった。

はっきりと終った、次の日からは、お金を出さないと家がないという不安に襲われた。それは初めて味わう苦しい不安だった。

「しんどいよーそりゃーうぃー考えかた、変えた変えた、リーマン、リーマン!」

とホンダ寮の先輩Hさんから聞いていたのを思い出した、なにをいっているのかよく理解できなかったのだが、今ならわかる気がした。

リーマンショックで死にたくなるほど追い詰められた、そういうことだったのだろう。

浜松駅周辺

浜松駅周辺のホームレス生活ではいろいろなことを思い出した。

一年間である、あ~鰻も食べたな~とか、あそこもいったな~とか私の人生では、人に恵まれた時期であったらしい、意外にも、思い出があった。

いろんな出会いをまた無駄にして、リセットして今の自分があるんだと思う、それは現代にまで続いている。

そして、とうとう私は自分自身を失いつつある。

ダンダンダンダン!全部お前が悪いアル!ワーッツ!

変な中国人が頭の中で叫んでいる.

私は変な人がいると思って外の様子をうかがうが誰もいない、はてはこれは幻聴なのかと思う。

私は頭の中の舎利弗や取次師やフクロウもどき等、あらゆる人に相談するが答えは出ない、出るはずもない、みな実在しないのだから、そういうことである。

話を戻そう。

浜松で日本ケイテム面接会なる、の前日、私は景気づけにビジネスホテルに泊まる、コンビニATMで10万ほど豪快におろして、ビジネスホテルの部屋でコーヒーでも飲めば、少しは落ち着くと思った。

チェックインすると、少し落ち着けて何日か泊まろうと思えた、幸いまだ金はある。

スマホを見ると友人や工場関係者、仲良くなった同僚からひっきりなしに着信がある。

それらを無視して、私は必死に派遣会社の人間と会話していた。

面接会の正確な場所はもう覚えていない。

浜松だったような、愛知の豊橋だったような気もしている。

どちらにしろ、私は正社員を狙って面接に行っていた時以来の電車に乗って、面接会に向かった、行くだけだと思っていた。

どうせ仕事は見つかる、さんざんここで働かせてもらったから信用もあったはずだ。

なじみの担当の人もいたし、お互いに良い思いしかないはずだ。

ガラガラの面接会、というか一人しかいなかったような記憶もある、私は浜松ロームを希望して面接を終えた。

派遣会社からも見捨てられる

翌日、私の携帯には、不採用の文言が届いていた。

当時は今のように人手不足感もなかったためだろうか、私は当てが外れて困惑した。

家も借りれない、仕事もできない、家がない事情を説明すると派遣にも断られそうだった。

仕方がない、私は慣れ浸しんだ京都を目指すことにした、とにかくホームタウンに帰りたかったのかもしれない、私は追い詰められていた。

浜松駅駅前の小さな金券ショップで新幹線の切符を買う、なんで、そんな話になったのかもう覚えていないけど、

「色々な人に迷惑をかけて、家も仕事もなくなったので京都に行ってみる」

という話をしていた。

すると、定員のおばさんは

「そんな時もあるし、そういう時に行くのがいい、いっておいで」

と明るく背中を押してくれた、あの笑顔が今も忘れられない。

あてなどなかったが、なにかしらのコネがないだろうか、今までやった仕事に戻れないだろうかと漠然と考えていた。

なにより京都は神仏の街だ、神仏にすがりたかった。

京都

京都に着くと、ネットカフェで調べておいた、スーパー銭湯のようなところにいった。

駅からすぐ近くで、宿泊もできる。

といっても大きな風呂とロッカーがあって、あとは大型フェリーのような大部屋に椅子と毛布があって、そこで寝るだけだ。

観光客よりは、ほとんど日雇い労働者や、疲れたサラリーマン層の利用だったと思う。

今だったら海外からのバックパッカーもいるかもしれないけど、けっこうディープで入りづらいイメージだ。

風呂には1人、2人しかいなかった、ちょうど町の銭湯ぐらいの広さだった。

ゆっくりと疲れをとり、洗濯をして、食堂のようなバーのようなところできつねうどんを注文して食べたように記憶している。

結構味が良くて、ああ京都に戻ってきたんだな、そんな気がした。

あくる朝、私は、七条京阪の駅まで歩いて、そこから出町柳に向かった。

叡山電鉄鞍馬寺を目指した。

鞍馬寺になにをしに行くというのでもなかった、でもいかなければ自分を保てない、そう思った。

鞍馬寺はいつどんなときでも私を温かく迎えてくれる気がしていた。

節目、節目に訪れたし、またそばの誰かが行きたいといって付き添ってきた。

バイクで寺まで行ったりもしたし、初めて就職したときも、すぐに仕事で行くことになったのを懐かしく思い出した。

季節は秋、観光客も多かった。

あてもない私は、初めてゆっくりと隅々まで見て回ったが、寺からなんのメッセージも受け取れなかった。

それどころか、まるで拒絶されているような感覚すらうけた。

まだお前が来るときじゃない、山を下りなさい

そういわれた気がした、私は山を下りた、叡山電鉄に乗ってそれからのことはあまり記憶に残っていない。

記憶にあるのは、五条あたりをフラフラしている私だけだ。

自分以外の人は皆が居場所があるように思えた、この状態を長く続けることが困難なことは明らかだった。

私は公衆電話から実家に電話した。

ダンダンダンダン!全部お前が悪いアル!ワーッツ!

そうだ、全部私が悪い。
努力できなかった、踏ん張れなかった、頭がおかしかった。
うねるような細路がどこまでも続いていく・・・私はこれ以来、頻繁に仕事をばっくれるようになる。

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