火の鳥としては鳳凰編に続き二冊目、現在は2冊しか所有していない。
『火の鳥(未来編)』感想
手塚治虫最高傑作
火の鳥シリーズは鳳凰編が最高傑作の呼び声高く、個人的にも何度も読み返してしまったので、それは超えないだろうと思っていたが超えてきた。
やはり、ネットで調べた限り、『アドルフに告ぐ』との二大最高傑作に推す声が最も高いことも頷けた。
未来の世界
未来都市や、空飛ぶ自動車などは装飾に過ぎず、前半のムーピーゲームもしかりだろう、中盤、後半にかけて益々勢いを増していく感じだ。これは鳳凰編でもそうであったけど、もっと強調されている、鳳凰編といわんとしているところは似ており、やはり仏教的な影響が多分にみてとれるが、もっと上級者受けというか、輪廻的でもないマクロな視点が描かれていた。
個人的に、コスモゾーンというのは真理からみてどうなのだろうと感じたが、自分の思想とだぶるところもあり、興味深かった。
火の鳥の活躍
火の鳥がもっとも活躍する編ではなかろうか、鳳凰編ではほとんど姿を見せなかったのが、何度も登場して主人公のマサトに助言する。不老不死になったマサトが神となり、最後は思念のみとなったところも新鮮だった。
軽く何千年、何万年と生き続けるマサトが、全くその素養もないのに、継続だけで天才になっていたというのが面白かった。人間の継続の力とはすごい可能性があると思わされた、最後は生き続けるだけで神となってしまうのだから。なにごとも継続できない自分には、そこが一番ひっかかったが、今後ともじっくり読んでいくことになるだろう。
個人の思想にまで宿る普遍性
思想的に左寄りのところが作品に色濃く出ている気がする、私も戦争は嫌いだし、環境破壊も嫌いだが、何事も善悪では考えないようにしている。起こったことはすべて正しいという思想の中から、自分の正しいところを目指すのである。
しかし、ラストで火の鳥が偽善的な解釈をするのだけれど、それで質がおちるというようなことはなくて、むしろ、素晴らしいラストのようにも感じられた。改めて単なるストーリーと絵、思想だけではないなにかがあるような気がして、手塚治虫のすごさを感じさせられた。
昔、黎明編など数冊を所有していたが、あまり良くなかったと記憶している、未来編が火の鳥、最高傑作だろう。読み返していきたいと思う。
画像©『火の鳥 未来編』
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