2009年、私は友人に連れられて、バックパッカースタイルで中国を一カ月ほど旅した。
当時中国はまだ発展途上で、世界の大国という地位を確実にはしていなかった。
「よく友人とジャパンマネーが炸裂しとる。しとる」
と笑いあったものだ。
2人は円の物価の強さを誇示し、後進国であった中国の元の弱さを笑った。
貧乏な二人でも、現地人からみれば豪勢な食事もできた。
省都の四つ星ホテルに、一人1500円ぐらいで泊まることができた。
あれから10年以上が経ち、中国の国力は3倍以上になった。
日本とほぼ並んでいたGDPも軽く3倍を超えた。
日本はこの10年、いや30年なにをしてきたのだろうか‥‥
中国のGDPは30年で40倍。
つまり、中国人の給料は約40倍になったということだ。
とにもかくにも、当時の円はまだなんとか強かった。
日本人も現在の半額で中国を旅することができたと思う。
旅の中で印象的な出来事があった。
内モンゴルの省都である呼和浩特(フフホト)での出来事である。
大草原ツアーに参加するために、「地球の歩き方」に出ていたホテルへ申し込みに行った時のことだ。
日本人だと分かると、中に通された。
とても豪華なホテルだった、座ったこともないような椅子があり、そこに座った。
しばらくして、カタコトの日本語で応対できる人が現れた。
彼はことあるごとに
「先生は・・・・」
「先生方は・・・・・」
と連発した。
これは思いっきり中国人の使い方である。
実は友人はリアル教員をやっていたから、正解なのだが、私は当時ただの失業者だった。
あれがもし、私が日本語教師になることを予感しての言葉なら、なかなかどして素晴らしい感性である。
中国語の先生は○○さんの意味
中国語で先生はxiansheng「シェンシャン」と読む。
これは日本語で○○さんの意味。
名字につけてもいいし、直接先生だけを言ってもよい。
この場合はおそらく、少し丁寧な「あなた」、つまりお客様のような意味になっていると思われる。
実はあまり使わない「先生」
実はこの先生「シェンシャン」、あまり使わないし、呼ばれることも少ない。
たぶん、かしこまった印象があるからだろうか。
中国語を勉強し、片言のコミュニケーションを取りながらよく聞いていると、今回の中国入りの中で一度呼ばれる経験をした。
コロナ隔離下の入国。
新幹線の中で、私の見張り役が交代した時だ。
「シェンシャン、私が案内します」
なにかそのようなことをわざわざ伝えにきた。
確かにその時、駅員はシェンシャンと言った。
若い人には小○○、大人なら老○○
実践ではなかなか登場がないわりに、教科書では真っ先に出てくるのが「シェンシャン」だ。
日本語教育の教科書でもそうだが、この辺が分からないところである。
現実には、○○さんは、若い人なら小○○、大人なら老○○と呼ぶ。
これで○○さんを意味するようだ。
中国語の先生は老師
中国語で、先生を意味する言葉は、老師である。
なんだか倫理の授業で習った人が登場した。
そう、あの老子に似ている。道教の開祖である。
読み方も老子と同じような読みをする。
発音は老師(ラオシー)という。
中国語の中では難しくない。
なんだか初めはしっくりこないが、一年ぐらい先生をしていると、とっさに呼ばれる機会も多いので慣れていく。
まとめ
中国からきた漢字であるが、日本に伝わった時にやはり間違えもあったのだろう。
例えば、
日本の手紙は、中国ではトイレットペッパーの意味。
日本の老婆は、中国では妻の意味(若くても良い)。
など、いろいろな違いが生まれている。
中国語に触れ、このような違いを考察するのもなかなか面白い。