2009年、私はリーマンショックの不況から無職となり、失業の身となった。
その時、ちょうど友人も教員の仕事が無いタイミングで、中国へ旅をするという。
私は一緒に来ないかと誘われた。
友人には打ち明けていなかったが、当時私は精神的に病んでいた時期である。
この病のせいで、私の20代は生産性のないものになっていた。
そんなことから、当時中国へ行くのはかなりの決断が必要だった。
当然、メディアの影響から中国は怖いところだと思っていたし、なにより病気で旅をする自信が持てなかった。
それでも、死ぬことはないと思って、行く決断をした。
なにか大きな刺激が必要だったのかもしれない。
北京で手足のない物乞いを見る
2009年、私は初めて中国へ行った。
北京の空港に降り、初めて中国の空気に触れた。
まだ今よりも埃と熱気にまみれ、映画の中のような喧騒が残っていたように思う。
北京の地下鉄に乗れば、必ず物乞いがいた。
駅のホームには物乞いのグループがたむろして待機していた。
彼らは一日中地下鉄のホームと車両の中で、物乞いをしながら過ごしていた。
手足がない者、ヒドイ皮膚病の者、それらの親子連れなど。
びっしりと客のいる地下鉄の中で座っていると、音楽を流しながらゆっくりと這ってくるのだ。
それは、本当に恐ろしい体験だ。
インドでも多くの物乞いを見た。
電車の中での集金も体験したが、あれは強制的に集金するヤクザのようなもので、別のこわさだった。
中国の地下鉄の中では、精神的にダメージを受ける感じが強かった。
彼らの姿かたちは、人間とは思えない程変形したり、病気になったりしていて、恐怖しかなかった。
上海の道端で美人詐欺師に会う
当時の日本はまだ世界2位の経済大国、一人当たりGDPでも中国とはまだ大きな差があった。
日本人や日本円というだけで、金の匂いが残る。
そんな時代だったのだろう。
上海の街をブラブラしていると、日本人というだけで声をかけられた。
日本語を話せる美人が突然話しかけてくることもあった。
「大学で日本語を勉強している。
私の仲間を紹介したい」
今だったら信じられないような、日本人を狙った美人詐欺師のようなものが存在した。
消えた物乞いや詐欺師
北京や上海にいた物乞いや詐欺師は、今はどうしているのだろうか。
おそらく、貧しくなった日本人を専門に狙う美人詐欺師などもう存在しないだろう。
そして、北京のオドロオドロシイあの地下鉄物乞いグループも、もう存在しないのだろう。
あんなわけのわからない世界があれば、中国の評判はガタ落ちになる。
おそらくあれ以降すぐに規制されたはずだ。
もしくは、あの当時すでに混沌は消えつつあり、あれらは最後の混沌であったのかもしれない。
豊かになった中国が失ったもの。それは言葉にならない、うぃ~そのものである気がする。
2009年の中国
昨日、学生からの読解問題で質問がきた。
要約すると、
「田舎の自然をありがたがるのは街の人だけだ。街の者は、週末だけ田舎にきてありがたがっ
て帰っていく。
そして、環境保護などを訴える。しかし、田舎の発展は田舎の者にとっての悲願なのだ」
というような内容だった。
学生はそれに賛同し、私に同意を求めるためにメッセージをくれたようだった。
私は少し感情的になった。
なぜなら、私はド田舎の人間であるが、私自身が田舎の自然が無くなるのを嘆いているからだ。
それは多様性であり、混沌であり、火であり、陰であり、危険でもある。
それらの消失を、過疎化でセブンイレブンまで10キロも離れている私の故郷でも感じるのだ。
分からないもの、恐怖するもの、2009年の中国にはそんなものがまだ多く残っていたのを、その学生の質問で思い出した。
学生は虫や蛇が嫌いだといった。
全くなにを書いているのか分からなくなった。
貧困は嫌いだ。
食えないのは苦しい。
しかし、金が全てではない。
人の思想や誠は、ある部分うぃ~と繋がっているのではなかろうか。