中国は広い。
中華料理といっても歴史や民族が入り乱れ、なかなか一口には語れない。
食は人間の活動の中で最も基本的な要素だ。
中国の歴史は、すなわち中華料理の歴史と言っても過言ではないだろう。
司馬遼太郎はある著書で、東アジアで料理があるのは中国だけだといった。
どういうことだろうか?
日本にあるのは惣菜であって料理ではない、中国人が意味する加工はしていないというのである。
同じように中国の周辺諸国でも料理が存在しない国家が多いのだそうだ。
中国は稲作が始まった時から、内部に歴史や伝統を蓄え始めた。
そして、その歴史は数千年以上続く。
例えば、隣国のモンゴルなどが蓄えない文化の象徴だ。
モンゴルは、遊牧民として定住せず、場所を捨てて移っていく、絶えず移動を繰り返し、そぎ落としていく文化だ。
日本はどうか。
日本は、もともと小さな島国で人の往来は少ない。排他的となり、これもまた料理をはぐくむ土壌にはなり得なかった。
中国は稲作と異民族の往来により蓄えることを学び、やがてそれが国の骨格を作っていった。
それは食の伝統の面でも、他国と異なり複雑な料理を生むことになる。
中華料理とはなにか
そもそも中華料理とはなんだろうか?
中華の概念は、世界の中心である中国に生きる立場として、中国人が自らを定義する言葉である。
従って、中華以外は辺境であって世界にとっては重要ではないという考えかもしれない。
その昔、日本が遣唐使を派遣していた唐と言う国は、当時の世界中のGDP80%にも相当する経済力を誇っていた。
まさしく世界は中国にひれ伏していた。
中華思想が世界の常識だった時代もあるのである。
現代では、だんだん世界が元のパワーバランスに戻っていく途上かもしれない。
中国とインドの台頭は、必然と言える。
中国が世界の盟主として君臨する日も近いのではないだろうか。
それは私が、中国に住み、中国語を学んでいる理由である。
ということで、中華料理は全てを内包する特性も秘めていると言えよう。
中国人の元彼女が、
「元も中国、チンギスハンも中国人」
と主張し、私と論争を繰り広げたことがある。
彼女の主張によれば、モンゴル料理も中華料理に入るだろう。
やっかいなことに、中国には朝鮮族やモンゴル族、ロシア族など、あらゆる諸外国由来の少数
民族も暮らしている。
特にロシア族などは、なんとなく中国に来て暮らしていた人たちが、そのまま国籍だけ変わってしまった人たちが多く、容貌も全くのロシア人である。
外国における中華料理
日本でも中華料理はなじみが深い。
- 中華料理
- フランス料理
- トルコ料理
が世界三大料理だそうだ。
アジアの国が2つも入っているというのは、なんだか心強い。
トルコと言えば、やはりオスマン帝国の影響力だろうか。
日本の家庭料理で、トルコ料理とフランス料理がなくても、なんとかやっていけるかもしれないが、中国料理ができないとなるとかなり苦しいだろう。
私も、無職時代に無職飯といって、キャベツを卵と痛めるだけの料理をひたすら作っていたが、それも中華料理といえば中華料理である。
インドにおける中華料理
10年以上も前になるが、バックッパーカースタイルでインドを一人で旅した。
当時のことはインド旅行記に詳しく書いてある。
この旅で、印象に残ったことの一つに中華料理がある。
インドの屋台で、一番多いメニューが、カレーと焼きそばである。
この焼きそばを、現地ではチョーメンと呼んだ。
中国語で、焼きそばのことを炒麺〈チャオメン〉と呼ぶから、ほぼ中国語である。
とても人気があり、日本人の貧乏旅行者の強い味方でもあった。
チョーメンは、インド料理の貧しい食材や下痢などでにやられた日本人を救った。
インド人はそれを中国料理だといい、観光客である私がいつもそれを食べていると、あまり嬉しそうな顔をしなかった。
やはり、きちんとしたところで、インドカレーなどのインド料理を食べてほしいという表情をされたことがある。
インドには、やはり中華思想のようなものはないのだなと思う。
しっかりと中華料理とインド料理をわけて考えている。
しかし、中国ではカレーも中国料理だと平気でいい出しそうな気配がある。
「先生、これは元々はインド。でも今は中華料理の一部ですよね」
などといいだしかねないのだ。