はるか昔、中国人僧侶の玄奘三蔵は、17年かけてはるばる印度へ空識(空の思想)の経典を持ち帰るために向かったという。
三蔵は、古代にあった高昌国(こうしょうこく)など、古代シルクロードの中央アジアに存在したオアシス国家の王に庇護された。
友人と訪れたトルファン郊外にある高昌故城。世界遺産。
その庇護を受けながらの移動なので、旅のイメージはずいぶん西遊記とは違う。
そのほとんどの区間を、一大キャラバン隊を引き連れての移動だったそうだ。
最も、現在のトルファン辺りにある高昌国にたどり着くまでは、資金が乏しくつらい旅だったようである。
当時の唐では、国から出ることが原則禁止されていたそうだ。
そんな中、一人の僧侶が印度へ向けて出発したということで、出発の時は犯罪者であった。
最も、17年後に帰還することには時代も変わり、都のかなり手前の方まで迎えが来るなど、熱烈な歓迎だったそうである。
現代の中国人と仏教。宗教。
では、現代の中国を生きる中国人と仏教はどのような関係があるのだろうか?
いや、そもそもなにか関係があるのだろうか。
簡単にいえば、現在中国でも信仰は認められてはいるが、世界でも宗教色が少ない国であることは間違いない。
やはりメジャーな宗教以外は弾圧の対象になったりするなど、目立つ行動はとりにくいというのが本音だろう。
日本語教師と仏教
中国で日本語教師をしていれば、こちらから話題を出さなくても、仏教のことを聞かれることがある。
日本語課の授業では、日本事情のように日本の宗教について触れる科目もあるからだ。
そのような時に、実際の日本の宗教の状況はどうなのか?
中国人の教師や学生には全く見当がつかず、日本人教師に聞こうという自然な流れになるのだろう。
日本事情の教科書などに、なにやら日本では浄土真宗が多いらしいというようなことは知識としてある。
だから、それを確認されることになる。
私の家も浄土真宗なので、学生たちは満足そうにウンウンと頷いている。
中国人教師にしても、あの先生もそうだと言ってました!といえば説得力が増すだろう。
だから、宗教についての話題がタブーと言うわけではない。
中国の大学生と仏教
中国の大学生の中にも仏教徒が当然いる。
私の実感としては1割ぐらいいるのではないかと思っている。
なにかの話の拍子に、
「私は仏教の人。彼女も仏教の人です」
などと教えてくれたことがある。
この生徒はかなりやかましい女子学生なので、彼女が因果応報とかを語り始めたのに驚いた記憶がある。
「因果応報をまだ理解できません」
などと言っていた。
これは私の領分である。
が、しかし。
やはり変な教師だとは思われたくはない。
私は保身のために、一つ大事な布教の機会を失った。
浙江省と仏教
その学生と、その学生が教えてくれた仏教徒のクラスメートは、共に浙江省の出身であった。
浙江省の学生はなぜか東北の大学にも多い。
浙江省というのは日本に距離が近いためか、少し日本人に近い印象を受ける。
あまりうるさい人はいないし、落ち着いている印象がある。
日本で生活している中国人も浙江省出身者が一番多いというが、やはり感覚が似ている分、過ごしやすいのかもしれない。
その似ている感覚の中で、もしかしたら仏教が関係しているのか?
などとも思ってしまう。
一つの理由として浙江省は海に近く、台湾の様に漁の安全祈願など独特の信仰文化が隆盛したのかもしれない。
現代中国で生きる仏教
中華人民共和国において、なんとなく勢いをなくした仏教。
しかし、私はまだこの大地で仏教が生きてるような気がする。
中国人はお寺の話が好きだし、宗教の話も避けることはない。
古の仏教遺跡もあちこちに残っている。
そして、仏教徒として生きている学生もいる。
私はやはり欧米は好きになれない。それはやはり、仏教の息吹がないからかもしれない。
仏教の生まれたアジアが、私は一番好きだ。